INTERVIEWS

第10回 角田 雄彦

弁護士  

プロフィール

角田 雄彦
1973年東京生まれ。私立武蔵高校卒。1996年人文科学科卒業後に入学した東大法学部在学中に司法試験合格。司法修習を経て、2000年4月より、第二東京弁護士会に所属し、刑事弁護・子どもの権利に関する事件を精力的に扱いながら、一橋大学大学院博士課程、テンプル大学ロースクール日本校に在籍するとともに、一橋大学法科大学院アドヴァイザー弁護士、関東学院大学法科大学院講師も務める。

 

齋藤
はじめまして斎藤顕一です。今日はよろしくお願いします。 AOLSの講演録を読ませていただきました。34歳という若さで、「えぇ?」と驚くべき偉業をすでに実現されておられる!今日はお話楽しみにしてきました。
渡辺
ICU AOLSの講演録を拝読して敬服いたしました。もしかしたら講演録を読んでいただくのが、角田さんのお考えなどを知る上では最速かもしれませんが、それと併用していただきながら、このインタビューでは少し違う角度で、お伺いできればと思います。よろしくお願いいたします。
「日本は最も人権を侵害されている国である」という教授の言葉に衝撃を受けたことからはじまり、私の中で、人権の意味するものが変わってきている。
齋藤
僕が今回もっとも興味をもったのは、「角田さんが“人権”ということに興味を持ったのはなぜか?」というところなんです。
角田
実は今理解している“人権”の意味合いは、中学生や高校生の頃に考えていたものとは、変わってきています。そもそも興味を持った頃は、「国際派」といった、ある意味で、すごくミーハーなノリがあったと思います。 人権に関する考え方を、はじめに崩されたのは、ICUに非常勤で教鞭をとられていた一橋大学の福田雅章教授の「現代的意味において、日本は、最も人権を侵害している国と言える」ということからスタートした講義でした。それまで、日本と言えば、「先進国」、「豊か」としか、どの教授も、そんな風にしか言わなかった。でも、福田教授は「日本人は最も人権を侵害されている国民である」と言う。それは、当時、非常に衝撃的だったのです。 福田教授いわく、「日本国民は、国家に『擦り寄る』(ここにいう「擦り寄る」とは社会のメインストリームで正しいとされていることに迎合することの意)ことで、国家から多少のご褒美が与えられている。日本の子どもたちも、擦り寄って、教科書に書かれたことを素直に覚えて、吐き出すことを要求され、決して、教師の説明に異を唱えることは求められない。むしろ、異を唱えれば、『おかしいのは君だ』と言われて否定される。否定されることから、ある意味、社会から切り離されて、『非行少年』というレッテル貼りに陥る構造にさえある」というのです。
齋藤
「擦り寄り」はどのように駄目なのでしょうか、もう少し説明をしてください。
角田
擦り寄らなかった人には、将来が与えられない、つまり、選択肢がなくなるという点で、個性が尊重されなくなるという点です。
渡辺
確かに、ひとつ間違ってしまうと減点のレッテルが貼られるのが今の日本なのかもしれません。小学校から一学年に付ける”5”の数が決まっているとか、日本にベンチャー企業が少ないのも社会構造上、教育上、当然の結果なのでしょうね。失敗しないのはラッキーだけど偉いわけじゃないし、転んで体得したり覚えたりするのが身も国も助けるのに。
齋藤
日本にはFailure を支援する土壌はない。失敗すると再起不能ということは確かにあるとは思いますが、日本はまだまだ何というか「甘え」部分は多いと思いますが・・・。
角田
大人の社会では何かしらそのようなことはあるかもれません。しかし、子どもに関わる仕事をしていて、その中での子どもと社会の関わりをみると、「人権が侵害されている」、「ありのままで生きることが認められていない」と思えてなりません。
「少年に愛を」ではなく、少年には「人間は完璧じゃない、誰だって自分が可愛くなるんだ」、という事実を伝えるようにしています。
渡辺
少年事件を扱われる中で、「日本人がもっとも人権を迫害されている」という実感はありますか?
角田
私の場合、ある意味で、少年事件を精力的に担当している主流派の弁護士とは違う意見を持っています。 主流派は「少年に愛を」と唱えます。しかし、私には、それは、子どもに「擦り寄り」を求めることにほかならないとしか思えません。子どもは、すでに「人」として出来上がっていて、大人とのギャップのある状況で確立されています。ですから、確立されている段階にある子どもについて、いくら愛を与える客体としたところで、それでは、問題は解決しないと思うのです。 少年事件で当事者である少年をみていると、私よりもずっと純粋だった子が大人との関わりで変わってしまっている姿に多く触れます。私は、敢えて彼らに「いくら頑張ったって人間は人のためだけに生きることはできない。僕だって同じ、僕も自分のできる範囲ではがんばろうと思うけど、結局最後は自分。それは、親だって同じ。どんなに子どもが可愛くても自分が大事になる瞬間がある。だって人間なのだから」と伝えます。 子どもにこういうことをきちんと伝えることで、クリアになることがあると思うのです。 よく少年事件で起こるケースは、「友達を裏切れないから」という想いの中で、本来は自分の意思に沿わない選択をしてしまっているのです。「万引き」にしても、一緒にやろうという友だちに断れることができないという関係があります。そして、現在の日本における少年法は、その子どもの人間関係にメスをいれるだけのものになってしまっていて、本来の目標であるべき人間関係の修復というところを忘れてしまっています。
齋藤
大人との関係で子どもの人間関係がずたずたになるとは具体的にどういうときに起こるのですか?
角田
いろいろなところであります。大人からの暴力もある。タバコを吸って怒られるなかでの理不尽な扱いなど些細なことからもある。必ずしも愛情のある家庭で育てば少年非行がないとも言い切れない。色々なケースが今の世の中には存在しているのです。
ある意味、気を遣う子どもとして育ちました
齋藤
角田さんは一体どんなお子さんだったのか?角田さんのような子どもを育てたいと思われている親御さんには参考になると思うので、教えてください。
角田
普通の子とは少し違っていたかも知れません。小学生の頃は、興味があるとその場所に行って調べものをしていました。ごみの問題であれば、焼却場にいったり、消防の問題であれば、消防署にいったりして、人の話を直接聴き、それをみんなの前で発表するなどしていました。
齋藤
それは、すごい教育ですね、自ら調べてそれを発表する。学校の特徴なのでしょうか?
角田
私立の小学校に行っていましたので、そういう影響はあるのかもしれません。
齋藤
小学校から私立というのは、何か、ご家庭にも特徴があるのですか?
角田
いろいろな意味で、小さなときから、相手に期待されているところは何かを読む中で過ごして来たように思います。読み取ったこと全てに応えたわけではなく、反発することもあったのですが、おとしどころを見極めて反応しているというような部分があったかと思います。 自分としては、小さなころから非常に自律的で、自分で選択ができるし、選択の結果の責任も負えると思っていたのですが、親に介入されているという感覚を強く持っていたと思います。親からはこう期待されているのだとわかっている中で、自律的に強い選択があり、その折り合いをどうつけるかという整理を子どものころからしてきていた気がします。子どもの自由に任せておいても、自律的に育つことのできる子どもだったと思うのですが。
渡辺
それはある意味自分の中ですべてを折りたたんでいたということですね。大人の縮小版の子ども…。
齋藤
それができる子どもとは、すごく賢いと思うんですけど・・・。 でもそれほどご両親がしっかりしているとなると、ICUは反対ではなかったのですか?
角田
もちろん、反対していましたよ、でも最後はなんとか納得してもらいましたけど。 ICUに行くと両親は思っていなかったようです。でも僕は実際、東大を受験しても、合格しませんでした。高校での順位からすれば、順当にいけば受かる位置にはいましたけど、受験勉強をしっかりしていなかったし、英語なども基本的な単語さえもできていませんでした。
考えること、ものを書くこと、そして、人間力を中高時代で学びました。
齋藤
高校時代、角田さんはご自分を努力家だと思っていましたか、それとも秀才と思っていました?
角田
自分は努力家だと思っていました。ずば抜けている人が周りにたくさんいましたから。
渡辺
中高時代の勉強には何か特徴があったのでしょうか?
角田
武蔵中学校・高校の学校教育は、ユニークで、普通の授業はありませんでした。中学1年生のときから、日中15年戦争について1年間学び、それを論ぜよというのが期末試験だったんです。普通では考えられないほどユニークですよね。中高では徹底的に論述力を身につけることを学ばされたんです。
齋藤
それは、すごい教育ですね、中高時代に“ものを考える”ことを覚えたのですか?
角田
書くことも中高時代に学びました。理科などもそうで、実験・級ハのレポートについても、良い結論が出たかというよりも、うまくいかなかったのであれば、なぜうまくいかなかったのかというプロセスを論じたほうが良い評価を受けました。同じ敷地内に大学もあったので、大学の図書館を共用する学校でした。
齋藤
ところで、弁護士の仕事は人間力が大事になると思いますが、その人間力を培うために何かしてたことはあるんですか?
角田
中高時代は生徒会活動をやっていました。中高一環で生徒会活動をやるのだから、後輩が何かを作り出すときのサポートをしていたのは面白かったですね。私が高校のときに中学生が「割り箸研究会」をやっていた。テレビにも取り上げられたほどの企画で、その冊子を作るにしても、高校生の僕らが手伝ったりして、楽しかったですよ。 生徒会には面白い学生がたくさんいました。後に最若手の企業家として有名になった松島庸さんも同じ時期に生徒会活動をしていましたし、非常にユニークな仲間の集まりでした。
渡辺
中高時代の生活はすごく楽しかったのでしょうね。
角田
そうですね、すごく好きだでした。ですから、大学にも、それを延長させられるような環境を求めていました。東大では大教室だけれども、ICUでは少人数の教室でしょうし、それもICUに惹かれた理由ですね。
弁護士は、感性の仕事、生身の人間とぶつかる仕事なんです
齋藤
お話を伺っていると、角田さんは子どもの頃から相手のことを理解し、「相手はこのように考えているから、こうしよう」と自分をコントロールできているように思います。角田さんの場合、ロジック的には、「こんな現状がある。だからこうなのでは」ということで理解しているんですかね。それとも感性なんですか。角田さんは子どもの頃から「どのように親は感じているのか」ということを読もうとしてられるからきっと今もそれができているのだと思います。今の仕事をやるなかで、感性の部分とロジックで理解する部分どちらを重要視しているんでしょうね?
角田
私の仕事の範囲でいうと、感性の部分が大きいと思います。弁護士の場合、純粋に法人担当でない限り、感性がないと駄目だといってもいいでしょう。生身の人間が接している事件は、その人について起こったことでしかない。だから、その人の感性のなかで解読しなくてはならない。
齋藤
となると、話しこむことが必要なのですか?
角田
顔の表情、発声法などから見極める。私は電話でさえも読み取ることができると自信がありますし、そうでなければ駄目だと思っています。
渡辺
(笑)なんだか、シャーロックホームズみたいですね。小さい頃に読んだ記憶では、シャーロックホームズにはずば抜けた観察力があって…帽子についた短い髪の毛やズボン裾に付いた泥のはね方から床屋に行った足で、ここに来たとか言い当てたり。
角田
その人の育った環境、空気。言葉にその人のそういった心理的な内面がでる。電話の受け応え一つにしても、「ちょっと高飛車だな」とか、そういったことを理解できるということなのでしょう。 この自分の能力は有難いと思っています。面白いのは、同じ言葉を話していても、言わんとする内容は違う場合が多い。それをどのように見極めるかが大事になります。
渡辺
その人それぞれの思考カ回路を観察しながらたどっていらっしゃるのですね。もしかしたら、いつもどこかで考えているのでしょうね。いつくらいから、そのような癖がついたのですか?
角田
相手の様子を感じながら、相手の話を一言、二言聞いて、こちらの話法を変える。自分でそれをいつごろからやってきたかと言うと、昔からやってきたのかもしれません。気を使う子どもだと言われていたので、相手が喜ぶんじゃないかということをすごく意識していましたね。東京では珍しく、母親の実家が近くにあって、祖父母が長く健在でいましたので、そうした親族の集まりなどの中で、大人にもまれている部分はあったかと思います。 人を観察するという意味では、小学生のころから物まねが上手でした。特に先生の真似などしていました。
渡辺
角田少年は人気者だったでしょうね。
角田
人気者というか、話題の提供にはこと欠かない感じ・セったので、高校の卒業文集のはみ出し記事には、私に関する記事がたくさんありました(笑)。
渡辺
……?
角田
はみ出し記事の内容は、「先生に余計なことをいった」とか、「角田は泣くやつじゃないのに、文化祭の後、感動したのか泣いていた」とか色々ありました。ほんとうに楽しい思い出です(笑)。
「詰め込む教育」が悪いものとして思わなくなりました。だって、角田さんは、今34歳でこれだけの認められることをされているのですから♪「詰め込む教育」が悪いものとして思わなくなりました。だって、角田さんは、今34歳でこれだけの認められることをされているのですから♪
渡辺
でも…角田さんのお話をうかがっていると、「詰め込み教育」は日本では良くないとされているけれど、「詰め込む」親のほうがいい点もあるのかもと思ってしまいました。 34歳で、これだけの時間の濃さを過ごしてらっしゃる。これから何年も生きていらっしゃる中で、ご自分の時間を楽しもうと思ったら、いつだって遅くはないわけで。親御さんの期待に添おうと濃い学生時代を過ごすことは、あながち否定的な面ばかりじゃないのかもしれませんよね。
齋藤
若い頃に苦労をするととしをとって楽にできるのはまさにその通りですよね。
渡辺
今もすごく、お忙しいですか?
角田
今はそれほどでもありません。今の事務所に所属する前は、弁護士会が設立した公設法律事務所(東京でも事件過疎という形で市民の弁護士へのアクセスが不十分だという理由で、「市民の駆け込み寺」というキャッチフレーズの下に設立された法律事務所)で仕事をしていたのですが、弁護士 3人で仕事をはじめて、ほんとうにすごい仕事量で、対応が難しい事件(依頼者)多く、ある意味でも精神的にまいっている人がたくさん来て、ほんとうに大変でした。でも、今はそのときに比べると非常に楽です。
渡辺
そのときが一番大変だったのですか?
角田
大学生のときも司法試験受験生活で睡眠時間2時間、20代後半のときも事件処理などでそのくらいの時間したね。
齋藤・渡辺
ほぉ〜。
人にものを教えるのが大好き、自分の120%を出そうといつも思います
齋藤
ところで、経歴を見せて頂いたのですが、現在一橋大学の博士課程にいるのはなぜなのですか?
角田
実践的な理由もあるのですが、少年事件で「事実をきちんと認定して冤罪を防ぐ」ことの重要性を唱えています。弁護士会などでも発表しているのですが、家庭裁判所の裁判官に読まれる本にしたいので、博士論文を書こうと思いました。ロースクールの教員にも興味があります。
齋藤
AOLSの講演録を読んで感じました。人に教えるのは好きなのでしょうか?
角田
そうですね、講義することはすごく好きですね。準備したものの120%を出し切ろうと思っています。
齋藤
人を教えるのが好きということは、人を大事にするほうなのでしょうね。
角田
というと・・?
齋藤
僕の持論ですが、「俺は君よりものを知っているから教えてやる」と上から目線で思うとかなり困難な仕事で苦痛を伴う。 でも、単純に「相手をみてその人を育てよう。その人の成長に重要なことを気がつかせてあげることで、喜ばしてあげよう」と思うと膨大なエネルギーを苦痛なしに費やすことも出来るようになると思うんです。 つまり、相手に知識を提供しようとするよりも、人を巻き込んでいくということなのかな?
どんなに単純に見える仕事でも自分なりに違う仕事にしたい。一見同じようなものでも、オリジナリティーを大切にし、毎回進化させていきたい。
渡辺
少年犯罪に携わられる中で、今後はどのように仕事をしていきたいと思われますか?
角田
いつも、一見どんなに単純に見える事件でも、「自分が扱った以上は普通とは違う」という事件にしたいと思って、仕事をしています。一見同じような事件だとしても、被告人に対してでも、裁判所に対してでもいいのですが、「自分が関わった以上は違う」というところを見せたい。ある意味、自分の作品とさえいえるのですから。
渡辺
それはプライドですか?
角田
すごいプライドです。
渡辺
それが満たされた時は、嬉しいですか?
角田
一瞬はそうなるけど、すぐになくなりますよ(笑)。裁判が良い結果に終われば終わるほど、弁護士は、依頼者からすれば、忘れ去りたい存在になります。刑事でも民事でもそうです。企業系の経済的に割り切れる事案であれば、つきあいを継続できるのでしょうが、「本当に救ってもらった」と思った人は、その後は、私には会いたくなくなると思います。一番、弱いところ、見られたくないところを見られているという側面があるわけですから。
私自身精神的に不安定です。落ち込むこともいっぱいあります
渡辺
これだけのスーパーマンなので、お伺いするのですが、「落ち込むこと」はありますか?
渡辺
そんなときはどうなさるんですか?
角田
気晴らしを探します。これまでに自分が扱った事件を思い出して、作品ともいうべき書面などをみて自分はよくやっていると思い込ませるときもあります。
渡辺
どういうときに落ち込むんですか?
角田
…そうですね、走っていないときは常に落ち込んでいる。自分自身、精神的に不安定だと思います。
渡辺
…そうですね、走っていないときは常に落ち込んでいる。自分自身、精神的に不安定だと思います。
齋藤
走っているときには落ち込まない、止まったときに落ち込む。僕の場合も、落ち込みやすいのは明け方の4時くらい。でも起きていざ仕事をやりだすとやれる。自分なりにそのような状況になったときに自分をコントロールできる方法を考えなくてはならないということですよね。
角田
結局、ある意味、団体から離れて孤独な方向を選んできてしまいました。ICU当時もダブルスクールで過ごしていたりした関係で、ICUの仲間にどっぷりとはつからない。環境を共有できない場所に自分を置いてきました。標準的なところにいないことが仲間を減らす方向になるとはわかっていました。普通に生活さえしていれば、もっと仲間はできたのかもしれない。そういう風に常に同僚を作りにくい中でやってきてしまったのでしょう。刑事弁護についてもそうです。東大の同期では、一般民事事件にしても、刑事事件にしても、とりたてて取り組みたいという仲間はいなくて、孤立してしまうのです。
自分の「少年法」に対する取り組みはプリミティブな部分の問題 適正に事実を認定して欲しいと促しているだけ。
渡辺
少年法はどのように変えていくべきだと思われますか?
角田>
少年法というよりも、非行・犯罪全般に対してどのように対応するかということが大事になると思います。 本来であれば、20歳を超えても少年法の適用が必要な場合もあるし、20歳を超えていなくても少年法の適用が必ずしも適切とはいえない場合もあります。 実は、少年法に関する研究としては、刑罰ではなく福祉であるべきだといった理念的なものを突き詰めている人が多いのですが、私が扱っているのは、ある意味、もっとプリミティブ(原初的)な部分で、事実の認定を適正にして欲しいと訴えているのです。 少年事件でも、他の裁判と同じように、事実の認定をしているけれども、それがあまりにずさんすぎるのです。
齋藤
なぜずさんなのでしょうか?
角田
信用性があるものもないものも、捜査機関の作った証拠が、フィルターをかけられることなく、一括して裁判所の資料とされてしまう現状では、どうにもならないことがあります。信用性がないので、しっかり調べて欲しいと言っても、証人を呼んで調べることさえしてもらえない場合もあるのです。
渡辺
怖さを感じるのは、確かに現場は汗を流していると思います…ただ、正しく捜査しているのだろうかということ不安は禁じ得ない面も。
角田
少年法だけでなくとも、今の捜査機関の現状をみると、事件に巻き込まれると非常に怖いです。私が無実の容疑者として逮捕された場合でも、最後に絶対に無罪になれる自信はありません。むしろ、虚偽の自白を30分でしてしまうだろうとさえ思います。
渡辺
そうなのかもしれません、私もニュース原稿を見ながら、地方や各自治体の捜査の違い、習い性となってる捜査方法の怖さを感じることがあります。
角田
私自身、捜査弁護については第一人者でありたいと思っていますし、そうであるための努力をしている自負心があります。 虚偽自白をさせないためには、被疑者と朝晩会って完全黙秘させるしかないのです。私の場合、捜査官が何を言ってくるかを予言をしながら、何とか黙秘させます。捜査官の物まねをしながら「きっと、こんな風に言って、嘘を言わせようとしてくる。でも、その誘いに乗っては駄目だ」とか、「『君のため』と相手は言ってくるが、実はそうじゃない。だって、もし、本当に『君のため』なのであれば、『君のため』に話してくれる捜査官が言う内容を私が予言できるはずがないでしょう」ということを理解してもらっているのです。そして、明日の朝までは絶対しゃべらないことを約束する。耐える時間を短くして接見を繰り返すことが大事になる。こうすれば、ただ、「嘘の自白をしてはいけない」と指導するのに比べれば、かなりの事件で、虚偽自白を防ぐことが可能ではないかと思います。
理不尽をみたときがもっとも自分のエネルギー源になる。 しがらみのない自由な立場でこれからも仕事をしていきたい!
角田
理不尽な状況に触れることは、すごく自分のエネルギーの源になります。裁判所からも理不尽なことを言われると、何としてもそれをひっくり返すための書類を作ろうとします。 弁護士として、心が揺れることも多い。でも確信をもって進むことが大事で、私はそれを大事にしています。
渡辺
怒りが原動力であり、ガソリンになるということはよくわかる気がします。難しいのは、世の中の理不尽を引き起こしているほとんどが悪意からではなくて、盲目に前者からのやり方を踏襲しての結果だったり、一生懸命という無自覚だったりする面ですよね…。
角田
他に大事にしているのは、自分としては、偏った団体に属さないことです。人権に関わる仕事をする弁護士の中には、市民団体などに入る人も多いのですが、私は入らないようにしています。 団体や組織に入ってしまうと、上に立つ「あの先生がそういっているから…」といったことで正しいことがいえなくなってしまう場面があります。情報の共有は必要ですが、しがらみを作っては元も子もないと思うのです。
渡辺
最後に、自分がいつか子どもの親になることについてどのようにお考えですか?
角田
正直怖いですね。究極の場面で本当に子どものために自分を捨てて生きることができるのか。自分の心の問題としてだけではなく、社会の環境の問題としても、非常に難しい情勢にあると思うのです。


プロフィール

角田 雄彦
1973年東京生まれ。私立武蔵高校卒。1996年人文科学科卒業後に入学した東大法学部在学中に司法試験合格。司法修習を経て、2000年4月より、第二東京弁護士会に所属し、刑事弁護・子どもの権利に関する事件を精力的に扱いながら、一橋大学大学院博士課程、テンプル大学ロースクール日本校に在籍するとともに、一橋大学法科大学院アドヴァイザー弁護士、関東学院大学法科大学院講師も務める。弁護士会での刑事弁護・少年事件に関する研修講義を多数担当するほか、著書として、第二東京弁護士会編『新・少年事件実務ガイド』、関東弁護士会連合会編『法教育』(ともに、現代人文社刊、共著)がある。