インタビュー内容

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第31回 2012年2月24日
国際基督教大学 客員教授 八代尚宏

八代尚宏
プロフィール
大阪府生まれ。1968年国際基督教大学教養学部卒業後、東京大学経済学部に進学。経済企画庁在職中に米国メリーランド大学にて経済学博士号を取得、OECD日本政府代表部とOECD事務局に出向。上智大学国際関係研究所教授、日本経済研究センター理事長等を経て、現在は国際基督教大学教養学部にて客員教授として教鞭を執る。
渡辺
はじめまして。よろしくお願い致します。まず、このインタビューを快諾してくださって、お礼を申し上げます。と同時になのですが、在校生や同窓生、これからICU生になるかもしれない若い方達も読んで将来の参考にしてくださることを考えて、初対面ですのに立ち入ったご質問もしてしまうかもしれませんが、その時はご容赦くださいね。宜しくおねがい致します。
八代
渡辺さんがICU卒業生とは知らずに、いつもニュースステーションを見ていました(笑)。よろしくおねがいします。
「東京に行けば自由でなんでも出来ると思いICUへの入学を決意しました。外交官になりたいと夢があり、国際的な環境にも惹かれました。」
齋藤
八代先生は関西のお生まれのようですが、ご出身はどちらですか。
八代
戸籍上の生まれは大阪ですが、同志社に行っていたので京都が長いですね。
齋藤
僕も大阪出身ですが、当時関西ではICUはあまり有名でない、むしろ全くの無名だと思いますけど、なんでICUを選ばれたんですか?
八代
高校時代に活動していたESS(English Speaking Society. 同志社高校の学内サークル)の先輩から伺ってICUの存在を知りました。国際的な環境に惹かれICUへの入学を決心しました。入学を決めた時に兄には『女子大なんじゃないの』なんて言われましてね(笑)
渡辺
専門学校と誤解されることも多いようですね。八代先生、ご兄弟は?
八代
私は、5人兄弟の3番目です。当時の出生率が4.5人でしたから、5人くらいは当たり前だったのです(笑)。他の兄弟は同志社等、地元の大学に行きまして、私は変わり種でした。両親は放任といった感じで好きなことをさせてくれましたが、私がICUに行くと決めたときに、母は一言『お嫁さんだけは日本人にしてね…』と(笑)
渡辺
ICUを卒業したら、外国に行って戻ってこないと思われたのかもしれませんね。(笑)
齋藤
進学を決めるにあたっては、ICUのどのようなところに惹かれたんですか?
八代
やはり国際性ですね。当時はあまり外国にも行けませんでしたから。私も最初は外交官になりたいと思っていたので、英語の勉強にもなると思い入学しました。
渡辺
ICUに入学して、外交官になろう!と思われるのには、何かきっかけがあったのですか?
八代
まず、地元の京都の風土が重苦しいと思っていましたね。京都は大阪よりずっと閉鎖的で、自由な雰囲気の東京に行きたいと思っていたのです。同志社高校時代には優秀なのに家業を継がなきゃいけないなんていう「もったいないな」と感じる同級生もいました。そういうのも少し抵抗がありました。東京に行けば自由で何でもできると思ったのです。同志社も開放的なところだったので、そういう発想が生まれました。もっとも、京都にはユニークな中堅企業がたくさんあって、京都の閉鎖的な社会で生き抜けたら世界でも生き抜ける、と言われるほど鍛えられるという面白いところがありますね。
齋藤
外交官に興味を持ったのは、ESSの影響もありましたか?
八代
そうですね。やはり英語が好きで、出来るような気もしていたので…。当時『外国人ハンティング』というのがあり、外国人旅行客の多い京都ならではかもしれませんが、大きなホテルのロビーで、知らない外国人を話しかけるのです。度胸試しを兼ねて先輩に強制されたのですが、それで案外、英語が通じるものだな、と面白かったのです(笑)。
渡辺
日本の学生は文章はかけても英語を話せない場合が多いとも聞きますけれど、非常に実践的ですね。
八代
そうですね。あと同志社高校には、当時には珍しくアメリカ人の先生も居たので英語に興味が湧きました。
渡辺
やはりESSが夢のきっかけだったんですね。
フレッシュマンイングリッシュ(現在のELP)では英語ができない学生もしっかり勉強させられ、ESSとは比べ物になりませんでした(笑)
八代
私はICUの12期生で68年に卒業しました。当時はICUでも学園紛争、その後に行った東大でも紛争でした。ICUでは3年間第一男子寮に住んでいて、寮で最初にした仕事が風呂焚きでした。寮はガスがまだない時代でした。寮生活は民主的で、“自治“という概念を守りつつ、規律のある共同生活をエンジョイしました。当時の寮長が白石隼男さん(現ICU専務理事)で、色々な貴重な経験を得ました。
齋藤
ICU生として学んだことで想い出に残っていることはなんですか?
八代
フレッシュマンイングリッシュですね。当時は「なんでこんな高校生のような詰め込みをさせられるのだ」と思っていましたが、やはり実になりましたね。毎週、Animal Farmのような英語の本を一冊読んで内容を理解したかどうかの試験を受け、1週間その本について学んで、最後にまた試験がある。たまに高校の同級生に会って、毎日、図書館で遅くまで勉強しているというと驚かれました。しかし、英語の特訓が終わると帰国生との距離が縮まったと感じました。最初からネイティブの学生だけを入れる他大学の国際教養学部と異なり、ICUは普通の学生の英語力を鍛えるという点をもっとアピールするべきだと思います!
齋藤
クラブやサークルは何かされてたんですか?
八代
高校の時はなにもスポーツしていなかったのですが、大学ではサッカーをしていました。寮の先輩で主将の有馬さん(元富士ゼロックス社長)から「せっかく作ったサッカー部に11人もいない」と言われ、思い切って入部するといきなり試合に出されました。当時、四年生に香港の代表チームの袁偉民や、1年下にはセミプロの竹内弘高(現ハーバード大教授)がいるなど、ICUのサッカー部はプロとド素人の混成チームでしたね。運動部より同好会といった感じでしたが、おかげで体力に自信がつき、良い経験でした。
齋藤
アルバイトはどうでしょう?
八代
ICUで電話交換手をしていました。
齋藤
あっ、そうそう、そんな仕事がありましたね!ぼくの友達もやっていたな〜。
八代
当時は有線方式で、プロの交換手が帰った後の夜間と休日が勤務時間でした。そのときに「サービスは特定の人だけに親切にしてはいけない」と教わりました。その間に、他の人を待たせるという「機会費用」の考え方です。寮は7つあって、職員住宅もあり、結構忙しかったです。たまに国際電話で米国のオペレーターと話す時には緊張しましたが、英語で’sir’と呼ばれたことがうれしかったですね。三鷹の電話局でストライキがあったときに応援を頼まれたこともあったのですが、「スト破りはだめだ」と先輩にいわれたので断りました。本当は、本舞台をぜひ経験してみたかったのですが(笑)。
渡辺
充実した日々を過ごしていらしたのですね。
八代
そうですね。けれど1年生の時はICUの夏休みが長すぎて無駄に過ごしたという感じがあったので、2年生からは、毎年、信州小諸の学生村に行って公務員試験の勉強をしました。
ICUでは2回メジャー変更をしました。数ある良い先生との出会いから、「いろいろ食いつく」、「あらゆることに口を出す」という姿勢を学びました。
齋藤
ICUでは初めから経済学を専攻されていたのですか?
八代
入学した時はNS(理学科)で入ったのですけど、1年間でSS(社会科学科)に編入しました。当時、国際法を担当されていた山本草二教授という良い先生と出会えたので、外交官を目指す人が入る山本ゼミに入ったのですが、3年生のときに山本先生が別の大学に行かれてしまったのです。そこで外交官試験には経済学の知識も必要だったので経済の勉強を始めて、中内先生の下で卒論を書きました。また、当時TAでICUの大学院生だった八田さんからも経済学を教わりました。4年生から経済学にメジャー変更したので、ICUの学部時代には2回メジャーを変更しました。
渡辺
最初はNSで山本ゼミに入られていて、最終的には経済学にすることに。国際法ではなく経済学になさったのですね。
八代
ICUを卒業してから東京大学の経済学部に編入しましたが、その時に、小宮隆太郎先生のゼミに入ることを強くすすめてくれたのも八田さんでした。小宮先生は国際貿易が御専門でしたが、産業組織論や財政学、土地問題等、「いろいろ食いつく」、「あらゆることに口を出す」という姿勢が参考になりました。
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私が伺っていたのは経企庁に行かれて博士号を取得されたということで、きっと学者タイプの方やと思っていたんですが、お話を聞いて想像していたのと違うのでおどろきました。
渡辺
経済学の魅力は八代さんにとって、どんなところなのでしょうか?
八代
経済学の相対価値観が肌に合いました。同志社中学・高校の6年間で絶対価値観のキリスト教についてもかなり真剣に向き合ったつもりでしたが、いま一つ納得できませんでした。経済学の魅力は、社会の様々な問題を共通の手法で解釈できることですね。ちょうど自然科学のように。Warm heart, cool head という表現が気に入っています。
齋藤
ぼくも異文化コミュニケーションのコンドン先生や齋藤先生にはよくかわいがってもらいましたよ!
八代
私も男にはみんなAをくれるからと聞いて斎藤美津子先生の同時通訳法の授業を取りました(笑)。斉藤先生のクラスでは「そこの男」って呼ぶくらい男性が希少でしたね(笑)。
外交官になるにあたり、経済学の知識を深めるために東大へ行きました。そして、経済学を応用する仕事の経済企画庁に入庁しました。
齋藤
東大にいかれたのは外交官になるためですか?
八代
ICUでは試験に受からなかったので再挑戦するために、学士入学(他大学の卒業生を3年生に編入)という制度のある東大の経済学部に入学しました。そこで公務員試験を受けて経済企画庁(現内閣府)に入りました。
齋藤
外交官になりたかったのに、なんで経済企画庁にいかれたんですか?
八代
実は外交官試験は二次試験で落ちてしまったのです。今となってはあれほど落ちてよかった試験はないですが…。なぜかと言うと、外務省には経済関係の仕事はほとんど残っていません。昔は海外に行く旅費も高く、一般の官僚には英語ができる人は少なかったために全権大使に存在価値がありました。しかし、各省庁にも英語ができる人が増え、大事な会議には彼らが出てくるようになったのです。英語さえできれば、専門知識では彼らのほうが当然上ですから。実は経済企画庁に入ってから、外務省に出向し、パリのOECD代表部という大使館に一等書記官として3年間勤務しました。そこで大使の前での重要な会議というのは、大臣や高官をどのように接待するかというロジばかりでした(笑)。
齋藤
お〜。本当ですか。それはすごいですね!
渡辺
内部から現状を見て、愕然となさいましたか?
八代
閣僚会議での車列の組み合わせとかどこのレストランで食事をするかを決めるのが一番大事なトピックだったのです。パリの3年間は大いにエンジョイしましたが、本試験には落ちてよかったと思っています(笑)。もっとも、その後で、OECD事務局でもエコノミストとして働きましたが、こちらは経済学の知識を存分に活用して日本とアイルランドの経済を分析する仕事で、むしろ学生時代に考えていた外交官の仕事に近かったと言えます。
齋藤
経企庁にいったのは特別な理由があるんですか?
八代
やはり経済学の知識を活用したかったからですね。大学院にいって教授になるには能力不足でしたが、一般の会社にいくのも癪だと感じていました。当時、官庁エコノミストというのがその中間にあって、その本場の経済企画庁に入りました。官庁に入れば留学や国際機関でも働けるということも決め手でしたね。
齋藤
経済を学んだ人にとっては、通産省の方が面白そうにも思えますが、どうして経企庁だったんですか?
八代
通産省は経済界について扱いますが、経済“学”というより政治のウエイトが大きそうで、経済に関する学びを応用する機会が多そうな経済企画庁にしました。
齋藤
2年生のときから外交官になるという目標を決め、そのために山本ゼミに入って東大に行かれて、と、しっかりプランニングされていたんですね。なかなか出来ることではないですよね。
渡辺
「絶望の国の幸福な若者たち」という本を読んで、現代の20代の世代は、「今が幸せ」と考える人が一番多いというデータを知りました。「今が幸せ」なのは素晴らしいことなのですが、この場合はイコール若者達が将来に何の夢や希望も見いだせないから…とか。そんな現状に対して、先生のお若い頃の将来の夢に対する姿勢はシンプルに素敵ですね。
八代
そんなに特別という印象ではなく、当時は海外に行ける人はわずかで、ICU生は、みんな海外に行きたいという目標や希望を持っていましたから。官庁に入れば、ICU生の英語力は、当時の東大生より格段に上でしたから留学試験でも有利でしたね。
渡辺
東大生とICU生の英語力は違いますか?
八代
筆記テストはあちらの方が得意ですけど、話す力は両者では全然違いますね。
齋藤
ずっと経済学の世界におられて、何か特別なエピソードってありますか?
八代
80年代までは日本の経済が元気でしたから、活気がありましたね。私も職場はいくつも変わりましたが、ずっと経済学の仕事をしていました。でも、1990年代初めに日本経済研究センターで短期経済予測の仕事に携わっていた時、予測で見事に失敗してしまいました(笑)。バブルの崩壊でゼロ成長になった時、私はいずれ成長率が元に戻ることを信じていましたが、結局あれが高成長時代の終末だったのでした。経済予測では経済の転換点を当てることが大切なのに、それが出来なかったのは、専門家として失格でした。それ以来予測の仕事はしていません。当時はプラザ合意から円高になって、以前の水準から倍の大幅な円高になりましたからね。政府も財政・金融政策で大判振るまいをしたので、そこからバブル経済が生まれたのですね。当時、日本経済は絶好調でしたから、その後の長期停滞を予測することは難しかったですね。 日本経済では、80年代までの高成長とそれ以降の長期停滞を、同時に説明しないといけないのが難しい点です。日本人は勤勉だから高成長と言っていた人たちは、日本人が怠け者になったと言いますが、そのような簡単なことではない。よく草食系男子と言われますが、低成長の経済では、将来を明るく見られなのは仕方ないことです。私が就職をしたときは経済が右肩上がりで給料も毎年大幅に増えていました。今の学生があのバイタリティを味わえないのはかわいそうですね。
渡辺
そのバイタリティは戻ってくると思われますか?
八代
日本経済にも、3%程度の成長を継続する余地はありますが、政府が邪魔をしている部分もあって、なかなか実現できません。規制に守られている人は安泰で、もう経済が成長しなくていいと言いますが、これは既得権者のエゴですよね。経済が成長しなければ雇用が増えず、一番困るのは若い新卒の人々です。今の社会保障制度も、高齢者が孫の小遣いを取り上げているようなもので、家族の中なら絶対にしないことです。
齋藤
公務員はおもしろい世界だよ、などのアピールはありますか?
八代
公務員の人気は落ちていて、東大生なんかも外資系企業に就職する時代ですが、官僚は日本の経済に直に関わる、働き方の視野が広いのでおすすめですね。定年まで公務員でいる必要はありませんが、留学の機会、仕事の自由度など、良い点もたくさんあると思います。官庁には人事異動の間隔が短いので、いやな上司とぶつかったって、直ぐにどっちかがいなくなる(笑)。一般の常識とは違い、大企業よりもよほど自由です。外務省だけは例外で、上司に逆らったらアフリカに飛ばされるという制裁を受けるそうですが(笑)。
大学の授業は、一部英語で講義しています。ネイティブ並みの他の先生には負けますが、この程度の英語でも、世界で通用するんだ、と生徒に示してあげたいと思っています。学ぶ上では、あまり目先のことにとらわれず、なんでもやってみること。何をやりたいか、なんてわからなくて当然だから、教養学科で“じっくり選ぶ”といいですよ。
八代
大学のE開講の授業では、日本経済について英語で講義しています。これは、「完璧な英語でなければ使わない方が良い」という学生が多いのではないかと思って、「この程度の英語でも十分です」ということを理解してもらうためでもあります。実際、世界にはひどい英語で喋る人が大勢います。ASEAN諸国の人達の英語もなまりが強いですが、それは国際共通語なので仕方がない。むしろ、完璧さを求めるのではなく、まず英語を使って意志を伝えることの重要性を学生に示したいと開き直っています。
渡辺
八代先生とお話していて、外交的で明るい方だなぁ…と実感しています。秘訣はなんでしょう?
八代
やはりICUが自分を変えてくれましたね。帰国生には敵わないからそれでいいと思えるようになりました。また、誰と話す英語かも大事です。いちどNYでビックマックを買えなかったことがありましたが、それは相手のレベルが低すぎただけです。他方で、OECDの会議に参加するような方々は、みなレベルが高く、少々発音が違っていても前後の意味で判断してくれます。ICU生は英語ができても人前で話すのを避けるようですが、残念なことです。
渡辺
学問の内容も大切ですが、先生の心情や、生きて行く姿勢など、実践的な話を聞けることは貴重ですね。
八代
私の経験は古いから、ゼミではOBを招いて最近の話をしてもらいます。こういった、卒業生の話を聞く機会も貴重ですね。あとは、ゼミの期間が短く、3年生と4年生とで交流できないのが残念です。まだまだICUにも発展の余地があると思います。
渡辺
ICUの学生に対して、また若い世代に対してアドバイスをお願いします。
八代
一番は就職活動ですね。いまの優良企業にいっても40年後は衰退企業になっている可能性が大きい。目先のことを考えずに、会社のなかで社会に通用するような仕事をさせてくれるような会社を選ぶのがいいですね。その意味でも、公務員はおすすめです。天下りという形でなく、政府のために働いて経験を積んでから、企業や大学に移るのも良いと思います。それも、出来れば国家公務員がいい。地方自治体は、いかんせん権限が少ないですから、国家公務員より仕事で良い成果を上げるのが難しいかもしれません。最初に国に入れば、オプションがいっぱいある。あまり目先のことにとらわれず、なんでもやってみること、初めには何をやりたいかわからないのは当然ですから、教養学科でじっくり選ぶといいですよ。「じっくり選ぶこと」。本当キャッチフレーズにしたいですよ(笑)。  最後に、現在ICUのグラウンドを人工芝にという募金活動をしています(http://www.icuatpc.org/)。渡辺さんもアメフットのマネージャーだったそうですので、ぜひよろしくお願いします。

プロフィール

八代尚宏(やしろなおひろ)
大阪府生まれ。1968年国際基督教大学教養学部卒業後、東京大学経済学部に進学。経済企画庁在職中に米国メリーランド大学にて経済学博士号を取得、OECD日本政府代表部とOECD事務局に出向。上智大学国際関係研究所教授、日本経済研究センター理事長等を経て、現在は国際基督教大学教養学部にて客員教授として教鞭を執る。研究分野は応用経済学。主な著書に「新自由主義の復権(中公新書)」「労働市場改革の経済学」「健全な市場社会への戦略」等。