INTERVIEWS

第82回 平野 良栄

麻雀プロ

プロフィール

平野良栄(ヒラノリョウエイ)
1997年4月国際基督教大学入学、2001年3月卒業、社会科学科で経営学専攻(土居弘元教授)。
在学中はフライングディスク部に所属、2年生の秋から1年間、男子キャプテンを務める。
卒業後はドイツ銀行グループ(IT部門)に入社。
麻雀は中学1年生のときに覚え、2014年9月に日本プロ麻雀連盟所属の麻雀プロになる。2019年3月、開成高校の同級生の紹介でICU高校の生徒向けの特別授業を麻雀プロとして実施。
アシックス社のマインドスポーツを題材としたドキュメンタリー映画「マインドアスリート 彼らが挑む実験ドキュメンタリー」に、チェス・eスポーツ・メモリースポーツのプレーヤと共に麻雀プロとして出演。アマゾンプライム・ビデオにて公開中。
インタビュー後の2023年9月に野村證券を退職、現在は専業の麻雀プロとして活動中。
中学生のときに友達に誘われた麻雀で、初めての対局でボロボロに負けたことが悔しくてハマりました。
齋藤
本日はお忙しい中ありがとうございます。

渡辺
よろしくお願い致します。

平野
お願いします。

渡辺
早速なのですが、平野さんが出演なさっているアマゾン プライム・ビデオのドキュメンタリー、拝見しました。

  
 

  
  

齋藤
あれは中々興味深い映像でしたね。でも、普通、運動と頭脳っていうのは関係ないはずはないと考えますよね。

平野
運動しないよりはした方が、マインドスポーツのパフォーマンスも上がるような気はしていたのですが、ついつい頭脳の練習ばかりを優先して、運動は劣後してしまっていました。ドキュメンタリーの実験結果を見てしまうと、ちゃんとフィジカルトレーニングもしないと麻雀プロとしてサボっていることになるのかなと改めて認識させられました。

渡辺
ドキュメンタリーで密着されるほど麻雀を極めてらっしゃることに、まず驚きました。そもそも麻雀を始められたきっかけは何だったのでしょう?

平野
小学生のときに「ファミコン通信」という雑誌の付録で「ぎゅわんぶらあ大トロ倶楽部」という片山まさゆき先生の麻雀マンガを読んで興味を持ちましたが、当時は周りに麻雀をできる人がいなくてそれきりでした。中学に入ってすぐに、「週末にウチで麻雀やりたいんだけど1人足りなくて…平野できる?」とクラスメイトに聞かれて、マンガで読んだことあるしできるだろうと高をくくって、「できるよ」と答えました。

ところが麻雀はそんなに簡単ではなくて、当然のようにボロボロに負けました。それがすごく悔しくて、帰り道に本屋で小島武夫プロの「負けない麻雀」という戦術書を買って、麻雀牌と麻雀マットも買って、自分の部屋で4人分の牌を並べて勉強を始めました。それが中1のときです。

渡辺
悔しさがスタートだったのですね。

平野
ゲーム全般が得意だったので、どうせ勝てるだろうと麻雀を甘く見ていました。これをきっかけにすっかりハマって、中2のときには大学生や社会人の大会に出ていました。

渡辺
もしかして、そういう悔しさはほぼ初めてでしたか?

平野
そうですね。自分は勝敗を競うゲーム全般が得意で、麻雀のように運の要素が強いゲームでも、自分は運も強いからきっと勝つだろうという根拠のない自信がありました。麻雀自体は初めてでしたが、自分の得意な「ゲーム」で負けたのが悔しくて、麻雀というゲームを極めてみたいと考えるようになりました。

渡辺
ゲーム全般なんでも得意だったなんて、すごい!齋藤さんもわたしも昭和生まれで全くゲーム世代じゃないものですから。

齋藤
そうそう。ぼくは昭和の最初のほうですけどね。

平野
自分も昭和52年生まれですけどね(笑)。ゲームは全般得意でした。

渡辺
小学校の時、よくなさってたゲームは?

平野
ちょうど小学校に上がる頃にファミリーコンピューターが発売されました。

渡辺
もちろん得意でしたよね?

平野
当時は今と違って気軽にゲームをダウンロードしたりはできませんでした。悩みに悩んだ末にこれというゲームを1本に決めて誕生日に買ってもらうと、次の誕生日まではもう新しいゲームを買ってもらえないので、ひたすらその1つのゲームをやり込んでいました。

最初はそんなにやるつもりがなかったのですが、模試たまたま受けたら成績が良かったので受験することになりました。
渡辺
どんなご両親なのか、教えていただけますか?

平野
父は会社経営、母は専業主婦でした。

渡辺
どちらかが数学系に強かったとか?

平野
全くそういうことは無いですね(笑)。父は北海道出身で、最初は北海道でクリーニング店勤務、次に弁当屋を起業して、東京に出てきてからはF2レーサー、寿司職人を経て輸入雑貨の会社経営、という感じでした。「生き抜く力が強い人」というタイプで、数学とは無縁でしたね。

渡辺
ご兄弟は?

平野
姉と妹がいます。

渡辺
平野さんのお生まれは東京ですか?

平野
生まれは富山、育ちは千葉です。

渡辺
じゃあ、小学校は地元で?

平野
地元です。中高が開成でそこからICUに行きました。

齋藤
中高で開成というと、普通お受験にこだわるご両親がいるから受験させるのだと思っていたのですがそうじゃなさそうですよね。

平野
そうではありませんでしたね。模試を受けたら成績がよかったので、「これは受験しなきゃ」と周りから言われて受験することになりました。才能というか、適性というか、自分はああいうテストで高い点数を取るのが得意でした。

齋藤
わかります。そういう人って結構いるんですよね。

渡辺
だって、平野さん、どこからみても賢い少年だっただろうなぁと。
中学受験しなきゃっていう話になりますよね。

平野
それがその後のICUに繋がってくるんですけど…。

齋藤
いやいや、なんでそれがICUに繋がるんですか?


ICU卒業式(2001年)

定期試験のノリで東大を受けたら「え!試験って落ちることがあるんだ!」とびっくりしました。
平野
開成というと、すごく東大を目指すイメージがあると思うのですが…。

渡辺
齋藤
それはそうでしょう。

平野
それが、開成という学校は「東大を目指すぞ!」とかはあまりしないんですよ。

渡辺
齋藤
え?しないの?

平野
センター試験は時期が来たらみんな受けますよね。少なくとも自分はそんな感じで時期が来たので東大出願して受けようという感じでした。

渡辺
なるほど。自動的にってことですね?

平野
自分は高3の学年末テストのノリで受けてあっさり落ちたのですが、人生で初めて試験に落ちたので、「試験って落ちることがあるんだ!」とびっくりしました。

渡辺
逆に…なんで落ちたの?

平野
勉強より麻雀している時間の方が長かったからですかね...?


卒業文集―現在までの戦績―(1996年)

渡辺
それでも、なんか通っちゃいそうですよね。東大はもちろんすごいのだけど。

齋藤
なんというか、今の話からいくと、「あぁ、入っちゃったよ」みたいな。

平野
開成生はだいたい上位半分が東大に合格しますが、自分は上位半分には全然入っていなかったですね(笑)。

渡辺
それほど勉強していなかったんですね?

平野
中1の最初の中間テストは中の下くらいでした。そこから麻雀にハマって、中2の中間テストでクラス50人中49位、「うわぁ、49位だ」と思って50位を探したら49位タイが見つかりました(笑)。

渡辺
でも、麻雀と勉強ってそんなに重ならないの?というか、麻雀とかゲームって脳が相当鍛えられると思うんですけど、実際の受験試験とは重ならないのかしら。

齋藤
今の、非常に面白いこと言うててね。麻雀は考えなきゃならないんですよ。試験は覚えることを一生懸命やればいいところが多そうだから、時間を使えば点数が上がるのかな。

平野
試験の勉強をしなければ試験の点数は取れないですね。

渡辺
確かに暗記ものはすごく多いですよね。

齋藤
暗記する時間がなければそら点数が取れるわけがないね。

平野
浪人して予備校に通い始めたら、同じクラスに同級生の麻雀仲間が集結していました。すると何が起きるかというと、1限に2人いたとして、2限に1人来て3人になり、3限にもう1人来て4人集まると麻雀を打ちに行っちゃうんですよ(笑)。

渡辺
その時は雀荘に行くんですか?

平野
予備校の教室に4人揃ったら雀荘に移動して、夜遅くまで麻雀して帰る日々を1年間ずっと繰り返していました。

渡辺
それは強くなったでしょう。みなさん、平野さんから見ても猛者たちということですものね?

平野
同級生の中でも特に強いメンバーで、いっしょに大会に出たりしていました。

28%の勝率を「ここぞ」という時に出す力がないとプロとしてやっていけません。
渡辺
そういう時、平野さんはほぼ勝つんですか?それとも勝ったり負けたり?

平野
勝ったり負けたりです。麻雀は4人でするゲームなので、実力が完全に互角だと勝率は25%になります。世界チャンピオンのプロがアマチュア3人と対戦したとして、勝率は良くて28%程度です。

渡辺
3%しか伸びないの?そんなにわからないものなんですか?

平野
勝率30%を超えたら異常ですね。実力通りの勝敗に収束するのに必要な対戦回数は一般的に1000回と言われています。

麻雀の大会は1日4回程度の短期戦が多いので、1000回中280回勝つことも大切ですが、どこで280回勝つかが重要になります。長期的には25%前後に収束することは承知の上で、ここぞというときに勝たないとプロとして続けていくのは難しいと思います。

渡辺
そんなこといったら、普通に無理じゃないですか?それだけランダムにしか勝てない中で、しかもここぞというところで勝つなんて。どうやれば……?

平野
いつでも平常心で最大限のパフォーマンスを発揮できるようにしておくことが大事だと思います。例えば、本来はリスク選好度の高い打ち手が、大舞台で萎縮してリスク回避的になったりすると、ここぞというときに勝てない1つの要因になります。

渡辺
お話をうかがってると、トップアスリートですよね。平常心でいるということはメンタルはもちろんですけれど、フィジカル、身体面でも持ち堪える余裕がないと到底、実現できないですよね。出演されていた映像の実験とも繋がってきますが。

   

  
 

平野
麻雀プロのパフォーマンスには、「キャパシティ」「スループット」「デュラビリティ」の3軸があると考えています。1つ目の「キャパシティ」は、戦略や戦術の理解度です。たとえば確率に基づいてより期待値の高い選択をする、リスク・リターンを評価する等です。2つ目の「スループット」は、この戦略や戦術を本番でどれだけ発揮できるかです。模試では100点中95点でした、本番の試験では95点中何点取れますか、というイメージですね。

渡辺
模試が得意だったのだから、その辺りはお手のものですよね。

平野
自分は20歳から35歳くらいまでの15年ほど、麻雀を離れていた時期があるのですが、15年ぶりに麻雀に戻ってきて驚いたのは、麻雀の戦略・戦術の底上げでした。統計的手法などを用いて、「この局面の確率はこう、期待値最大の手はこれ」という「正解」の一般化が著しく進んでいて、「あ、これはゲームが変わったんだな」と感じました。

最近は初心者の方でも、戦術書を読んだりネットの記事や動画で勉強すればかなりの知識を得られます。模試の点数で差が付かなくなってきている状態で、本番の試験で何点取れるか、1日を通じて、または中長期的に高い点数を取り続けることができるか、ということの重要性が増していると思います。

渡辺
何戦もやっていく中で、どう維持していくか、と。

平野
3つ目の「デュラビリティ」がまさにこれに当たります。

麻雀は決断の連続で、自分の手牌14枚からどれを捨てるか、相手が捨てた牌に対してアクションを取るか取らないか、という決断がだいたい2秒ごとに発生します。2秒ごとの決断を1日数時間、1000回以上続けて、ミス率は1%を超えたら相当ミスしすぎ、という感じです。

NYから帰国して最初の復帰戦は1日6回戦の大会で、渡米前の感覚だと自分はだいたい3回戦目くらいから疲れが出始めるのですが、復帰戦では6回戦を最後までフルパフォーマンスで打ち切れて、勝ち上がることができました。

渡辺
6戦目の方が誰もがパフォーマンスを落とす可能性があるという正にギリギリの勝負、ここでこそ絶対負けられないわけですね。この時どれだけ朦朧としないでいられるか、その点で成果が出たということですね?

平野
はい、6回戦の最後まで頭が回転しているし、息切れしてないな、早速効果が出ているなと感じました。

渡辺
ネタバレにならない範囲で言うと、格闘ゲームやチェスなど、他の競技も番組内で取り上げられますが、麻雀はより勝敗の行方が分からない競技だと言えそうですよね。どんなに実績があってコンディションも良くても、万が一という落とし穴が最もあるゲームなのだと感じます。

麻雀は人生と同じだと思います。3つの次元の違う情報を使い、今ある牌で勝負する。
平野
運の要素が強いゲームで、それこそ世界チャンピオンが別の大会の1回戦でコロッと負けたりします。

渡辺
それはショックですよね。

平野
麻雀は勝つより負けることの方が多いので、麻雀やっている人はみんな心が強いんです(笑)。麻雀をやっていて一番よかったと思うことは、不運や不条理に対する耐性がついたことです。多少の不運に見舞われても、麻雀ではこの程度の不運は日常茶飯事と思うと全然気になりません。

渡辺
最強プロが1回戦で負けることも?

平野
極端な例を挙げると、誰でも約33万分の1の確率で最初からアガっている、勝っているということがあります。

渡辺
うーん、人生と一緒ですね。最近よく言われるガチャというか。

平野
まさに人生と一緒で、自分の置かれている状況や、すでに起きてしまった出来事を嘆いても仕方なくて、今ここから何ができるかが大切だと考えています。形勢不利な状況から、不利を承知で勝ちを目指すことも、早めに損切りして失点を抑える方向に舵を切ることもできます。

対人ゲームとしての麻雀には3次元あると考えています。第1次元は、自分の手牌を見て、どれを切ると一番確率や期待値が高くなるかを考えます。自分に見えている情報の評価ですね。第2次元は、相手が捨てた牌を見て、相手が何を狙っていて何を持っているか、持っていなければ牌山の中にまだ残っているのでは、というように、見えている情報から見えていない情報を推理します。第3次元は、対局者同士がお互いのことをどう考えているか等を踏まえて局面を評価する、見えていない情報から見えていない情報を推理します。

自分の手牌だけだと確率と期待値に忠実に従うだけなのですが、相手がいることでぐっと面白くなって、さらに対戦相手との間に人間関係が生まれるともっと面白くなります。予備校時代は毎日ほとんど同じメンツで打っていたので最高に楽しかったです。昨日アイツにこれでやられたから今日はこうしてやろう、みたいな(笑)。

渡辺
なるほど、授業に出ている場合じゃなくなっちゃいますね(笑)。だから、東大ストレートじゃなくて、ICUという選択肢が生まれたのですね。

知能テストを選考基準にする大学が面白い!と思いましたし、自分も得意だったのでICU受験を決めました。
平野
自分はちゃんと勉強をするのが得意ではなくて、得意な科目はやらなくてもできるのですが、苦手な科目は全然覚えられなくて。

渡辺
平野さんはセンター試験の世代ですよね?私は共通一次の最後の年なので、センター試験は科目数が少なくていいなぁなんて当時は思ったけれど、どのみち暗記は多いですよね。

平野
センター試験は辛かったです。日本史とかは本当に好きではなかったので、試験当日の電車の中でようやく近現代史の範囲を勉強していました(笑)。

渡辺
そもそも、暗記しなきゃいけないという意味自体がわからないと思ったり?

平野
麻雀牌の組み合わせのパターンとか、自分が暗記したいものはいくらでも暗記できるのですが。

渡辺
それは、平野さんにとって暗記というジャンルになるんですか?それとも見たら入ってくるんですか?

平野
自分は記憶力がよいと言われることが多いのですが、個々の詳細はあまり覚えていないんです。言語化したメタ情報だけ脳内に格納して、どこに格納したかの索引だけ覚えるイメージです。

渡辺
机の上は綺麗な方ですか?

平野
机の上は何もないですね。

渡辺
机の上が資料の山みたいになっていて、でも全部、自分ではわかってるタイプ、ありますよね。地層のどこに何があるか掘り当てられるという。それとはまた別かもしれないけど、平野さんも麻雀に関しては覚えよう、暗記しようじゃなくて、入っているということなんですね?

平野
例えば対局中に何かしらの気づきが得られたとして、この手牌、この状況、この局面で、というメタ情報を言語化して、いつかまた同じパターンが来たときに「あのときに出てきたやつだ」とピンと来るようにしています。

渡辺
確かに東大の試験はそれだと難しいかもしれませんよね。やっぱりICUかな。

平野
当時、書店の学習参考書コーナーに大学偏差値一覧が張られていて、ICUはなぜか不当に高いところに掲載されていました。どんな学校だろうと気になって赤本を立ち読みしたらいきなり知能テストが始まって(笑)。これはきっと楽しいし得意だし、これを選考基準に学生を取ろうとする学校も面白いし、この入学試験をパスした人ばかりが集まる学校もきっと楽しいだろう、と考えてICU受験を決めました。

齋藤
そういうことを言った人は初めてですね。今まで何十人もインタビューしてきたけど、キャンパスが美しい〜っていうのは大体多かったですよね。

渡辺
そうそう、のんびりしていて好きとか。

平野
キャンパスは試験当日に初めて訪れました。

渡辺
知能テストは実際やって楽しかったですか?

平野
全部解けたと思います。

渡辺
さすが。しかも時間かからないんでしょ?それはいつくらいからそういう感じなのですか?

平野
小1のときに受けた知能テストはIQ 151でした。ICUの入試でも就活のSPIでも得意だなと感じていたので、WAIS-IVという知能検査を受けてみたらIQ 143と出て、JAPAN MENSAの会員になりました。

渡辺
解説の必要もないかもしれないけれど、IQの平均は90〜100と言われていて、110〜130は優秀、それ以上だと非常に高い知能とか。そして、MENSAは全人口のうち上位2%のIQの持ち主が入れるイギリス創設の国際グループですよね。ICUの知能テストは無論、満点だったとして、読解の方も得意だったんですか?

平野
人文・社会科学は自分の得意な国語なので問題ありませんでした。英語はリスニングとか何を言っているのかわからないし寒いしで半分以上寝ていました…。

もちろんプロAで、英語で行われる授業の割合も多くて、なんでこんなに英語が多いんだ、と辛い日々を送っていました。当時ELPでジェラルド先生、通称「仏のジェド」と呼ばれていたとても優しい先生がいて、授業中に英語が辛くて寝ていたら、肩をトントンと叩かれて優しく「起きて」と。「ごめんごめん、寝ちゃってたよ」と言って、先生が教室をひと周りする間にまた寝ていたら“Get out of here!”と怒鳴られて。仏さえも怒らせてしまうほど英語の授業は辛かったです。

一同
(笑)。

渡辺
ドキュメンタリーの中では英語を話していらっしゃったけど、それは卒業した後に?

「今君をクビにするかどうかの話し合いが行われている。」と言われて。海外って居眠りがダメなんですね。
平野
ドイツ銀行グループの新卒研修で「みなさん夏からロンドン研修に行ってもらいます」と言われて、「パスポートってどうやって取るんですか?」と質問したら、同期の中でパスポートを持っていないのは自分だけで慌てて手配しました(笑)。

ロンドンでは英語を話せないながらも何とか集合研修を乗り切って、現地の上司の下でOJTをすることになりました。ところがやっぱり英語はわからないし、冬で寒いしで、ある日自席で居眠りしていたんですよ。すると東京の上司から電話がかかってきて、「今居眠りしていただろう、今君をクビにするかどうかの話し合いが行われている」と言われました。海外って居眠りがダメなんですね。幸いクビは免れて、それからは居眠りすることもなく、英語にも真剣に取り組むようになりました。インド英語やアイルランド英語に囲まれて、英語話者同士でも必ずしもお互いの英語を完全に聞き取れているわけではないのだ、と気づいてからは臆さずに英語を話せるようになりました。

渡辺
語学を体得するのはそこまで大変ではなかったのですね?状況が差し迫っていたこともあるかもしれないけれど。

平野
やるしかない状況でしたし、そのことに肚落ちもしていたので大変とは感じませんでした。

仕事に行き詰まった時。長男がきっかけで麻雀の牌を出して少し一緒にいじっていたら当時の情熱を段々と思い出してきたんです。
齋藤
ドイツ銀行グループにはどのくらいおられたのですか?

平野
2001年から約4年間です。自分はプロジェクトマネジャを本業としていたので、プロジェクトの間が空くと、自分の成長が停滞して相対的な市場価値が下がると考えて、プロジェクトが終わるたびに次のキャリアを探していました。2005年にバークレイズ銀行グループに転職して、約5年後に会社買収に伴うシステム統合プロジェクトを完了したところでまた次を探して、2010年に野村證券に転職しました。

野村證券も、最初に任されたプロジェクトが終わったら辞めるつもりでした。ところがちょうどプロジェクトが終わったタイミングでチームリードをやってみないかと言われて、またそれが一段落した頃に今度はNYに行かないかという話が出て、気づいたら13年ほど経っていました。

渡辺
だからドキュメンタリーの時はNYにいらしたんですね。

  

  

独立記念日@ニューヨーク(2021年)

  

平野
2019年10月に単身渡米して、後から家族を呼び寄せる予定でしたが、コロナ禍で学校が閉鎖され街の治安も悪化したので、妻に子供4人を任せて単身赴任を続けていました。

2022年5月に本帰国する直前にドキュメンタリーの制作会社の方から「日本人で英語を話せる麻雀プロを探している」と連絡があり、「麻雀を世界に広める」という自分の目標にも合っていたので出演を快諾しました。

  
  

渡辺
なるほど。ちなみに先ほど、キャリアの中で麻雀が抜けている時期があるとおっしゃっていましたが。

平野
ICUに入学してみたら学生の女性比率が高くて、武蔵境なので雀荘もほとんどありませんでした。フライングディスク部で01の男子キャプテンを務めていたこともあり、麻雀からは自然と距離を置くことになりました。「今を輝く同窓生たち」の第67回でインタビューされていた太神楽の鏡味味千代さんはフライングディスク部で自分の一個上、00の女子キャプテンです。

齋藤
そうなんや、鏡味さんと同じ部活だったんですね。

平野
就職してからは「好きなだけ仕事していいよ」という職場のカルチャーもあり、仕事ばかりしていました。仕事は好きで充実した日々を過ごしていましたが、2013年頃に初めて、仕事がうまくいかない時期が訪れて。それまで10年以上、ひたすら仕事にフォーカスしてきていたので、仕事がうまくいかないと自分の人生を否定された気持ちになり、仕事がうまくいかない自分に価値がない気がして辛い時期がありました。

ある日、当時6歳の長男が自分の部屋に入ってきて、引き出しの中から銅メダルを見つけたんです。「これは何?」と聞かれて、麻雀の学生名人戦の銅メダルだよ、と。それがきっかけで長男に麻雀を教えているうちに、当時の情熱が段々と蘇ってきて、麻雀プロの募集要項を調べてみたら受験資格が40歳未満でした。当時すでに34歳でギリギリだったこともあり、「1回で受からなかったら諦めるから1回だけ受けていいかな?」と家族に頼み込んで受験したら合格しました。

渡辺
プロテストは、どういったものなのですか?

平野
自分が受験した当時だと、書類選考、筆記、面接、実技、を1日で実施していました。これをパスすると研修生として6か月の研修期間に入ります。研修は月1で、筆記、実技、面談、小論文、という構成でした。半年間の研修期間後に改めて合否判定が行われ、合格するとようやくプロになれます。2014年9月に麻雀プロとしての活動を開始すると、「仕事以外の自分」ができてうまくバランスを取れるようになりました。

麻雀を離れていた期間があったからこそ、今はプロとして英語やITのスキルを麻雀界の役に立てることができました。
渡辺
両輪ができたということですね。メキメキと上達していた中学生くらいの時期はそのままプロになろうとは思わなかったのですか?

平野
プロテストの受験資格は満18歳以上なので、プロテスト受験するか大学受験するかは悩みました。今でこそ麻雀プロが様々なメディアで取り上げられたりしていますが、当時はもっとアンダーグラウンドな感じだったので。

渡辺
確かに、どことなく無頼なイメージがありますよね。

平野
麻雀プロの世界に身を投じるのは今よりも相当リスクがあると感じて、無難に大学進学を選びました。

渡辺
そして入学なさったのがICUだったから自然と遠のいてしまったのですね?

平野
就職したらますます遠のいてしまいました。

渡辺
その遠のいた時期に仕事に熱中して、しかもそこまで熱中できる仕事に没頭した数年間があるのは、麻雀のプロとしてもご自身の人生にとってもよかったと思われますか?

平野
はい、今回このドキュメンタリーを通じて麻雀というマインドスポーツを海外の視聴者に届けることができたのは、今のルートを選択して英語というスキルを身につけられたおかげだと思っています。

   
  

マインドアスリート試写会(2023年1月)

  
  

平野
麻雀プロの世界はあまりデジタル化が進んでいる方ではないので、仕事で身につけたITスキルも役立てたいと考えています。NYのロックダウン中は時間があったので、自分が所属している日本プロ麻雀連盟のプロ約600人のデータベースを構築して、過去20年間の成績、動画、関連記事などを検索できるようにしました。
齋藤
ちなみにその600人のプロの人達は麻雀だけで生きていけるんですか?

平野
いえ、そういう人は本当にひと握りです。

齋藤
ひと握りというのは50人以下の話なんですか?

平野
そうですね。大会の賞金や対局料、雀荘のゲストなど、純粋に麻雀を打つ仕事だけで生計を立てられる人はかなり限られます。雀荘勤務など麻雀関連の仕事をしていたり、自分のように会社勤めという人が大半で、最近だとタレントやモデルの方が異業種参入のような形で麻雀プロになるケースも増えています。

齋藤
読者の方の中には、僕も私もこういう麻雀のプロになれるのかな?と思っている人がいるのではないかな~。とすると今のお話やったら、どのプロの世界もそうでしょうけど、そんなに甘い世界とちゃうぞ、ということですね。だから、もし自分が麻雀のプロの世界で生きていくというのを考えるのであれば、仕事を別に持っていてねそれでやるのはありですよね、ということですかね。

平野
麻雀プロになる理由として、お金を稼ぐ手段か、成し遂げたい何かがあるか、という2つがあると思います。麻雀プロにならないと実現できない何かがあって、それを達成するために麻雀プロになるのはよいと思いますが、お金を稼ぐ手段として麻雀プロを目指すのは効率がよくないと思います。

AIは高いリテラシーと用途に対する知識を持って使用することが大切ですが、それがなかなか難しいのです。
齋藤
もう1つ色々お話伺っていてこれちょっと聞きたいなと思ってたんですけどね、平野さんが98点くらいの高いレベルだとして、昔あんまり大したことない人がネットだったり勉強本でレベルが上がってきたと仰ったじゃないですか。最近Chat GPTなんかも色々言われているけれど、自分の頭で考える事とAIに考えさせて出てくるものには、サブスタンスがほんとに有るのか無いのかということはどうなんでしょうね。

なんとなく思うのですけど、ネットや本とか色んなものから身につけたことと、平野さん自身が自分で身につけたことには質的な違いがあって、彼らもあるところ以上から上がれないと。つまり本とかネットとかに頼って頭の中で理解してることと、平野さんが実学的に自分の身をもって学んでいることの間には差があるんじゃないかという風にさっき伺っていて思ったのですが、そういう風に思われます?

平野
麻雀AIはとても強くて、自分と1000戦したら麻雀AIが勝ち越すと思います。

齋藤
なんかチェスでも似たような話があったような。

平野
チェス、囲碁、将棋はAIの躍進が目覚ましいですね。

自分も練習では麻雀AIを活用することが多いです。3人の麻雀AIとの対戦だと、対人戦の半分以下の時間で対局が終わります。対局後に自分の選択を麻雀AIの評価と見比べて、これは自分のミスだから改めよう、これは麻雀AIとは意見が異なるけどこれでよしとしよう、という振り返りをしています。

渡辺
その対戦相手の3人というのは三人三様ですか?つまり、3人ともバラバラの手を打ってくるのですか?

平野
思考回路は同じにしていますが、それぞれの手牌や置かれている状況が異なるので、打つ手はバラバラになります。

渡辺
能力的にはAIな訳ですからほぼ同レベルなわけですよね?でも、このAIの能力というのはどんどん進化するわけですね?

平野
どんどん進化しますね。一方で、例えば先ほどのChat GPTについて、「Chat GPTの回答は正解ではなくて、それらしい文章を生成しているだけですよ」と注意を促してもあまり伝わらないことがあるのは懸念しています。操作自体は非常に簡単ですが、正しく活用するには高いリテラシーが求められるため危うさを感じています。

渡辺
その高いリテラシーはどうやって培っていけばいいのでしょう?

平野
それはまさにアレじゃないですか、クリティカルシンキングだと思います。

渡辺
クリティカルシンキング、同感です。ただ、論理的に冷静に物事を考えたり、分析して再構築するって、アナログな作業ですし、時間も労力もかかりますよね。平野さんが初めて麻雀で負けて悔しいと感じて、いろいろ調べ始めた時も結構、地道だったんじゃないかと思うんです。でも今は、安きに流れず、クリティカルシンキングという発想を手放さずにいられるのかなと不安になるくらい世の中が便利になっちゃった感覚はあるのですけれど。

平野
AIのアウトプットを正解として扱う方がクリティカルシンキングに立ち帰るよりも楽なんですよ。ただ、たとえば生成AIは正解を求めるためには作られていない、という前提を理解して正しく使うことができるリテラシーを身につける必要があると思います。

種類の違う情報をその都度適切に処理するためにはシチュエーションが変わるたびに再計算することです。仕事も麻雀もそれは似ていますね。
齋藤
平野さんの話を聞いててね、中学1年生の時に麻雀を始めたというのは要するに若い時に始めた。その次に麻雀の手というのは、1人2秒ぐらいしかない。その時に判断する材料というのが統計っていうのと、それから皆んなで打っている牌を見ながら、そこで考えていくっていうのと、それからそれぞれ人の性格っていうのもあるな。こういう次元の違う3つの情報を2秒という短い時間の間に考えるというのはね、これはものすごい脳のトレーニングになったんやろうなと思うんですよ。じっくり考えて判断できる人は割とたくさんいるのですが、速いスピードで判断できる人って、そんなにお目にかかったことがないんです。人が判断する時のスピード、みんなが直感的と表現するものは、実は直感的というかある種のパターン的にいろんなもの考えながら情報を処理してそこで判断できる力、っていうのがすごく大事な気がするのです。

僕が前にいたコンサルティング会社では中途採用のコンサルタントは32歳以上の人を採用しないという考え方があったのです。今は知りませんがね。その根拠はどこにあるかというと、就職して10年も経つと、その会社の仕事とか、その会社のものの考え方に大きな影響を受けていて、新たな考えを生み出すことがまずできないと。これはいかに10代とか20代の時に、いろんな情報を得てその中で自分の脳を使って考え判断していく力を磨くというのが1番重要ちゃうのかなって改めて思ったのです。

読者の方からしたら、種類の違う情報を得た時、その中で最適なものを考えていくというのを訓練するとしたら、麻雀は良さそうやということですね。他にどんなものがあるんですかね?そういう瞬発的に種類の違う情報を捉えるというのはなかなか大変だと思います。

平野
仕事ではプロジェクトマネージャをすることが多いのですが、プロジェクトマネージャの仕事は簡単に言うと、いついつまでにこういうゴールを達成してください、予算はこれです、さあどうぞ、という感じです。そこからゴールまでの工程を組み立てて推進するのですが、プロジェクトの途中で期限が前倒しされたり予算が減らされたりと、色々と状況が変わることがあります。そういった刻々と変化する状況に対応して、最終的にゴールにたどり着くようにするのが仕事です。

麻雀は毎局136枚が伏せられている状態からスタートして、最初は自分の手牌13枚とドラ表示牌1枚だけが見えています。この時点でひとまず攻めようとか守ろうとか大まかな方針を立てるのですが、局が進むに連れて相手が捨てたり仕掛けたりして、だんだんと目に見える情報量が増えていきます。するとそこから相手の手牌や牌山に残っている牌を推測することができるようになるので、1手進むごとにパラメータを更新して再計算するイメージです。周りの状況が変わるごとに、新しい情報が得られるごとにそれを取り入れて現時点の最適解を再計算し続けるという点で、麻雀とプロジェクトマネジメントは似ていると感じています。

「君はフリーターみたいだな」と笑われてしまったのですが(笑)。不確実性の高い世の中ではアジャイルに取り組んでいくのが結果大きく道を外しません。
渡辺
平野さんが今、プロ一本でやらないのはなぜですか?やろうと思ったらできる状況ですよね?

平野
やろうと思ったらできなくはないと思っています。

バークレイズ銀行グループにいた頃、日本法人社長とのランチで「君の人生のゴールはなんだ」と聞かれたことがあります。資産運用業界は物事を長い時間軸で捉える方が多いのですが、自分は「常に次の2、3年が一番充実するように生きています」と答えました。「君はフリーターみたいだな」と笑われてしまったのですが(笑)。

最近は、特にソフトウェア開発の現場で「アジャイル」という考え方がメジャーになってきていて。最初に立てた綿密で長期的な計画に従って当初のゴールを目指すより、ひとまず短期間でざっくり開発してみて、こまめにフィードバックしながらゴール設定自体を随時見直して調整していくという考え方です。特に不確実性の高い環境下では、アジャイルの方が結果大きく道を外れないよね、という考え方が最近のトレンドです。

たとえば「10年後に社長になる」というゴール設定をしてそれに邁進するよりも、その時その時で自分のできることや市場価値を評価して次の2、3年をどうするかをこまめに見直すほうが、自分には合っていると感じています。どこかのタイミングで「次の2、3年は麻雀プロ一本でやるのがベスト」という結論に至れば、そういう選択をすると思います。

2年後の「リーチ麻雀世界選手権」をホスト国として盛り上げたいです!
渡辺
ドキュメンタリーを拝見していても、着実で堅実で幸せな道を選んでいらっしゃると感じました。ご家族も仲良しで、麻雀って博打うちっぽいイメージがありますけど、平野さんは人生を楽しみつつ、趣味も仕事もバランスよく。今の考えがきっと根底にあるのですね。現在も2、3年後を見ていらっしゃるのでしょうか?

  
  

平野
そうですね、常に次の2、3年をどう生きようかと考えています。

これは宣伝なのですが、リーチ麻雀世界選手権という世界大会が3年に一度開催されています。第1回は2014年のパリ大会で、当時自分はまだ麻雀プロではありませんでした。第2回は2017年のラスベガス大会で、自分も出場しました。個人成績は220人中110位という不本意な結果に終わりましたが、「麻雀を世界に広め、麻雀で世界一になること」という自分の目標に向けては、プレイヤーとして腕を磨くだけでなく、麻雀プロとしては希少性のある英語力を生かしたアプローチはアリだなと感じました。第3回は2022年のウィーン大会で、次の第4回大会は2025年7月になんと東京で開催されるんです。


第2回 リーチ麻雀世界選手権@ラスベガス(2017年)

齋藤
渡辺
東京で!

平野
2025年に向けて、いまからフィジカルトレーニングを続けていこうと考えています。撮影中はパーソナルトレーナーの方に週1でご指導いただいていたのですが、アシックスさんのご厚意で来週からまたパーソナルトレーニングを再開することになりました。

渡辺
楽しみですね。

平野
選手としてももちろん楽しみですし、日本がホスト国として世界中から選手を招待するので楽しいイベントにしたい、運営面でも貢献したいと考えています。これは麻雀プロにならないとできないことなので、麻雀プロになってよかったと思います。


The Library Pot Board Game Cafe@ロンドン(2023年1月)

「まぁ、そういうもんだよね。」とお互いに思っていられるのが僕はとても気持ち的に楽でした。
渡辺
準備期間もあるでしょうし、大変だと思いますけれど、がんばってくださいね。最後に、ICU生やICUを目指してくださってる若い世代に、メッセージをお願いできますか?

平野
日本は電車が時間通りに来るなど総じてサービスレベルが高いと思うのですが、その裏返しとして人々が相手に求めるサービスレベルも高いと思います。「こちらがこれだけやっているんだからあなたもさぞかしやってくれるんでしょうね」というような(笑)。サービスを享受する立場のときは良いのですが、サービスを提供する立場としてはプレッシャーを感じます。言われなくてもこれはやるよねとか、常識だよね、みたいな。

NYで感じたのは、日本に比べてサービスレベルは低いのですが、サービスレベルに対する人々の期待値も高くないということです。コンテクストも共有していないので、相手が自分と同じような考え方をするとは限らないし、「まぁ、そういうこともあるよね」とお互いに寛容でいられるのが自分としてはとても気持ち的に楽でした。

ICUでは誰が何をしていても「そういう人もいるよね」とお互いの違いを認めて受け容れられていて、いま振り返ると自分がICUで好きなことを好きなようにやれたのはこの寛容さのおかげだったのだなと思います。



プロフィール

平野良栄(ヒラノリョウエイ)
1997年4月国際基督教大学入学、2001年3月卒業、社会科学科で経営学専攻(土居弘元教授)。
在学中はフライングディスク部に所属、2年生の秋から1年間、男子キャプテンを務める。
卒業後はドイツ銀行グループ(IT部門)に入社。
麻雀は中学1年生のときに覚え、2014年9月に日本プロ麻雀連盟所属の麻雀プロになる。2019年3月、開成高校の同級生の紹介でICU高校の生徒向けの特別授業を麻雀プロとして実施。
アシックス社のマインドスポーツを題材としたドキュメンタリー映画「マインドアスリート 彼らが挑む実験ドキュメンタリー」に、チェス・eスポーツ・メモリースポーツのプレーヤと共に麻雀プロとして出演。アマゾンプライム・ビデオにて公開中。
インタビュー後の2023年9月に野村證券を退職、現在は専業の麻雀プロとして活動中。