INTERVIEWS

第21回 古谷 賢

日本トランスオーシャン航空株式会社 Boeing737型機機長

プロフィール

古谷 賢
1968年生まれ。ICUで心理学を専修し、1992年に卒業。同年、日本トランスオーシャン航空に自社養成パイロットとして入社。カリフォルニア州 ナパJAL訓練所での基礎課程訓練および国内での旅客機実用課程訓練を経て乗務開始。現在Boeing737型機機長。

 

齋藤
今日はよろしくお願いします。パイロットの方にインタビューさせて頂くのは今回が初めてなんです。
古谷
よろしくお願いします。私も今日は楽しみにまいりました。
単純に、飛行機が好きだったのです。幼稚園の卒業アルバムに飛行機の絵を描いていたほどで、その頃からですね。野球選手か、パイロットか、ウルトラマンになりたいなという延長ですね(笑)。
齋藤
この間、奨学生の話を聞いていたら、パイロットになりたいという学生がいたんです。結構、ICU生でもパイロット志望の人がいるようで、パイロットの方にインタビューが出来たら学生さんも喜ぶやろな〜と思ったんです。わざわざ沖縄から、本当に今日はありがとうございます。
渡辺
今日は沖縄から来て下さったとうかがいました。沖縄に移住なさったんでしょうか?
古谷
はい、そうです。見た目は沖縄らしいのですが、沖縄には縁もゆかりもないんです。もともと札幌の人間です。
渡辺
そうなんですか〜!
古谷
実は、飛行機の乗員になるには、通常、航空大学校に行くか、自社養成で免許を取得する方法があるのです。私はICUでは心理学専攻だったので、卒業後の平成4年に日本トランスオーシャン航空に入社して、自社養成という形で免許を取得しました。沖縄でまず2ヶ月間、地上研修をし、その後アメリカへ行って2年半ほど訓練をし、それが終わったらまた日本に帰ってきて、1年ほど旅客機の訓練をしました。沖縄に移住したのは卒業して4年後くらいですね。
渡辺
総飛行時間9200時間というのは、96年からの合計がということですか?長いですね〜!
古谷
そうですね、その長い飛行時間の間に、こんなに試験があるんなら先に言ってくれればな、というくらい試験が多かったのです。ペーパーも実技もたくさんあります。ICUでも課題が多くてかなり後悔しながら4年間頑張ったのに、卒業してもそれ以上に試験がありましたね(笑)。
齋藤
そもそも、なぜパイロットになろうと思われたんですか?
古谷
単純に、飛行機が好きだったんです。幼稚園の卒業アルバムに飛行機の絵を描いていたほどで、その頃からですね。野球選手か、パイロットか、ウルトラマンになりたいなというノリですね(笑)。
齋藤
普通みなさん子供の時にそう思っても、それを実現する人って稀ですよね。どうして幼稚園の時の想いが実現出来たんですか?
古谷
本当に私は単純で、パイロットになりたいなという気持ちを常に持っていたんです。小学校は父親の仕事の都合で6校ほど転校したのですが、何処へ行っても難しいことは何も考えず、ただひたすらそこに近づきたいなという気持ちだけ持っていましたね。「パイロットは英語ができたらなりやすいよ」と聞いたので、だったら留学しようかな、と高校生の時にアメリカに交換留学制度を利用して留学しました。
渡辺
アメリカのどこに留学なさったんですか?
古谷
ミズーリ州というところです。ホームステイ先はどのようなところにしたいか、という希望を事前に出すことが出来たので、「日本人がいない町で、パイロットのおうちで、1年間英語漬けになりたい」、という希望を出しました。そしたらうまいこと探してくれて、米軍のパイロットの家庭になりました。1年間、飛行機がたくさん見れることになったわけで、飛行機に乗りたいな〜という気持ちにどっぷり漬かりました。
渡辺
ホームステイ先で憧れは膨らみましたか?
古谷
はい。毎朝、ホストファザーはヘルメットを担いで家を出るのです。「学校帰りに友達と空港においで」と言われるのでよく行っていたのですが、戦闘機で低いところをわざわざ飛んでくれたりするんです。日本では経験出来ないようなことなので、胸躍って、格好良いなーと思っていました。
齋藤
高校の時にそうやって想いが募ってくると、大学では防衛大学校とか航空大学校とかに普通行きそうですよね?
古谷
そうですね、そこも私は単純で、従姉妹にカナダで生まれたからカナダ人になった人がいるんですが、その子が日本に遊びにくると、英語もフランス語も日本語も喋るわけです。叔父には「彼女達は3カ国語も話して頑張っているけど、日本にいるお前らはダメだな」と言われるんですが、また単純ですから、悔しく思うわけです。アメリカの高校で外国人の友達も出来たので、その悔しいなという気持ちも少し薄くなったのですが、日本に帰国して、日本の学校の受験の流れで「じゃあ地元の国立うけるよね。」という感じになんとなく違和感を感じたのです。パイロットになりたいけども視野を広げてもみたい、自分自身まだしっかりしてないし、英語も気になるな、というところで、ICUにいっている親戚のお姉ちゃんの話を聞いて、「ICUはなかなか良さそうだぞ」と思ってICUに入りました。
渡辺
ご両親は札幌にいらっしゃったんですよね?東京では一人暮らしをなさったんですか?
古谷
そうです。4年間、志の高い友達に囲まれていましたが、単純な私は飛行機を想い続けることとバカ山で寝っ転がって飛行機を良く見ていました。
齋藤
ICUに行って、そう簡単に民間の飛行機会社に入れるものなんですか?何か勉強されたり、体力を鍛えたり、準備はされましたか?
古谷
そのへんはなんとなくしたたかに・・(笑)。試験が本当に早くはじまるんです。今でも5次試験くらいまであると思います。なので、試験の最後の方にパイロットの採用でダメと言われても就職できるよう、他業種も並行して受けていました。
齋藤
飛行機会社を受けられて、どのくらいの確率で受かるもんなんですか?
古谷
当時、JALグループ全体で60名程が採用されたのですが、そこに数千人受験したという話だけは聞きましたね。私が今いる日本トランスオーシャン航空には4人採用されました。やはり体育会系の訓練を朝から晩まで同期と共に共同生活でやっていきますので、そういった環境に上手く溶け込めそうな人が選ばれるんじゃないかと思います。
齋藤
英語力というのはもちろん評価されるんですよね?ICUの時の英語教育はプラスになりましたか?
古谷
そうですね。入社時に求められている英語力は英検2級程度以上にとどめられています。 でもここ最近は、国際線を飛ぶ際にはあるレベル以上の英語力が求められるようになり、新たにそのための試験がここ4、5年のなかで世界中で導入されました。幸か不幸か、ICUで散々英語をやっていたので、この試験も比較的苦労無くこなすことができました。ICUで培った英語力がいきているなと感じましたね。
渡辺
古谷さんが多感な高校生のときに学ばれた英語漬けの1年と、ICUでの 英語の培われ方では、違いがありましたか?
古谷
ICUの英語の方が洗練された感じでしたね。高校の時、日本人は学校で私だけで、英語が何も分からない私は学校でよくからかわれたりして悔しい思いをしました。ホストファミリーには同い年の男の子と2つ下の弟がいたのですが、家に帰るとその子たちと反省会をしていました。「そういう時はこう言ってやれ!こう罵ってやれ!」とホストブラザーが教えてくれるわけです。鏡の前で「今の発音は良いぞ!」などと、知らず知らずのうちに「現場の英語」を学んでいました。ところがICUに入ると、英語で論理だったことをプレゼンされる人もいて、みんなに迷惑かけないように頑張らなくちゃと思いましたね。私は心理学のラッカム先生がアドバイザーで英語で卒論を書いたのですが、1週間に1回30分くらいのプレゼンを英語でやっていました。厳しかったですね〜!いつも友達と一緒にプレゼンの練習をしていました。
渡辺
そうだったんですか!すごく厳しいですね・・・。奥様がセプテンとおっしゃってましたが、ご自宅の会話は英語だったりするんでしょうか?
古谷
古谷
それはさすがにないですね(笑)。でも、ICUでは良い意味ですごく鍛えられました。
人の話に耳を傾けられるか。定められたことを定められたタイミングで出来るか。場合によっては強くアサーション(自己主張)ができるか。今まで思っていたより、内面的な指導というか、心の修行がかなりあると思います。
渡辺
数千人の中から選ばれた60名の皆さんは全員、パイロットになることができるのですか?
古谷
いえ、みんながみんなたどり着けるわけではありません。パイロット候補として採用された60人は、14,15名ずつ4つのクラスに分けられるのですが、1割程の訓練生は、基礎過程の途中で訓練中断となる場合があります。 毎月1回くらい試験があるのですが、一度試験に落ちると、再試はその次の1回しかないんです。2回目の試験に落ちると、翌日の飛行機でサンフランシスコから日本に帰る事になります。
日本に帰る仲間がいれば、みんなでその人の荷物を泣きながら段ボールにつめるわけです。それを2年半くらいやり続けました。すごく辛かったですね。
齋藤
試験においては、なんか関門みたいな、ひっかかりやすいポイントがあるんですか?
古谷
大変シンプルなことなのですが、平常心を保てるかどうかが鍵ですかね。平常心を保てないと、全てにおいてひっかかりやすいと思います。宙返りをしたり、キリモミをしたり、エンジンが燃えたとか、色々なシチュエーションにおける訓練をするのですが、そのための手順のおさらいを、仲間と一緒に地上でずっとやっていくんです。地上では、みんなどんなシチュエーションでも適切に対応することが出来るのですが、実際に空の上でそうなると、みんな頭が真っ白になって、そこから先、何をすれば良いのか分からない状態になる事があります。そこで教官の的確な指導が入る(笑)。 そうやって汗をかきながら覚えていくんですよね。平常心を保つというのが意外と難しいです。
渡辺
なるほど…身体能力、英語力などで振り分けられてスタートラインに立っても、その後に、性格や、今まで培ってきたことなど、全てを見られるわけですよね。大勢の命を一手に預かる職業だからこそ必要な試験なんでしょうけど、本当に大変ですね。
古谷
単純に空の道に入ったわけですから、最初に改めて「後ろに数百人いるんだよ」と言われてもピンとこないんですよね。副操縦士として飛び始めて、さらに10年くらい飛んでから機長になるのですが、その間中言われるのは、技量や英語力のことではなく、性格と言った内面的なことなんですね。どの職種もそうだと思いますが最初のうちはマナー面で指導を受けることが多々あります。
渡辺
例えばどのようなことですか?
古谷
まず、人の話に耳を傾けれるか。それから、定められたことを定められたタイミングで出来るか。場合によっては強くアサーション(自己主張)ができるか。アナウンスひとつとっても、お客様からお叱りの言葉を受けると、「それはお前の声のトーンが悪いんだ」、「タイミングが悪いんだ」ということになります。今まで思っていたより、内面的な指導というか、心の修行がかなりあると思います。
渡辺
厳しいですね。でも飛んでらして楽しいですか?
古谷
楽しいですね。そこは単純なんですよね(笑)。
渡辺
初めて空に出られた時はどんな感覚でしたか?
古谷
横に教官がいるので、飛んだ感覚はなかったです(笑)。パイロットはみんな言うと思うのですが、初めて自分ひとりで飛ぶソロフライトの時は、大変嬉しいですね。本当に飛んでいるんだ〜と。バカ山で見ていた飛行機と同じようなところから、今自分は下を眺めているんだ〜と。
渡辺
飛んだ感覚がしないなんて、教官という役は本当に恐いんですね(笑)。
古谷
優しいだけではありません。でも、自分が年を重ねてみると、気がつけばなんとなくそのようなおじさんになってきているなと思います(笑)。先輩達が築いてきた道筋というのは、色んな経緯を辿って出来ているのかな、と最近は思います。 安全を守る上で、時として必要な厳しさもあります。
渡辺
私の母はJALの9期の客室乗務員だったのですが、その母が、「キャプテンは本当に大変なのよ。キャプテンになる方は本当に優秀で。それは肩のラインの数で分かるの 。」と言っていました。今、肩に4本ラインが見えます。
古谷
国によって多少違いはありますが、副操縦士は3本線、機長は4本線、と肩章の線の数が異なります。
渡辺
これだけ試験が多いと、その時々で達成感は感じられるのじゃないでしょうか?
古谷
そうですね、受かった時はそうなんですが、毎回反省です。よしやった!で済むことはまずないですね。昨日も飛んだのですが、思いのほか選んだ高度での飛行が揺れてしまったとか、一生懸命ルートを考えたけど燃料を多く使ってしまったとか、今の着陸方法だと寝ていたお客さんを起こしてしまったかもしれない、とか。反省ばかりです。そんな中で良かったな、と思う時は、お客さんから喜びの声を頂いた時ですね。満月が昇るときって、真っ赤な色をしているんですよ。自分がそれを見た時に感動したので、満月が昇るタイミングを見計らって、客室にアナウンスするんですね。それでお客様から「子供が喜んでいた」という声を聞いたりすると、達成感というか、良かったな〜と思いますね。でも反省が多いですね。職場も副操縦士と2人きりですし、年をとってくると誰もなかなか律してはくれませんし、自分で不安になるんでしょうね、反省は多いです。
純粋に、「なりたいんです」という想いを持つことだけだと思います。言葉も、アピールすることもいらないんじゃないかと。パイロットになれれば、どんなことでも頑張りますから、という強い気持ちだけだと思います。
渡辺
幼稚園の頃からパイロットに憧れて、パイロットになる前も、実際になられてからも、どこかでくじけそうになったり、やめようかなと思ったりしたことはありませんでしたか?
古谷
ありますね!必ずしも楽ではありませんので。身体検査が機長になれば半年に1回ありますし、定期訓練.審査(緊急時の対応など、様々なシチュエーションに対応するシミュレーターで行う試験)も半年に1度ありますし、路線審査という試験もあります。数ヶ月に1度は試験がありますので。プロになったら「明日試験でも良いよ」という感じになるのかなと思っていましたが、そうは行きません。 自己研鑽を続ける事は簡単ではありません。
子供と一緒に机に座って勉強しているので、それを見過ぎている子供は、絶対にパイロットにはならん、と言っていますね(笑)。 本当はフライトをしていると楽しい事の方が多いのですが。
齋藤
そうなんですか!逆にお父さんみたいになりたいって言いそうなのに。
古谷
一緒に勉強している私の顔がよっぽど嫌そうだったんでしょうね(笑)。
渡辺
ご家族が古谷さんの操縦する飛行機にお乗りになったことはありますか?
古谷
実はすごく最近なんですよね。半年前に偶然に私が操縦する飛行機に乗る機会があったのですが、乗る前に子供が「乗る日を変えないか?」と提案していました(苦笑)。
渡辺
そうなんですか(笑)。パイロットを目指している方にアドバイスをなさるとしたら?
古谷
純粋に、「なりたいんです」という想いを持つことだけだと思います。言葉も、アピールすることもいらないんじゃないかと。パイロットになれればどんなことでも頑張りますから、という強い気持ちだけだと思います。
どこにいっても人に助けられている気がします。私は言われたことを単純にやってきただけなんですけどね。色んな人に助けられてきたなーって思います。
齋藤
古谷さんご自身の事だからそうやって言われるのかもしれませんが、今まで通ってきた難関を聞いていると、自分を律することが重要みたいですが、それって簡単に出来ることじゃないですよね。大学時代の自分のこういう生き方がプラスになったんじゃないか、ということはありますか?
古谷
私はどこにいっても人に助けられている気がするんですね。今日もICUの大先輩に声をかけて頂いたので、こうしてインタビューの機会を頂けたわけです。大学にいるときも卒論を書く時はこうすれば良いよ、と先生に言われたらひたすらそれをやりました。パイロットになりたいんだったらこういう道があるよ、と言われればそれを目指したし、英語が大事だと言われれば英語をやりました。要は、私は言われたことを単純にやってきただけなんですね。色んな人のアドバイスや誘いに助けられてきたなーって思います。
齋藤
やっぱり人がきっかけになってるんですよね。今までインタビューしてきた人のことを思うと、良い人と巡り会ったとか、選択肢を広げるために色んなことに興味を持ちながら実行してきた、という言葉を良く聞きました。古谷さんの話を聞いていると、良い人との出会いと、提案されたことを断らないのがきっかけになったんじゃないかなーと感じましたね。
古谷
確かにそうですね。興味を持ったことを、そのまま流してしまうのは悔しいんですね。実は私、視力が裸眼で0.5しかなくて、視力が悪かったんです。視力の規定が変わって最初の年にたまたま私は拾われているんです。受ける前から自社養成として入るのは厳しいのかもしれないと思っていましたが、「なりたかったなー」で終わるのは嫌だったので、他業種の試験も受けながら、受かったらいこう、という感じで興味をもったものは挑戦しました。そして、本当に良い方達に恵まれました。話していて、ズシンと心にひびくことが多く、それに助けられた感じですね。
齋藤
古谷さんは、学部の時の成績は良かったですか?
古谷
いえいえ、良いわけがないですね。家内も自分の成績は子供達に見せるけど、俺のは見せないでくれよ、という感じです(笑)。
あまり「自分が、自分が」とやっていくと、うまくいかない壁に絶対にいつかぶつかります。謙虚にならざるを得ないし、こんなこともあるな、といつも反省の繰り返しです。
渡辺
でも、自分がやりたいことに対して意思を強く持つとか、出会いを大切にすることは大事ですが、やっぱりお人柄というのも本当に大切な要素なのかと拝察します。飛行機を操縦出来るというのは、特殊技能を持ってらっしゃるとことで、その上パイロットって格好良いし、空港でも「あ、キャプテンだ!」と目を集める。格好良くて特殊技能をもっていて、颯爽としているとなると、何と言うんでしょう、ノってしまいがちにもなっておかしくないかと。でも決してそうならないのはお人柄で、この素敵なユニフォームの中に隠されたご苦労や重圧 は、パイロットになった方しかわからないのでしょうね。
古谷
制服はいつか着たいな〜と思いながら訓練をしてきましたが、自然と謙虚にならざるを得ないシチュエーションが多いんですよね。「今日は絶対に天気予報でも天気図でも豪雨はない」と思っていても、着陸できないくらいの悪天候になるということはあるわけです。仮に、私が高見にのぼって怒鳴り散らすことは簡単なのですが、やっぱり自然の力は大きいので思うようにならないことが多いんですよね。そこで安易に着陸をやめましょう、となると、今度はお客様に満足いただけない結果になる訳です。安全に、定刻に目的地へ到着する事が仕事ですから、そこは謙虚に「申し訳ございません」と頭を下げるしかないわけです。職場の中でとにかく毎回挫折しそうになる場面が多いんです。あまり「自分が、自分が」とやっていくと、うまくいかない壁に絶対にいつかぶつかります。謙虚にならざるを得ないし、こんなこともあるな、といつも反省の繰り返しです。
渡辺
性格上、キレる人や強気にでる人だと困りますよね。打たれ強かったり、謙虚な方でないと。
齋藤
やっぱり最初の診断でそういうのは判断というか評価されているんでしょうね。
渡辺
古谷さんにとってICUという場所は良かったですか?
古谷
良かったですね。正直、勉強はきつかったです。入った年に別のところを受験しようかと思うくらい。でもプレゼンなどの試練があったからこそ、精神的にも修行の場となりました。あとは、やっぱり仲間が良かったですね。こじんまりしていますし、キャンパスもすがすがしいですし、セプテンも留学生もいっぱいいる。広く深くいつまでもつながっていられるというのは、ICUという狭い世帯だからこそですよね。良い青春を過ごさせてもらったなと思います。いまだに時間がある時は、キャンパスに行ってフラフラしています。東京の空を飛ぶ時も、ICUだけはハッキリ見えるんですよ。
渡辺
お好きなお仕事なので良い面はたくさんあるでしょうけれど、人知れないプレッシャーを解消なさるには、ICUにいらしたりすることも一つなのでしょね。
古谷
そうですね。ストレスを解消することだけは私の天性の才能みたいです。釣りをしたり、スキーをしたり、田舎を歩いたり。遊ぶのが大好きです。仕事柄、月に10泊くらいはどこかに泊まるので、行く先々で自転車に乗ったり、走ったりしています。ホテルに籠って反省ノートを書いていると、すごく気が滅入りますからね(苦笑)。
齋藤
その反省ノートというのは、会社から書けと言われているわけではなく、ご自身で書かれているんですか?
古谷
そうですね。これも訓練の賜物なんだろうなと思います。アメリカで訓練をしている時は朝から晩までずっと同期と一緒にいるんです。飛ぶ時も一緒で、終わった後は1、2時間教官と共にデブリーフィング。その後2時間くらいペアで反省会。晩御飯を食べた後は、今度は全体でその日あったことを報告し合います。「俺は最近うまくいったよ!」って仲間でも、毎日そうだと絶対にボロが出てくるわけですね。みんなで苦しい訓練を乗り越えるためには、自分をあからさまに曝け出してやっていかないと無理な環境なんです。
齋藤
なんでだめだったかという反省から始まり、こういう場合はこういうように解決しようね、というところまで考えるわけですか?
古谷
そんな洗練されたもんじゃないんですね(笑)。「だからお前言ってるじゃないか、お前のその態度が悪い!」から始まり、時には取っ組み合いにもなります。反省する目的は、やはり安全に、快適に飛行するためには、自分たちの間違いはなんだったのかを明らかにすることですね。
渡辺
天気図など、多岐にわたって色んな知識がないと、地上で1ミリだった誤りが、上空では取り返しのつかないことになったりするということでしょうか。 ご自分の予知できなかった、ほんのちょっとしたことが、これだけのことを招く恐れがあると常に考えていかなければならないのは本当大変ですね。
齋藤
企業経営者が自分の意思決定の間違いで会社を大変なことにすることもあるじゃないですか。みんな1日の反省を書いているかって、誰もやっていないと思いますよ!!そういうことやらないといけないと思います。今度教えておきたいですね(笑)。
古谷
仕事をしていて、些細な所作がお客さんに影響を与えることが多いんですよね。例えば、地上に降りたらほっとするんですが、そこでほんの数ミリブレーキを踏むと、タイヤのブレーキ圧はかなり高いので、荷物が数十センチ動くほどの衝撃を与えます。気の弛みが色んなところに出てくるんですね。自分を律しないと、直接ご迷惑をおかけする場面が多いのかなって思います。
人のつながりをとにかく大事にして欲しいと思います。私は、色んな人との巡り会いがきっかけで、ひとつひとつ越えてきたという印象があるんです。このつながりは大事なので、この有り難みを今のうちに分かっていれば素敵だなと思います。
齋藤
将来は何をなさる予定ですか?
古谷
最近40歳を超えて考え始めてるんですけど、出来れば、純粋に人に「ありがとう」って言われる仕事をしたいなと思います。海外の知り合いにフライングドクター(医者がいない地域に飛行機で往診する医者)をお手伝いする事業を立ち上げた方がいるのですが、素敵だなと思います。これまで色々な方々にお世話になってきたので、人の役に立ち社会への恩返しになるような仕事で貢献できればと思っています。
渡辺
飛行機を降りる日や、60代、70代はどんなふうに過ごされるのかな?なんて思っていましたが、もしかしたら降りられないかもしれないですね、飛行機(笑)。
齋藤
最後に、ICUの後輩にメッセージをお願いします。
古谷
人のつながりをとにかく大事にして欲しいと思います。私の場合は、がむしゃらに勉強したりとかはなかったですが、色んな人との巡り会いがきっかけで、ひとつひとつ越えていったという印象があるんです。人のつながりをもつのにICUって大変に良いサイズの集団な気がするんです。社会人になってからも、ICUだよっていうと色んなところから声がかかるんですよね。それってICUだからだろうなって思うんです。このつながりは大事なので、この有り難みを今のうちに分かっていれば素敵だなと思います。


プロフィール

古谷 賢
1968年生まれ。ICUで心理学を専修し、1992年に卒業。同年、日本トランスオーシャン航空に自社養成パイロットとして入社。カリフォルニア州 ナパJAL訓練所での基礎課程訓練および国内での旅客機実用課程訓練を経て乗務開始。現在Boeing737型機機長。総飛行時間9200時間。