インタビュー内容

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第13回 2009年2月2日
ソニー・コンピュータエンタテインメント代表取締役兼グループCEO 平井一夫

 平井一夫
プロフィール
84年社会科学科卒業後、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)入社。95年、ソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ(SCEA)に出向し、96年、SCEA EVP(Executive Vice President)及びCOOに就任後、President、CEOを経験。03年にSCEIコーポレート・エグゼクティブCOOとなり、07年に代表取締役兼グループCEOに就任。
ICUは初めて仲間意識を感じた場所。色んな人がいて、色んな考え方があって、「あいつの考え方が違う」と拒否されることが全くと言っていいほどなかった。
渡辺
今日はよろしくお願いします。これまでにも様々なインタビューを受けていらした平井さんの記事を拝見しながら、今日のインタビューを楽しみにしておりました。
平井
こちらこそ、よろしくお願いします。
渡辺
以前のインタビューの中で、平井さんは小さな頃から日本と海外を往復なさっていたとありました。高校生の時に単身で日本へ帰国した後、ご親戚のところに住まわれてASIJ(The American School In Japan、調布市にあるアメリカンスクール)からICUを受けようと思ったという理由は何だったのでしょうか?
平井
ICUへの進学を希望した一番大きな理由は、“私は英語が出来るけど日本人なんだから、日本の大学に行き、日本の会社に行き、日本人として歩みたい”と決めていたからです。ASIJの友達の中には、「日本の学校なんて嫌いだからアメリカの大学に行く、そして、アメリカで就職する!」という友達がいくらでもいましたし、「それはそれでいいのかな」と。でも、私はそういう道ではなく、「日本人として歩みたい」と思っていました。
渡辺
どうしてそういう風に思われたんでしょう?
平井
やっぱり小さい頃から海外と日本を行ったり来たりして、さすがにちょっと疲れたというのはありましたね。海外で友達が出来て仲良くなると「じゃあ日本に帰るから」、帰国して日本で友達が出来ると、また「じゃあ行くから」、という生活をずっと繰り返していました。逆に“日本人なんだから、日本というひとつのところに腰を据えていたい”という思いがありました。
渡辺
『港』のような場所を求めていらしたということでしょうか。identityというか。
平井
それはありましたね。そういえば、幼少期の日本と海外を往復する生活の影響がいかに人によって違うのかを感じたエピソードが一つあります。私の弟もASIJを卒業してICUに入学したんです。でも、ICUが肌に合わなくて彼は日本を飛び出しました。その後彼はアメリカの大学を卒業し、日本国籍も捨ててアメリカ人になりました。兄弟でも、自分は英語が出来る日本人という私のスタンスと全く逆なんですよね。6歳という年齢の違いもあったのでしょうが、同じ時期にアメリカにいても、見たもの感じたものがやはり違って、結局その先、ICUに対してのスタンスも全然違う人間ができるんだな、と思いました。
渡辺
ちなみに弟さんはICUのどんなところが合わなかった、なんていう話はなさいましたか?
平井
私はICUに行って、結構時間も自由で趣味もアルバイトも出来るし、遊べていいよね、と思っていたんですが、弟はもっとちゃんとした所謂『学生肌』で、“学生なんだから常に勉強しなきゃ駄目だ!”と思うタイプでした。やっぱりICUも日本の大学で、アメリカの大学に比べるとワークロードが全然違うので、「何だこの学校は、勉強している奴が一人もいないぞ!」と弟は怒ってしまって。そうこうしているうちに、「俺はアメリカに行く!」と自分で調べてアメリカの大学に行ってしまったんです。その後は先日会社の出張で日本に来たのが、大学でアメリカに行った後初めての帰国だったくらい日本を捨てているんですよ。帰国時も、ほとんど日本語が出来ないので、通訳をつけてもらっていました(笑)。
渡辺
ご兄弟でも違うんですね。平井さんの場合は、ご自身でICUに行こうと決めて入学なさって、行ってみてよかった点はどんなところでしたか。
平井
いくつもあるんですけれども、“よかったな”と最初に思えたのが、ICUで自分の『居場所』のようなものを感じられた時ですね。自分は、“英語が出来る日本人です”と思っていて、それを目指していたんです。でも、結局ASIJの卒業生ですから、あの環境は日本語と英語がちゃんぽんで話をしていても通るんですよ。「Teacherがさ〜」とか(笑)。で、ICUにもASIJの同級生が何人か来ていましたから、「こういうのっていいよねー」という共感できる仲間意識があったのが一つ。それとICUという環境の許容範囲の広さもすごく居心地が良かった。私は、昔から体が大きかったので周りの友達からいじめられたりとかはなかったのですが、小学生のころ日本に帰った時には、周りから偏見をもたれることはありました。それに対して、ICUは日本の大学だけれども、すごい許容範囲が広いじゃないですか。ここはアメリカじゃないから、とか、ここはどうのこうのとかではなく、色んな国籍の留学生、帰国生、4月生の純ジャパ、色んな人が居て、何でも受け入れる土壌があり、あいつの考え方が違う、と拒否をするということが全くと言っていいほどなかった。
齋藤
しかし小学校という感受性の強い時期になんでめげなかったんですかね?
平井
単純に鈍感なだけだったんじゃないですか(笑)。“そんなこと言われてもしょうがないや”と。実際に自分で言っていることを実行できているかどうかは別ですが、自分がコントロール出来ることは異常に気にする反面、出来ないことはあんまり心配しません。それは心配してもしょうがないというか…心配して状況が好転するならいくらでもしますが、そうじゃないこともありますからね。
齋藤
その姿勢は子供の頃からだったんですか?
平井
それはやっぱり大学に入ってからかな。
就職活動をしている時は、英語が使えるからではなく、もっと絶対的な、人間としての誠実性などで判断してほしいと思っていました
齋藤
学生時代の成績がどうだったか、って割とこのインタビュー記事を読んでいる人は皆知りたがるんですね。「こんなにすごい人なんだから、昔から賢かったんじゃないか」って。今までインタビューした方たちは、実は成績が良くなかったっておっしゃる人が多いんですけど(笑)。
平井
私も覚えてないくらいだから…きっと、良くなかったんじゃないですかね(笑)。
渡辺
今までお話を伺っていると、平井さんはICUでの生活を満喫なさったんだろうなぁと感じるのですが、今思えばもっとこうすればよかったなど思い残すことはありますか?
平井
あるとすれば、“もっと交遊の輪を広げておけばよかったな”ということですかね。D館に入り浸っていたから「十分だろ」と一般的には思われるかもしれないんですけど…(笑)。
渡辺
D館では、どんなふうだったんですか?D館ということはクラブ活動とか?
平井
ICUでは、当然勉強したんですが、よくD館に行って皆で盛り上がっていました。3年生から4年生の時は英語教師のアルバイトに精を出して、家に帰ったら電化製品のマニュアルの英訳の仕事をやる、という一日でした。自分の趣味が車で、すごく好きだったので、車を買うためにアルバイトをしまくっていました。だから成績はいいはずがないですよ(笑)。
渡辺
そうなんですか〜、アルバイトではかなりお金が貯まりましたか?
平井
英語の教師と翻訳の仕事はそれなりにお金が貯まりますから、車を何台か買いました。CBS・ソニーに入ったとき、最初の三年くらいは学生時代よりも年収が下がってがっかりしたくらい、大学時代は頑張っていましたよ(笑)。お正月なんか返上してフォークリフトのマニュアルを翻訳していました。
渡辺
今、CBS・ソニーのお話が出ましたが、平井さんが就職活動をなさった時にはどんなことを考えていらっしゃいましたか?
平井
私はICUの9月生なんですが、まず就職活動を始める時には、自分は英語が少し出来る日本人、というところからスタートしました。英語を武器にしてメーカーや商社に売りこんだ人も周りにはいましたが、自分は英語が出来て特別なんだ、とは思わず、英語だけで評価されて雇ってもらうと困りますよ、というスタンスで就職活動はしていました。
渡辺
ということは、ご自分を見られる時にはどういった部分を見てもらいたいと思っていらっしゃいましたか?
平井
何でも良いのですが…例えば、「平井はテニスもできないし編み物もできないけど、英語はうまいよね」と、その部分で評価してもらうというよりは、「人間としてこの人は誠実なのか」とか、“他のもっと絶対的な価値のところ”で判断してほしいと思っていました。そう、「英語は出来るから他の部分はどうでもよくて、通訳として使えばいいよね」と思われるくらいだったら最初から雇ってほしくないと思っていましたね。
渡辺
絶対的な価値というのは、とても本当に大切な点だと思いますが、なかなか見るのが難しい部分でもありますよね。CBS・ソニーの方は平井さんを採用する時、そういった面接をしていましたか?
平井
そういう本質に迫るような質問は全くしてないですね(笑)。「週末は六本木で何に盛り上がって遊んでいるの?」、とか、そういう質問だったんですけど、でも英語だけで取ろうというところも全くなかった。で、エンタテインメントももともと好きだったので、この会社って面白いなと思ったんです。
出世したい、CEOになりたいと思ったことは一度もありません。
齋藤
僕の場合はこのインタビューでは、インタビューさせていただく人が何故今のようになれたのか、というところにものすごく興味があるんですね。読む人が、インタビューからの学びを実際に試してみよう!ということが起こると面白いと思っています。さて、平井さんのように海外との行き来を繰り返され、アメリカンスクール、ICUを経験されている方はICUでも多いのですが、ビジネスの世界、ひとつの組織でトップまで行かれる方はなかなかおられない。ただ、今までインタビューをしてきた中でも、ご両親、友達、親戚の人、大学の先生などの方の影響があって自分の今があるという話をよく聞くわけですね。平井さんの場合にもきっと今までの道に影響した「何か」があると思います。ひとつの会社の代表取締役社長兼CEOになられるという上で平井さんに一番大きな影響を与えたものは何なのでしょう。
平井
今、そのお話を伺っていて、つい先日読み終わってなるほどねと思った“Outliers”という本を思い出しました。能力もあり、努力もしている人は沢山いるけれども、何でビル・ゲイツ氏やサンマイクロシステムズCTOのビル・ジョイ氏は成功者になれたのか、という秘訣を探ったものです。そこには、天才や成功者と呼ばれている人へ影響を与えた家族や環境についてのエピソードが書かれてあります。一般的に語られている美談は正しいと思うんですが、このように“自分の能力、努力に加えて、全くコントロール出来ない外的要因も影響している”というのは「確かに自分もそうだな」と結構共感したんですよ。
齋藤
なるほど。平井さんの周りの環境の影響も大きかったんですね。その影響とは具体的にはどういったものだったんでしょうか?
平井
私の父親は、戦後すぐ、1950年代の日本からカナダに留学した経験があるんですね。その時父は、日本とあまりに違う豊かな北米にノックアウトされて…、当時祖父に宛てた手紙を見ると、感動しきりなんですよ。「車がでかい!」とか、「美味しいものがいっぱいある!」とか。その経験があったから、働き始めてからも、「海外・]勤をさせてくれ」と上司に執拗に頼みあげたんですね。つまり、父が留学しなければ、感動もしなかったし、海外転勤にも出なかった。そういった事柄が連鎖していって私の現在につながっている。それは私自身にはコントロールできない部分だなぁと思うんですね。
齋藤
そういえば、先ほど小学校の時のお話をされておられましたが、今まで読んだ平井さんの過去のインタビューには、中学校以前の話がないのですね。
平井
小学校1年の1学期の頃にNYに行きました。
齋藤
そうなんですか。そのころにもう英語で会話をしていたんですか?
平井
アメリカに行った当初は、当然英語が出来ませんでした。「ウソだろ」と言われるんですけど「気持ちが悪いです」「トイレに行きたいです」「お母さん、お父さんに今すぐ連絡してください」と書いたカードを三つ首から下げて登校していましたよ。何かあったらそれを見せろ、と言われていました。遊んでいるうちに英語は素直に吸収して、小学校2年生の時には皆にとけこんで、問題なくアメリカ人の振る舞いが出来ていました。ところが、日本に帰国する時、もともと日本で通っていた学校に編入したんですけど、そのころ帰国子女なんてそんなにいなかったし、体も大きいし、外国人扱いされました。やっとなじんだかなと思うと海外の小学校に行って…というのをぐるぐる繰り返し、どっちに行ってもあまりなじめない状況が続いていました。4年生の時には英語を流暢に話していましたが日本に帰国をしてから2年後には既に英語力は落ちていたので、その時父がカナダに行くことにならなければ英語も忘れて、ASIJにも行かず、ICUにも行かず、違う道を歩んだかもしれない。しかし、自分でコントロールできない部分と同時に自分でコントロールできる部分というのもいくつでもあると思います。自分が置かれた状況に対してどう味付けするのか、取組むのかが非常に大事になってくる。“自分が置かれた状況をどのようにアドバンテージに持っていくか”というのを考えないと、置かれた状況に左右ばかりされて「自分の責任ではない」と文句ばっかり言っていたら、つまらないですからね。
齋藤
なるほど。ということは、そういう色々な環境や経験が、今のご自身につながっている。ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)に来られてからCEOになるまでに働いたそういった外的要因というものもあったんでしょうか。
平井
「この会社をやってくれないか」と言ってくれた今のSCE名誉会長、久夛良木健氏やソニー株式会社会長兼CEOのハワード・ストリンガー氏が“マネジメントを変えないといけない”と考えた時に私を候補として選んだという状況があり、これは自分がコントロールできるわけではない。実は私は社会人になったその日から今日に至るまで、課長や部長、取締役や社長になりたいとか、人を蹴落としたいとか、一回も思ったことがありません。これはきれいごとじゃなくて、私はそんな仕事をしなくても構わないって思っていて。野心がないのとは違うんですけど、「俺だ俺だ俺だ!」と人を蹴落としてまで、前に出ていきたいとは思わないんです。
齋藤
平井さんご自身が出世したいと思って進んできたというわけではなく、自分の与えられてきた役割というか、ミッションをしっかりとやっているうちに社長になっちゃったということなんですかね。
平井
与えられたことは確実にやるし、あいつにとりあえず任せていたら変な方向にはもっていかないので、そういう部分は品質保証しますよ、というのはあったんでしょうね。
齋藤
平井さんが仕事を任される時に、相手の人が平井さんに求めている期待値を理解していたから、それにきちんと返すことが出来ていたというのがあるんでしょうね。相手の期待値を読むのに非常に長けてたんじゃないでしょうか。
エンタテインメントビジネスにいるからには自分自身も楽しまなければ!…楽しんでない人の作りだすコンテンツを誰が欲しいと思いますか?
渡辺
今の平井さんの生活は分刻みの日常かと拝察します。社長兼グループCEOとは、実際どんな仕事なんでしょうか?
平井
そうですねー、朝から晩まで、「Decision!Decision!!Decision!!!」ですね。複数ある選択肢のメリット、デメリットの検証をして、決断するという仕事が一番多いですね。こういう状況になっていますという報告を受け、指示をしたり、そもそもこの会社がどこに向かっていくのか、何をしなきゃいけないかをトップマネジメント皆で議論したり。
渡辺
私がこれから社会人になるという学生だったら、社長という職業の方の日常って、イメージがわかないと思うんです。しかも、青山通りに面した、こんなに綺麗で開けたオフィスにいらっしゃる社長の日常って。平井さんはいつもどんなスケジュールで過ごされているのでしょうか。
平井
今日のスケジュールを見ると、こんな感じです。
9:30       出社
9:30〜10:00  電話とメールチェック。必要な人には電話をかける
10:00〜11:50 各地域のSCEの来年度計画のプレゼンを聞き、コメント
12:00〜13:00 コーポレートデザインセンターのデザイン案の承認及びコメント
14:00〜15:00 雑誌インタビュー(1)
15:00〜16:00 雑誌インタビュー(2)
16:00〜16:30 今週末のアメリカ出張用の資料確認
16:30〜17:00 監査室からのコンプライアンスについてのプレゼンレビュー
17:00〜18:00 「今を輝く同窓生たち」インタビュー
18:00〜19:00 PlayStation@Homeの最新状況の報告を受ける
19:00〜     会食
渡辺
となると、今日は終わるのは何時くらいになるんですか?
平井
だいたい9時半くらいですかね。今日は朝30分しかメールを確認していないので帰宅後メールを見て、国際電話が必要な場合は電話をする。ヨーロッパだと夕方からでも良いんですが、アメリカの西海岸になると結構辛いんですよね。ディナーも、今日は1件ですが、場合によっては社内の人から呼ばれると顔を出さなければならない時もあります。
渡辺
そんなにお忙しい日々を送ってらっしゃる中で、辞めたいと思ったことはありますか?
平井
あまり思ったことはないですね。CBS・ソニー、今のソニー・ミュージックエンタテインメントもそうですし、SCEもそうなんですが、“楽しさを人に共感してもらって『売る』”というエンタテインメントビジネスをやる上で、こんなのつまらないから辞めたいと思っているような社長ではだめです。そんな社長や社員がいる会社が出すようなエンタテインメントのコンテンツを誰が楽しいと思います?“やっぱりこれって楽しいよね!”と思って仕事をしている人間でないとエンタテインメントビジネスをやる資格はないですよ。
渡辺
すごく説得力がありますけれど、現実として、毎日夜遅くまで働いてらっしゃると、どこか疲れる部分も出てきたりするのではないでしょうか?
平井
それはありますよ、毎日スケジュール見た瞬間に「え〜〜」と思ったりします。でもやっぱり、辛い時もあるけど明日も頑張って盛り上がろう、と思えるのは、“自分が本当にやりたいと思って入ったこのエンタテインメントビジネスで25年近く仕事をさせてもらっている”というのがあるからでしょうね。あと、毎晩寝るときに思うわけではないですけど、時々、“今日はほんとにしんどかったな〜、でも…楽しかった!”という風にやっぱり思えるかどうかですよね。これはね、メーカーとか銀行とか商社とかがそれぞれ良いとか悪いとかじゃないですけど、エンタテインメントの特質なのかもしれないですね。私の父親は金融業界なのですが、“いや〜、やっぱり金融って楽しいよね、エンタテインメントだよね”とは思ってないですよね(笑)。やっぱり金融のあるべき姿というのを考えているわけです。それって全く本質的に違うビジネスなんですよ。
渡辺
平井さんは疲れたりストレスが出てきたりした場合、どうやって解消なさるんですか?
平井
週末はどうしてもっていう時以外は極力仕事をしない。『遊ぶ!』と決めています。
渡辺
例えば、何を?
平井
車好きですから色んなところに行ったりとか、自転車も好きなんでロードバイクでそこら辺を日曜日の朝にスピード出して疾走したりとか…。人事から「危ないからやめてください、轢かれないでくださいね。」とか言われるんですが(笑)。あとは家族がまだアメリカにいますから、毎月10間くらいはアメリカに帰っていて、週末に帰るので、一か月のうち2回の週末は家族とアメリカで過ごしています。
社員の意見を聞く環境を作るようにしています。実際に、「これは違うと思います」と意見をきちんと言いに来る社員も結構いるんです
齋藤
先ほど、CEOは決断の連続だと仰っていましたが、決断力のもととなる論理的なものの考え方や価値観、知識などはどこで学ばれたんでしょうか。
平井
これはですね、どちらかというと経験値がかなりありまして。2006年に今のポジションに着く前は、96年から10年近くアメリカのSCEグループ会社のトップをやっていました。そこでもアメリカのことに関してですが決めごとをやっていかなければならなかったんですよ。誰かにお伺いを立てると言っても、上司は東京ですから時差もありますし細かくチェックも出来ない。だから、“自分で決断できることはやって、怒られたら後で謝ればいいんだ”と決めてどんどん進める、というスタイルでやっていました。SCEのCEOの仕事も、アメリカという狭いフィールドとの広さの違いはあるものの、基本的にやっていることは同じです。
渡辺
お話を伺っていると決断なさるスピードが非常に速そうです。
平井
もっと速くないといけないですね。事柄によりますけれども、素晴らしい経営者は、情報が揃っていなくても今ある情報で決断することが出来る。それはすごいなぁと思います。そこまでできないですね。「これどうなっているの、教えてよ!」とどうしてもなってしまいます。
齋藤
よく言われるんですけど、アメリカでは小さい頃からロジック(論理性)を教わる。日本の場合はロジックというよりは経験などをベースに「こう考えろ」と言われる。そういう風にアメリカ、カナダという欧米社会の学習の仕方がご自分に影響を与えたといった部分はありますか?
平井
それはありますね。私の経験から言って、何事も、「私が決めたからこうだ」という主張ではアメリカ人とかカナダ人は納得しないですよね。何でそう決めたのかというのを説明して議論してやっと、「わかった」となります。最近の日本は、そういった傾向がだんだん出てきて良いと思っています。日本に帰ってきて2年になりますけど、公の場で社長に対して意見を言うのはやっぱり難しいでしょうから、いろんな社員の交流の場などを設けたり、「意見があるんだったらメールや電話、アポをとれば会って話をちゃんと聞くから」といつも言っています。実際、「これは違うと思います」と言ってきて、「何で違うか説明してみろ」というとちゃんと言う社員も結構いますよ。私も当然ですがスーパーマンじゃないですから相手が正しいと思ったら正しいと言いますし、良いアイディアの場合は、社内の事情ですぐに出来ない場合も、「今すぐは現実的には出来ないけど、それは良いアイディアだから採用するよ」と言っています。
学生を見る時の一番のポイントは目の輝き。「本当にこれを伝えたい」と思っている時の目は輝きが違います。
渡辺
今日、御社に伺ってエントランスに入ると、こんなに開放的な空間で、受付の女性たちが本当に綺麗で、可愛い制服を着ていて、入っただけでもさっき言っていらした、エンタテインメント、自分自身が楽しむ、といった考えを空気に感じました。御社の空気はどこから意図的に発されているんでしょうか?
渡辺
平井さんご自身、英語は強みの一つかと思いますが、SCEにもグローバルな文化が広がっているのでしょうか。
平井
SCEはですね、特に海外との接点が多い人たちは、海外経験のあるなしに関わらず比較的英語が上手な人が多い。だから、近々各地域のトップが来て、戦略会議が2日半あるんですけど、会議中は全部英語ですよ。そこでは基本的に通訳はつけない。どうしてもっていう時には通訳を一応介してっていうのはありますけど、言いたいことがあるんだったら基本的には全部英語で言ってもらう。日産さんとかは、「カルロス・ゴーン氏が来て、会議が全部英語になった!」と記事になるくらいでしたが、SCEの場合、それはあんまり不自然なことではないんです。ソニーは規模の大きな会社なので違いますけど、SCEはそこらへんにはすんなりと入る文化の会社だな、と特に日本に帰ってから感じましたね。
齋藤
その文化はどうやって出来たんでしょうか?
平井
必要にかられて英語を勉強した人もいるでしょうし…。『英検何級持っていないと採用しない』という規定は全然ないんですけどね(笑)。結構皆英語は使えますね。ビジネス自体がグローバルなビジネスをやっている中で、話さないと仕事にならない。
渡辺
ご自分の就職活動時には人間性というものを見てほしいと思っていたと仰っていましたが、SCEを受けにきた学生を見る時には、どんな点をご覧になるんですか?
平井
最近面接をさせてもらえなくって最終選考した人たちを紹介しますくらいしか言われないんですが(笑)、いろいろ質問はしますが、一番のポイントは目の輝き。これに尽きますよね。見た感じで違いますね。
平井
どんな事柄でも良いんですけど、話をしていて、本当に、“自分はこれが楽しい、エキサイティングだ、これを絶対伝えなきゃいけないんだ”と思っている時の目と、就職活動なんとかマニュアルで丸暗記してきたことをしゃべる時の目は違います。丸暗記の人って、話は流暢に流れるんですけど、目がぜんぜん違う。
渡辺
判断が外れることはあるのでしょうか?
平井
それはもういくらでもありますよ(笑)。でもね、打率はどのくらいか分からないですけど、当たる時はちゃんとビッグに当たるから良いんじゃないかと、その目の力を信じます!
齋藤後記
過密スケジュールの中でのインタビューであっと言う間に時間が過ぎてしまった。私も経営コンサルティングという仕事をしているために多くの企業経営者にお会いしてきたわけですが、日本人で本当の意味でグローバルな会社のリーダーと感じさせる人に会えたのは大収穫でした。ICUにはそのような人を生み出す素地があるので、ぜひこれらからも平井さんのような人がICUから出てもらいたいと感じたひと時でした。

2009年2月2日インタビュー実施

*“PlayStation”および “プレイステーション”は、株式会社ソニー・コンピュータエンタテインメントの登録商標です。

プロフィール

平井 一夫(ひらいかずお)
84年社会科学科卒業後、CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)入社。95年、ソニー・コンピュータエンタテインメントアメリカ(SCEA)に出向し、96年、SCEA EVP(Executive Vice President)及びCOOに就任後、President、CEOを経験。03年にSCEIコーポレート・エグゼクティブCOOとなり、07年に代表取締役兼グループCEOに就任。09年4月よりソニー株式会社 執行役EVP、ネットワークプロダクツ&サービスグループ担当を兼務。現在に至る。