INTERVIEWS

第88回 國村有弓

日本医科大学 医療管理学 助教

プロフィール

國村 有弓(くにむら ゆうゆ)
山口県出身。高校3年間カナダに留学。2011年国際基督教大学教養学部理学科卒業。学部3年より日本医科大学に国内留学。2013年国際基督教大学大学院博士前期課程修了。2017年、日本医科大学大学院医学研究科博士課程修了。生殖神経内分泌を専門とし、加齢に伴う性ホルモン調節の変化について研究。ポストドクターを経て、2023年より日本医科大学医療管理学助教(現職)。
渡辺
ICU在学生の頃から今に至るまで、この同窓会インタビューにさまざまなかたちで協力してくださっている國村有弓さんをお迎えしました。今までどうして思いつかなかったんだろう?と不思議になるくらい、経歴や経験値の豊かな有弓ちゃん…。つい有弓ちゃんと呼んでしまうほど身近だったからかもしれないけれど、齋藤さんはじめ手弁当で成り立っているこのインタビューに関しても、ご尽力に心からお礼を申し上げたい気持ちです。今日はゲストとして、よろしくお願いします。
國村
よろしくお願いいたします。
齋藤
有弓ちゃんはね、ぱっと見はすぐ仲良しになってくれる雰囲気ではあるんやけど、実はすごく真面目で優秀でね(笑)。隠れた才能の持ち主なんですよ。
渡辺
齋藤さんと有弓ちゃんとは、きっかけはどういうご縁からですか?
國村
私がICU3年生のときに、ICUの卒業生と現役生をつなぐイベント企画サークルに所属していて、その活動の一環で齋藤さんにインタビューをさせていただいたんです。それが最初の出会いでした。
齋藤
そうそう。それで、インタビューのあと、「今日、実は私の誕生日なんです」って言うから、みんなでご飯を食べに行ったんです(笑)。確かに、すぐ仲良しになってくれました(笑)。同じ“類”だったのですね。
國村
はい(笑)。あの日からずっとお世話になっていて、もう15年くらい経つんですかね。
渡辺
その15年の間に今やお母さんにもなられて、働き方も変わりましたよね?
國村
今は、日本医科大学という私立医科大学で、医療管理学という教室の教員をしています。その他に、研究統括センターという、研究活動を組織横断的に統括するところを兼務していて、利益相反や研究倫理など、研究活動を支える支援業務にも関わっています。
神経生物学に興味を持つようになったのは、カナダの高校でラットの解剖を経験したのがきっかけでした。
渡辺
有弓ちゃんはICUでは理系の専攻でしたよね?
國村
はい。高校生の時から神経生物学に関心があって、N.S.(Natural Science)の中でも生物系の科目を中心に履修していました。学部3年の1月から「国内留学」という形で日本医科大学の解剖学・神経生物学分野の研究室に通って、神経性物学をテーマに卒業論文を書きました。
渡辺
専攻からどのようにキャリアを進めて、今の仕事に?
國村
学部時代に日本医科大学で卒業研究をさせていただきましたが、修士課程でも引き続き同じ研究室で学びたいと思い、ICUの修士課程に進学し、実験は日本医科大学の研究室で行いました。
渡辺
「国内留学」というのは、具体的にはどのようなものなのですか?
國村
国内留学では、ICUに在籍しながら、他大学や他施設の研究室で実験や卒業研究をさせていただきます。当時、脳や神経に興味があって、ちょうどICUに客員教授でいらしていた日本医科大学の小澤一史先生(現所属:佛教大学保健医療技術学部)の神経生物学の授業を受け、「この先生の研究室で学びたい!」と思ったのがきっかけでした。
渡辺
実際にその研究室に通えるようになるまでには、どんな経緯を経て?
國村
ICUでは小林牧人先生の研究室に所属していたのですが、国内留学先で研究に専念できるよう、3年生のうちに卒業に必要な単位をすべて取り終えるよう言われたので、全部取り切って、4年生ではほとんど研究に集中していました。ICUの研究室のゼミがある時はICUに通っていました。
渡辺
すごいことですね。かなりのハードワークだったのではないかと!
齋藤
それが、ちゃんと今では日本医科大学の教員ですもんね。
國村
医師になるわけでもない他大学の学生だった私を、ここまで長く受け入れて面倒をみてくださったことには感謝の気持ちでいっぱいです。
渡辺
有弓ちゃんがどんなテーマで研究されてきたのか、差し支えない範囲で教えていただけますか?
國村
私の研究は「生殖神経内分泌」という領域で、ざっくりいうと、脳がホルモンの分泌をどのように制御しているかについて研究していました。特に、加齢による性ホルモン分泌やそれに伴う生殖機能の変化がテーマでした。性ホルモンって思春期、妊娠・出産、更年期といった時期に大きく変化するのですが、命に関わるわけではないけれど、生活の質に深く関わってくるので、興味深いテーマだと思っています。
渡辺
たしかに生活に密接に関わっていますね。そもそも、最初に何に興味を持ったところから今の研究に?
國村
高校時代にカナダに3年間留学していて、現地の高校で生物の授業を受けたときに、ラットの解剖実習があったんです。それがすごく面白くて。「人体ってどうなってるんだろう?」と興味が湧いて、医学、その中でも特に脳や神経に興味を持つようになりました。


高校の卒業式

渡辺
どんなところが面白くて?
國村
こんなに小さな体の中に、見えないところまでちゃんと機能する仕組みがあって、すごく繊細なシステムで人間や動物の身体って保たれているんだなって思って。知れば知るほど面白くて、感動したんです。
渡辺
そこが原点だったんですね。
國村
はい。当時の私は、もっと知りたい=医学部に入るというルートしかないと思い、医学部を目指すことにしました。ただ、当時のカナダでは、市民権なしで入れる医学部がほぼなかったので、まずは日本で入れる大学に入って、そこから医学部に編入しようと考えてICUに入学しました。
齋藤
でも、結局編入しなかったんですよね?していたら、有弓ちゃんとは会っていなかった。
國村
はい(笑)。その頃は医学部に入らないとやりたい研究ができないと思っていたので、学士編入を目指して予備校にも通っていました。でも日本医科大学で卒業研究ができることになり、しかも医師免許がなくても医学部の博士課程に進めることを知って「ずっとここで研究と続けたいな」と編入はやめました。今思うと、ずっと行き当たりばったりで、両親には迷惑をかけたと思います(笑)。
最初の授業が全く理解できず、何をすればいいのかも分かりませんでした。翌朝は早く学校に行き、質問する内容を準備し、もし言葉が通じなかったときのために、いくつもの言い回しを考えて臨むほど必死でした。
齋藤
そもそも、高校からカナダに行こうと思ったのはなんででしたっけ?それも中学生の時に決めたんですよね?確か、有弓ちゃんは、山口県のちょっと田舎の方の出身だったですよね。
國村
はい、とても田舎です(笑)。
母が「これからは英語が必要な時代になる」との考えで、小学1年生から英語塾に通わせてくれたんです。なんとなく英語が好き、留学にも興味があるけどよく分からない、という状態で中学に進んだ時に、担任の先生が「インターネットで留学について調べてみたら?」とアドバイスをくれたんです。
今のようにまだネットが発達していない時でしたが、母が調べてくれて、愛媛県にある留学をサポートしている塾にたどり着きました。そこでオンライン授業を受けたり、長期休みにはカナダで短期ホームステイをしたりして。それがすごく楽しくて、高校から海外に行ってみたいと思うようになりました。中学の先生のご理解とご協力もあり、留学直前は週2回、山口から愛媛の塾までフェリーで通い、中学卒業1か月前の2月からカナダの高校に通い始めました。


ホストファミリーと

渡辺
お母さまや先生方のバックアップのもと、先進的な選択をなさってきたのですね。カナダに決めたのは、どうして?
國村
安全面や費用面を考慮して両親が判断してくれました。それに、塾の先生が現地に家を持っていて、日本とカナダを行き来しながらサポートしてくれていたので、親としても安心できたみたいです。
渡辺
高校でカナダに留学した時点で、英語はもう不自由なく?
國村
いえ、全然ダメでした(笑)。日本で読む・書くはある程度できても、話すとなると全然ダメでした。
最初の授業がElectronics(電子工学)で、全然分からなくて。宿題の内容どころか、何が宿題なのかもさっぱり分からないレベルでした。だから翌朝早く学校に行って、昨日の授業についてもう一度教えて欲しい、何が宿題で、どうやればいいのか、など分からなかったことを全部聞こうと決めました。
そのときは、もし会話が通じなかったときのために、いろんな言い回しをパターン化して準備して。「これが通じなかったら、こう言おう。それでもダメだったら、今度はこう聞こう。」って。それくらい、最初は手探りで必死でしたね。
渡辺
すごい…そこまで準備して。
國村
はい。それぐらい、最初は何も分からなかったです。
渡辺
そうやって努力を重ねて、徐々にお友達もできていったんですね。
國村
はい。最初の1年目はもう本当に必死で…。1年目は公立高校に通っていました。2年目に、少し離れたところに新しくできた私立の進学校があるという話を聞いて、少人数制で、勉強熱心な家庭の子が多く通っていることもあって転校しました。友達もできやすかったし、生徒会活動にも誘ってもらって、自然と輪が広がっていきました。2年目からは、だいぶ喋れるようになって、毎日がどんどん楽しくなっていきましたね。


生徒会活動の一環で物資を集めるボランティア活動を行った際の一コマ

ICUの入学式のその日に退学しようかと思いました(笑)。個性的な人が多くて圧倒されてしまって。この大学、私には合わないかもって感じました。
渡辺
ICUは最初から候補にあったのですか?
國村
帰国生枠で受けられる理学部がある大学を一通り受験して最後に合格したのがICUでした。当時は編入することを前提にしていたこともあり、この大学に行きたい!という強いこだわりはなかったです。
渡辺
実際に入学してみてどうでした?
國村
入学式の日に、退学しようかと思いました(笑)。個性的な人が多くて圧倒されちゃって。
渡辺
例えばどんな(笑)?
國村
入学式で先生に名前を呼ばれたときに、ほとんどの学生が「はい」と返事をするなか「先生、トイレ行きたいです!」といったような、返事ではない自由な叫びというか訴えというか・・・そういう学生が何人かいて(笑)。今ならICUらしいねって笑えるんですけど、当時は本気で「私ここ、合わないかも…」って思ったんです。とにかくテンションが高くて、自由すぎて衝撃でした。
渡辺
ICUっぽいかも(笑)。でも入学早々、不安になっちゃったんですね。
國村
はい。入学式の途中で「これはもうダメかも…」って思いました。
渡辺
そのあと徐々に馴染んでいけましたか?
國村
うーん、馴染んだというより、気がついたら気にならなくなってましたね。最初はインパクトが強かったけど、だんだん「ICUらしいな」って思えるようになりました。今思うと、カナダで生活していたわりにはまだまだ自分の世界が狭く、自分には合わないという判断をしていたのかもしれません。あと、私は入学式で叫ばなかっただけで、周りから見たら十分自由な人間だと思うしICUらしいんだと思います(笑)。
医師になるわけでもない他大学の学生という立場の私を研究室に受け入れ、7年近くもの間育ててくださったことに、心から感謝しています。
渡辺
日本医科大学で教員としての今の研究環境は、どんなですか?
國村
ここで働けてよかったと心から思っています。他と比較したことはないですが、日本の大学は年々研究費が厳しくなってきていて、公的資金や競争的資金を取ってこないと、研究どころか研究室の運営が成り立たない状況の大学も多くあります。研究にはお金もかかるし、指導する教員の労力も相当です。そんな中、医師になるわけでもない他大学の学生という立場の私を受け入れて、7年近くも研究の指導をして育ててくださったのは本当にありがたいことで、継続して好きな仕事ができているのはとてもラッキーだと思います。
渡辺
学位取得後も、そのまま残られたのですね?


学位授与式で恩師の小澤一史先生と

國村
はい。博士号取得後は、ポストドクター(ポスドク:学位取得後の任期付き研究職)として2年間、特別研究生で2年間、またポスドクとして2年間、研究を続けていました。当時、夫の勤務先が地方だったので、結婚を機に一度ポスドクを辞めて引っ越すつもりだったんです。
渡辺
でも、そこからまた研究を?
國村
はい。実は、退職の翌日に「申請していた研究費が採択されました」という連絡がきて(笑)。まさか採択されると思っていなかったので、何の準備もしていなかったんですが、教授に相談して特別研究生として在籍させてもらい、東京に残ることにしました。
渡辺
退職の翌日?なんてタイミング!
國村
そうなんです(笑)。それで、齋藤さんのところ(コンサルティング会社)で週3日アルバイトをさせてもらいながら、細々と実験を続けていました。
渡辺
ご出産もその頃でしたよね?
國村
はい。出産後、再びポスドクとして戻って2年経った時に、ご縁をいただいて今の医療管理学に着任しました。
渡辺
じゃあ、ご主人とはしばらくは離れて生活を?
國村
そうですね。出産前に東京勤務になったので、今は一緒に暮らせています。
渡辺
どのタイミングも絶妙ですね。よかった。。。
國村
出産というライフイベントがありつつも、学生の頃から継続して研究ができたのは周りの先生方のおかげなので、本当に感謝しています。
「やってみないと、向いてるかどうかも分からないよ」って。だから思い切って参加してみたんです。
齋藤
有弓ちゃんって、本当に面白い人でね。研究熱心で、努力家。でもそれだけじゃなくて、最初にうちに来たときに「同窓生と在校生をつなぐ活動がしたい」って言ってくれたんです。 普通、研究者って自分の専門の世界に集中しがちで、そういう活動にはあまり関わらないことが多い。でも彼女は僕が主宰している異業種交流会の幹事をしてくれたり、イベントにも協力してくれたり、本当に幅広く関わってくれるんです。しかも、“遊び系”の企画にもノリがいい(笑)。
渡辺
たしかに、研究分野で優秀な方ほど、人とのつながりの中でフットワーク軽く動き回るのは不得手だったり、そこに時間を割きたくない側面はあるのかもしれませんよね。
齋藤
そうそう。専門性と人間性、両方をちゃんと持ってる。すごくバランスが取れてるんですよ。
國村
ありがとうございます。でも、ICUに入ったばかりの頃は、そんなタイプじゃなかったんです。最初はあまり誰とも関わっていなくて、サークルも部活も入らず過ごしていました。
渡辺
それは意外!今の有弓ちゃんからはあんまり想像できないかも。
國村
自分でもそう思います(笑)。でもある日、「こんなにたくさんの人がいる大学にきたのに、何も関わらないのはもったいないな」って、ふと思ったんです。
齋藤
それで、何かやってみようかなって気持ちになったんやね。
國村
はい。本館の掲示板で、あるサークルのビラを見つけたんです。でも、知り合いは誰もいないし、入っても大丈夫かなって、すごく迷って…。
渡辺
そこで一歩踏み出したことが、すごいと思うなぁ。
國村
いや、本当に迷ったんですよ(笑)。でもそのとき、中学校の担任の先生から言われた言葉を思い出して。「なにごともやってみないと、向いてるかどうかも分からないよ」って。だから思い切って参加してみたんです。
齋藤
それが、後のいろんな活動のきっかけになったんですね。
國村
そうなんです。そのサークルに入って少ししてから、代表の人が抜けるタイミングで、「臨時で代表をやってくれない?」と頼まれて。びっくりしましたけど、思い切って引き受けました。
渡辺
いきなり代表なんて、大変だったでしょう?
國村
最初は不安でしたけど、やってみたらすごく面白くて。インタビューをしたり、イベントを企画したり、卒業生と現役生をつなぐような活動が本当に楽しかったんです。
齋藤
「今を輝く同窓生たち」シリーズに関わるようになったのも、その流れだったよね。
國村
はい。まさにその延長線上にあります。やってみたことで、「あ、こういう形で人と関わるのも自分に向いてるんだな」と気づけました。同時に、代表やリーダーは苦手だし向いていない、リーダーの横でサポートするのが好きということにも気づけました。
渡辺
自分から動いてみて、世界がぐっと広がったんですね。
齋藤
しかも有弓ちゃんはね、頼んだことを嫌な顔ひとつせずにやってくれるんですよ。こちらとしてもお願いしやすいし、本当に助かってます。
渡辺
そうなんです。一緒にやりたいです!って思いを持ってくれてることが伝わってくるから、そういう“頼りやすさ”って、実はすごく大切ですよね。
齋藤
僕が思う“優秀さ”って、ただ研究ができるとか成績がいいってことじゃなくて、人との関係の中で信頼を積み重ねられることだと思ってるんです。彼女はまさにそのタイプ。
渡辺
研究って、自分の世界に閉じこもらなければ掘り進むことができない分野でもあるので、それはとても大事だと感じます。でも、だからこそ研究とコミュニケーションの両方に長じていて、架け橋になれるような存在は大切ですよね。
齋藤
最初はね、有弓ちゃんにとってICUが人生の中心だったんだろうと思ってたんですよ。でも今日話を聞いて、それだけじゃないんだなって。いろんな出会いや挑戦が、今の彼女をつくっているんだって実感しました。素晴らしい。
國村
あ、でも誤解しないでくださいね(笑)。ICUがよくなかったっていう意味ではなくて、むしろICUに入ったからこそ、たくさんの人と出会って、自分が変われたんだと思っています。
齋藤
うん、それでいいんですよ。ICUって、人の人生に何か一つでもきっかけを与えられたら、それだけで価値のある場所なんです。
渡辺
同感です。ICUを褒め称える場じゃないから、ここは(笑)。卒業生だからこそ体験できたICUのいろんな面を若い世代を中心に、率直にお伝えする場なので。
今はとにかく、目の前のことを一つひとつしっかりやるだけです。
渡辺
有弓ちゃんは、出産後に働き方を見直したとおっしゃっていましたけれど、仕事と生活のバランスについてはどう感じていますか?
國村
そうですね…やっぱり出産前と同じようには働けないなと実感しました。
渡辺
赤ちゃんって、絶対的なケアが必要な存在ですものね。
國村
そうですね。私がやっていた実験の場合、内容によっては年単位、月単位で前もって準備をして、計画通りに作業していくのですが、1日でも予定がずれると結果が変わってしまってデータが使えなくなることもあります。どんな仕事にも共通していることかと思いますが、子育て中に予定通り仕事をするには、例えば子供の急な体調不良時に、家族やベビーシッターにサポートを得られる環境を整えておくことが必要ですよね。私の場合は、コロナ禍での出産だったことや家族が遠方に住んでいることもあり、以前と同じ働き方は難しいと思って、今は自分にできる範囲のやり方にしようと考えるようになりました。
渡辺
大きな決断でしたね。将来的に――例えばお子さんが大きくなったら、「また前と同じように研究したい」と思うこともありそうですか?
國村
そうなるかもしれないし、今の仕事が楽しいからこのまま続けたいと思うかもしれないです。やってみたらもっと面白いことが見つかるかもしれないし、今はとにかく目の前のことを一つひとつしっかりやろう、と思っています。
大学時代は、「ちょっと面白そう」「やってみたいかも」と思ったことにはどんどん挑戦して欲しいです。「あのとき挑戦してよかった」と思える経験を重ねることが、自分らしい道や面白さを見つけるきっかけになると信じています。
齋藤
ちなみに有弓ちゃんは、卒業後もずっとICUとのつながりを大事にしてくれていて、同窓会などの活動を通して、現役生の力になろうとしてくれているんですよ。
國村
自分が学生だった頃、卒業生の方々にたくさん助けていただいた経験がありますし、卒業生の方との関わりの中で自分の視野や世界が広がりました。今度は自分が“そういう形”で何か還元できたらと。大きなことはできませんが、自分にできることを続けていきたいと思っています。
齋藤
そういう姿勢がすごく大事なんだよね。今日、編集スタッフとして手伝ってくれてる湊さんも現役ICU生、せっかくだから國村さんに何か聞いてみたら?
はい、ありがとうございます。現在ICUに在学中の湊と申します。「今を輝く同窓生たち」のお手伝いをさせていただいております。國村さんのお話、とても励みになりました。
実は私も大学院進学に興味があるんですが、その先の人生まではまだあまりイメージができなくて…。國村さんは、将来を見越して進路を決めていたんでしょうか?
國村
いえ、正直あまり深くは考えていなかったです(笑)。その時その時で「やってみたい」「面白そう」と思ったことを選んできただけで、長期的な計画を立てていたわけではありませんでした。
齋藤
でも、それでいいと思うよ。今の時代、将来がはっきり見えることなんてなかなかないからね。
國村
そうですよね。今って、SNSやネットでいろんな人の人生が見えてしまうから、つい比べてしまったり、不安になったりすることもあると思うんです。でも私は、やらなかった後悔の方が大きくなると思っていて。だから、まずはやってみてから考える。そのかわり、選んだことには一生懸命、とことん取り組んでみる。その繰り返しで、ここまできたように思います。
すごく勇気づけられました。やってみないと分からないことって、確かに多いですよね。私も、興味があったら「とりあえず動いてみる」ことを大切にしたいなって思いました。
渡辺
では最後に、ICU在学生や、これからICUを目指そうとしてくださる若い世代に向けて、有弓ちゃんからメッセージをお願いできますか?
國村
はい。さっきも少し触れましたが――大学生のうちは、「ちょっと面白そう」「やってみたいかも」と思ったことには、ぜひどんどん挑戦して欲しいです。振り返っても「やらなきゃよかった」と思ったことは一度もありませんし、「あの時やっておけばよかった」と後悔していることもないです。むしろ「あの時やってみなかったら、今の自分はいなかったかも」と思えるような経験ばかりです。
今の時代、SNSやメディアを通して“正解っぽい道”が見えてしまうこともあるけれど、それが自分にとっての正解とは限りません。迷ったら、やってみる。合わなければやめてもいい。「全く挑戦しない」のと、「挑戦してみたけど止める」という選択は全く別ものですし、全てが大切な経験だと思います。
そうやって試行錯誤する中で、「自分に向いていること」や「面白いと思えること」に出会えるはずです。大学の4年間で、いろんなものに触れて、いろんな人と出会って、自分なりの道を探してもらえたら嬉しいです。


プロフィール

國村 有弓(くにむら ゆうゆ)
山口県出身。高校3年間をカナダで過ごす。2011年、国際基督教大学教養学部理学科卒業。2013年ICU大学院博士前期課程修了。2017年日本医科大学大学院医学研究科博士課程修了。2017-2019年、2021-2023年同大学ポストドクター。2019-2021年フォアサイト・アンド・カンパニーインターン、日本医科大学特別研究生。2023年4月より日本医科大学医療管理学の助教に着任。研究統括センターを兼務し、研究倫理、利益相反管理、URA(University Research Administrator)として研究支援などにも携わる。
ICU在学中の2010年よりICU同窓会企画「今を輝く同窓生たち」シリーズの編集を務める。2017年1月~2018年3月までICU同窓会学生部副会長。現在も学生部所属の評議員として、在学生向けイベントの運営にかかわる。