INTERVIEWS

第45回 武野 顕吾

臨床心理士・プロスポーツセラピスト 

プロフィール

武野 顕吾(たけのけんご)
国際基督教大学では臨床心理学を学ぶ傍ら硬式野球部に所属、卒業後には監督も務める。一般企業に就職したのち大学院へ戻り、臨床心理学を専攻。博士前期課程卒業、後期課程退学。2004年より臨床心理士として7年間横浜ベイスターズと契約。現在もプロ野球選手をはじめ各プロスポーツ選手、経営者など多岐にわたる顧客に対し、心理面の能力向上のためのサポートを行っている。
心理学に出会ったのは大学一年生のとき。人の心のように世の中には正解がないものがたくさんあって、見えないものでも理論を学ぶと見えるようになるという感覚をもらったような気がしました。
渡辺
このページで、臨床心理士の仕事をなさっている方にインタビューするのは初めてかと思います。
齋藤
精神科医の方はおられたけど、臨床心理士でしかもスポーツ関係に携わっている人は初めてですね。
渡辺
でもそれ以前に武野さんとわたしは運動部同士一緒だったので、わたしにとっては武野さんのICU当時のユニフォーム姿の印象が強くて(笑)。
武野
お恥ずかしい限りです(笑)。
渡辺
実際、ICUからスポーツプロの道に進まれる方は少ない中で、臨床心理士という形でプロの世界を歩むことになったいきさつをまず教えていただけますか?
武野
僕はもともと社会科学科で社会学をやろうと思っていたんですが、一年の春学期にローグレをとってしまって…(笑)。この大学に4年間いられないかも…と思っていたんです。ところが次の秋学期に小谷先生という、今の僕の師匠である方ですが、その先生の授業をとったら本当におもしろくて。「こんな学問があるんだ!」と感動しました。そこからは、もういつも一番前の席に座って食い入るようにしていましたね。その授業はおかげさまでAをもらうことができました(笑)。
渡辺
その授業はどんな風におもしろかったんですか?
武野
そうですね、「人の心って一人一人違うんだ、一人一人に考えや気持ちがあるんだな」ということが改めてはっきりしましたね。それまでは「これはこういうものだ」「こういう時はこう考えるものだ」という、ある種の枠にはまった教育が多かった中で、その授業では「一人一人違っていいんだ」ということに気づくことが出来て、それがとてもおもしろかったんです。心という見えないものでも、理論を学ぶことでそれが少しずつ見えるようになる、理解出来るようになるという感覚をもらった気がしました。
渡辺
でも武野くん、もともと専攻は社会学ですよね?
武野
はい。でもやっぱり心理学がおもしろいなと思い、1年生の後半から心理学の授業を多くとって転科することにしました。成績はぎりぎりだったのですが…(笑)。そしてなんとか転科することができて、これもまたインパクトのある記憶なのですが…2年生のときの話です。本館にラウンジってありますよね?
渡辺
懐かしい!自販機とかバルコニーがあって、和める場所ですよね。
武野
はい、そうです!その頃、バンドをやっている知り合いがいて、そのラウンジで授業の合間にそいつと喋っていたんですね。彼はけっこうユニークなやつでして、ちょっとHな(笑)、過激な歌も歌ったりしていたんですけど、その会話の最中になぜかピーンと、頭の中にあるインスピレーションが湧いたんです。それは、アメリカに行ってプロ野球チームにサポートスタッフとして入り、昼間は練習の手伝いや球拾いをして、夜はカウンセリングをして、翌日はまたバスに乗って次の街に移動して…っていう内容で。そういう仕事ってできないかなって思ったんです。
齋藤
なんか、あんまし関係がなさそうですけど、おもしろいですね(笑)。
渡辺
そういう仕事があるって、わかっていたんですか?
武野
いや全くなかったですね。その時はそいつと音楽の話をしていたんですけど、ある瞬間に“びゅんっ!”とビジュアライズされたというか、映像のイメージが今でもはっきり思い出せるくらいハッキリと見えたんですよね。
齋藤
そのバンドの人が世界中をツアーで廻っていたというか、そういうのからだったんですかね?
武野
今考えると、何でなんでしょうね(笑)?その頃僕は野球部で野球をやっていて、野球が好きで、心理学も好きで、じゃあその二つをくっつけちゃえばいいや!って思ったんですよね。その頃からプロの野球チームをサポートしたいな、と漠然とは思っていたんですけどね。
日本の会社に就職したのですが、どうしてもあのインスピレーションが忘れられなくて一年間野球をしにカナダへ行ったのです。現地の子供たちは小学生の時から地域を背負うプライドを持って野球をやっている感じがしました。
武野
そこで、卒業するときは就職するか迷いました。TBSを受けたときには渡辺さんにお会いして、「がんばってね!」とも言っていただいて(笑)。
齋藤
へ〜、それはずいぶんとローカルな良いお話ですね(笑)。
渡辺
言っていただいた、なんて(笑)。私の行動半径は吉祥寺までくらいでしたから、就職活動で突然、赤坂という街に行くこと自体、及び腰というかビビったというか。ICUではハイヒールを履くことなんかなかったしね(笑)。すみません、余談で。そして結局、就職するという道に進まれたんですよね?
武野
はい。SONYに就職して4年間勤めました。
渡辺
でもSONYといったら、その時も今も就職生に人気の高いすごい企業じゃないですか。
武野
やめるときは最初親に呆れられました(笑)。でも、やっぱりあのイメージが忘れられなくて、それを追う人生の方が自分にはいいんじゃないかなと思いまして…。
渡辺
でもSONYに入ってみて、楽しい面もあったんじゃないかと思うのですが、仕事の内容としてはどんなことをなさっていたんですか?
武野
僕の仕事は取扱説明書を作る仕事でした。技術者の方々が設計したものを一般の方々にもわかりやすいように翻訳する仕事、という感じでしょうか。僕の担当はオーディオコンポでした。CDやカセットデッキ、アンプやチューナーが一体化した製品ようなものですね。
渡辺
男の子ってそういうの好きですよね!
武野
SONYの商品が子供のときから好きだったんです。就職するなら一番好きなところに行きたいと思っていたら、運良くそこに行くことができたので。
渡辺
だったら楽しかったでしょう?でも、やっぱりあのインスピレーションが離れなかったと。
武野
そうなんですよね。
齋藤
でも4年経って辞められたじゃないですか。そのきっかけって何かあったんですか?徐々に思いが募っていったのか、それともあるきっかけがあってこれだ!となったのか…。
武野
う〜ん、徐々にでしょうかね。やはり自分がやりたいと思っていることが、時間が経つにつれて自分の中でよりハッキリしてきて、自分の感情に素直に生きることが私にとって一番大事なんじゃないか、と思ってしまったんです。
渡辺
ICUの卒業生に多い傾向かもしれないですよね。大企業の中に身を置いてみて、自分のやりたいことってこれかな?って疑問符がつく瞬間。
齋藤
これに関してなんですけど、この前の東洋経済の大学ランキングの中でICUがすごく低くなっていってるんですけど、その中の一つの重要なメジャメントに「日本のTOP企業300社に入っている人の割合」っていうのがあったんですよね。これが極端に低い。大企業に入っても辞める人も多いし、ICUって大企業だから行くというわけでもなく、小さくても面白い会社であれば小さくても行くし…だからその割合が競合大学よりも低くなるんですよね(笑)。でも高校生からしたら大企業に行けない大学なんだと思われてしまう。
渡辺
なるほど…。でも、高校生がそういったランキングを重視してしまうこと自体、なんとなく淋しいですけれど。
齋藤
世の中がそういう風になっちゃったんですよね。面白いことに、今までインタビューしてきた“今を輝く同窓生”の大半は成績悪いし(笑)、すぐどっか行っちゃったりするし。でも、だからこそ生き方がおもしろいな〜と僕は思うのですよ。高校生には支持されないかもしれないですけどね。
渡辺
前にお話を聞いたフジテレビの松崎さんもSONYでしたけれど、個性的な選択を重ねて今に至ってらっしゃるし(笑)。ちなみに武野さんは、4年経ってご両親に辞めるっておっしゃったときは、どういう感じでしたか?
武野
「もう何言ってんだ?」という感じでした(笑)。4ヶ月のあいだ毎日話し合いです。会社に行って残業して帰ってから、いつも午前1時、2時まで話し合っていました。でも最後にはわかってくれて。その時に許してくれたことを今でも両親には感謝しています。カナダにアマチュアの野球チームがあって、そこで野球もしたいと思っていたので英語の学校にも通いました。そして会社を辞めてから一年間ほどワーキングホリデーのビザを取って野球をしに行って、それから大学院に戻りました。
齋藤
会社を辞める前からそこまでプランを立てられていたのですか?
武野
ある程度、ですかね。私はもう一度硬式の野球がやりたかったんです。当時の日本だと、大学卒業した人はプロとか相当レベルが高くないと硬式野球はなかなかできなかったんですよ。それに北米の野球場は内野が芝生なんです。どうしてもそこで野球をやりたいとも思っていました。僕は大学卒業後にICU野球部の監督をやらせてもらっていたんですけど、そのときにカナダ人やアメリカ人の留学生選手に向こうの状況を聞いたんです。そうしたら、トライアウトを受ければアマチュアのチームならできるかもしれないということだったので、チームを紹介してもらい、なんとかトライアウトにも受かることができまして…。そしてそこで1シーズンプレイしてみて、「やっぱり俺、野球のセンスないな」というのがわかって(笑)、そして帰国後に大学院に行きました。
渡辺
現実を見据えつつ、夢を諦めなかった素敵な選択だと思いますが、ちなみに武野さんのお父さまはどういう仕事をなさっていたんですか?
武野
前はサラリーマンをやっていたんですけど、そのあとは個人で保険の代理店をやっていました。
渡辺
反対されたということは厳しいお父さまだったということですか?
武野
いえ全然!うちはもう自由というか、父も好きなことをやれって言う人だったんですけど、さすがに会社を辞めるときだけは結構話し合いましたね(笑)。
渡辺
なるほど。そういう事情がありながら、それでも実際にカナダで野球をなさったというのは芯の強さと根性を感じます。
武野
たとえばアメリカから選手がくるじゃないですか。そのときにやっぱりカルチャーギャップを感じる選手って多いと思うんですけど、その逆バージョンってどうなんだろう?と思ったんです。それを自分でも経験して知りたいと思いました。全然環境が違う場所で野球をやったらどうなんだろう、と。私も最初は心細かったりいろいろあったんですけど、しばらくしたらすっかり楽しく過ごせました。コミュニケーションもいい加減な英語でなんとかして(笑)。おかげさまで野球関係の英語は多少できるようになりましたけどね。
齋藤
カナダに行ったからこそ、これを学ぶことができた。またはカナダにこなければこんなことは学べなかったなということはありますか?
武野
まずは野球が彼らにとってはアイスホッケーのオフシーズンに身体を動かすためのスポーツである、ということですね(笑)。野球がメインではなく、あくまでもアイスホッケーがメインで、野球はそのサブ的なものなのにはびっくりしました。やはり寒い地域の国なんですよね。また向こうは5月くらいまで雪が降るんですが、その中でもみんな平気で野球をやっています。僕なんて寒さに弱いので(笑)、絶対こんな気温なら野球やれないよ、という中でもガンガンやっている彼らはすごいな、と思いましたね。あとは、その地域を背負うプライド、ですかね。日本では学校単位での野球が盛んですが、向こうは地域ごとのチームが主なんですよ。学校の野球チームってあんまり強くないんで、例えば三鷹とか調布とか、その土地ごとのチームに力を入れているんです。そしてそのチームに入るにはトライアウトがある。それに受からなかったらチームに入れないわけです。だから小学校の低学年からその地域を背負ってやっている。代表だと思ってプライドを持ってやっている。そういう文化の中に、WBCにも通じるような、国を背負う、地域を背負う、というプライドの持ち方があるのかな、と思いました。
最初はボランティアでいいから、と交渉してベイスターズでの仕事が始まりました。こういった仕事は絶対何かの役に立てるんじゃないか、という想いはずっとありましたね。
齋藤
大学院も、ICUでしたっけ?
武野
はい。戻って来てから心理学で。修士二年間とドクターにも六年間行きました。
渡辺
大学院に帰って来てからもICU野球部の監督はなさっていたんですか?
武野
また少しやらせてもらっていたんですけど、二年くらいしてからベイスターズの方に通うようになったので、そのタイミングで辞めることになりました。
渡辺
大学院にいらっしゃる頃からベイスターズと関わっていらしたんですね?
武野
マスター二年の時ですね。修士論文を書く時に、たまたま知人の紹介でベイスターズの選手にアンケートをお願いするチャンスをいただきまして、それをもとに論文を書きました。そしてその結果を持ってベイスターズにご報告に行った際に「こういう(今のような)仕事をやりたいので、無給でも構わないのでいさせていただけないでしょうか?」と伺ったら快諾していただけて。二軍に週5、6回通い、昼間は球拾いをして、夜は合宿所で選手と話をするという活動を98年に始めました。
齋藤
無給でもいいと言っても、給料はチョットはもらっていたのですか?
武野
いえ、当時の私には全くキャリアがないのでボランティアで行っていました。他のアルバイトをしながらだったので、当時睡眠時間は2~4時間くらいでしたかね(笑)。
渡辺
そんなにハードな生活だったんですね。でも、そうやって日本のチームに申し込みをしたのって武野さんが初めてだったんじゃないですか?
武野
臨床心理士がプロ野球に継続的に関わっている、という事例はきっと今でもあまりないかもしれませんね。イメージトレーニングとか、リラクゼーションなどを行うメンタルトレーナーという方々は様々なチームでご活躍されているようですが、臨床心理学的なアプローチをしている人はあんまりいないかもしれませんね。
渡辺
ということは完全なフロンティアですよね。すでに道があってこういう道に行こう!というのは思いつくけれど、実際なかった状態ですものね。
武野
はい。でもこのような仕事は絶対、何かのお役に立てるんじゃないかという想いはありました。
心の深層に入っていって変化を生み出す。心技体のうち体や技術は磨いたとしても心だけが科学的なサポートが何もない状態。そこにアプローチしていく。
齋藤
さきほど心は一人一人違うんだと気づいて、心理と野球を結びつけようと思ったとお話されていましたが、一人一人違う野球選手の方々にはどのようなことができると思われたんですか?例えば、選手がスランプに陥ったり、自分をコントロール出来ないときに、誰かにきっかけとか気づきをもらって道が開けているように思えるのですが、そういうやり方はもともとイメージできていたのでしょうか?
武野
たとえば前の日に誰かとケンカしてイライラしていて集中出来ない人がいるとします。その時にまずは「何があったんですか?」と話しをして吐き出してもらい、そして整理することでとりあえず落ち着くと切り替えしやすいですよね。で、後でしっかりとその奥の深い話をして、自分のことをより深く理解する必要もあると思います。「いつもこういうパターンにはまるのはなぜか?」ということの鍵は心のもっと深層にあります。そこには人生の途中でこびりついていたものがあって、そこだけ通りが悪くなっていたりもするんですね。それについてじっくり話をして、通りをよくしたり、こっちからも理論的にポイントとなりそうな視点から質問をして話しを掘り下げたりして…根本的に変化をうながしていく事が大事ですね。なので「ちょっと何かをすればすぐにうまくいく、劇的に変わる!」というマジック的なものはないとも考えています。
渡辺
プロの世界にいる方たちからすると、初めて接する臨床心理士って何をしてくれるんだろう?実際に効果はあるのだろうか?と懐疑的になってしまいそうな気もするのですが、最初の頃はどういった反応だったんでしょうか?
武野
仕事を始めた当初、意外と話しに来てくれる率が高い事に驚きました。結構な人数の選手が足を運んでくれましたね。最初は話を聞いてくれる兄ちゃんくらいに思われていたんだと思いますけど(笑)。
渡辺
ということはやっぱり話したい、聞いてほしいというニーズがあったんですね。
武野
そうなのだろうと思います。心技体で言えば、プロの選手は技術や体はもう鍛えられていて最強レベルなんですけど、心だけがこれまで科学的には何もない状態。お酒を飲んで話したり、友人に話を聞いてもらうというような解決法が多かったところに科学的に介入していくのですが、やっぱり聞いて欲しいという方が本当に多かった印象があります。
渡辺
差し障りのない程度でかまわないのですが…どういう内容のお話が多いのでしょうか?
武野
“内密性”という守秘義務があるので詳細はお話し出来ないのですが、よろずなんでも話します(笑)。どんな話にも必ずなんらかの意味があるので、それらを俎上に載せ、自分を高めるためにはどうすべきか?を二人で話し合う、というイメージでしょうか。
渡辺
そういった問題に、武野さんはどういうふうに向き合うのですか?
武野
一つの例を挙げれば、“結果は、結果として後からついてくる”のだと思います。その時出来るベストのことは何か?を考え、それを実行した結果として結果が出るのですが、結果を出すことばかり気になって「ああしなきゃ、こうしなきゃ…」と自分の心が小さくなってしまうと、“結果として”なかなか良い結果には結びつかないですよね。なんか言葉がごちゃごちゃしていてすみません…。
齋藤
これ企業も一緒だと思います。売り上げを伸ばそうと言う人は多いのですが、その前に対象とするお客さんを喜ばせることを考えて一生懸命努力すれば、自然と売り上げってついてくるもんなんですよね。
武野
企業活動もやはりそうなんですね、勉強になりました!
相手に話をしてもらいながら、肝心なところでこっちからもコメントをしていく。少しスポーツに似ているところもあると思います。
渡辺
一対一で話をなさるわけですよね?時間は、どれくらいかけるのでしょうか?
武野
基本的に45分間です。それ以上やってもお互い疲れてしまいますし、それよりも短いと話しが深まらないんですね。私がやらせていただいているのはサイコセラピーというものですが、そのスタンダードな形式として一回45分間を週一回行います。
渡辺
対話という形ということですが、話すボリュームとしてはどちらが多いんですか?
武野
そうですね、基本的に相手の方がいかに話すか、話す中でいかに自分自身のことに気づくことができるか、ということを尊重するので、相手が喋ることが多い方が良い状態とも言えます。ただ、それも時と場合によるので、こちらからバンバン話す時もあります。ただ聞いてるだけではだめなんですよね。あっ、と思った時には、「それこういうことですか?」と間髪入れずに言ったりして、ある意味スポーツの勝負のようなものかもしれないですね。
渡辺
たとえばインタビューだったら、今みたいに武野さんがどうしてこういう人生を歩むことになったのか、何が好きなのかなどを聞いて、読んでくださる方の励みになればと願いながら、わたしたち聞き手にとっては有難いことに確実に栄養素になってるわけですけれど、精神面の話となるとより向き合って、相手を掘っていくイメージじゃないかという気がします。特に深層心理って、どのように掘り下げていくんだろうと疑問に思ったのですが…。
武野
そのために大学院で学んだりだとか、また今でも小谷先生のところで仕事の報告と勉強、そして自分のことを話す時間を毎週二時間確保していますね。
齋藤
今でも!?
武野
はい。常により良い仕事が出来ないといけないので、その週にやった仕事の報告をしてアドバイスをいただき、次の週の仕事の準備をします。日頃から理論的なバックグラウンドを持って相手の方の深層心理をどのように、どの方向からアプローチしたら良いかを考えて実践するのですが、それが甘ければ先生に指摘されますし、改善の仕方を教えていただいたりもします。
齋藤
小谷先生ってまだICUで教えられてるんですか?
武野
いや、去年で退職されて、今はご自身が開かれた研究所におられるのでそこに通っています。
高みに行けばいくほどどんな分野の人でも悩みは共通してくるんじゃないでしょうか。人の心の奥深さに触れたときが嬉しいですね。
齋藤
ICUで野球をして、カナダで野球をされていたということでその経験が野球選手の方々にアドバイスするときに大いに役立っているとは思うのですが…たとえばアメフトの選手なんかにも「お、この人すごい!」と思ってもらうことってできるものなんですかね?
武野
野球やサッカーなどチームスポーツの選手の方々や、ゴルフなど個人スポーツの選手、経営者の方々などいろんな分野の方のお話を聞くことが増えてきたんです。でも、そういう時の最初に僕は「(例えば)ゴルフはできないですし、やったこともないので、専門用語が出てきた際には質問させてもらいますけどよろしいですか?」とお断りしてから始めています。そのようにして様々な経験を積む中で感じたことは、例えば山を登る時のように、最初の登山口は違っていても、上に行けば行くほどお話の内容が近くなってくる、ご相談内容に似た側面が増えてくるなあということですね。最初は「野球だとこうだけどサッカーだとどうなるんだろう?」とか、「野球ではこうなるけどゴルフではだとこうなるんだ」という疑問や発見が生まれ、同じところや違うところを比較して行くのですが、追求していくと原理は一緒なんですよね。ただ、その詳細は守秘義務と言うことで…申し訳ありません。
渡辺
野球みたいに結果がすべて数字として表れるわけではないと思うのですが、よし!と思えるのはどんな時ですか?
武野
私が感動するのは、その方の心の奥に少しだけかもしれませんが触れさせていただき、そこで人間の奥深さを感じたときですかね。いざっというときに発揮される人間の能力ってすごいなー!とストレートに感動しますよね。
自分のいいところも悪いところも認めることで腹が据わる。そして、今の自分でどうしたらいいか?と戦略を立てることができるんです。
渡辺
武野さんが対話の中で実践されていることとして、まずは対話をして、そして切り替えるレベルと掘り下げるレベルがあるということだったのですが、どういう風に段階を踏んでおこなわれていくものなんですか?もしかしたら、一般のわたしたちも考え方をうかがったら参考になりそうな気がするのですが…。
武野
そうですね、まず話しましょうとなった時には「こんなことがあった、あんなことがあった」という体験したことやそのとき思ったことなどを自由に話してもらいます。それを僕とその方の間の「場」に一つずつ置いていくイメージですね。それを整理しながら「あー、こういうことがあったんですね?」と二人で眺めて、「この話とこの話は近いと思っていたけどまったく違う話ですかね」とか、並べたものを二人で観察しながら見ていくんです。そうすると「これ重要だと思っていたけど本質的な問題ではないかもしれないな」、「実はこのことが一番気になっていたんだ」という気づきがあったりします。そういう風に対話を並べていった後でそれを客観的に眺めて検討し、「ここでなんでひっかかるんだろう」ということや、わかったことを探求していく。自由連想というのですが、自由に連想してそのとき思いつくことを自由に言ってもらうと、全く関係ないと思っていたことや関係ない人が出てきたりもするんですよ。それらを並べて検討すると、それまで見えていなかったものが見えてくるという感じです。
渡辺
なんだかパズルのようですね。ランダムに並べて「このピース大きいんだよね」「角のピースって実はこっちだったね」というような…。
武野
そうそう!そして深さもありますね。表面上大した事ないと思っていたけど奥はこんなに深く、大きかったとか。それはもうそれまでの体験だったり経験だったりいろんなことが埋もれているというか。
渡辺
武野君に対して、それをしている人はいるの?
武野
それは小谷先生ですね。
渡辺
ということは、武野君も自分のことをそういうふうに見るわけですね?
武野
そうしなきゃだめですね。僕らもどうしても癖というか、同じパターンで話をしてしまうときもあって、例えば僕が抱えていることをその人に映し出して喋ってしまう、みたいなこともあるんですよね。その人と僕は違うのに「ああ、その話わかる、わかる!」と自分と同じように扱ってしまう可能性があるわけです。それなので僕も自分を掘り下げて、あの人と僕の感じていることは違うんだ、ときちんと認識しなきゃいけないんです。
渡辺
その自分を掘り下げる時間は武野君にとっては楽しいですか?
武野
きついですね(笑)。やっぱり自分の見たくないものや汚いものや避けてきたものを扉を開けて見ることになるので…。でも、自分に話してくださる方々もそのきつい作業に取り組むために私の所にお見えになる。そのお話を伺う僕がそれを避けていてはプロとして話にならないので、私も取り組み続けています。またそのきつさを越えて自分が一つ成長したと感じたときは嬉しさがありますね。本当は、自分の嫌なところ、弱いところなどがわかれば、もっと腹が据わるんですよ。普通はそれらを見て見ぬふりをしてきれいな自分だけで生きようと思うから、ある意味片足だけで立っているような不安定な状態なんです。
渡辺
見ることで、知ることで、強くなれるというか大きくなれるということでしょうか。
武野
知る以上に、認めるということですね。悪いところがあって、でもいいところもあって。全部をトータルして俺だ、と。それを認めることができたら次に「その自分を抱えてどうしていこうかな?」と考えることができるわけです。
渡辺
現状を知るから、戦略が立てられる。
武野
そういうことです。
渡辺
今、日本はスポーツも盛んだし、オリンピックも控えているけれども、意外にその心技体の心というところが世界に比べたら未開発な方なのかもしれませんね。
武野
いやー、僕はまだまだやることがあると思っています。
ICUは自分が何をしたいのか、何を求めているのか、を探求できる場所。
齋藤
ICUの臨床心理の大学院ってなくなっちゃうんですよね。カウンセラーのような人はいても武野さんのような仕事をされてる方っていないですよね。弟子を育てたり…ということは考えてはいないんですか?
武野
いろんな人にそう言っていただく機会もあり、数年前からどうしようかな、と考えています。ただ自分も今、走りながら、そしてシステムを作りながら仕事をしている状態なので、誰かを育てる余裕があまりないことが課題ですね。
渡辺
だけど、こういう仕事があるんだということが周知されてきたら、やりたい!と志す人はきっといるはず。スポーツに従事したい、サポートしたい!って言う方はたくさんいらっしゃいますものね。もっとうまくその方たちもスポーツの世界に参加できたら、日本のスポーツはより裾野も広がって意識も高くなっていくと思います。
渡辺
最後に、ICU生やICUに興味を抱いている高校生のみなさんに先輩としてメッセージをぜひお願いします。
武野
やっぱりICUに入ってよかったのは自分の勉強ができたということですね。
渡辺
あ、ごめん!そもそもICUにはなぜ?
武野
試験日が早かったからですね。
齋藤・渡辺
(笑)
武野
僕、ICUの入試がああいう形式だというのも当日に知って驚いたんですけど、自分向きだなと思いました(笑)。偶然友達に「おもしろい大学あるから受けてみたら」と言われたので受けてみたんですが、環境もいいし試験官の方がすごい丁寧で。それも今思えば偶然カウンセリングセンターの先生だったんです。こんないい大学あるんだ、と思っていたら受かることができたので、じゃあここに行こうと思いましたね。
渡辺
今までお話をうかがってたら夢に向かって本当に考えているんだなぁという印象だったのですが、入試は行き当たりばったりだったんですね(笑)。
武野
でも本当に自分のやりたいことができる大学だと思うので、今でも大好きだし、皆さんにお勧めしたい大学です。自分が何をしたいのか、何を求めているのか、それを四年間探求できる場所だと思うのでぜひ大学生活を楽しんでほしいですね。


プロフィール

武野 顕吾(たけのけんご)
国際基督教大学では臨床心理学を学ぶ傍ら硬式野球部に所属。1991年に卒業後、同チームの監督も務める。一般企業に就職したのち大学院へ戻り、臨床心理学を専攻。1998年に博士前期課程卒業、2004年に博士後期課程退学。2004年より臨床心理士として7年間横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)とチーム契約。若手の育成プロジェクトに携わる。現在もプロ野球選手をはじめ各プロスポーツ選手、経営者など多岐にわたる顧客に対し、心理面の能力向上のためのサポートを行っている。