インタビュー内容

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第44回 2014年4月8日
東京大学大学院理学系研究科 助教 神田真司

神田真司
プロフィール
2005年理学科生物(小林研究室)卒業。東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻で修士課程、博士課程修了。同研究室で特任研究員、特任助教を経て、助教へ就任。
生物学的な興味として「脊椎動物が元来どうあったのか、何が本当に一番大事な共通原理か」ということを僕は突き詰めたいなと思います。
齋藤
ICUの生物の小林牧人教授から、「今輝いている同窓生は神田さんです!」と非常に強力なご推薦をいただきました。教授から推薦いただくというのは初めてだと思います。
渡辺
よろしくお願いいたします。
神田
未熟者で申し訳ございませんが、よろしくお願いします。これから輝くように頑張りますので(笑)。
齋藤
今日は、ホームページに載っている神田さんの研究に関する資料に目を通してきたのですが、読んでも全然分かりませんでした(笑)。ド素人でも分かるように、先生がご研究なさっていることを簡単に教えていただけますか?
神田
僕が専門にしているもののひとつに、2003年くらいから注目を浴び始めた「キスペプチン」という生殖に関わる分子があります。なぜキスペプチンが重要かというと、ヒトにおいてその分子がうまく働かなくなってしまうと、第二次性徴(思春期)が起こらないんです。つまり、子孫を残せない。なので、哺乳類の生殖や繁殖において非常に重要な役割を果たしています。そのキスペプチンを真骨(しんこつ)魚類で初めて見つけることに成功しました。
齋藤
真骨魚類・・・?
神田
はい。アジとか、ああいうのは全部、真骨魚類ですけれども、我々人間を含む四足動物も、分類学上は全て硬骨魚類なんですよ。で、脊椎動物のなかに・・・(参考ウェブサイト)
渡辺
神田先生、すみません。あの「ヒトは、魚」っていう、それ前提の部分ですよね、まだ?「ヒトは魚」って、えーと・・よく知られたことというか、習うんでしたっけ、小学校とか高校とか。えーと、四足動物も魚なんですか?
神田
はい。脊椎動物という大きなグループの中に、軟骨魚類と硬骨魚類という魚のグループがあります。硬骨魚類にどうして硬い骨があるかご存知ですか?
渡辺
ご存知・・じゃないです。
神田
もともと、なんで骨ができたかっていうと、骨格としてできたのではなく、生き物の生命の維持に非常に大事なカルシウムを貯める場所として骨ができたんです。そして二次的な機能として、支える機能が出てきました。なので、そういった骨を得ることによって、大きな体になっても陸上に出られるようになったのです。だから我々は陸上で立って生活することができるのです。
渡辺
骨は体を支えるためではなく、まずカルシウムの貯蔵庫であって、陸に上がったのは副産物だったということですか?
神田
その通りです。哺乳類のことだけ分かったら、人間の病気などには対処できるようになります。しかし、生物学的な興味として「脊椎動物が本来どうあって、何が本当に一番大事か」という根本の原理を僕は突き詰めたいなと思いまして。そうすると、脊椎動物のなかで種の数が圧倒的に多く、医学分野で多く研究が為されている哺乳類と対極をなす真骨魚類という系統を調べたいんです。
渡辺
なるほど。その真骨魚類で神田先生が現在なさっている研究はどんなものなのでしょう?
神田
現在興味はふたつあり、ひとつは、神経内分泌学、と呼ばれるホルモンの調節を脳がどのように制御するのか、という神経回路を理解すること。もうひとつは、この”神経内分泌学”を構成するニューロンや遺伝子を材料に、進化のメカニズムを調べようとしています。これは、先ほどの哺乳類と真骨魚類の比較、すなわち、異なる動物がもつ神経伝達物質の遺伝子の機能を検証することによって、生き物が進化するメカニズムを推測しようという試みです。

例えば、生殖に関係する遺伝子Aについて、ヒトではA1という1種類しか持っていなくても、魚はA1、A2というように2種類もっている場合があります。ひとつしかなくても生きられるのに2つ持っているということは、きっと2つ存在する意味があると思うんです。もしかしたら、「A2がなくなった時に、A1が代わりをするのではないか?なくなった遺伝子の機能を、もう片方の遺伝子が保証(compensate)して、生き物の生存をサポートしてきたのではないか?」と思って仮説を立てました。これを検証すると何ができるかというと、それら遺伝子の機能が明らかになると同時に、実際に進化の過程で起こったことを再現出来るかもしれないのです。キスペプチンを使ってそんなことをやろうとしています。
渡辺
ということは、進化っていうのは、みんなが知っている言葉ですが、誰も見たことがないってことですよね?映画などでタイムマシーンはたくさん出てきていますが、みんな実際にタイムマシーンに乗ったことがないように。そういうことを進化の過程でやろうとしている、ということで合ってますか?
神田
そうですね。過去に起こったことをリプレイするというようなことをやりたいなと思っています。まだ途中なんですけど。
自分のジャンルをつくっていかないと生き残れないんです。周りの人がやっている真似だけしていると、多分途中で研究者としては死んでしまうんです。
渡辺
これだけ神田先生自らご説明いただいて・・・でも、「この人達ほぼ分かってないだろうな」とお話なさりながら分かっていらっしゃるとは思うんですが、すごく分かりたいという気持ちはあるんです。ただどうにも難しいのは事実で。しかし!頭のいい人って本当にすごいですよね。同じ大学出身者とは全く思えない(笑)。
神田
すみません、俗世を離れて10年近く経つので、どこまで常識なのか、だんだん分からなくなってきました(笑)。でも今日は、ヒトと魚でどっちが上等だとか下等だという話ではないということだけ分かって頂ければ僕はそれで嬉しいです。
渡辺
理系の方って、やっぱり私のようなヒューマニ出身の文系からみたら、とてつもないリスペクトを感じているわけです。同じ人間とは思えないといいますか(笑)。 哲学書でも、美術書でも、文学でも、難しいけど読めるは読めますよね。でも、数学、特に理学書はわけが分からないというか、どうしていいか分からない状態だったりするんです。神田先生のような理系の方って、理系も分かるし、文系も分かる、ということは分からないことなんてないんじゃないのかと思います。だから理系の人って、平たい言葉ですけど、とにかくすごいと思うわけです。
神田
そんなことないですよ。僕も別に、数字が得意なわけでもなんでもないので。物理とか、相対性理論とか全然分からないですよ。
渡辺
え?ちょっとほっとしますけど・・生物学は、ご自分のジャンルだから分かるということですか?
神田
そうですね。あとは結局、自分のジャンルをつくっていかないと生き残れないんです。周りの人がやっている真似だけしていると、多分途中で研究者としては死んでしまうんじゃないかと思うんです。僕が研究している遺伝子がひとつなくなっても他の遺伝子が保証するというような仮説で、細胞レベルの検証をしている人はちょっと調べて見た限りいなかったのではじめました。遺伝子の機能を解析している人はたくさんいますが、同じことをしても意味がない。じゃあ、今まで研究してきたキスペプチンという分子をモデルにして、一般的な進化のメカニズムの一部を明らかにしたいと思って始めました。他にやっている人がパッと見ていなかったので、ここがいけるかなと思ったんです。もちろん、こういったリスクの高い仕事の他に、地道に形態学、生理学といった手法を使って神経回路を調べる仕事も行っています。
人生は一度きりじゃないですか。そしたら、ダメでも良くても何でもいいから、自分がしたいことを出来るようにしたい。それでダメならダメでしょうがない。とりあえずはやってみようと。
渡辺
小さい頃から、動物や生態がお好きだったのですか?
神田
釣りが好きでした。
齋藤
ホームページのプロフィールに 「音楽、ギター、野球、磯釣り(順不同)」 と趣味が書いてありましたね。最後に「順不同」って書いてあるのが非常に不思議だったのですが、趣味は自分が一番よくやっている重要な順に並べるのかなと思ったのですが、そうではないんですね?
神田
みんな好きなんです。かけた時間が大事かっていうと別にそうではなくて、趣味に順番はつけられないのでこういう書き方にしました。
齋藤
そういうことですか!普通、時間配分からするとこの順だなってみんな書くような気がするので、この「順不同」にいたく感動しました。
渡辺
釣り、お好きなんですね。
神田
はい、本当に好きです。
齋藤
研究の魚とはあまり関係ないのですか?それとも釣りが好きで、魚に対する興味が出てきたのですか?
神田
最初は魚が好きで、魚の研究がしたいなという風に研究を始めています。
渡辺
釣りの他にはどのようなことをしていた少年だったのですか?やはり、最初から理系に強かったんですか?
神田
そんなことないですよ。ちなみに僕の成績はずっとすごく悪かったです。
渡辺
それは小学校で?
神田
小学校では普通でしたけど、中学から私立に入って、中学、高校と成績は悪く、大学でもやはり良くはなかったです。
渡辺
ご両親は「勉強しなさい」っておっしゃったり、厳しくなさいましたか?
神田
「勉強しなさい」とはよく言われました。小学校の時は「勉強しなさい」と言われたら勉強するんですけど、だんだん反骨精神を蓄えてきて、「勉強しなさい」と言われれば言われるほどやりたくなくなるっていう感じで、中学と高校はあまり成績が良くなかったですね。その後「ちょっとまずいな」という風に思い、「自分が何をしたいんだ」ということを考えはじめ、自分のやりたいことには正直でありたいと思うようになりました。
齋藤
それはいつ頃思われたんですか?
神田
大学時代ですね。高校の頃に研究をやりたいなと思い始めましたが。なんでかというと、人生は一度きりじゃないですか。そしたら、ダメでも良くても何でもいいから、自分がしたいことを出来るようにしたい。それでダメならダメでしょうがない。とりあえずはやってみようと。そんなに甘くはなかったわけですけど。
齋藤
その頃に「研究したい」っていうのは、「おぼろげに研究したい」っていう感じだったのですか?それとも「魚の研究やりたい!」みたいな気持ちがその頃からあったのですか?
神田
僕はサカナ君さんではないので、おぼろげに研究したいな、と。
齋藤
それでなんでICUを選ばれたんですか?
神田
国立大学を受けていたのですけど、親に「ICU受けてみたら?」と言われて、受けたら入れて頂けて。たまたまですけど、入学金の振込の時期が一番早かったんです。どうせ大丈夫だろうと思って何も考えていなかった割には、蓋を開けてみたら国立が不合格だったので自動的にICUに入ることになりました。受験勉強って、満点が10割だとすると、8割5分できているか、9割できているか、っていう部分で評価されますよね。もしかしたら自分は7割できる実力しかなかったかもしれないし、9割できる実力があったかもしれない。けれども、その時のコンディションでたとえば8割の結果を出して、入れる大学には入れる。それでダメなところはダメっていうのが受験ですよね。浪人というのは、最後のブラッシュアップである8割5分にするか9割にするか、というところに人生の1年を使ってしまう。浪人することも検討したのですが、同じところで足踏みをするのに1年を費やすよりは、次のもっと新しい、広い分野を学びたいなと思ったので、浪人せずにICUに入りました。あとICUに対してはポジティブな印象もあったので。
渡辺
どんな点がポジティブな印象でしたか?私なんか、「わー広い!気持ちいい〜!」とかそんな感じでしたが・・・(笑)。
神田
そんな感じです(笑)。あとは、横文字ばっかりでちょっと胡散臭いなと(笑)。
齋藤
なるほど。確かに。
渡辺
分かる気がします(笑)。理学科に入学されたんですよね?入った時に、「こういう研究がしたい!」という気持ちは、もうお持ちだったのですか?
神田
いえ、なかったです。今振り返って、あまり早い時期に何がしたいかを絞ってしまうとその先を狭めてしまうので、若い頃は色んなことに興味を持つことが大事だと思います。その時は「生物をやりたいな」とは思っていました。でももしかしたら、植物の研究をしていたかもしれないし、それは運命というか、出会いでしょうか。
齋藤
その出会いというのは、どういう出会いでしたか?
神田
小林教授は僕が2年生くらいの時に、ちょうどICUに着任されたんです。僕の好きな魚の研究をご専門とされている先生で、そこで魚の研究が出来るということで、小林教授の研究室に入って、卒業研究で1年間お世話になりました。その小林教授のお知り合いで、同じ分野で研究なさっていた東大の岡教授の研究室(現在所属している研究室)に大学院から入りました。なので、そんなに計画的に動いたわけではありません。
齋藤
なるほど。先ほど、大学の時の成績もあまり良くなかったとお話しされていましたが、それでなぜ小林先生は東大の岡教授を紹介されたんでしょうか?
神田
それは、僕が毎日真面目に生きていたからだと思います(笑)。理系の研究室って、教授も学生も毎日一緒に過ごすわけです。そうなってくると、その人が成績良いか悪いかということよりも、その人と話して楽しいか、楽しくないか。この人信用できるか、できないか、ということの方がすごく大事になってくるんです。会社でもそうですよね。会社の同僚で、計算は苦手だけど文章がすごくうまい人とか、文章はそんなにうまくないけど、話しているとすごい楽しい人だったら、「一緒に仕事しようかな」って思うじゃないですか。「外の人に紹介しても良いかな」とか。多分そういう部分はあったんだと思います。
齋藤
なるほど。でも、「この人すごく真面目で一生懸命やっているけど、きっともっと大きな可能性を秘めてるぞ!」みたいな部分がなければ、あまり外に紹介しないと思うのですが。
神田
もちろんそうなんですけど、大学院の段階ではまだ受験して入るということなので、「こういう人行くよ」くらいだったと思います。
自分の興味あること突き詰めていきたいです。「科学全体の裾野を広げる」ということを、自信をもってやっていかないといけないと思っています。
渡辺
ICUの理学科で4年過ごされて、その後すぐに東大の院に入られて、その後は?
神田
同じ研究室で特任研究員というのをまず2年間やって、その後の半年間は特任助教というのをやって、その後、助教になりました。
渡辺
今ご説明になっただけでもトントン拍子にという感じがするのですけど、こういうケースはかなり珍しいのではないでしょうか?
神田
おそらくそうですね。今のアカデミックの分野はすごく就職難なので。
渡辺
一番短い言葉でいうと、「実力」ってことなんでしょうけど、それはすごいことですよね。
齋藤
やっぱり、人がやっていないところに新しい発見を見出すところに情熱があるのが良いんじゃないかと思います。一般的に、そういう新しい発見を見出すっていうのは非常に難しいと思うのです。なぜそういう風にうまくいったと思いますか?
神田
職に関しては、絶対に運が強いです。僕よりも優秀な人が職を得ていないケースは数えきれないほどありますので。ただ、僕が就職できてひょっとして良かったかなと思うのは、今問題になっているNature、Cell、Scienceといった有名雑誌に論文を出すことにすごく主眼が置かれている状況で、僕はわりと堅い仕事ばかりやってきているんですね。「堅い仕事だけど、絶対に嘘は書かない」というスタンスでやってきて、それを認めて頂けたというのはすごく嬉しいところです。
渡辺
なるほど。東大の助教でいらっしゃると、一日の生活は、大体どんな感じなのでしょうか?
神田
大体7時半〜8時くらいに起きて、9時くらいまで家でメールを打って、大学に来て自分の実験をやったり、事務仕事やったり、教えたり、研究の話をしているうちに夕方になって、20時くらいに帰る感じですね。
渡辺
ご自身の研究をなさったり教えたりというのは、規則的に毎日同じではないんですね?
神田
そうですね。昔は朝から終電ぐらいの時間まで実験をするハードワークな生活をしていたんですが、去年アメリカに半年くらい行ってきて、生活スタイルが変わりました。アメリカの皆さんは、18時にパッと帰るんですね。その生活すごく良いなと思いまして。研究と教育へしっかりとプライオリティを置いて、出来る範囲でやる。日本の大学ってデスクワークが多いんですよ。時間を区切ってデスクワークをなるべく早く終わらせるようにして「自分が何を要求されているか」ではなく、「自分が何をやるべきか」ということに忠実でありたいなと思うようになりました。
渡辺
大学のデスクワークって例えばどういうことなのですか?
神田
例えば、誰かの書いた論文を査読したり、何か物品を購入しないといけない時にその書類をつくったり。あとは自分の研究の予算を申請するための申請書づくりですね。
渡辺
それを全部自分でなさらないといけないんですね?
神田
全部自分でしないといけないです。なので、HPに載せているような研究の図も自分で作らなきゃいけないんですよ。
ホームページより転載。


渡辺
それをずっとなさっていると、本来の研究をする時間がかなり幅寄せされて少なくなるということですね。今は、なさりたい研究を良い環境の中でできているという状態ですか?
神田
そうですね。自分で良い環境にしようとしているかな、という感じです。
齋藤
将来的には、どういうところを目指しておられるのでしょう?この研究を見極めるところまでずっとやって、見極めたらまた次へいく?あるいは、東大を出てアメリカの大学にでもいって、そこでまた次の新しいチャレンジ始めようとか?
神田
場所はどこでもいいです。環境が良ければよくて、ただ、「今こういうことをやったら、次のこれが気になってきた」っていう風に、自分の興味あること突き詰めていきたい。それが、科学の裾野を広げるような研究になれば、理学としての職務は全う出来るのかなと思っています。理学というのは医学、工学、薬学、農学と違って、純粋な基礎科学なのです。基礎科学というのは、何かの役に立つとかっていうことを、本来考えてはいけない分野なんです。
齋藤
おそらくそうだろうなと思っていました。僕のようにコンサルティングをやっている人間というのは、研究がどれくらいの富の創造につながるのか、みたいなことをすぐ考えてしまうのです。これは何の役に立つのかというわけではなくて、純粋に生物の神秘を見極めていきたいということですかね?
神田
おっしゃるとおりですね。そこの中から、医学に役立つかもしれない発見が出てくるかもしれないです。税金で研究している以上、私自身もそういう部分の示唆を発信していく義務はあります。ただ、その基本的な一番の義務としては、やっぱり「科学全体の裾野を広げる」ということを自信をもってやっていくことだと思っています。わりと最近「応用」というのを意識させられる部分が多いのですけれども、実際のところ、何が役に立つのかって分からないんですよ。例えばDNAの存在すら知らなかった100年前の人間が、今この社会で再生医療が役に立つかなんて誰も想像できなかったでしょう。相対性理論を思いついたアインシュタインも、原子力発電で社会が豊かになるとか、あるいは核戦争になっちゃうか、そんなところまで当時の人達は予測は出来ないんですよ。ということは、我々が今21世紀の現代に何かを研究して、役に立つと思っていることは、将来的には実はあまり役に立たないことかもしれない。一方で、誰かが何の役に立つかわからないことをやっていても、それが100年後にとてつもない応用に繋がる可能性もあるのです。何が役に立つか分からないので、人類の文化としての知識を広げていく。そこの中で、誰かがたまたまブレイクスルーをつくってくれれば良いですし。なので、それぞれの研究者が地道にやっていくのが大事だと思っています。
科学は野球以下で、1割当たれば強打者なんです。この仮説があっているか間違っているかは、これから実際に証明していかないといけません。でも僕はこれで何年間かエンジョイできるんです。
齋藤
なるほど。話が戻るのですが、先ほどお伺いした趣味の野球、ギター、釣りって、子供の頃からずっとやられていたんですか?
神田
ギターは、受験時代に友達が誰も遊んでくれなくなって、自分一人で遊ぶ方法っていうのを考えたらちょうどいいところにギターがあったので、それから始めました。
渡辺
受験一色!という受験生ではなかった?
神田
じゃないですね。だったらもっと成績は良かったと思うんです。
渡辺
先ほどからお話をうかがっていると、神田先生は、「絶対良い成績とってやる!一番になってやる!」という猪突猛進というか、自分を客観視しないで主観100%で突き進むタイプではないですよね?
神田
ではないですね。昔から。基本的に、自分の能力には常に疑いを持っているので。
渡辺
その考え方はどこからきているのですか?
神田
家では末っ子なので、いつも上の大人たちと比べられることが多かったですので、あまりいい評価を受けたことは少ないです(被害妄想かもしれませんが)。また、僕は中学の時に野球部に入ったんですけど、監督と非常に相性が悪く、野球が大嫌いになって辞めちゃったんです。自分はできないことがあるなーと思いました。もちろん、プロになれると思ったことは一度もありませんでしたが。 それで野球は中高一貫だったのに、高校では退部し、煮え切らない感じで生きてきたんです。それで大学3年の時に、「なんかいつも逃げてきた気がするのは何でだろうな?」と思ったら、最初に逃げたのがそこかと思いまして。それでもう一回野球をやって、レギュラーになれてもなれなくてもいいから自分が満足するまでしっかり一回やってみよう!と思い、野球部に入ったんです。
齋藤
ICUに野球部があったんですか?僕の時なかったですよ!
渡辺
わたしの頃も、ありましたよ。なさってみて、好きになりましたか、野球?
神田
はい、そこで先ほど挙げたように、趣味にできたんです。
渡辺
さっき話された小林先生との出会いだったり、縁って不思議なものですよね。大学って、自分が選び大学からも選ばれて入るわけですけど、その4年間でどういう先生に出会いかは縁ですし。もしも中学の時にものすごく気の合う監督がいらしたら、もしかしたら人生変わっていたかもしれないですよね。 中学の神田少年が感じた野球と大学の時の野球は、違いました?
神田
そうですね。中学の時にやらされている感じですごく嫌だったのが、だんだん20歳くらいになって「自分でやろう」って思えるようになってきたのかなと思いますね、何事に関しても。
渡辺
だから趣味と呼べるようになったんですね。でもそれで、自分の能力に疑いを?こんな突出した能力なのに・・・。
神田
そうですね。でも科学者って基本的にはそうあるべきだと思うんですよ。そうでないと嘘のデータを発表してしまう人がたくさん出てきますので。学生をみていても、「全然データでない」、「でない」、「でない」、「でない」って言われて、ぱっと「出た!」って言われたら、「良かったな!」って思いますけど、いつも「良いデータでました」、「良いデータでました」、「良いデータでました」って言われるとちょっと不思議に思ってしまいますし、実験の再現性を取れるか、慎重に検証し直す必要があるように思います。科学は野球以下で、1割当たれば強打者なんです。
渡辺
ということは、「わーい!」っていう瞬間が結構少ないということですか?
神田
あまりないですね。
渡辺
そうすると、なかなか前が見えなくて、小さながっかりがつながるっていう状態なんでしょうか?
神田
そうですね。でも小さな喜びとひらめきもあります。地道にやってデータが出て、「でも違うかもしれない」と思って、もう一回やってみる。もう一回やって同じ結果が出た。そしたら他の研究と比べてみると、こういったつじつまの合わないところがある。なんでだろう?って悩んでいると、パッ!といきなりひらめく時があるんです。
渡辺
なるほど〜!ひらめく時っていうのは、どんな時ですか?研究室でですか?
神田
朝起きた時に突然ひらめくこともありますね。昼間うとうとしちゃっていきなり思いつくこともあります。寝ている時って悩んでいることを無意識で考えてるんでしょうね、起きているときよりも柔軟に。今研究している遺伝子がひとつなくなって、もう一つが補償して、という研究の仮説を思いついたのも、実家でゴロゴロ寝ていた時なんです。猫がいつも寝てる場所で僕が寝たから、猫がその場所を追い出されたんですよ。で、鳴きながら逃げて行っちゃって。その時、「追い出すんだ!」って突然うたた寝の中でひらめいたんです。
渡辺
ドラマみたいですね!そのシーンを映像化できそう。
神田
でも、この仮説があっているか間違っているかは、これから実際に証明していかないといけません。でも僕はこれで何年間かエンジョイできるんです。
渡辺
エンジョイ?
神田
はい、エンジョイできるんです。僕の考えがあっているか間違っているかっていうのを突き詰めるんです。
渡辺
「やったー!」って瞬間は少なくて、地道な努力を続ける中で、袋小路に入ることもあるかもしれないけど、それ全体をエンジョイってことですか?
神田
そうですね、エンジョイ。
努力したら報われる世の中ではないですけども、努力しなければ報われない。自分に「何が足りないんだ?」ってことを、周りをみて考えて。それを突き詰めるまで努力するっていうことを、20歳過ぎて学びました。
渡辺
高校生の時に研究生活をしたいなって思っていらした研究生活と、今の生活はあまり違わないですか?
神田
大分違いますね。
渡辺
どんなふうに?
神田
何かふとしたことで、パッと一番良い結果を得る可能性をもっているのが研究かなと思っていました。というのも、僕は中高一貫の私立に通っていて、優秀な人が周りにたくさんいるところだったんです。当然、平均点なんてとれないような生活だったので、この人達と普通の正当な勝負をしたら絶対に敵わないって思っていたんです。でも、賢い人たちにも、バカのひとつの思いつきで勝負できるのが研究っていうものかな、と。大体テレビで紹介している研究って「パッとみたら大発見しました」とか「間違えて混ぜたらできました」とか、そういうのばかりなので。実際にやってみると、本当に地道に地道に進めるもので、「なんで俺が一番地道になっているんだろう」って思うような感じです。
渡辺
研究者をやめようと思った時はありますか?
神田
めちゃめちゃ辛い時はあります。大学院の時に、自分は給料もらわずに学費払いながらやっているわけじゃないですか。そういう時に、良いとか悪いとかじゃなくて、同級生で「なんとなくどこどこの会社に入った〜」っと言いながら就職した人達が車を買ったりしていて、「なんで自分は自分に正直に突き詰めようと考えて進んだのにひどい思いをしているんだろう?」、「なんであまり考えてなさそうな奴が、自分よりいい気持ちになってるんだろう?」って思ったことはありました。でも、自分でやりたいって言ったんだから受け入れる以外にないですよね。そこはとにかく乗り越えるしかなかったので、頑張りました。努力したら報われる世の中ではないですけども、努力しなければ報われないので。なんで自分が認められないんだ?って思っていた時期はありましたけれども、それは「認められるまでまだやっていないから認められないのだろう」という風に考えられるようになりました。スポーツでもそうですよね。仮に既にうまくても、使われない。じゃあ何が足りないんだ?ってことを、周りをみて考えて。それを突き詰めるまで努力する、認めさせるまで目一杯やるっていうことを、20歳過ぎて学びました。
渡辺
それは徐々にそういう風に思えるようになったんですか?
神田
はい、そうです。
齋藤
でもそういう風に思える人はそんなにたくさんいないですからね。20いくつでそういう考えができるようになったなら、大したもんだと僕は思います。
渡辺
確かに・・。すごい30代、40代になりそうですね。
齋藤
今地道なことやってらっしゃるじゃないですか?僕自身の生活から考えると、仕事はものすごく必死にやるんですけど、片方で、「待っていても楽しいことはやって来ない」っていうことを知っているので、楽しいことは自分でいっぱいつくるんですよ。そうすると、仕事もそれ以外もすごく面白くなってくるんです。だから、特定の分野のことを地道に突き詰めていく研究者っていうのは、別の世界も知ってみると、そのことがひとつのきっかけとなって研究をもっとaccelerateするようなことにつながるんじゃないかな、と僕は思うんですが、何かそのようなことはありますか?
神田
ありますね。去年、半年間ワシントンDCに行っていたのですけど、あちらは日本人というだけで、横のつながりがものすごくできるんです。「日本人の友達の友達の誰か」みたいな感じで、全然違う業界の人達と飲んだりします。日本ではそうはいかないですが、向こうではそれが成り立つんです。それがすごく良かったです。商社の方とか、アメリカの政府系の機関で働いていらっしゃる方とか、もちろん研究者の方もいらっしゃいました。そういう方々とアフター5を楽しむことが結構あって、こっちに帰ってきてからもそういうつながりを大事にしたいなと思って、日々肝臓を鍛えてます(笑)。
齋藤
なるほど!自分の知らなかったことを見せてくれる人達がいると面白くなってきますよね。さっき「科学の裾野を広げる」っておっしゃっていましたが、あれすごく良いことだと思うんです。それと同じように、「自分自身の生活の裾野」を広げると、得られるものいっぱい出てくる。そうすると面白くなってくると僕は思います。長いこと生きている者からすると(笑)。
渡辺
そういう機会がないと、きっと研究者の方って異業種との接点がなかなかないですよね。アメリカの研究者の生活と日本の研究者の生活って違うのでしょうか?
神田
そうですね。アメリカは18時になるとみんな帰ります。日本は0時までいるのが美徳とされている場所は多いと思います。
齋藤
まだ今でもそうですか?
神田
今でもそうです。
渡辺
じゃあ、「ここで切り上げる!」っていうのはある種の勇気が必要なことなのですね。それを今は実践してらっしゃる?
神田
そうですね、出来るだけしています。
渡辺
以前よりも早く切り上げて、今はどんな風に生活してらっしゃるんですか?
神田
飲んでいます(笑)。あとは高校や大学時代の友達と会ったり。先週末も大学の友達とICUに花見に行きました。久しぶりに友達と会うと子供の心に戻るしいいんですよね。いつもと違った考えが出てきます。
渡辺
神田先生は今おいくつですか?
神田
31歳です。
渡辺
31歳でこのポジションにいらっしゃる方って、東大の中ではお若い方ですよね?色んな研究者の方がいらっしゃると思いますけど、どのくらいの先のビジョンまで考えるものなのですか?東大にはあと何年くらいいてとか、ある程度計画するものなのですか?
神田
たしかに若い方ですね。でもあまり長くいすぎると若い人達のためにならないので、出るべき時がきたら、このポジションは出ないとまずいなとは思います。
齋藤
出るというのは、東大を出て別の大学に行くということですか?
神田
その可能性もありますし、別の研究所かもしれないし、同じ研究室かもしれないです。
齋藤
それは、指導してくれている教授がやっぱり重要になってくるわけですか?例えば企業ですと、すごく出来る人だと引っ張り上げてくれる人が必ずいるんですよね。「君こういうのあるけど、どうだ?」みたいな感じで。
神田
そういったこともあると思います。なので、人のつながりというのはすごく大事だと思います。
自分が本当にやりたいことを目一杯やってダメなら、またその時に考えればいいです。びびらずに、自分の思いを突き詰めて欲しいです。
渡辺
まだご結婚はなさっていないんですか?
神田
していないです。
渡辺
視野には入っているんですか?
神田
あまり考えたことないんですよね・・・。
齋藤
真理ちゃん、今日はなんでそういう質問をするの?珍しいね(笑)。そうか!考えてみたら、若い人だからですね。今までこんなに若い人にインタビューしたことあんましなかったですもんね。
渡辺
はい(笑)。研究者としての人生プラス、神田先生としての人生はこれからどんなふうに歩んでらっしゃるのかな〜?と思いまして。神田先生はどんな感じの女性が好きなんですか?
齋藤
きた!(笑)。
神田
どんなタイプ・・・ですか。・・・結構色々好きなんですよ(笑)。
渡辺
例えば?
神田
どう答えればいいんですかね・・・攻撃専門なので・・・(笑)。
渡辺
でしょう?いつもは聞かれない質問をすると、いつもと違う脳の部分の活性化につながるかもしれませんよ。
神田
そうですね。ちゃんと話を聞いてくれるって大事なポイントじゃないでしょうか。あとは具体的ではなくても、その人自身が夢を持っているとか、何かを突き詰めようと思っている。そういうのがあれば、それが一番良いかなと思います。
渡辺
きっとすごく素敵な、強力なパートナーが将来現れるんだろうなっていう予感がします(笑)。でも、神田先生ご自身、あまりガーっと怒ったり、それこそ恋愛につんのめったりなさらなそうですよね?
神田
そうかもしれないですね。ただ怒る時は、結構怒っちゃうんですよね。
渡辺
あ、怒るんですね?怒鳴るとかじゃなくて、黙る感じですか?
神田
いや、物を壊したりします(笑)。
渡辺
本当に?どういう時に?
神田
思い通りにならない時とか、自分がだめな時に、うわーーーー!となって。若い時は大分物を壊したりしましたね。
渡辺
ちなみにどんなものを壊すんですか?
神田
発泡スチロールとか・・・そこは平和的に。夜の校舎の窓ガラスを割ったりはしませんよ(笑)。
渡辺
女の人が怒ってティッシュボックスの中身全部出す、みたいな感じですか?
神田
そういう感じです!!!
齋藤
え?ティッシュボックスの中身を最後まで出すの?笑)
渡辺
出しますよ。一枚一枚出すんじゃなくて、全部引っ掴み出したりするのも、いいんですよね。女の人は、お皿を割ったりすると片付けるのも自分だって分かっているので、値段が安くて片付けるのが便利なものにしとくんです。ちょっと冷静になって、あ〜もったいないことしたな〜とか思いながら、それであちこち拭いたりもします。わたしの場合ですけど。話が逸れましたけど(笑)、研究で思い通りにならない時に怒るんですか?
神田
研究でもそうですし、人間関係でもそうですし。釈然としない時とか、なんでこんな馬鹿な失敗したんだろうという時ですね。職についてからはそれを抑えてたんですけども、そうしたらちょっと鬱っぽくなってきたんですね。
渡辺
それは20代後半ですか?
神田
20代後半から去年ぐらいまで。年とって丸くなってきたなって。
渡辺
まだまだ年とっていないですけど・・・(笑)。丸くなっていらしたんですね?
神田
あんなにカッカしてたのに、すごく丸くなってきたなって。周りにも言われました。でもアメリカに行って、我慢することがあんまりなくなったんです。他人が変なことしたのをおとなしく片付けるという中間管理職的な役割とか、やる気のない人の世話をするとか。本当は嫌いなのに、それを仕事だからやらなきゃいけないなと思ってやっていたんですけども、そしたらいつの間にかそういうのが当たり前になってきて。でもアメリカに行ったらそういう仕事がパっとなくなったわけです。
渡辺
そういう社会だったということですか?
神田
向こうで自分より下の立場の人がいないですし、客員研究員なのでそもそも人の世話をしなくていいわけです。なので解放されましたし、基本的に周りはそれぞれの人生に対して、やる気ある人達だけだったんですね。そしたら、ちょっとしたことに対してイライラがくるようになったんですよ。「ヤバイ、昔の感覚だ!」と思って。その時に「僕ってただ単純に抑圧してたんだ」と気付きました。仕事に就いたから、これをやっちゃいけないとか、物壊しちゃいけないとか、怒鳴りつけちゃいけないとか、何とかしたら懲戒になっちゃうとか。あれしちゃいけない、これしちゃいけないということばっかり考えて、自分で自動的にブレーキをかけていたんですね。そのことに気付いてこっちに帰ってきてから、「じゃあ自分は本当は何やりたいんだ」って考えて。「懲戒とか上等だ」と。「もしクビになったらアメリカにでも行ってやる」という気持ちで生きるようにしたらすごく楽になりました。
渡辺
良かったですね。
神田
はい、すごく良いきっかけになりました。
渡辺
最後に、ICUを目指している若い方たちや、ICU生で今勉強している学生の皆さんにメッセージをお願いします。
神田
自分が本当にやりたいことが何かを、自分に正直になってしっかり考えて、その一番やりたいことを打算なしに突き詰めていただきたいです。目一杯やってダメなら、またその時に考えればいいです。一生懸命やった人を拾う人はいっぱいいると思いますので、びびらずに、自分の思いを突き詰めて欲しいです。

プロフィール

神田 真司(かんだ しんじ)
2005年理学科生物(小林研究室)卒業。東京大学大学院理学系研究科 生物科学専攻で修士課程、博士課程修了。同研究室で特任研究員、特任助教を経て、助教へ就任。研究分野は神経内分泌学、進化学。趣味は音楽、ギター、野球、磯釣り(順不同)。
http://www.biol.s.u-tokyo.ac.jp/users/naibunpi/kanda/