インタビュー内容

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第41回 2013年11月14日
通訳・翻訳家 鈴木小百合

鈴木小百合
プロフィール
東京生まれ。小学2年から中学2年までをオーストラリア、シドニーで過ごす。帰国後、聖心インターナショナル・スクール中等部に編入し、72年に同高等部を卒業。国際基督教大学教養学部語学科で異文化間コミュニケーションを専攻。76年同大学卒業。 広告代理店勤務、イベント会社勤務などを経て、フリーの通訳・翻訳家に。演劇の現場での通訳としてスタートを切る。
今の仕事はすべて人のつながりというか、ネットワークのおかげです。未だに仕事と人の広がりがあります。
鈴木
齋藤さんのことは大学時代から存じ上げています。私は20期なんですけどかぶっていますよね?
齋藤
僕は17期で5、6年いたからね。大学時代はかぶっていますね。
鈴木
印象的だったから覚えています。当時からけんさんって有名でしたよ。
齋藤
僕もテレビをみていて俳優さんの背後霊みたいについてる人を見て(笑)、「あれ?この人どっかで見たことあるぞ」って思っていました。


鈴木
私の職業を知らないでテレビで見て「え!?」ってなる方も多いです。例えば近所の人でも、「テレビ出てたよね!?」っていう反応があったりしますね。
渡辺
本当に目覚ましいご活躍ですし、こうしてお話していてもドキドキします!ブログを拝見していると、ジュード・ロウ、ジュリア・ロバーツ、アンジェリーナ・ジョリーやブラッド・ピットなどなど!“ニュー・イヤーズ・イヴ”もとても豪華な映画でしたし、そうそうたるスターが居並んでいて壮観です。
鈴木
たしかに多くのスターさんたちとお仕事させていただいていますね。
齋藤
なにがスターさんたちとのお仕事のきっかけになったんですか。
鈴木
それがですね、私は大学時代は通訳になりたいっていう気はなかったんです。ただ、コミュニケーションを専攻していました。最初はジャーナリズム専攻でブラウン先生にお世話になっていたんですが、そのあと異文化間コミュニケーションに変更したんです。実は私の卒論は山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズの「フーテンの寅」さんについてなんですよ。「寅さん」ってコミュニケーションが苦手というか、ベタなところがあったりとか、粋がるところとか、日本人特有のコミュニケーション形式がいろいろと描かれているんです。なぜそれにしたかというと、大学時代は映画ばっかり観てたんですよ。その当時はビデオもDVDもそんなに普及してない時代だったので、映画を観るなら映画館に行く、もしくはテレビですよね。それで、年間250本ぐらい映画を観ていたんです。
齋藤
250本?!それはすごい!
鈴木
1日5本立てとか、オールナイトで4本立てとか観てましたね。なんとか単位をとりながら、あとは全部映画館に行ってました(笑)。
渡辺
ICUからだと吉祥寺の映画館ですか?
鈴木
吉祥寺に限らず、安く観られるところならどこでもです。池袋や新宿、飯田橋とかに行って映画を観てから学校に行ったりもしていました。あと、立川に5本だてをやる映画館があったんですね。それで立川とか八王子の方にも遠征していました(笑)。いつも“ぴあ”を頼りに、今月観るものをマークしては映画館に通っていました。かなり忙しいスケジュールで、「あーこの特集があるからいかなきゃ」なんて言ってなんでも観ていました。フランス映画もイタリア映画も、特集組んでいるところには行ってみるという感じでしたね。サークルは演劇をやっていていました。TIAFといって、英語劇なんですけど、毎年、東大、ICU、青山、外語大の4大学が競うんですよ。それにものめり込んでいて。大学は演劇と映画漬けの毎日で忙しかったですね。だから、就活の時に映画とかテレビの仕事に就きたいと思ったんですけど、女子の募集はほとんどなくて。それで、最初は広告代理店に入ったんです。そこで広告の仕事を2年間ほどやっていたんですけど、あまり自分に合っていないと感じて辞めて、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドと旅行三昧して貯金を全部使い果たしたんです。それで親のすねをかじるわけにもいかないので、なにか仕事しないといけないとなったときにちょうど通訳の仕事の話があったんです。
齋藤
それは友達の紹介だったんですか?
鈴木
そう。大学の先輩だったと思います。最初にいただいた通訳の仕事は、マジック・ショーの通訳だったんですけど、その舞台の仕事をやってみたらすごくおもしろくて、そこから東宝の舞台の仕事を紹介していただいて、『ファニー・ガール』とか『かもめ』とか『ロミオとジュリエット』とかいろんな舞台の仕事がありました。当時はバブルだったので、外国から演出家を招聘(しょうへい)しては上演するということが多かったんですね。それで演出家の通訳という仕事をかなり長い間やっていました。その間に結婚しましたし、イベント会社にも週3で勤めたり、子供も産みました。それで、今も通訳の仕事をずっと続けているんです。気がつけば、30年以上もやっているんだなあという感じですね。演劇の通訳の仕事をやっているときに先輩に映画の仕事を紹介されたんですよ。それが東京国際映画祭の仕事につながって、どんどん広がっていって、来日するスターや監督の通訳をやることになりました。私の先輩に戸田奈津子さんがいらっしゃって、最初の頃は戸田さんがだいたいスターさんの通訳をして、私は監督さんやプロデューサーさんの通訳をやっていました。そういう時代が長かったんですけど、ここ10年ぐらいは私もスターさんの通訳をやらせていただいています。
齋藤
そのスターの通訳はどこかの会社からくるんですか?
鈴木
主に映画の配給会社です。映画の仕事を一つすると他のところにも紹介してくださったり、映画祭をやってるといろんな映画会社がきてるので、舞台をみてくださった人が声をかけてくださったりするのです。すべて人のつながりというか、ネットワークがあるんですよ。今も、仕事と人の広がりがあります。
こっちが正解だなと思うこともあるんですけど、でもやっぱりこの人の言い分もちゃんと訳さないといけない。冷静に訳すということ、そして両者の中立の立場で訳すっていうのが大事だと思います。 通訳をしていて、信頼していただくということが一番大切なのです。
齋藤
やっぱり鈴木さんのところに仕事がくるって言うのは鈴木さんに魅力があるからですよね。それは何ですかね?
鈴木
なんでしょうね、自分で分析したことはないんですけどね(笑)。
齋藤
なんかブログを読ませてもらったら、すごくいろいろ考えてるなと感じました。「通訳ではその人の気持ちになる」というようなことが書いてあって、なるほどなあと思いました。
鈴木
一番最初にやった舞台の仕事の時に、こんな場面がありました。演出家が日本人で、振付師がアメリカ人で、意見の食い違いからものすごいけんかになったんです。けんかの通訳なんて生まれて初めてだったんでどうしたらいいのかしらと(笑)。2人とも感情的になって、振付師が「そんなこと言うならアメリカに帰る!」って言い出して、日本人の演出家は「帰れ!帰れ!」って言ったんですよ。それでどうしていいか分からず、それを直訳したんです。そしたら、アメリカ人が怒って出て行ってしまって・・・で、そのあとどうしたらいいんでしょうと聞いたら、日本人の演出家に「じゃあもう今日のところは帰っていい」と言われたんです。かなり落ち込んで、これでもう仕事はなくなったかなと思ったんですけど。そしたら次の日電話がかかってきて、「仲直りをしたいから来てくれ」ということで、それで演出家と振付師と喫茶店で会って今度は仲直りの言葉を訳したんです。そしたら最後に、演出家が「君は人の心を訳してくれるね」と言ってくれたんです。最初は失敗したと思ってたんですけど、最終的に2人がハグして仲良くなって、こっちもほっとしました。それからは、「心を訳せる」ように人の気持ちを大事にすることを心がけてはいます。いろんな場面があって、演出家が感情的になったりすることもあるんですけど、私が感情的になっても仕方がない。その人が感情的であるということは見てわかるので、冷静に訳すということも大事ですね。あと、どうしてもこっちが正解だなと思うこともあるんですけど、でもやっぱりこの人の言い分もちゃんと訳さないといけない。両者の中立の立場で訳すっていうのが大事だなと思いました。最初の頃は、周りの先輩や同僚たちを見ていいところは吸収したり、失敗から学ぶということもありました。いまでも先輩や後輩から学んでいます。あの人、あんなふうに訳すんだ、うまいな!とか、今度そう言ってみようとかね。
渡辺
鈴木さんご本人からはおっしゃりにくいところもあるかと思うんですが、私は番組などで通訳の方と同席させていただく機会もあるので僭越ながら申し上げると、通訳というのはすごいお仕事だと拝察しています。というのは、全てを網羅なさらないといけない役柄なので。演出家やスターという方々は得てして我が強い、へそを曲げやすい。というのも表現者だから当然なんですよね。その個性こそ求められているわけですから。そういう表現者の方々の通訳をなさる際、距離感の取り方とか、共感しながらもニュートラルに正確に訳して伝える技、表現を仕事にしている方に納得してもらえる言葉の選び方などなど、技術面でも心理面でも至難です。なにより人として信頼され得る方でないと、まず心は開いてくれないわけで。以前、戸田奈津子さんからもうかがったことがありますが、信頼を少しずつ築いていくことこそ大変なことと実感しました。
鈴木
まさにその通りで、信頼っていうのがキーワードですね。例えば、海外からきたスターさんの通訳をする時に、その人は私がどうやって通訳しているかはわからないんですよ。全く違うことをただ雰囲気だけで言ってるかもしれないですし。そうなるとやっぱり信頼していただかないと、っていうのが一番大事になりますね。
渡辺
さっきの場面でも、けんかをした当の2人は気持ちを爆発させた分、当日はカッカしてるくらいで済みますけれど、一番ダメージを受けたのは鈴木さんなんじゃないかなと思うんです。でも、そこで意訳をなさって鈴木さんが例えおさめようとなさっても、おさまるような人たちでは勿論ないし、ダメージを受けながらも鈴木さんが誠実であったことが翌日につながったわけですよね。これは本当に包容力と抑制力がないとできないお仕事だと思うんです。テレビをみていて、スターの方の横に通訳の方がいらっしゃいますけれど、目立ちすぎちゃいけない、でも信頼されてないといけないという意味で、正にプロ、エキスパートです。反射神経、運動神経、語彙以外にも、この英語がどうゆうニュアンスの日本語になるのかというセンスなど、想像してもしきれない大変さがあるかと思います。
鈴木
そうですね。通訳だけやってるとか、翻訳だけやってるとかっていう人もいると思うんですけど、私は両方バランス良くやっているのが好きなんですね。というのが、通訳ってある意味とっさに訳さないといけないので、あとになってこう言った方がわかりやすかったかな、とかって言う“もやもや感”が残ったりするんですよ。でも翻訳してると一つの言葉の訳をずっと考えていてもいいわけじゃないですか。戯曲の翻訳をやっているんですけど、話す台詞とか会話が好きなので、そうするとこの人のキャラクターはこうだからとか、何度でも書き直せるというのがいいんですよ。言葉と戯れるというか。両方することでバランスよくやってます。


渡辺
それぞれ違う神経を使われるんですね。
鈴木
そうですね。家でじっとパソコンと向き合っているというのと、舞台で一緒にやっているというのと、両方やってることでそれぞれ役立ってるんじゃないかなと思いますね。
齋藤
その通訳と翻訳のバランスは、意図的にとっているものなんですね。
鈴木
そうですね。できるだけね。
齋藤
鈴木さんのやられている通訳は同時通訳とは違うんですか。
鈴木
違いますね。要するに、壇上に一緒にあがったり、舞台挨拶なんかだと完全に舞台に2人並んで立って公の場に出ますけど、同時通訳というのはブースに入って顔が見えない存在ですよね。ある意味そっちの方が楽だという方もいらっしゃいますけど。まさに同時に訳すわけですから考え込んでる時間なんかないですよね。一気に訳していかなくてはならない。一方で逐次通訳はある程度まとめてから言いますから、頭の中で整理しながら訳しています。
渡辺
その時にメモはとるんですか?
鈴木
メモをとりながらやってます。
渡辺
そのメモって鈴木さんじゃないと読めないようなものですか?
鈴木
そうですね。私でさえあとで読めないですよ(笑)。例えばね、1日おいたらもう読めないし、その日の午後でももうなにを書いたか忘れちゃうような走り書きでキーワードを書いていますね。
齋藤
でもそれは速記ではないんですね。
鈴木
速記ではないです。速記の方もいるみたいですけど、だいたいみなさんキーワード書いてそれにまるつけて矢印を書いてたり、それぞれ自分の書き方でやっているみたいですね。
齋藤
通訳する前に俳優と話したりするんですか?
鈴木
あまり話す時間はないですね。大物なら大物ほどないです。例えば一番いやなパターンは、いきなり記者会見ってやつです。事前に個別取材とかやってると、どういう方でどういう話し方をされるのか分かるのですが、いきなり記者会見ですと何百人もいる前で初めて聞く言葉を訳していかないといけない。どういう方かも知らないし、内容も初めてですよね。ジャック・ニコルソンさんがそうでした。最初は『シャイニング』とか『カッコウの巣の上で』というような作品の怖いイメージがあったんですけど、お会いした時に「あなたの作品は前からたくさん観てました」って言ったら「ずいぶん古いのまで観てるね」なんて言われて、ちょっと話したら打ち解けることができました。舞台裏では実はすごくお茶目な方で、写真撮影の時は歌舞伎ポーズなんかしちゃって。こわそうな人でも舞台裏では気さくな方だったりということはありますね。彼はテレビカメラが好きじゃないんですよ。だからテレビ取材は一切受けない。テレビは変なつなげ方して編集するからって言って。きっとなにか過去にいやな経験をされたんでしょうね。記者会見といえば、来週『47RONIN』という映画が公開されるんですけど、キアヌ・リーブスが主演で、ハリウッドのファンタジーですね。菊池凛子さんが魔女役で、真田広之さん、赤西仁さんとか浅野忠信さんも出てます。それでその記者会見が来週あるんです。最近はインターネットでどんな内容かってチェックできるので便利です。
渡辺
初対面で絶対的にうまくいかないといけないという状況で、そのために資料をご覧になったりインターネットをご覧になるという時間がまた大変ですよね。でも下準備をどれだけなさるかってところが肝でもあるでしょうし。
鈴木
そうですね。資料がいくつかくるんですよ。プロダクションノートというんですけど、それが英語と日本語でくるのでまずそれを読みます。あとは、インターネットで自分でいろいろ調べます。
渡辺
その下調べにも仕事や仕事相手への思いや責任は表れますよね。加えて鈴木さんの場合、オーストラリアにいらっしゃった時からの映画に対する蓄積があるというのは大きいですよね、きっと。これだけたくさんの映画をみてこられたなかで、幼いときに観て忘れられない映画や印象的だった映画などはありますか。
鈴木
子供の頃は特にミュージカルが好きだったので、『サウンド・オブ・ミュージック』とか『メリー・ポピンズ』なんかは何度も観てました。そしたら大人になって憧れだったジュリー・アンドリュースに仕事でお会いすることができたんです。『プリティ・プリンセス2』の時です。その前にもカンヌ映画祭でお会いしたことがあって、その時は『シュレック2』の取材がホテルであって、それがまたとても豪華なホテルなんですけどね。浜辺にいくつもコテージが点在していて、取材はすべてそのコテージで行われていました。私は取材の人と一緒にそこへ入って10分あるだけなんですよ。そこで1回お会いしているんですけど、もちろん向こうは覚えてないですよね。世界各国からマスコミがきて10分単位の取材を一日中受けるわけですから。でも『プリティ・プリンセス2』の時には取材の間にいろんなことを聞いてくれるんですよ。「どこで英語を習ったの?」とかね。もう本当に優雅な方でした。常にトールグラスでミルクティーを飲んでいました。それでそのことに触れてみたら「あなたも飲む?」といってくれたんです。「スペシャルブレンドなのよ」とおっしゃって「じゃあ是非」と言っていただいたらお花の香りがしてすごくおいしかったんです!小さいころからの憧れの人だからドキドキしましたけど、期待以上の素晴らしい方でした。とっても良い思い出です。
渡辺
素敵な思い出ですねぇ!私も小さい頃観た映画で好きなのは『サウンド・オブ・ミュージック』です。ジュリー・アンドリュースはずっと憧れの方なので、お話をきいていてとても嬉しくなりました!
高校、大学時代も演劇にのめり込んでいました。演出をしたり、演じたり、照明もしました。もう全般的に、演劇をつくるということが大好きでした。
渡辺
幼い頃はオーストラリアということですが、お生まれは日本ですよね?
鈴木
日本です。8歳でオーストラリアにいって6年間いて、その後日本に帰ってきました。
渡辺
鈴木さんは小さい頃から映画好きでいらっしゃったんですか?
鈴木
そうですね。こどもの時から映画が大好きで、テレビでいい映画やってる時はお腹痛いとか言って学校をずる休みしてたぐらい好きで(笑)。オーストラリアにいる頃は、子どもたちだけで留守番をする時なんかはみんなで芝居をやっていました。私が12歳ぐらいで一番年長だったので脚本を書いて、例えば『アルプスの少女ハイジ』だったら自分がハイジ役をやってみんなに役をわりふって、リハーサルをたくさんやって、それを親が帰ってきたときに上演するんです。そういうのが好きで好きで(笑)。
渡辺
それこそ大学の演劇でやっているようなミニチュアをその当時からなさっていたんですね。
鈴木
もともとある話を脚色してるだけなんですけどね。でもミュージカルなんかもやってましたね。
齋藤
普通、それをその年でやらんやろ(笑)。ほんとすごいね!
渡辺
でも作曲家の方など本当に幼いときから才能を発揮する人はいますよね。モーツアルトなんかもそうだったと言いますし。本当に好きなことって、きっと出来ちゃうんですね。
齋藤
でも最初のきっかけがあるでしょ。そうゆうきっかけがあって目覚めるんじゃないかな。映画を最初にみようとおもったきっかけとかあるんですか?
鈴木
うーん、そうですね。確かに小さいときは親に連れて行ってもらってましたね。でもそんなに親の影響ってわけでもないですね。入り口はそこかもしれないですけどね。
渡辺
お父様とお母様が映画好きでいらしたとか?
鈴木
いや、そうでもないんですけど。私と妹が演劇と映画が大好きでね。シドニーにいたときは、週末子ども劇場みたいなのが歩いていける距離にあったんですね。そこに行くと100円ぐらいでいろんな映画が観られるんですよ。だいたいチャップリンとか古い映画だったんですけど、そういうのをよく観てましたね。その頃から好きだったんです。
渡辺
その蓄積はすごいですね!
鈴木
もう映画はずっと観てきましたね。
渡辺
いらした頃、英語にはすぐ馴染みましたか?
齋藤
幼い頃は柔軟ですよね。
鈴木
そうですね。当時は8歳でしたからね。
渡辺
カルチャーギャップもある中でいきなり新しい環境で大変なこともあったんじゃないかなと思うんですが。
鈴木
いや、大変とはあまり思わずやってました。
渡辺
14歳の時に日本に帰ってきてからは、いかがでしたか?
鈴木
日本に帰ってきた時は何しろ日本語がたどたどしくなっていて電話に出るのも嫌だったんですね。分からなかったらどうしようって。で、日本に帰ってきたらテレビがおもしろくて、テレビばっかり観てました。日本語はあまりできなくなっていたんですが、当時はテレビで落語をたくさんやっていてずっと観てました(笑)。
渡辺
それはテレビをみていて、パッと落語に惹かれたということですか?
鈴木
そうですね。オーストラリアにはないものだったので珍しさもあったんだと思いますけど、寄席の中継はお客さんとの駆け引きなんかも観られて楽しかったです。
渡辺
それはまた日本語の達人になりそうな道ですね。
鈴木
あんまり意識はしていなかったんですけど、吸収してはいたんでしょうね。
齋藤
中学と高校はどこに行かれたんですか?
鈴木
聖心インターナショナルスクールです。というのが、日本語があまり得意ではなかったので、英語で授業が受けられるというところにしたんです。それでは日本語があまりにもということで、日本語を外国語として学んでました。そこでもまたお芝居をやってました。高校の時は演劇部にいました。
渡辺
演じることもお好きなんですね!
鈴木
そうですね。演出をしたり、演じることもしましたし、照明もしました。もう全般的に、演劇をつくるということが大好きでした。
齋藤
なるほどね。今聞いていると中学、高校とあんまり成績が良さそうじゃないなと思ったんですけど実際はどうだったんですか?(笑)
鈴木
勉強もそれなりにはやってましたよ。まじめはまじめですね。一応クリアはしてるって感じでした。
齋藤
というのがね、これまでずっとこのインタビューしてるでしょ。おそらく9割ぐらいの人が成績悪かったって言うんですよ(笑)。
渡辺
努力家でいらっしゃると思います。そうじゃないと資料読みとかできないですもの。
鈴木
やっとかないと不安だとは思いますね。今しておかないとあとで自分が苦労するって思うんですよ。
渡辺
わたしは横浜の生まれ育ちなんですけれど、母校の隣にサンモールというミッション系のインターナショナルスクールがありまして、授業は英語で、でも皆さん日本語ももちろん話せるんです。そうなるとチャンポン語というかミックスで普段話されていて、これがカッコいいんです。鈴木さんもそんな感じでいらしたんでしょうか?
鈴木
チャンポン語ね!私もなっていましたよ。聖心時代は英語と日本語をミックスで話していて、それが自然だったんですよ。
渡辺
かっこいいんですよねぇ。
鈴木
でも全然意識してないんですよ。帰国子女同士でいると突然日本語になったり、英語になったりしてましたね。このトピックは英語の方が話しやすいとかなんとなくあるんですよね。
渡辺
すごくボーダレスですよね。国境なんてポンと飛び越して言語を自由自在に操っている感じで。
鈴木
夢の中もミックスですね。例えば、日本語しか話せないはずのいとこが英語で話してたり、アメリカ人が日本語で話してたりしますよ(笑)。
渡辺
聖心でそのような学生生活を送っていらして、ICUを受けようと思われたきっかけはなんだったんですか?
鈴木
当時は海外に出るか日本にいるなら上智かICUにしようと思っていて、私の友達のほとんどはみんなそのまま聖心女子大に行く子が多かったんですね。でも私は女子大に行きたくなかったの。なぜかというと、オーストラリアの頃からずっと女子校でいい加減共学に行きたいというのが大きかったです。だから上智とICUで迷ってICUにしました。
齋藤
そこでICUに決めた理由はあるんですか?
鈴木
それはICUにゴルフ場があったからです(笑)。もちろん他にも色々理由はありましたよ。国際的なところとか、キャンパスの雰囲気とか。ただゴルフに憧れていて、入学してすぐにゴルフ部に入ったんですけど、実際にやってみたらまったく才能がなくて。3ヶ月くらいで辞めて演劇部に入りました。でも、面白いもので、この年になってつい2年ほど前からまたゴルフを始めたら完全にはまってしまって、今では暇があればゴルフに行っています。
仕事をやってるうちにどんどんつながりが広がっていきましたね。絶対これを続けていたいという思いはずっと持っていました。
齋藤
語彙を増やすことはどうやって訓練されてるんですか?
鈴木
本を読んだり、TIMEは毎週読んでいます。分からない単語は必ず調べるし、あと、会話してる時でも気になる語彙なんかは調べますね。
齋藤
オーストラリアもそうだと思うんですけど、通訳の時にスターのいろんな英語の“なまり”はありますよね。
鈴木
そうですね。映画祭をやっていると世界各国からきているので、英語が母国語じゃない人もたくさんいるわけですよ。そうするとなまりが本当にすごいんです。「あれ、これ英語か!」と後々気づいたり。アルメニア人の通訳をやった時は、向こうは英語が片言しか分からなくて、ボディーランゲージを交えながら訳しました。分からないときは聞き返すこともありますが、舞台挨拶の時なんかはそんなことはできないので、あとは勘でやるときもありますね。ヒヤッっとしますけど(笑)。
渡辺
鈴木さんからご覧になると、英語と思えない訛りもあったり、すごくきれいなクイーンズイングリッシュだったりいろいろあるのでしょうね。ヒュー・ジャックマンやニコール・キッドマンは、やっぱりオーストラリア訛りなんですか?
鈴木
そうですね。いろんな役をやっていらして、アメリカ人の役だったりイギリス人の役もあるので、ダイアレクトコーチがついて人物にふさわしい英語で話されていますけど、素の時はべたオーストラリア訛りですね(笑)。私はオーストラリア訛りが一番聞きやすいです。アメリカもイギリスも基本的には問題ないんですけど、例えばイギリスの北部のマンチェスターとか訛りが激しいところはあります。それはもう慣れるしかないですね。
渡辺
お話を伺っていると、鈴木さんはなるべくして今の位置にいらしたというか、本当にお好きな演劇と映画の仕事に行き着かれたんだなと感じます。でも、そこに行こうとしてもなかなか行けない場合もありますよね。
鈴木
そうですね。確かに。私の場合は、最初に紹介していただいた舞台の仕事が東宝の仕事につながりました。そこでやっているうちに、松竹やパルコ劇場からも声がかかるようになって。そうやってるうちに横にどんどん広がっていきましたね。やっていくうちに絶対これを続けていたいという思いが強くなっていきました。
渡辺
1回1回を大事にすることが次に繋がるんですね。
鈴木
そうだと思います。
渡辺
鈴木さんはこれだけ肌感覚で英語と日本語を操っていらっしゃいますが、お子さんもバイリンガルでいらっしゃるんですか?
鈴木
それが全然!(笑)。母親から習うというのが嫌なのかもしれないですね。長男は高校3年ぐらいで目覚めたので、彼用のカリキュラムをつくりました。私が台本つくるの大好きなんで、彼が留学をするというシチュエーションで、ルームメイトとの会話だったり、レストランでの会話をカリキュラム30ぐらいまでつくりましたね。それを週2、3回やってたら彼も楽しくなったみたいで、「通学の時にこの会話を聞きたいからお母さんの声を録音して」というぐらいまではまりましたね。彼はやる気があってある程度できるんですけど、下の子はまだ目覚めてないですね。
渡辺
なるほど。鈴木さんは、ご結婚はICUの方とですか?
鈴木
そうです。ICUで出会って、よく一緒に映画を観にいってました。向こうも映画好きなので趣味は合っていましたね。
渡辺
選んでいただくのは難しいかもしれませんが、今お好きな映画はなんですか?
鈴木
昔の映画でいうと、『カサブランカ』。あと、『明日に向かって撃て』は青春時代の思い出の作品です。この2本は絶対。最近のおすすめは『42』。アメリカのプロ野球界で初の黒人選手だったジャッキー・ロビンソンの物語りですが感動的でした。あと、一番最近では『ゼロ・グラビティ』です。宇宙の話ですけど、「映画がここまできたか!」って衝撃を受けました。技術の勝利というか。観ていて自分が一緒に宇宙に行っている感覚ですね。『ライフ・オブ・パイ』も良かったです。内容は哲学的で少し複雑なんですけど、3D映像が素晴らしかったです。
渡辺
通訳の仕事をなさっていて、海外を飛び回って出張が多いということはないんでしょうか?
鈴木
そういうわけではないです。私は東京ベースですね。現地にはそこの通訳さんがいるみたいです。たまに海外出張はありますけど。カンヌやヴェネチア国際映画祭に行ったのはいい思い出です。
将来、何年後に自分はどうなっていたいか。漠然とでもいいのでイメージを持つこと。それでそのためには自分が今なにをすべきかってことを考えて実行する。人生には必ずチャンスが巡ってくるものなので、それまでに準備ができていれば、うまくチャンスをつかむことができるはずです。
渡辺
最後に、将来翻訳や通訳など映画の仕事がしたいという学生を含めて、ICUの在校生やICUを目指そうとなさっている学生の方々にメッセージをお願いします。
鈴木
ハウツーというのはないと思うんですけど、全部が無駄になってないなと思います。例えば、映画をたくさん観ていて、“そういうの意味ないんじゃない”ということでも、実はそれが後々役立つ知識になることもあります。好きなものを追求していって、それが仕事につながれば理想的ですよね。自分の仕事はもちろん大変ですけど、やっぱり仕事場に行くのが楽しいというのは大事ですね。あと将来、何年後に自分はどうなっていたいか。漠然とでもいいのでイメージを持つこと。それでそのためには「自分が今なにをすべきか」ってことを考えて実行する。人生には必ず何度かチャンスが巡ってくるものなので、それまでに準備ができていれば、うまくチャンスをつかむことができるはずです。そのために学生の間によく学び、知識を増やしておく。自分の器を大きくしておくというか、引き出しを増やしておけばそれだけチャンスも増えます。私も今、自分の歩んできた道を振り返ってみますと、様々な転機があったし、岐路に立たされて選択をしてきたと思います。そのとき、どっちの道に進むかで自分の人生が全然変わってしまうことだってある。私がICUの学生で映画漬けになっていたとき、観ていた映画の監督や俳優さんたちに将来会うことになるとは思ってもみませんでした!(笑)トム・ハンクスが演じた「フォレスト・ガンプ」の言葉通りです。”Life is like a box of chocolates. You never know what you’re gonna get!”

プロフィール

鈴木小百合 (翻訳家・通訳)
東京生まれ。小学2年から中学2年までをオーストラリア、シドニーで過ごす。帰国後、聖心インターナショナル・スクール中等部に編入し、72年に同高等部を卒業。国際基督教大学教養学部語学科で異文化間コミュニケーションを専攻。76年同大学卒業。 広告代理店勤務、イベント会社勤務などを経て、フリーの通訳・翻訳家に。演劇の現場での通訳としてスタートを切る。(『かもめ』マイケル・ボグダノフ、『桜の園』クリフォード・ウィリアムス、『カルメン』ピーター・ブルック、『十二夜』エイドリアン・ノーブル、『欲望という名の電車』『奇跡の人』テリー・シュライバー等)

その後、ジョン・パトリック・シャンリィの『お月さまへようこそ』を皮切りに戯曲翻訳を手がけるようになる。 戯曲翻訳作品:『お月さまへようこそ』『ダニーと紺碧の海』『マンハッタンの女たち』『ぼくの国、パパの国』『ウィット』『ダウト』『漂う電球』(以上白水社刊)『季節はずれの雪』『青春グラフィティ』(以上而立書房刊)『ホンク!』『ダブル・アクト』『アラブ・イスラエル・クックブック』『ホロー荘の殺人』『貴婦人の帰還』『又聞きの思い出』 2007年には、戯曲翻訳2作品に対して「第14回湯浅芳子賞」受賞。

この他に日本の演劇作品の海外公演用の英語字幕を手がける。(井上ひさし作『藪原検校』、水上勉作『はなれ瞽女おりん』、山田太一作『日本の面影』等)劇団四季作品『李香蘭』『異国の丘』『ユタと不思議な仲間たち』『夢から醒めた夢』他の英訳。ラボ教育センター刊『十五少年漂流記』『裸のダルシン』『落語:JUGEM』など英語教材用の英訳書多数。

通訳としては映画のプロモーションで来日するハリウッド・スターや監督たちの通訳を担当。 また東京国際映画祭での通訳を20年間に渡り担当。オープニング・セレモニーや授賞式、舞台挨拶や記者会見などで、小泉首相、麻生首相、鳩山首相、野田首相、安倍首相、及び各国の映画監督、製作者、俳優たちの通訳をする。

2013年からは麗澤大学外国語学部客員教授も務める。

通訳を担当した映画関係者:

俳優: ジャック・ニコルソン、グレン・クローズ、ジョージ・クルーニー、ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、マット・デイモン、キャサリン・ゼタ・ジョーンズ、ジュリー・アンドリューズ、ジュリア・ロバーツ、アンジェリーナ・ジョリー、レニー・ゼルウィガー、マーク・ウォルバーグ、デンゼル・ワシントン、ウィル・スミス、ヒュー・グラント、ヒュー・ジャックマン、二コール・キッドマン、ジュード・ロウ、ロバート・ダウニー・Jr、シャロン・ストーン、ブリジット・フォンダ、ジェフ・ブリッジス、ブレンダン・フレイザー、ケヴィン・スペイシー、トム・ハンクス、シャリーズ・セロン、ハル・ベリー、ジェニファー・コネリー、ジェイダ・ピンケット・スミス、キーラ・ナイトリー、リアム・ニーソン、クリスチャン・ベール、マイケル・ダグラス、ザック・エフロン、トビー・マグァイア、キルステン・ダンスト、アンドリュー・ガーフィールドetc.

監督: スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、リドリー・スコット、マーティン・スコセッシ、ロバート・ゼメキス、ロン・ハワード、クリント・イーストウッド、クリス・コロンバス、ピーター・ジャックソン、ジョージ・ミラー、JJエイブラムス、ナンシー・メイヤーズ、ティム・バートン、スパイク・ジョーンズ、マイケル・ベイ、M.ナイト・シャマラン、マーク・フォスター、ジョン・ラセター、ブラッド・バード、ピート・ドクター、アンドリュー・スタントン,etc

プロデューサー: ジェリー・ブラッカイマー、ジェフリー・カッツェンバーグ、ジョエル・シルバー、ソール・ゼインツ、アルバート・”カビー“・ブロッコリー、ダーラ・アンダーソン、ディノ・デ・ラウレンティス、バーバラ・ブロッコリー、etc