インタビュー内容

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第23回 2010年9月29日
料理研究家 門倉多仁亜

 門倉多仁亜
プロフィール
料理研究家。幼い頃、ドイツ人の祖父母と暮らすなかで自然と家事が身につく。 そのことがきっかけで料理好きとなる。日本人の父とドイツ人の母のもと1966年に神戸で生まれる。父親の転勤に伴い子供時代は日本、ドイツ、アメリカで過ごす。国際基督教大学を卒業後、東京にあるドイツ系銀行に入社。その後東京、ロンドンと香港で米系とスイス系の証券会社に勤務する。結婚後、夫の留学のために再びロンドンへ。長年興味のあった料理とお菓子を学ぶためにコルドンブルーへ入りグランディプロムを取得する。 帰国後、料理教室をはじめる。
齋藤
今日はお忙しい中、お時間を頂戴するだけでなく素敵なお家にご招待いただきありがとうございます。今まで料理人の方のお話を聞いたことがなかったので、同窓会事務局に、「誰か卒業生で料理関係に進まれた人っていないですか」と聞いてみたんです。そうしたら、すぐ門倉さんを紹介されたんですよ。
門倉
料理人ってICUっぽくないですよね。きっと少ないと思います。自分の経歴にはあっていると思いますが。私は料理人とは言っても、みじん切りはこうやるんだよ、っていうのを教えるわけではないんです。「外国には行ったことはないけどお料理や暮らしぶりに興味がある」、そんな人に海外の生活を知るきっかけにしてもらえればな〜と思います。お料理を通じて文化を知ってもらいたいですね。
やろうと思ってやったわけではないんです。自分が好きな料理をやってみて、気がついたら教えることになり、ドイツを紹介しているうちに「ドイツ人って掃除好きなんでしょ!?」とライフスタイルの紹介をするようになりました。
齋藤
門倉さんのプロフィールをみてみると、お料理の話だけかと思ったのですが、キッチンの話からインテリアの話が出てきて・・・一体何をなさっているんですか?(笑)
門倉
私もよく分からないのですが(笑)、やろうと思ってやったわけではないんです。主人の留学についてイギリスに行った時、主人の稼ぎがなかったので、私が稼ごうと思っていたのですが、1年という単位が決まっていたので雇い先がなかったんです。だったら働くことはやめて、自分が好きな料理をやってみよう!と思って。イギリスに行ったことがきっかけで習い始めました。それはそれで自分のなかでおしまいだったのですが、帰国したら「習ったのを教えてよ」となって。気がついたらお料理を教えることになり、そのうちにNHKでドイツ語会話でドイツ料理を教えてよ、となって、ドイツを紹介しているうちに「ドイツ人って掃除好きなんでしょ!?」という話になって・・・。お料理を教えているというかライフスタイルの紹介なんですかね。
渡辺
最も女性が憧れるところですよね。ジェンダーで区別するのは好きじゃないですけど、「仕事でここまでいくんだ!」「この仕事につくんだ!」って意気込むより、「好きな事をしていたらこうなった」っていうのは、ある意味、理想的ですよね。
齋藤
門倉さんは、どのようなお料理をお勉強なさったのですか?
門倉
フランス料理です。私が行ったコルドンブルーというのは、もともとパリの学校で、シェフを育てる学校だったんです。だんだん学校が増えてきて、半分プロ、半分お遊び、みたいなスクールになっていたのですが、古典的なフランス料理の基礎からはじめ、初級から上級までありました。先生はみんなプロで、ホテルのシェフだったような人達が教えてくれました。まず、みんなでシェフのデモンストレーションを1度見て、・サれからキッチンに入って1人1品作りました。シェフがお客さんと想定して、お料理の確認をしてもらいます。この時、お料理の見た目や味はもちろんのこと、その他にもお皿の暖かさ、エプロンで手を拭いたりして不衛生になっていないか、台所の掃除具合、などトータルで先生にチェックして頂いていました。また大変なのが、お料理は8人で作るんですけど、「あの人が今出すだろうから、私は3分後に出そう」と他の人のことも考えて料理をしたり、食器を準備したりしないといけないんです。そうしないと、ベストな状態でお料理を出せないので。私はロンドン校にいったのですが、ほとんどの生徒がアメリカで既にシェフをしていて、ヨーロッパの味を学ぼうと留学にきている人達でした。私は証券会社あがりだったので毎日パニックでしたね。やはりタイミング、要領が良くないと厳しいです。食材をバーッと出されても、自分で取りにいかないと、最後にはどうしようもない曲がった人参しか残っていないんですね(笑)。
渡辺
門倉さんは初級から上級のどのコースを勉強なさったのですか?
門倉
全部やりました。それぞれ10週間ずつで、全部最後までやりました。でも誰でも出来るんですよ。諦めるかどうかの問題で(笑)。
私はすごくおじいちゃんの影響を受けていると思います。おじいちゃんはものすごくドイツ人なんです。非常にきちっとしています。小さい時にそれを教え込まれていて、性格的にはあまり合いませんが、今でもすごく記憶に残っています。
渡辺
最後まで習得なさったんですね!門倉さんは、どんな風に生活してこられて、現在に至ったかを聞かせていただけますか?
門倉
生まれは神戸です。父が日本人で母がドイツ人。父も母も同じグループの航空会社に勤務していて、母が旅行で日本に来た時に出会ったようです。ちょうど東京オリンピックが開催される前ですね。来日してからは、あまりにも英語が通じない、思ったよりお金が足りない、でも1週間に1便しか飛行機がない、という状況で困り果てたようです。同じグループの航空会社のカウンターに行けば英語を話せる人がいるから助けてくれるかもしれない、と思って父が勤めている航空会社のカウンター・ノ行ったんです。そしたら、みんなで食事に行くので一緒においでよと誘われて、そこに父がいて知り合ったようです。1週間すっごく楽しかったそうです。帰国してからも、絵はがき文通をして、父が仕事でパリに出張にいって、2年後に結婚したようです。
渡辺
運命的な出会いだったんですね〜!そしてすごくワールドワイドな遠距離恋愛ですね!
門倉
その後、父が異動したので、母が再び来日した時は関西でした。私が生まれたのも神戸です。
渡辺
ご兄弟はいらっしゃるんですか?
門倉
はい、弟と妹がいます。みんな日本生まれなのですが、妹はあまり日本にはいたくないタイプで、最初はICUにいたのですが、その後アメリカに留学して、今はドイツにいます。日本人は干渉するからヤダって(笑)。関西から東京に戻ってきて、引っ越しを何度もしました。私が2歳の時に、父が戦時中に患った肺炎が再発したので離れた方が良いだろう、とドイツの祖父母の家に1年預けられました。日本に帰ってきて、弟と妹が生まれて、今度は父がJALに転勤になったので、NYに行きました。行くんですが、母は妹を出産したばかりで1人で引っ越しが出来ない、ということで、その時に私と弟がもう一度ドイツに1年間送られました。私が6歳の時ですね。1年間、ドイツの小学校に通って、その後はアメリカの親元に戻り、6年生で日本に帰ってきました。その後また関西に転勤になって、カナディアンアカデミーに通いました。高校卒業後、どうすれば良いのか分からなくて、どうせならドイツ語を勉強しようと、また祖父母のところに行きました。ドイツは高校が4年まであるんですよ。だからドイツに行って1年半勉強して、ICUに入りました。祖父母は私を自分の子供のように育ててくれました。祖父が心臓病の療養中の時に2歳で行ったので、それはそれは可愛がってくれました。未だに母なんかどうでも良くて、私にしか興味ないくらい可愛がってくれます(笑)。
渡辺
お祖父さまにとっては、初めての子育てみたいな感じだったんでしょうねぇ。
門倉
そうですね。だから私はすごくおじいちゃんの影響を受けていると思います。おじいちゃんはものすごくドイツ人なんです。非常にきちっとしています。もう全て物の置き場所などが決まっているんです。小さい時にそれを教え込まれていて、性格的にはあまり合いませんが、今でもすごく記憶に残っています。
渡辺
いまお祖父さまは、お一人暮らしなんですか?
門倉
2週間に1回はお手伝いさんがいらっしゃいますが、1日1回、晩ご飯は自分で作っているようです。洗濯機も自分で回します。ドイツはランチがメインで、毎日近くの老人ホームでランチをしています。あと、ガールフレンドもいるんですよ!
渡辺
素敵ですね〜!その老人ホームのコミュニティで出会われたんですか?
門倉
そこではないんですよ。おじいちゃんは、寝たきりのおばあちゃんの介護を8年したんです。8年ってすごく長いし、大変だったんですよね。で、自分の人生を立て直さなきゃと思って、バス旅行に行ったら、相手から話しかけてきてくれたそうです。その時の話を、高校生のように「それでね、彼女が話しかけてきてね」と私に話してくれるんです。相手は7歳違いで今年82歳になるのかな?家族ぐるみでお付き合いしていますし、旅行もするし、電話もするし、結構おじいちゃんが彼女の家に泊まりに行くんですよね。私の母が一人っ子なので、ドイツに誰もいないので安心です。
今の時代はそこまでじゃないかもしれませんが、当時はどこにいっても珍しい存在だったので、みんなのやることを見て、真似をして溶け込もうとすることに一生懸命でした。帰る場所がないんですよね、どこに行っても。
齋藤
ところで、ドイツの高校に入って、なんでICUに入学されたんですか?普通、上智とかへも行こうかと考えたりもしますよね?
門倉
上智とICUは考えました。ICUは結婚式で一度行ったことがあって、キャンパスが好きだったというのもあります。私は文化が入り交じったところで生活していたのですが、学校はいつも地元の学校だったので、自分のようなハーフの友達がいませんでした。日本にいたら日本人っぽく振舞うという環境で育ってきたので、国際的な場所を求めたんだと思います。
渡辺
お母様とお父様は何語でお話なさるんですか?
門倉
英語です。私が母とドイツ語で喋ると、父にとっては内緒話になっちゃうので(笑)。
渡辺
なるほど。門倉さんは、日本語、英語、ドイツ語のどれが得意というか、話しやすいんでしょう?
門倉
どれも中途半端なんです。自分のなかでは、自信をもって「これが自分の言葉だ!」っていえるのは残念ながらないんですよね。すごく中途半端に途切れて、それまで全部英語だったのが日本語になったりして、抜ける部分がすごく多いんです。
渡辺
私の場合は祖父の代から横浜で、今も横浜なんです。この間も経歴を書いていて、すごく地味だなーって思ったんですが(笑)、本当に切り株みたいに一つの所から動いたことがなくて。そんな私から見たら、なんて素敵な経歴だろう…と思うのですが、小さい頃から出逢いと別れが多かったのも事実かと思います。子供心に、別れは辛かったですか?
門倉
そうですね、もうずっと別れはつきものでした。今はこういう世の中になったのでそこまでじゃないかもしれませんが、当時はどこにいっても珍しい存在だったので、私達は「そこにとけ込みたい」「どうしたら自分が目立たないか」ってことに一生懸命でした。そのためには、みんなと一緒にするように必死でした。日々、みんなのやることを見て、真似をして溶け込もうとするしかないんです。帰る場所がないんですよね、どこに行っても。なので、主人のようにルーツのある人と結婚したんだと思います。主人は「自分は日本人じゃなくて鹿児島人だ」って思ってるような人なんです。母もきっとそうなんじゃないかな。母はドイツ人なのですが、ドイツが東西に分かれたので国内難民を経験した居場所がない気持ちの人だったので、「江戸っ子なんだ!」とアイデンティティーの強い父のような人と結婚したんだと思います。
小さい頃から何でもやってみたい子だったそうで、自分なりに出来ると、卒業して次にいくような性格でした。もしかしたら色んな所に行っていたせいかもしれませんね。
齋藤
門倉さんは、料理を教えるだけでなく、本を出したり、NHKでのドイツ語講師をしたり、人と違うところがありますよね。普通、料理を習うとレストランに勤めたり、料理教室で教えるだけ、ってなるのではないでしょうかね。本を出すのも大変なことですし、講演をしたり、いろんなことに積極的に取組むというのは大変だと思うのですけど、なんでそういうことが出来るようになったんでしょうかね?
門倉
小さい頃から何でもやってみたい子だったそうで、自分なりに出来ると次にいくような子だったようです。家事がすごく好きで、母が洗い物をしていたら、やめさせて自分がやっていまいした。掃除機は自分のおもちゃ箱に。それなりにうまく出来ると、卒業して次にいっていたんです。もしかしたら色んな所に行っていたせいかもしれませんね。
齋藤
なるほど。なんで本を書こうと思われたんですか?
門倉
主人の母の体調が悪かったこともあって、鹿児島に帰ろうかっていう話になったんです。もうお料理の仕事はしないかなと思って、お世話になった出版社に声をかけて、記念にやってみました。
齋藤
自分自身がやってこられたことを、“卒業する前”にまとめておこうということですね。ぼくも同じような気持ちで本を書いたことがあるのでよくわかります。ところで、今のお料理教室で教えていらっしゃるのはフランス料理ですか?
門倉
いえ、違います。早めに気付いて良かったのですが、私が習った料理はプロのための料理であって、家庭料理じゃないんです。4時間かけて煮込んだダシがないとおいしくない料理なんですよね。だから今は家庭料理、洋風家庭料理を教えています。
齋藤
ドイツのお料理というとソーセージとザワークラウトのイメージしかないんですけど、タニアさんが思う、「これはおいしいんだ!」っていうものは何ですか?
門倉
私が大好きなのは、紫キャベツとリンゴの煮込みのつけあわせです。とにかくそれが大好きですね。カスラーという生の豚肉の燻製をトンカツ風にしたものに、ジャガイモの付け合わせと、紫キャベツとリンゴの煮込み。この組み合わせが大好きです。鴨の脂でタマネギを炒めて煮込むので、酸味も甘みもあって、すごくおいしいんです!
渡辺
おいしそう!お料理にも、いろんな場所にいらした経験が生かされてるのでしょうね。様々な場所にいらした時のドキドキや不安とかは覚えていらっしゃいますか?
門倉
今はもう覚えてないですね。やっぱり辛かったらかき消そうと思いますし。日本の中学の話は長い間できませんでした。もうかき消したいことばかりで。中学校って、上下関係やクラブ活動を通じて人間関係をつくったり、一番日本人らしさを教える場所だと思うんです。それが私には理解出来ませんでした。何それ!?って。人に聞いても言葉では説明できないので分からない。誰に対してはこういう態度しかみせない、とか。私の中には、ドイツ人と日本人である自分がいると思うのですがが、どこにいっても違う自分は嫌なんです。だから、私の1番の目標は、なんとかその2つを1つにまとめて、どこに行っても同じなんだけどみんなには失礼にならない中間のところっていうのを日々探し求めていました。国内で引っ越しをしただけでもやっぱり大変だと思います。
ICUでは、自分に似た人や帰国子女に出会ったということが大きかったですね。ほっとしたんだと思います。自分らしくいても、誰も批判しない。そのままで評価してくれるんですよね。
齋藤
ICU時代の良い話とか思い出はありますか?インタビューすると、みなさん英語教育とか、D館で遊んだこととかをあげられるのですが。
門倉
やっと、自分に似た人や帰国子女に出会ったということが大きかったですね。ほっとしたんだと思います。自分らしくいても、誰も批判しない。そのままで評価してくれるんですよね。
渡辺
門倉さんみたいなワールドワイドなご経歴をもっていらっしゃる方でも、ICUって自由でのびのびって思われたんですね?
門倉
自由な感じはありましたね。のびのびって思いました。やっぱり好きでした。
渡辺
ICUでは、なにを勉強なさいましたか?専攻など教えていただければ。
齋藤
僕と一緒ですね!先生は誰でした?あ、年代が違うか(笑)。
渡辺
世代が違いますよ!(笑)
門倉
どうやってカルチャーは成り立つのかっていうのをやったと思います。そこまでノビノビやっていたというわけではないですが、何かにあわせる必要がなかった場所だったので、良かったです。それまでは人に合わせる大人しい子だったので、テレビに出るとみんなびっくりしますよ。自分をちっちゃくすることばかり考えていたので、その時書いていた文字などをみると虫眼鏡で見てもすごく小さいんですよ(苦笑)。
齋藤
そのような人だったのが、どうして変わったんですか?
門倉
大学を卒業してからは就職も何をしたいのか分からなかったので、バイトをしていたドイツ系銀行に入って、株をやることになったのです。「株って何!?」っていうくらいの素人の私が、株の営業をしないといけなかったので、すごいストレスで、胃潰瘍になって会社を辞めました。何を思ったのか、当時父と一緒に東京にマンションを買っていてローンがあったので働くことを辞めるわけにもいかず、今度は証券会社に入りました。それも大変だったのですが、そこで同じ時期に別の会社から中途入社してきた主人と出会いました。親が結婚に反対したというのもあって、会社がヨーロッパに転勤させてくれるというので、もとから行きたかったロンドンに1人で2年間転勤しました。まだ23くらいのときですね。彼はその間に会社がかわって香港にいました。彼は9歳年上で、私はまだ若かったのは確かですし、あまりにも家族全員が反対するので、もしかしたら家族の方が私のことを分かっているのかもしれないとも思って。 そこで、離れていても一緒にいたいと思えれば、結婚したいという気持ちは本当と言えるだろうから、それを確かめるために転勤しました。ロンドンに転勤してからも、やっぱり一緒にいたいと思ったので荷物をまとめて香港に行って、結婚しました。
渡辺
ご主人のどんなところに惹かれたんでしょう?
門倉
彼がいれば安心するんですね。ほっとします。会って1ヶ月で結婚しようと思いました。ロマンティックというか、家族みたいな感じでほっとしますね。なんか彼がいればなんとなく安心なんです。それから私は変わったような気がします。
渡辺
結婚式はどこでなさったんですか?香港?
門倉
香港から週末だけ鹿児島に帰って結婚式をあげました。あまりにも自分の親が反対するので、結婚します!とだけ書いた手紙を送ったんですよね〜・・・離れているし、どうすれば良いか分からなかったですね、はっきり言って。鹿児島の畳の教会で結婚式をしました。なぜか私達だけ靴をはくんですよ!みんな靴脱ぐのに。だからバランス悪い写真ばかりが残っています(笑)。今はみんな家族仲良くしているんですけどね。
齋藤
ICU生だと国際結婚って普通より多いケースだと思うのですが、国際結婚の秘訣ってなんですかね?
門倉
ある程度はお互いが自由にする、ってことですかね。コミュニケーションをとって仲良くするのは大事ですが、全てを1人の人に求めたらダメなんだと思います。毎日和食である必要もないし、お互いスペースをとりながら生活していくのが大事かな。うちの両親を見ていて思うのですが、毎年心で感じる季節である年末がすごく大変です。やはり過ごし方などが文化によって違うので・・・。
みんな「鹿児島に住むの〜!?」というのですが、私にとってはNYに引っ越しするのと一緒なんですよね、またそこに住む人達と仲良くなれるだろうって。
渡辺
ご主人が鹿児島なので、鹿児島にお家を、ということなんですよね?たにあさんにとって、鹿児島はどんなところですか?
門倉
鹿児島は桜島が噴火するので大変です、特に今年は(笑)。でもすごく良いところです。みんな「そこに住むの〜!?」というのですが、私にとってはNYに引っ越しするのと一緒なんですよね、またそこに住む人達と仲良くなれるだろうって。 あとドイツですね。おじいちゃんのところに遊びに行った時しか住んでいないので、自分の中のドイツを実際に住んでみて見つけてみたいです。いつかはベルリンに住みたいです。新しいものも古いものも、色んなものがミックスされた自由な街なのですごく好きです。 齋藤:門倉さんは何か今後の計画はありますか?
門倉
あまり長期のものは考えていなくて、流れにのってというタイプなので、何かくるとやってみようかなって思っています。
渡辺
人生をしっかり楽しんでいらっしゃいますね!
門倉
理想は鹿児島とベルリンで生活ですね!夏はベルリン、冬は鹿児島、ですかね。
渡辺
いいですね〜!鹿児島って甘辛い味付けじゃないですか?味って門倉さんのレシピで混ざってきますか?
門倉
それは別ですね。これも導かれたって良く言われるんですけど、主人の母が料理を教えてくれるんです。地元の料理をたくさん教えてくれました。だから私の和食は甘いですね。一度気付かされたのが、鹿児島のお母さんとテレビを見ていて、料理番組で料理人の前にバーっとたくさんの野菜が並べられたんです。鹿児島のお母さんは自分で畑もやるのですが、その時に「この人はこんなにたくさんの野菜を作れるのかな?」っていうような言い方をしたんです。私はそれまでは材料はスーパーで買う物だと思っていたのですが、本来の姿は自分で野菜も作って、っていうことなんだなって気付かされましたね。今日は畑にこれがあるから、こんな料理にしようって。
渡辺
素敵ですね〜。話は変わるのですが、去年、仕事で環境番組をした折、取材班がドイツに取材に行ったのですが、とてもエコ対策が整えられていたことに瞠目しました。今までの歴史などを踏まえて、賢く未来に備える意志を感じました。
門倉
そうですね。あとは国民性というか、宗教に影響されているのではないかと思います。ドイツは人口によってカトリックかプロテスタントかが州によって決められています。プロテスタントは、常に神様はみているっていう神様と自分との直接の繋がりがあるので、正直に生きていくのが一番、というのがあるんですよね。自分なりのポリシーを地道にコツコツと守って生活しているんだと思います。
渡辺
それが門倉さんから見たドイツの姿なんですよね。その門倉さんの瞳に日本はどのように映りますか?
門倉
日本はすごく独特の文化を持っていて、何を基準になっているのかがいつも分からないって思いますね。ヨーロッパなどは、宗教的な基準で正しい正しくないというのがあると思うんですけど、自分たちでもなんでか分からないけど、形みたいなものが基本になっている、というのが日本の印象です。形の方を優先させる分かり難い人達が日本人ですね(苦笑)。私は形を知らないので、それで失敗することが多いです。そういうのって母親に教えてもらうことが多いと思うのですが、私の場合は教えてもらっていないし、人の足を踏みつけてばっかりです。それで変に敏感になっているので、結構自分はドイツ人だと思うのですが、日本人の気遣いとか和がすごく好きなので、それがジレンマですね。言いたい事をどう上手に言うか。いつも「なぜなんだ」というのを探しています。
渡辺
最後に、門倉さんからICUの後輩にメッセージをお願いします。
門倉
ICUで良かったと思うのは、やっぱり人間関係ですね、友達とか。特に特殊な環境で育ったりするとそれを理解してもらうのが大変なので、それを共有してくれる人をみつけるという意味では、色んな人がいるのでICUはすごく良い場所だと思います。

プロフィール

門倉多仁亜(かどくらたにあ)
料理研究家。幼い頃、ドイツ人の祖父母と暮らすなかで自然と家事が身につく。 そのことがきっかけで料理好きとなる。日本人の父とドイツ人の母のもと1966年に神戸で生まれる。父親の転勤に伴い子供時代は日本、ドイツ、アメリカで過ごす。国際基督教大学を卒業後、東京にあるドイツ系銀行に入社。その後東京、ロンドンと香港で米系とスイス系の証券会社に勤務する。結婚後、夫の留学のために再びロンドンへ。長年興味のあった料理とお菓子を学ぶためにコルドンブルーへ入りグランディプロムを取得する。 帰国後、料理教室をはじめる。現在はテレビや雑誌などで料理を紹介するだけでなくドイツのライフスタイル全般を紹介する仕事をしている。 また、2009年夏に夫の実家のある鹿児島に家を建てた。生活のベースは引き続き東京であるが、毎月一度は鹿児島へ帰省して田舎暮らしを楽しんでいる。 著書:「コーヒータイムのお菓子」(文化出版局)、「タニアのドイツ式部屋づくり」(ソフトバンククリエイティブ)、「タニアのドイツ式キッチン」(ソフトバンククリエイティブ)など。