インタビュー内容

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第6回 2006年12月15日
作詞家・演出家・映画監督 奈良橋陽子

奈良橋陽子
プロフィール
ICU(国際基督教大学)にて言語学を専攻 。卒業後渡米し、ニューヨークのネイバーフッド・プレイハウスで演劇を学ぶ。 帰国後、演出家・作詞家として活躍、ゴダイゴの一連のヒットナンバーの英作詞などを手がける。英会話教育にも力を入れており、1974年にドラマを使ったユニークなメソッドの英会話教室 MLSを設立、また数多くの教材を執筆・制作・監修。1982年、企画制作会社(株)UPSを設立、自ら代表も務める。
奈良橋さんはICU時代は、「D館族のなかでも次元の違う、すごい人」と噂されていましたよ!
渡辺
今日はありがとうございます。奈良橋さんにインタビューできると実は思っていませんでした。お忙しいのに加え、日本にいらっしゃるかわからなかったので、幸運にも光栄に思います。
齋藤
僕は奈良橋さんと学生時代に重なっているので奈良橋さんのことを覚えていますよ。「奈良橋さんという次元の違う、すごい人がD館にいる」という話を仲間から聞いていました!
奈良橋・渡辺
次元が違う(笑)?
齋藤
え〜っと、僕のグループは“ただのおしゃべり目的のD館族”、でも奈良橋さんのグループは音楽をやっている“すごくユニークで出来る人達”のグループ。 奈良橋さんは特に美しい人という印象を持っています。当時は奈良橋さんの姿をD館でちらりと見かけた程度で、まさか今になってこのような形でお会いできるとは夢にも思わなかった。今日はどうぞよろしくお願いします。 最初にこの企画の目的を少し自分なりにお話させてください。就職先を迷っている人、自分はどんな生き方をしようかと悩んでいる人、大学を卒業しても職に就かなかったり、就職したとしても「これでいいのか」と試行錯誤している人たちが結構いる。この「今を輝く同窓生」企画では、僕は「人生は青天井」ということを伝えたいのです。だからこそ、まさに「今を輝いて生きている」素敵な同窓生である奈良橋さんが、何故今のようになれたかをお伺いして彼らへ何か伝えるメッセージがあればと考えています。
渡辺
ICUを卒業して社会にでて、素晴らしい同窓生の先輩・後輩にお目にかかりました。そういう方の横顔、歩いてきた道を垣間みることで、後輩諸氏の選択肢が増えたり、もっと楽しい世の中になることにつながれば♪と素朴に願います。奈良橋さんが受けていらっしゃる評価自体の凄さも然ることながら、そこに辿りつくまでの道を迷いや感じ方も含めて伺えれば、不躾ですが有難く存じます。
奈良橋
面白い企画ですね!私は真理さんにどのように今のようになれたのか、インタビューをしたらいいと思いますよ。ね、斎藤さん!アナウンサーとしてどのような道を辿り今のようになれたのか、非常に興味があります。今度、是非私にインタビューさせてくださいね!
「人を愛する力、自分を信じて夢を追いかける力」を人に伝えたい!
奈良橋
人は努力をするとそれが才能になっていくと思うんです。神様は一部の人にだけ色々なものを与えているように見えることがあるかもしれない、でも本当の意味では平等で、やっぱり努力をする人は報われるようになっていると思います。 私は・ニにかく“申し訳ない”と思うほど恵まれていた、だからこそ自分の“Mission”として、「人を愛する力、自分を信じて夢を追いかける力」を人に伝えたいと思っています。先ほどのお話を受けて、何故自分がそのような考えを持つかと考えると、その根源には、素晴らしい親の存在があったからだと思います。親が私に愛情を教えてくれたから今の自分がいる、だからこそ、出来る限りその“Mission”のために努めていきたいと日々思ってやまないし、とことん頑張れる。人は、とことん頑張れば、たとえそれでもできないことはあったとしても、また違う扉が開いていくのだと思うんです。 私は、自分が主宰するDramaの学校で演技のテクニック部分を教えていますが、それだけでなく、自分を信じるといった、生き方のガイドラインを伝えています。芝居を作るときのMethodって、生きるための考え方と共通していることもあるんですよ。例えば、Dramaを作る場合、目的がホットで信じられるものであることが必要で、演出家は役者に対してそういう目的を設定してあげるのです。そして、それに対して役者がポジティブ(前向き)であればうまくいかないことはないというように。
齋藤
奈良橋さんはいつごろ今のような仕事をしたいと思われたのですか、何がきっかけだったんですか?
奈良橋
私がDramaに興味を持ったのは、両親から映画の「風と友に去りぬ」を5歳のときに見せてもらって、まさにそのときから始まりました。当時のことは今でも鮮明に覚えていて、私にとって非常にインパクトの大きいものでした。映画は他にも色々見せてもらったのですが、今も探しているけれど(題名が)わからない、どうしても思い出せない映画もあって、今でも夢にその映画が出てきたりします。 つまり、物心ついて間もない頃にDramaの世界に魅せられて、今の自分がある、ということですね。 これまでの人生を振り返ると、他の世界に行く可能性も人生の選択の中でいくつもあったかもしれません、でも、やっぱり私はDramaの道しか見ることができなかった、選択肢があったことに気がつかないくらいDramaに夢中だったし、今もそれは変わりません。
私のエネルギーの根源は親の愛。 小さい頃から一人の人間として“Respect”されて育てられました。
齋藤
なるほど、それは素晴らしいことですね。 今、お話を伺っていて、さらに僕の興味をかきたてたのは、先ほどのお話にでた「奈良橋さんの生き方の根源となるご両親の愛情」についてです。親から愛されていても、必ずしもすべての子供が親の愛情を素直にとるわけではないと思います。となると、親はその愛情を子供にどのように表現するかが重要となるということなのでしょうか。僕は欲張りなのでそのコツみたいなものをお伺いしたい。ご両親はどのような方で、どのように奈良橋さんを育てられたのでしょうか。
奈良橋
母は8人兄弟の1人として生まれ、両親が喧嘩をするのを見て育ったため、自分が結婚したら絶対に子供には喧嘩をしている姿は見せない、と思っていたそうです。私の母方の祖父は宮内省に勤め、祖母はいわゆる明治時代の強いおばあさんだったそうです。 実際、私は1回も親が喧嘩しているところを見たことはありませんでした。 母はすごくやさしさがあり素敵な人。今90歳ですが、元気ですよ。 両親はどちらも、私が小さい頃から私を一人の人として“Respect”して扱ってくる人でした。父は外交官だったので、よく出張でカナダに行っていて、幼い頃の私は随分寂しく思っていたようです。そこである日、私が「一緒に連れて行って」とお願いをしたら、「陽子はお父さんと一緒にカナダで暮らしたいのか?」と、子供の私にちゃんと訊いてくれて、その後カナダで暮らすことになりました。カナダにはしばらく住んでいましたが、高校生の時も「カナダ人になるか」と国籍について尋ねてくれたし、日本に帰る時も、私の意見を聞いてくれた。両親は私に愛情を注いでくれた上に“Respect”し、小さい頃から1人の人間として扱ってくれたのです。 親が子に「何をしたいか、どうしたいか」と一人の人間として行動や考えを問うことは、愛情に関する大きなヒントで大事なことだと思います。私が親になってからも、できるだけ子供には色々なことを説明して同じ立場に立とうと心がけました。
渡辺
小さい子供に対しては、どうしても幼児語で話をしたり、童話を読む時でも子供っぽく読み聴かせることが多いですよね。でも、もしかしたら大人には想像できないくらい子供の感性は豊かで、全力で誠心誠意、朗読しないと子供のパワーに見合わないかもしれないと思ったりします。奈良橋さんのご両親は・A奈良橋さんを一人の人格として同等に尊重して、本物を見せるようになさったのですね。きっと“この子は小さいからわからないだろう”ではなく、きっとこの子は何かを感じとる”と信じて奈良橋さんに接していらしたのでしょうね。
奈良橋
まさにその通りかもしれません。 私が子供を育てるときにも、自分が親にしてもらったことをしようとしました。「幼稚語」はもちろん使わないし使いたくもない、「お腹を減らした子供が自分を犠牲にして犬にご飯をやる」類の、いわゆるお涙頂戴アニメ番組も見せなかった。日本のテレビ番組の中には、極端に子供を子供とみなして馬鹿にしていると感じるものや、おしつけがましいと感じるものも多くて・・・私はあまり好きではなかったですね。
齋藤
僕は子供がいないのでわかりませんが、子供を一人の人格として認めることは親としては難しいことだと思いますが、いかがでしょう。
奈良橋
私は、「コントロールとしつけは違う」と思っています。時に親は子供をコントロールしたくなる、でもそれが行き過ぎると子供がかわいそう。コントロールはエゴ、子供を育てるとは、いかに子供を信じることができるかにかかっていると思います。 それから、私が親として、人を教える立場の人間として心がけているのは、ただ単に良いことを「言う」のではなく「行動」で示すこと。子供は、結局は親の行動を見ているんだと思います。だから私は、子供に恥じない仕事をしようと、精一杯行動で示そうとしてききたつもりです。 今思えば、私は両親から、エゴで子供をコントロールするのではなく、大事なことは行動で伝える、という、そんな大切なことを教わって育ったのだと思います。 父はもちろん私をコントロールしなかったし、私に自由を与えてくれました。でも自由とは、しつけをする上で実は非常に難しいもの。大学卒業後、演劇学校に行こうと思って親に学費のお願いをしたときに、はじめて自分で留学費用を払わなければいけないということを父から学びました。この時、父は私に、「やりたいことはちゃんと自分でやりとげる」という「しつけ」をしてくれたのだと思います。その後、私はイギリスの演劇学校に行くために、ホテルのガイドなど色々なバイトで留学費用をすべて稼ぎました。  父は心から私に愛情を注いでくれた、本当に大好きな父です。 ただ、私はその愛情にきちんと「お返し」することができなかったのではないかと今でも後悔することがあります。私の海外での生活や結婚のときには心配をかけたでしょうし、父が心待ちにしていただろう花嫁姿もタイミングが合わず見せることができなかった。本当に今思い出すとどんなに父を悲しませてしまったかと思います。 でもだからこそ、私は、どんなにコミュニケーションが大事か、そして愛が大事かということを世の中に伝えていきたい、親から受けた愛を世の中に還元しなくてはと思うんです。
コミュニケーションすればどんなに衝突していても、その問題は解決すると 私は信じています。
渡辺
先ほどのお話から、お父様とお母様はすごく仲が良かったのでしょうね。
奈良橋
すごく仲が良かったですよ。リアリティとしては何かあったのかもしれないけど、一切私には見せなかった。兄と姉がいて私は次女の末っ子で戦争が終わってから生まれ、赤ん坊の頃から父と一緒にいたので愛情を注がれて育ちました。ユーモアがあり素敵な父でした。戦争が終わって満州から日本に帰るときに「靴磨き道具」を持って帰ってきたというエピソードがあります。というのも、もし帰国後、母とすぐに会えなくても、靴磨きができればどこでも仕事ができるから、どこまでも母を探しにいけると考えたからだそうです。本当にいつも私を笑わせてくれました。 私の人生において、父の影響はすごく大きかった。小さいときから色々な国籍の人と出逢ったのも父のお陰。父は国籍に関係なく彼らを楽しませ笑わせたりしていた。その影響は私にとってすごく大きなものだったと今も思います。
渡辺
コスモポリタンという言葉を確か教科書で見た時、どういう人のことだろうと思った覚えがあります。奈良橋さんは正にそうですよね。日本は島国で、ある意味排他的な側面も持ちます。そんな中でも奈良橋さんのご家庭内では、ご両親が分け隔てなく色々な国の人とつきあっていらっしゃった、すごく珍しい、幸福な環境で育たれたのですね。
奈良橋
そうですね、小さい頃から色々な国籍の人と関わってきました。 そのせいか、コミュニケーションは絶対にできると信じて今も生きているところがあります。コミュニケーションがなっていないとすごく不愉快でたまらない気持ちになります。 まして、戦争とか誤解がすごく嫌。どんなことでも、話し合えばわかると信じているので、話し合わない人たちを見ると憤りを感じてしまいます。 私が特攻隊をテーマに舞台を作ったのも、特攻隊のことをみんなに正しく理解してもらおうと思ったからです。話せば解決しないものはない、 “in a way impossible” を望んでいるかもしれない、でも私はコミュニケーションがあれば人間は理解しあえることを信じています。 その特攻隊の舞台を映画化するのには5年かかりましたが、「絶対やらなくてはいけないもの」思って、とことん努力しました。今でこそ、日本で仕事をしたり日本の素晴らしさを伝えるような映画制作に携わったりしていますが、日本の政治家が大嫌いだったときはアメリカに移ろうと思ったほどでした。何故、日本の素晴らしさをARTを通して伝えたいと思うようになったかは、ある人から、「幕末の日本の英雄は本当に素晴らしい」と聞き実際に自分でそれを感じたことが始まりでした。その出逢いがあまりに衝撃的で、リアリティのある幕末の舞台をいつか作りたいと思うようになりました。それから、“殺陣”を学び、日本の英雄について知るなかで「ラストサムライ」の映画と出逢いました。最初にその本を読んだときは、「何故外国人がこれを映画化するのか、日本人じゃないの」と正直思いましたが、やはり日本の中にいると外から見ることができない、ということなのでしょうね。それで、全面的にこの映画をサポートしようと思って、キャスティングのお手伝いをしたりしました。 今でも幕末の舞台(映画)を作ることは私の課題でもあります。
ICUは色々な文化の融合で、私にとっては日本社会への入り口でした。 学生の皆さんには、“心の声に耳を澄まして、その声を聞く勇気が必要。自分がやりたいと思うことに対してとことん頑張って”、それが私からのメッセージです。
齋藤
奈良橋さんにとってICUとはどのような存在なのでしょうか?
奈良橋
まさに、日本社会への入り口(Entrance to the Japanese society)となって私を助けてくれました。「役者になるとしても、頭が良くないと駄目、社会を知る必要がある」という父からの助言もあってICUに入学することになりました。初めて日本人と出逢った場がICUでした。ICUは、普通の日本の高校から入ってきた人もいるし、帰国子女もいるし、外国の人もいる、いろんな人が融合していた場所。私はキリスト教徒でもあるので、ICUのスピリットにも共感していますし、安心して4年間(正確には3年半)を過ごすことができました。学生時代は、日本語から色々なARTの世界を学びました。ガンダーラ(奈良橋さんはゴダイゴの「ガンダーラ」を作詞)はICUの考古学のギダー先生から学んだ中国文化の影響でもあります。
齋藤
ICUの学生に何かメッセージがあるとしたらどんなことになりますか?
奈良橋
心の声に耳を澄まして、その声を聞く勇気が必要だということ。自分がやりたいと思うことに対してとことん頑張ってもらいたい。
渡辺
心の声に耳を澄ます・・・。シンプルだけれど、なかなか出来ないことなのかもしれませんね。ご両親はきっと奈良橋さんにDrama以外のたくさんのものも用意して下さっていて、その中で奈良橋さんが反応なさったのが演劇で、しかも好きなものを信じて追及することができる強さと素直さを持っていらしたのでしょうね。 今、何かしたいけど何をしていいかわからない人が増えているように感じることがあります。私自身、例外ではなく。せっかく何十年かもらった人生を楽しめるかどうかの違いのひとつは、「好きでしょうがない」何かを持っているかいないかじゃないか、と思うこともあります。どんな小さな事でも好きなことであれば、何でもいいような気がします。私の友達の鏡君は占いが大好きで、今でこそ「占星術界の貴公子」なんて言われてますけど、男の子が占い?など逆風は想像を越えてあったはず…それでも好きな思いに忠実に打ち込んだ結果は周りを納得させて余りある評価につながってると思います。サッカーの元日本代表の中田選手がサッカーと出会い、野球のイチロー選手が野球に出会ったように「好きでしょうがない」何か、好きだという自分の感覚に正直になって、取り組んでみることが一歩なのでしょうね。上手くいかなかったら怖いし、自分で選ん・セ分、成果も責任も自分で背負うことを考えると勇気が要りますけど、それ以上の充実と経験をもたらしてくれる気がします。
奈良橋
ただDramaがしたいという気持ちしか私にはありませんでした。その理由は、おこがましいかもしれないけれど、自分の“Value”で少しでも世の中の役に立つことができたら、という思いがあったからなのです。
コミュニケーション不足が華奢な子供を作っている。 子供を大事にてしてもらいたい、コミュニケーションをしてほしい、自分自身を子供に見せ てほしい。
奈良橋
今の子供たちを見ると、コミュニケーションが不足しすぎていると思います。病気になる子、対立に弱い子、自閉症の子が増える、など子供がどんどん華奢になっています。PCやゲーム、ネットサーフィンしかせずに人とのコミュニケーションをとらないのが問題で本当に残念なことだと思います。 私の学校の若い学生は、Dramaを学び役者として人間として成長していきます。彼らに、何が良かったかと聞くと、口を揃えるかのように、「仲間に出会えたこと」だと言います。つまり、コミュニケーションを彼らは学び、それが彼らを人間として成長させたのでしょう。 今、私から親御さんにお願いしたいことは、子供を大事にてしてもらいたい、コミュニケーションをしてほしい、自分自身を子供に見せてあげてほしい、ということです。
渡辺
一人で引きこもってしまう子もいます。お母さんはただご飯を持って来てくれる人と判別するだけという話も聞きます。関わらなければ傷つくこともないので、誰とも関わらない、悲しくて淋しいですよね。私も人間関係の築き方が上手いとは思えませんけれど、誰かに愛されている、必要とされている…それ以上に誰かを愛していて必要としていることが、もしかしたら唯一、生きてる実感かもしれません。どんなに粗末になってもいいやとなげやりになっている子も「誰かに愛されている」ことがストッパーになることがあったらと願います。
奈良橋
息子が、日本の学校に通うようになってから、「アメリカンスクールは温かみがある。でも、日本の学校は温かみがない。」と言ったことがあり、私にとってはショックでした。日本人にはつつましさや奥ゆかしさがあり、日本文化は素晴らしい、でもその一方、日本には温かみが足りなくなっているのかもしれません。アメリカのことを考えると、宗教のせいにはしたくないけれど、愛がより上手に表現されている感じがします。私は、日本の良さと海外の良さが融和するとすごくいいと思います。
演技を通して一瞬一瞬を生きることを学ぶ。役者とは生きることに感謝できる職業なのです。
奈良橋
演技は一瞬一瞬を生きることを学ぶ。役者は凝縮した時間の中で演技をするので、普通の人が想像できないほど興奮状態になります。そして、それを観た人はそのエネルギーをもらうので、演技をする人は観ている人よりも生きなくてはいけないのです。 よく学生や役者に、生きることを理解してもらうため、「明日の朝、人生が終わることを想像して、何をするか」を考え表現してもらうことがあります。私は彼らにいつも生きていることを考えてもらいたい、だって「This joy of life/Value of Life」 を伝えるのが役者だから。役者とはまさに「生きること」を表現することで「生きること」に感謝することのできる職業、その一瞬一瞬を感じることのできる職業だと思います。
渡辺
ニュースは本当のことだとされていますが、逆の側面もあると思っています。どんな事件でも事故でも3枚ほどにおさまるわけはありませんから。いつ、どこで、誰が、どうした…どんなふうに、どうして、をシンプルに伝えようとすればするほど、指の間から砂がこぼれていくように真実が 見えなくなっていくことも多く…。むしろ真実はニュースの中ではなくて、音楽や小説や演劇という創作の中にキラッと光ることがあるのかもしれない、そんな気がしてなりません。
奈良橋
それは非常に面白いですね、でも本当にその通りなのかもしれません・・・。
齋藤
奈良橋さんは、役者の育成もする、作詞もする、キャスティングもする、すごくマルティタレントだと思います。いろんなことができる秘訣はなにかあるのでしょうか。
奈良橋
そうですね、そんな風に意識をしたことはないのですが・・・。私の根源は表現したいという想いでしょう。ベースは演出家で、キャスティングは自分が演出するためのひとつの手段なんですよ。
渡辺
奈良橋さんは、小さいときから想像することが好きな少女で、社会にでてからも「あれもしたいこれもしたい」といってやりたいことを増やしていったわけでなく、自分の好きなことに打ち込むうちに、「こういうドアがある、ああいうドアがある」という形で広がっていったのでしょうね。
奈良橋
一番はじめ、女優になりたいとは思っていました。作詞については、昔から書くことが好きで感じたことを文字にしていまして、そんな中で、心の中で思っていたことが詞になっていった。心の声が原点にあって、何かあれば自分の心の声に耳を澄まします。その心の声の表現がだんだんと違う形になっているけれど、自分の中では1つしかありません。衝動でやっているようなもの。ビジネスマインドでやっていたらお金持ちになれたかもしれませんが(笑)。
これから、日本の素晴らしさが伝わるような映画を作りたい!
奈良橋
私は、今というこの時、ワイン、食事、一緒に食事をする仲間、生きていることに感謝できることをして生きていきたい。“Life is so amazing”、最終的にどんなことをやったとしても、生きることの凄さをメッセージとして、それを伝えたい。
渡辺
ただ誰しも時に、投げやりになったり自暴自棄になってしまうこともありますよね。「今日という日を生きて良かった、会えてよかった」と感じられるかどうかは、体力とか筋肉と同じで、どれだけ柔らかく硬直していない感性で人や物に接することができるかにかかっていて。疲れが薄く埃のように積もっていくと、どんどん無感動になるし、無表情になることもあります。
奈良橋
だからこそ、私はどのように生きるか「how」を伝えていきたい。Dramaの学校をやっていく喜びは、今や単なる役者育成を超え、人間としての充実した喜びを皆が感じてくれていることにあるように思います。 辛いこともあるけど、辛さを味わうことで生きる喜びを感じ、その人の人生が豊かになるのだと思います。ドキュメント番組で、リストラにあった人のことをやっていて感じたことがあ・閧ワす。少し残酷な言い方になるかもしれませんが、私は好きじゃない仕事をやり続けて人生を終えるより、リストラによって「どうやって生きたいのか、何をしたいのか」と問われることは素晴らしいことだと思いました。40年間、好きじゃないことをやって何気なく人生を終えてしまうよりも、辛いかもしれないけど、生きることを問われたことはチャンスだと思います。 大事なのは、“生きること”とどのように向き合うか。以前、ある元特攻隊員の方にお話を聞く機会があり、彼がこんなことを言っていました。「(特攻に)行く前に落ち込んでいたら絶対に戻ってこない。でも明るく『行ってきます!』と言って行った人は不思議と帰ってくる」。彼はすごく元気のある前向きな人で、3回も特攻の命を受けながら、途中で怪我をしたり(飛行機が)発進しなかったりして、生きながらえたのです。 人生は、生きることを信じる人は生きることができるんだと私は思います。
渡辺
本当にそうですね、どのように生きるかですね。 奈良橋さんは、これからどのように扉が開いていくのでしょうね、どんなことをやりたいと思っているのですか?
奈良橋
映画を演出したい。1本目は無知のまま終わり、今は巨匠の傍で自分が演出するときにどうやるのか、どういうスタッフが良いのかと勉強もしています。  これからやりたいと思っているのは「素敵な日本人がこんなにいるんだ」ということを伝えたい。形式張ったものではなく、LIFE OF JOYが伝わるような映画を作りたいですね。

プロフィール

奈良橋 陽子(ならはしようこ)
ICU(国際基督教大学)にて言語学を専攻。卒業後渡米し、ニューヨークのネイバーフッド・プレイハウスで演劇を学ぶ。 帰国後、演出家・作詞家として活躍、ゴダイゴの一連のヒットナンバーの英作詞などを手がける。 英会話教育にも力を入れており、1974年にドラマを使ったユニークなメソッドの英会話教室 MLSを設立、また数多くの教材を執筆・制作・監修。 1982年、企画制作会社(株)UPSを設立、自ら代表も務める。 国際的に活躍できる俳優の育成を目指し、1998年よりアップスアカデミーを主宰、数多くの国際派俳優を輩出。 また近年は「ラスト・サムライ」「BABEL」をはじめ、ハリウッド映画のアジア圏キャスティングディレクターを数多く務めている。