INTERVIEWS

第50回 東 哲郎

東京エレクトロン代表取締役会長兼社長、最高経営責任者(CEO) 

プロフィール

東 哲郎(ひがし てつろう)
東京都出身。1973年(昭和48年)国際基督教大学卒業、1977年(昭和52年)東京都立大学大学院修了、東京エレクトロン入社。90年取締役、96年社長、2013年4月から現職。
いい仕事をしたらいい報酬をもらわなくてはならない」「年功序列をなくさなければこの国はだめになる」そういうことを面接のときに経営Top自らがたくさん教えてくれて、それで東京エレクトロンに入社することを決めました。
渡辺
さっそくなのですが、東さんがICUをお受けになったのはどうしてだったのでしょう?
僕はもともと学芸大の附属高校だったのですが、当時はものすごく受験校という感じでした。もともと理工系が好きだったんですけど、クラス分けのときに自動的にそっちに行くのもなんとなくいやだな、と思いソーシャルサイエンスとか文化系のクラスに入ったんです。でもそれも物足りなくて理工系の数学も取り直したり…今考えるとむちゃくちゃやっていました(笑)。

それで、僕の兄が一つ年上なんですけどICUを受験しました。そのときに初めてICUの存在を知りました。学生寮も先生の家も広大なキャンパスの中にあるとか、カリフォルニアのバークレーの学生もいたりだとか、今までの日本の大学のイメージとだいぶ違っておもしろいなということで興味がわいてきました。

そして高校の3年生になってから受験勉強はあまりしなくなり、本を読んだり、哲学を勉強することに興味が出てきたんです。ICUに入って、社会科学科に行きました。哲学をもっと勉強したいという思いはずっとあったんですが、アドバイザーが川田先生というギリシャ哲学の先生で、その人のもとギリシャ哲学を学んだり、他の先生のもとでヘーゲル哲学を学んだりしましたね。
また東大から来た大塚先生という方のもと、人間の精神的な構造、文化や宗教が経済に与える影響を学んだり、それを経済史の側面からも分析したりしました。各国の国力や経済、貿易について学ぶことが非常におもしろくて、それにのめりこんでいたら大学3、4年生になっていました。

そのときに大塚先生のお弟子さんである水沼先生という方に出会い、日本の貿易構造などを学びました。その先生の経済の分析の仕方がとても斬新でおもしろくて、卒業してからは都立大学の大学院に行き、その先生のもとで学びました。

齋藤
研究者になろうとお思いだったのですか?
そうですね。日本の経済の本当の問題はなんなのかということを見つけたくて四苦八苦していました。でも自分を客観視しなくてはいけなかったこともあり、4年間あがいてやめることにしたんです。それがもう修士論文を出していた2月だったんですけれども、実業界に出た方がいいだろうと思っていました。
齋藤
それは先生がおっしゃられたんですか?
自分で決めちゃいましたね。それで先生に挨拶にいったら「なんで相談しなかったんだ」と怒られちゃいましたけどね(笑)。
齋藤
ちなみにこちらの東京エレクトロンは、当時は今のように大きな会社ではなかったのではないですか?
当時は200人くらいの会社でしたね。もう全然そんなことも分かんないで、高円寺の駅のキオスクで朝日就職ガイダンスのようなものがあって、それをめくったら2社だけまだ募集があったわけです。その1社がここでした。どっちも受けたんですが、東京エレクトロンは人事部長が若くて30代で社長も若く、ものすごくやる気があり最先端の技術も持っている。そして経営のやり方は技術重視で、年功序列も無しで、いろんな斬新なアイディアが会社の中で用いられていた。それでここは合うかもな、と思ったのが始まりです。
渡辺
キオスクでガイダンスをご覧になった時に、合うかもという直感はお有りでした?それとも、面接が大きかったのですか?
面接ですね。当時の社長、専務とお会いして、「自分の会社は若くなくちゃいけないんだ」ということとか、「人の真似をしないんだ」ということとか、「政治的なことは嫌いなんだ」「技術を大事にするんだ」とか、日本的じゃない考え方に触れたんです。

社長と専務が前にいた会社が年功序列で、そこでは自分が色々いい仕事をしてもほとんど評価されないし給料も良くない。そしてアメリカに行ったときに考え方が全然違うことに気づいたそうです。「いい仕事をしたらいい報酬をもらわなくてはならない」「年功序列をなくさなければこの国はだめになる」そういうことを面接のときにたくさん教えてくれるわけです。

渡辺
とても有意義な面接ですね!
そうなんです。これは僕が大学時代に持っていた問題意識と似ているし、非常におもしろいと思いここに入りました。
齋藤
もともと理工系だったということも影響しておられるのですか?半導体ってとても難しいイメージがあるのですが…。
そうかもしれないですね。僕は良く分かっているお客さんの家まで行って教えてもらったりもしましたね。本当に分かってる人というのは、やさしく丁寧に教えてくれるものなんですよね。
齋藤
お客さんがですか!?そのときは営業職であったとか?
そうですね。最初は営業のお手伝いだったんです。それから営業に異動しました。それでさまざまなお客さんがいろいろと教えてくださって、自分のレポートやお客様への説明書を添削してもらったこともありました。そしたらだんだん奥が分かってくるというかね。
齋藤
すごくおもしろいお話だと思うんですが、現在でもそういうお客さんっておられるんですかね?
今はだんだん少なくなってきていますね。専門化が激しくなっていると思います。全体をぱっと見てコンセプトをぴしっと捉えて、教えてくれるという人が少なくなってきたんじゃないかな。
若い時も社長とかに対しても「こうしたらいい、ああしたらいい」っていうことをなんでも生意気に喋っていました。いつも成果直結の意識があったのかもしれません。
齋藤
一部上場企業で46歳という若さで社長になられたということですが、どうしてそうなれたかということに非常に興味があります。僕も企業や自分の生徒に「どういうものの考え方をしたら成功確率が高まるか」ということを考えてほしいと思っているのですが、46歳で一部上場企業の社長になるということは普通は考えられないと思うんです。そこに何かしらの秘密があるのではないでしょうか。
振り返ってみると、僕は1つの事業部にあまり長くいなかったんです。2、3年ごとにぐるぐる回っていました。そして日本でいろいろな仕事をしたあと1983年から84年にアメリカに駐在しました。そのときの体験はものすごく役に立っているかもしれません。アメリカという場所はベンチャースピリッツに満ち溢れていました。

また、会社が大きな家を用意してくれていたわけですが、そこに日本から来たお客さんに泊まってもらって、話をするんです。そこでお客さんが何を欲しているのかを十分に理解することが僕の仕事でした。そしてお客さんを実際にいろんなお取引先にお連れして、お取引先が訴えることやお客さんが何を欲しているのかを知り、それを本社に伝えていました。

日本に戻ってきたら大阪勤務になり半導体製造装置全体を担当し、その次は東京に異動して米国の半導体を日本市場で販売するなど、いろんな経験をさせてもらいました。それは自分があまりできないから転々としているのかと思っていたのですが、今考えると期待してくれていたのかな、と思います。

あと、僕は図々しい人間だったので、新入社員のころから専務や社長と仲良くなっちゃって何かあると相談したりお酒を飲みに連れて行ってもらったり、そのときに僕は「こうしたらいい、ああしたらいい」っていうことをなんでも生意気に喋っていました。他の人は怖がってあまり話さないと思うのですが、それがよかったらしいです。自分としてはTopとの直結意識、会社経営への直接意識があったからなんでしょう。

齋藤
東さんの他に、社長や役員の方に提案される方はいらっしゃらなかったんですか?
いま副会長をやってる常石もよく一緒に話したりしていましたね。
渡辺
東さんが怖がらずに意見をおっしゃったのは、「上司に良く思われたい」「自分が偉くなりたい」という気持ち抜きに、「もっと、(会社が)こうだったらいいのに!」という思いが強かったからじゃないでしょうか。
そういうことかもしれないですね。人に対する怖さを感じないということもあるかもしれません。
渡辺
それは、小さい頃からですか?
小さい頃からですね。親父がすごく怖い人だったんです。小学校の3年生までお灸を据えられたり、それで“へそ”の上に跡がついたり(笑)。そういう教育ですよ。
渡辺
それは、やんちゃだったということですよね?
そうかもしれないですね。兄と一緒に。それで父がとても怖くて、父以外の人は恐れなくなったのかもしれないです(笑)。
渡辺
お父様より怖い方っていらっしゃらなかった(笑)。
それにそんな父も高校生くらいになれば普通に話すようになるじゃないですか。それで免疫がついていたのかもしれないですね。
齋藤
アメリカにおられたというのは、当時から英語ができておられたということですか?
いや、できなかったですね。ノンジャパと言われるグループがICUにいるじゃないですか。そういうのあまり好きじゃなかった(笑)。
渡辺
うかがってると何だか気持ちがいいです(笑)。
会社に入って、こいつは英語ができるはずだと思われていろんなところに連れて行かれて、そういう積み重ねで少しできるようになったかもしれないです。
渡辺
これまでの高校やICUでの勉強ののめり込み方をうかがってもご自分に正直で、入社後の社長などへの接し方も筋が通ってらして、このご性格は幼少の頃からずっとなのですね?
そうかもしれないですね。僕を面接してくれた原さんもそういう方で、その方の影響もあったと思います。僕は結婚したのが入社してから5ヶ月くらいだったんだけれど、原さんに「結婚したいのですがどうしたらいいでしょう」と言ったら「俺に任せろ」と言ってくれて、いろいろアドバイスを受けて当時の社長に話しに行ったり、それで当時の総務部長に仲人になってもらったり、全部の部長に招待状を出して半分くらいの方に来てもらったりということがありました。ちょっと常識じゃない感じの人でしたね。
齋藤
ちなみに結婚した方はICUの方ですか?
早稲田の人なんです。僕が20才のときから付き合っていたんですけど、僕は当時早稲田の喫茶店でアルバイトをしていたんですよ。兄が早稲田に通っていたんでね。そこにアルバイトで来ていた女性です。7年くらい付き合って結婚しましたね。
渡辺
では大学院のこととか就職のこととか相談なさいましたか?
サポートしてくれましたね。お金がなかったからお金出してくれたりね(笑)。
渡辺
そのときから二人三脚でいらしたんですね。
いい言葉で言えばね(笑)。
一同
(爆笑)
会社に入って気がついたのは、一人じゃなくてチームであるということです。僕ができないことを、他の人ができたりする。1+1が3になるということが、会社では起こりうるのです。また、ビジネスというのがやりようによってはなんでもできるという感覚があったので、やる内容が変わっても一つ一つ楽しかったですね。
渡辺
東さんが面接でいいと思われたことと逆行して…というと言い過ぎかもしれませんが、今の世の中には特に今は冒険しようとか、新しいことしよう、オリジナリティを出そう、っていう風潮ではないように感じるのですが。
ないですね。東京エレクトロンの場合には何年かごとに業態を変えたりしているのですが、それは僕の前の社長のときからずっとそうなんですね。僕もそのやり方を引き継いでいます。技術も業界も、世界の動きは激しいですよね。だから僕らが先行する形で変えていかなきゃいけないし、問題があったときに遅らせたくないと思ってやってきています。
渡辺
会社のポリシーに共鳴してお入りになるというのはとても大切なことだと思うのですが、そういう価値観が東さんご自身のなかに培われたのは、育たれた家庭環境やICUの学びの中ででしょうか?
そう考えたら今の会社に出会えた僕は幸せ者だと思います。僕は特に日本経済史で水沼先生にお会いしたことは大きかったと思います。教え方の厳しい先生なのですが、使うのはほとんど洋書で、マックスウェーバーとかを原書で読んでいくんです。そして読み合わせしたりするんですよね。ドイツ語については大学にいる頃に独学で学びました。「物の見方を確立しないと表面をなぞったって仕方ない」ということを学んだのですが、それが僕ののちの価値観に影響していると思います。
齋藤
この「今を輝く同窓生たち」では、今まで50人ぐらいの方のお話を聞いてきましたが、皆さんある人の影響を受けて、すごくいい方向に行っているというのが印象としてあります。あとは、皆さん成績の悪かった方がとても多いのですが(笑)、東さんは在学時の成績はいかがだったのでしょうか。
非常にいいときは2回ありましたね。あとはずっとだめ(笑)。多分偏ってるんでしょうね。
渡辺
おもしろい!と思われたときはのめりこんで抜群に成績も良くなるけれど、つまんないときはだめ、といった感じなんでしょうか(笑)。講義も好き嫌いがおありになったように、東京エレクトロンにお入りになったあとに「あの仕事は楽しかったけど、これはあんまりだな」とかお思いになることはなかったのですか?
それはなかったですね。大学や大学院の生活って突き詰めると一人なんですよね。個人の力で全てが決まる。会社に入って気がついたのは、一人じゃなくてチームであるということです。僕ができないことを、他の人ができたりする。それがみんな集まってできるんで、それは感謝したかったですね。1+1が3になるということが、会社では起こりうるのです。また、ビジネスというのはやりようによっては無制限になんでもできる。動きなり成果なり「できる」という感覚があったので、やる内容が変わっても一つ一つ楽しかったですね。
齋藤
今のお話も非常におもしろいですね。「ビジネスにおいてはなんでもできる」という風におっしゃったと思うのですが、コンサルティングをしていても教育をしていても「こんなことがやりたいのにできない!」という悩みを持っている人が多いことに気が付くのですよ。それは世の中が大きく変化したけど、それに対応できていないからなのか、昔と今で人の価値観が変わって行動の仕方が変わったからなのか、あるいは僕の師匠が20年くらい前に「最近経営者のレベルが落ちてきたよね」と話していたことがあって、そういうことなのか、どうなのでしょうか。いわゆる昔の名経営者の時代と今は変わって、その結果実力のある従業員にチャンスを与えきれていなかったり、そういうこともあるのでは、と考えたりもするのですが。
それはそうかもしれませんね。あともう一つは、僕自身は学生の頃に一人でやることの限界を感じたんですよ。そして会社に入るといろんなことができるというか、自分を捨てることができるんです。我を張らないで、他の人のいい意見は取り入れればいいんだとか、そういう気持ちを持つことができる。自分のできないことに関しては恥じないでふるまった方が良くて、そしたら周りが協力してくれるんですよね。そうするといろんなことができると思うんです。
齋藤
カリフォルニアに行かれたときに、家を用意した理由が「お客さんの話を聞くこと」であり、それはその人たちの意見を理解することに意味があるということだと思うのですが、それを実現させるケースというのはなかなかないんですよね。それは当時のファウンダーの方のお考えだったのですか?
当時僕の上司であった井上さんという方がこういうことをやったらおもしろいんじゃないかと言ってくれました。あと僕も経済史を勉強したときに、アメリカから見た日本や中国から見た日本など、いろんなずれの中で歴史がつくられていることを勉強したことも影響していると思います。「アメリカから見たらどういうふうに見えているんだろう?お客さんから見たらどういうふうに見えているんだろう?」と考えると、いろんな違いがあったりしておもしろいんですよ。それでむしろ僕が新しい発見をしましたね。
渡辺
東さんのお話を伺っていると、つい引き込まれてしまうのですが、それは東さんご自身が「おもしろかったんだよ!」と、大変なことも含めて楽しんでいらっしゃる熱量が直に伝わってきて、こちらまで面白い追体験をしている感覚になります。先日のインタビュー記事で拝読したのですが、46歳で社長に、と指名されたときにお断りになったとか。どうしてだったのでしょうか?
会社の中で僕より年上の人がとても多いんですよ。お客さんも部長クラスの方や先生、年上がたくさんだったしね。社長ともなるとそういう方たちと会わなきゃいけないと思ったら、できるのかな?という抵抗感があったんです。あまり自信がなかったんですね。それで何度も無理ですと言っていたら、ファウンダーが怒っちゃったんです(笑)。自分たちは20代後半から会社を作ってやってきて、年上の人を採用してきたんだ、贅沢言うな、ということですね(笑)。もう一つは、この業界は変化が激しいから若い力が必要で、コンサバティブになっちゃいけないんだということでした。
渡辺
そのお話の前では、断れないですね。
そのとき常石が専務になったのかな。そこで、こうなったらしかたないから自然体でいこうと話したのを覚えてますね。気張っちゃうとどこかおかしくなっちゃうから、と。そうして始まりました。
自分で考えて、いかに行動していくかというプロセスが非常に重要だと思います。何をやるかというのはその時間や環境によって違うじゃないですか。それはまあ選択はできるわけだけど、基本はいかにやるかというところが重要なのではないかと思います。
齋藤
最近リベラルアーツ教育が重要であるということが言われ始めたんですけども、東さんが哲学、歴史、数学全てに興味があったということ、そして「自分ができることは限られているからできないことがあったら他の人と協力してやればいいんだよ」という考え方、これらの要素を若いときに持っていたことがすごくそのあとに影響を与えているのではないかと思います。今の大学生もそうだけど、専門で経営を勉強しよう〜、ではなく、しっかりと歴史だとか哲学とか自然科学から学んだことをプラットフォームとして次のことをやらないと、軸足の定まらないぐらぐらした人たちが出てくるのではないかと思うのです。
自分で納得感を持たなきゃいけないということはあるでしょうね。
渡辺
恐らくICUというのは先駆的にインターディビジョンができる環境ですよね。東さんのお話を伺っていると、「こうなりたいからこうした」と、功利的に選んでいらしたのではなくて、興味の向いたことを徹底的に突き詰めて、それがプラットフォームになっているのだと感じます。それが結果的にこうなられたということだと思うのですが、斎藤さんがおっしゃったように若い世代が専門にだけ走ってしまうのは寂しいことだとも感じます。
人生を考える上で、何をやるかっていうのは重要でしょ?僕の先生は「いかにやるかが重要なんだよ」というわけです。自分で考えて、いかに行動していくかというプロセスが非常に重要だと思います。何をやるかというのはその時間や環境によって違うじゃないですか。それはまあ選択はできるわけだけど、基本はいかにやるかというところが重要なのではないかと思います。それも一つの価値観なのではないかと思いますけどね。
渡辺
東さんがお会いになった大切な方々の教えは、いつも東さんの中に大切に残っているのですね。
けっこう物忘れがある方なんだけど(笑)、そういうのは覚えていますね。
渡辺
それにとにかく上の方に愛されているというか、かわいがられていらしたと感じます。それはお人柄ですね。
生きる目的を達成するためには生命力であるとか、そういうものが必要だと思います。その生命力やいろんな力を持続させ、やっていくことができることが利益である。その利益が生まれる根拠というのは、どれだけ自分のやっていることが社会に貢献しているのかということで量られるものだと思います。
渡辺
「利益は結果だけど証なんだ」というお考えについて詳しくお聞きしたいです。
利益を得たということは、いいことをしたんだ、貢献したんだということになると考えられるけど、それをいつももう一度考えるわけです。本当に貢献できたのか?と。ずるして儲けたりする人もいるけれど、それは世の中に貢献できた結果ではないんですよね。貢献できた証であるという位置づけで利益を見ています。利益自体はもちろん目的ではありますけどね。

個人個人で生きる目的ってあるじゃないですか。その目的を達成するためには生命力であるとか、そういうのがないと達成できないですよね。それこそが利益なんだろうなと思っています。その生命力やいろんな力を持続させ、やっていくことができることが利益である。その利益が生まれる根拠というのは、どれだけ自分のやっていることが社会に貢献しているのかということで量られるものだと思います。利益が多いと日本的には悪いことしているように見えてしまうわけですが、本当にいいことを実施したら高い利益が出るわけです。それを社員や社会に還元していく。そうすると次の製品の開発につながるわけです。

渡辺
逆に言うと、証のでないような仕事をしちゃだめだよということですね?
そうですね。前に「TEL Value」という社員の行動規範を作ったんですけども、その中に「誇り」という言葉があるんですよね。自分の仕事に誇りが持てるような、そういう仕事をしろ、と。それが社会に貢献して利益になるんだということを書いています。
齋藤
あれは5つの言葉(注)から成っていますよね。あの5つというのは東さんがお考えになられたんですか?

(注:5つの言葉とは、誇り、挑戦、オーナーシップ、チームワーク、自覚 )

2002年にバブルが崩壊して会社が厳しくなって、翌年、1000人解雇したんですよ。そのあと2、3年の間、会社の士気が上がらないんです。働く人が会社を信頼しなくなって、エネルギーがなくなるわけです。これはまずいなと思って、働く喜びや成長の源泉を再確認しなければいけないと思って、若手の社員を十数人選んで、1年間かけてトップを含め全社員にインタビューをしたんです。それでその人たちが言った言葉を書いて、凝縮して、5つの言葉になりました。ああいう目標の様なものは、普通はトップダウンで知らされるものだと思いますが、社員たちが自分で見つけてみんなに普及してくれる、そういう風にした方がいいんだろうなと思ってやりました。
今までは国際化が求められていたけれど、これから大事になるのはグローバル化。その中で生き残るには勇気と理解力が必要です。他人を理解する力をつけることで他国文化への尊敬と共存共栄が可能になり巨大なエネルギーを生み出すと考えます。そこに勇気を持つことをプラスしてほしいと願います。
渡辺
最後に、ICUの学生やICUに興味のある高校生など若い世代にメッセージを頂戴できますでしょうか。
会社に入ったあとで、リベラルアーツの学びは本当に役に立っているんです。広く浅くというよりも広く深い時間でした。
渡辺
白熱教室と名づけられる前からありましたよね。
そうそう。本当にいい大学だと思います。グローバルな大学とかのランキングなどでもいつも選ばれているしね。だからこそいろいろトライしてほしいなと思います。今はだんだん縮み思考が大きくなってきていると思いますが、今世の中は大変化期なんですよね。そういう意味ではそれぞれがいろんなことができるオポチュニティがあるから、チャレンジしてほしいですね。僕はICUはそれをできるようにしてくれる大学だと思うのでね。

それにこれまでは国際化が課題だったけれども、今はグローバルになることが求められている時代です。

渡辺
ちなみに国際化とグローバル化はどのように違うのでしょうか?
国際化は日本が世界に出て行くことだったけれど、今のグローバル化は海外の波が押し寄せてきてミクスチュアとなってしまう状態ですね。
渡辺
その中で生き残って行くために必要なのは、一言では難しいでしょうけれどどのようなものなのでしょうか?
一言で言うと勇気と理解力です。もう少し丁寧に言うと、理解力とは他人を理解する力だと思います。国際化は往々にして自国の押し付けに帰結しますが、グローバル化は理解力により、他国文化への尊敬と共存共栄によって巨大なエネルギーを生み出すと考えます。そこに勇気を持つことをプラスしてほしいと願います。


プロフィール

東 哲郎(ひがし てつろう)
東京都出身。国際基督教大学教養学部社会学研究科卒業。東京都立大学大学院社会科学研究科修士課程修了後、東京エレクトロン研究所(のちの東京エレクトロン株式会社)入社。モトローラ営業部長、拡散システム部長、SPE2事業部長、取締役、常務などを経て社長に就任。