プロフィール

吉祥寺ジャズコンテスト・ベストプレーヤー賞、浅草ジャズコンテスト金賞、横濱ジャズプロムナード・グランプリなど多数の受賞歴を持つ。受賞記念アルバム『The Commencement』を発表し、Jazztronikメンバーとしてレコーディングにも参加。
クラシックでもJILA音楽コンクール第1位を獲得し、カプースチン《サクソフォン協奏曲》日本初演を行う。クラシックの構築性とジャズの即興性を融合した「Chamber Jazz」を提唱し、楽団 DiviNissimo を結成。ジャンルを横断しながら独自の音楽表現を追求している。
- 齋藤
渡辺 - 本日はよろしくお願いいたします。
- 西本
- よろしくお願いいたします。
- 渡辺
- さっそくですけれど、西本さん、IDはいくつですか?
- 西本
- 01です。
- 齋藤
- 01かぁ。まだまだ若いですね~。
- 渡辺
- サックスは小さい頃からですか?
- 西本
- 中学生からです。よくある“吹奏楽部デビュー”というか。
- 渡辺
- 音楽を始められたのは、ご両親の影響でしょうか?
- 西本
- いや、全然そうではなくて。うちの両親は音楽はやっていませんでした。両親から聞いた話だと、近所の幼馴染がピアノを習い始めて、そのとき親にすすめられて始めたのが最初だったらしいです。ヤマハの音楽教室だったので、エレクトーンでした。
- 渡辺
- エレクトーンはいかがでしたか?お好きでした?
- 西本
- それが全然好きになれなくて。もうまったく練習しなかったんです。ピアノも買ってもらったんですけど、全然練習しなかったです。今でも、あんまり弾けないんです(笑)。
- 齋藤
- それは小学生の頃ですか?
- 西本
- 幼稚園ですね。4歳です。
- 渡辺
- ご兄弟の影響で音楽を始められる方も多いですけれど、ご兄弟は?
- 西本
- 僕が上で、下に妹がいます。
- 渡辺
- エレクトーンを習いながら、普通に小学校・中学校と進まれて。
- 西本
- そうです。小学生の頃は、むしろ野球と剣道の方が好きでした。
- 渡辺
- そして、中学校でサックスとの出会いが。
- 西本
- 実はそれも偶然で。初めは剣道部に入ろうと思ったんですけど、通っていた中学に剣道部がなくて。
- 齋藤
- なんで剣道部だったんですか?
- 西本
- 剣道は小学校2年生ぐらいからやってて。それも幼馴染がやってたから、やっていたというのはありました(笑)。
- 渡辺
- 吹奏楽には元々興味があったんですか?
- 西本
- いや、全然なかったんです。一番帰宅部に近かった英語部に入ろうと思ったんですけど、親に反発されまして(笑)。
- 齋藤
- 中学はどちらだったんですか?
- 西本
- 神戸の片田舎で、伊川谷という町の市立中学です。
- 渡辺
- 吹奏楽では、最初からサックスを?
- 西本
- いや、サックスを始めたのも偶然なんですよ。楽器選びを最初にするんですけど、興味なかったから全然わからなくて。知っていたのはトランペットぐらいでした。でも、トランペットは歯並びが悪いから向かない、と言われまして。これは多分迷信だと思うんですけど(笑)。で、部長さんがトロンボーンをやっていたので、トロンボーンと思ったんですが、当時の僕の身長(148cm)ではスライドが届かなかったんです。それで「お前、男の子だからバリサクやな」と、サックスの中でも一番大きいやつを勧められて。男の子は大体、低音楽器に回されるんですよ。
- 渡辺
- そうか、重い楽器ですものね。
- 西本
- それで最後に「サックス」と希望欄に書いたんです。ただ、バリトンサックスも、その頃の僕が座って吹くと床につくぐらい大きくて、斜めにして吹いてました。なので、サックスに行き着いたのは、本当にたまたまでした。
- 渡辺
- 初めてサックスに触ったとき、どうでした?
- 西本
- それが楽しかったんでしょうね。ピアノだと和音を弾くじゃないですか。あれが苦手だったんだと思うんですけど、サックスは単音だし、楽譜も簡単で、吹いて音を出す振動がすごく楽しくて。
楽譜は読めましたし、「これできるやん」と思いました。
- 渡辺
- 管楽器って音を出すのがなかなか大変ですよね。
- 西本
- そうですね。でもサックスは管楽器の中で一番簡単かもしれない。吹くとすぐ音が出るんです。たぶん僕に合ってたんでしょうね。ビタッとはまった感じがします。
- 渡辺
- じゃあ、そこからサックス一筋に?
- 西本
- そうですね。サックスも音楽全体もどんどん好きになっていきました。環境も良かったんだと思います。それまでは本当に光GENJIぐらいしか興味なかったんですけど。

- 渡辺
- 光GENJIが好きだったんですね!
- 西本
- ローラースケートをやりたくて(笑)。
- 齋藤
- そうですか(笑)!
- 西本
- 中学3年間のうちに、もう「ミュージシャンになる」と決めてました。
- 渡辺
- そんなに早く!?
- 齋藤
- もう中学生のころに、ミュージシャンになるって思ったんや!
- 西本
- 中学に入ってから、音楽をよく聴くようになって、ポップスが好きだったんです。中2のときに「ラブ・ストーリーは突然に」から小田和正さんにはまって。あとちょうどB’zも出始めた頃だったのでよく聴いてました。
- 齋藤
- ちょっと僕、西本さんに伺いたいことがあってね。
親に言われて、僕もピアノやってたんですよ。それからボーイスカウトのときにブラスバンドみたいなんやって、トランペット吹いたりしてたのね。でも続かないんですよ。続かない。何しても続かない。バイオリン習ったけど続かない。三味線習ったけど続かない。ありとあらゆるものが続かない。ところが、西本さんは中学でサックスを始めて、「ミュージシャンになろう」と思った。その違いがなんなんだろうって思ってね。僕が想像するには、人前で吹いて、周りにいる人が「すごいぞ」と褒めてくれて、自信になっていく感覚なんでしょうか?
- 西本
- そういうこともあるかもしれないですね。やっぱり吹奏楽部なんで仲間がいっぱいいてくれますし。好きだったからか、なんか一人だけ早く上手になれたんですよ。自信もありましたね。なんででしょうね。ただ、耳はすごく良くて、当時は絶対音感があったんです。幼少期から音楽をやっていれば、割と絶対音感がつく人がいるんです。多分自然と身についていくんだと思います。僕の場合は、楽器の音はドレミで聞こえるんです。
- 齋藤
- 絶対音感!それはすごいことですね。
- 渡辺
- 先生もびっくりなさったんじゃないですか?
- 西本
- どうですかね…でも、工事の音とかも「音」として聞こえてきちゃってた時もありました(笑)。
- 渡辺
- 中学で「ミュージシャンになる」と決められてから、進路はどんなふうに選ばれたんですか?
- 西本
- 高校受験の頃は塾に通っていたのですが、中学3年生くらいからよくサボるようになりまして。
すると当然、塾からは「来ていません」と親に連絡がいくわけです。すると親から「ここはサボるからやめろ。こっちに行け」と言われ、個人塾のような小さな塾に入れられました。そこはかなり厳しいというか、優秀な生徒を多く送り出しているところで、僕の一つ上の吹奏楽部の先輩も、そこへ通って兵庫県で有名な私立高校へ合格しました。僕自身も勉強は苦手ではなかったので、通うことになりました。先輩の行った難関私立を受験するためです。
ただ、夏からのスタートなので、正直絶対に間に合わないんですよ。それまで全然勉強してなかったし(笑)。結局「受けるから、ここに落ちたら、ギター買ってな」という条件で受けることになりました。B’zに憧れていたので、初めはギタリストになろうと思っていたんで。それでも僕としては一生懸命勉強しました。もしそこに受かったら、医学部を目指そうとも思ってました。そして、見事に落ちまして、公立高校に進むことになり、約束通りギターを買ってもらったんですが…先ほどの齋藤さんのお話と同じで、全く弾けなかったんです。やっぱり、結局そこまで興味がなかったんでしょうね(笑)。
- 齋藤
- (大笑)
- 渡辺
- ずっとギターをやろうとなさりながら、高校時代もサックスを?
- 西本
- そうです。ギターよりサックスで芸大に行きたくなって、高校入ってすぐに音大受験の予備校みたいなのに通わせてもらいました。
- 渡辺
- でも、ICUに。
- 西本
- 挫折人生なんで(笑)。芸大を2回受けてダメだったので。
- 渡辺
- でも芸大じゃなかったら、どうしてICUに?
- 西本
- 一浪目に音大受験予備校で東京に出させてもらったんですけど、それでもダメで、当時習っていた師匠に「お前、才能ないからやめた方がいい。勉強できるんだから、普通の大学受けろ」と言われまして。神戸に帰って、「もう一切サックスは触らない。やめるぞ」と。
- 齋藤
- なるほどね。
- 西本
- 本当に1年くらいは吹いてなかったんです。で、帰ってから「医学部行こうかな」と思って、予備校の医学部特進コースに入って勉強してました。もともと興味がありましたし。
- 齋藤
- ハードル上げてくるなぁ(笑)。
- 西本
- それで、夏くらいだったと思うんですけど、うちの父が公務員だったんですが、当時は地方公務員でもなぜか海外研修があって、英語勉強せなあかん、と。で、基礎英語の本を買ってきて、あまり役に立ってたとは思わないんですけど、それを勉強してて。たまたまそれがリビングのテーブルに置いてあって、裏表紙に「リベラルアーツ ICU」と書いてあったんですよ。リベラルアーツの自分の好きなことを型に縛られず、いろんなことを勉強できるっていう自由さ…好きやな、と思って。
- 齋藤
渡辺 - えー!(大笑)。
- 齋藤
- ですけど、ICUを志望した動機としては初めてのケース(笑)。普通は、キャンパスの美しさを見て「ここだ!」っていう人がたくさんいるのですけど、宣伝の裏表紙で即決は珍しいですね。
- 西本
- リベラルアーツっていう考え方と、教養学部だけっていうところがグッときたみたいで。
- 渡辺
- それも出会いですものね。偶然だけど、その偶然が人生を導いてくれるのって素敵です。
- 齋藤
- ですよね。
- 西本
- そんなんばっかりです(笑)。
- 渡辺
- 先程「師匠」とおっしゃっていましたが、10代の頃から師匠について学ばれたのですね?
- 西本
- 音大受験するには絶対必要なことなので、最初は地元の師匠につきました。高1〜高3まではその師匠で、高3の夏から別の方です。
当時、ヤマハが「合歓の里」というリゾート施設を持っていたんです。そこで世界的な演奏家が直接レッスンをしてくれる、サックスのサマーキャンプがあって。そこに、日本で一番クラシックで有名な須川展也さんが講師としていらっしゃって、その須川さんのレッスンを受けたくて行ったんですが…そのときにデモ演奏の時間があって、雲井雅人先生が演奏されたんです。その演奏にすごい感銘を受けて、「この先生に習いたい」と思ったんです。
- 渡辺
- そこでも予期せぬ出会いが。
- 西本
- そうなんです。「本物のサックスの音だ」と感じちゃって。雲井先生にレッスンをしてもらうことになりました。
- 渡辺
- 雲井先生のレッスンはどうでしたか?
- 西本
- もう、すごい嬉しかったですね。「こんな距離で、この音が聞けるんや、」と思って。出してる音が全然違うんですよ。僕の好みなだけかもしれないんですが、これが本物のサックスの音だって。こういう音色で吹きたいって思いました。
- 齋藤
- でもね、「好みの音」って言われるけれど…音って一緒ちゃうの?と思ったりします。やっぱり、その辺が違うんですね。
- 西本
- 楽器全体が鳴ってる、というか。無駄な力がなくて、楽器全体がワーッと鳴る感じ。
- 齋藤
- すごいなぁ。そういうの味わってみたいな。
- 西本
- 毎日必死で練習して、雲井先生のところに見てもらいに行ってました(笑)。
でも「才能ない」と言われたので、「じゃあジャズミュージシャンになろう」と思って。芸大に行けたとしてもサックスをやってる以上、ジャズもやりたかったし、両方やっていきたいと思ってたんです。ジャズなら音大じゃなくても大丈夫だし。ICUに出会ったのは、その裏表紙がきっかけだったんですけど、「どうせミュージシャンになるなら東京でやるしかない」と思っていて、もう一度上京するためにもICUに。
- 齋藤
- ICUに入ってからは?
- 西本
- すぐにジャズの師匠を探しました。一浪のときに東京にいたんですが、そのときの音大受験予備校仲間がいて、その中の一人がキーボーディストとしてバンドをやってたんです。そこに入れてもらって。
たまたまもう一人サックスの人がいて、その人の師匠を紹介してもらって、そこでジャズを習い始めた感じですね。同時に、一応MMSにも入ったんですが…
- 渡辺
- MMSではリードして引っ張る側になっちゃうでしょう?
- 齋藤
- そうだよね。
- 西本
- でもビッグバンドはちょっと肌に合わなくて。楽譜通りに“間違いなく吹く”っていう世界なんですよ。でもジャズやるなら、アドリブが絶対で。アドリブの勉強ができるのかなと思ってたら、音符が全部書いてあって、それをアドリブ風に吹く学生バンドで。
「あれ? これ俺のやりたいのと違うぞ」と思って、半年くらいで辞めちゃいました。
- 渡辺
- 西本さん、ディビジョンは何でしょう? 音楽ですか?
- 西本
- NSです。
- 渡辺
- NS!?
- 齋藤
- 変わってんなー!
- 渡辺
- そうすると、卒論は音楽系じゃなく?
- 西本
- もちろん違います。コンピューター、インフォメーションサイエンスです。でも、音楽の授業は一応取りましたよ。単位取れたかどうかは覚えてないんですけど(笑)。宗教音楽の授業を取ったりしていたと思います。最初は、医学部志望だった事もあって、生物に進むつもりだったんですけど、でも、生物は実験が大変で、夜中までかかったりすると、ライブ活動とバッティングしちゃうなと思って。で、3年で選べるじゃないですか。当時、すでにパソコンで音楽を作るっていうのが始まっていたので、コンピューターを勉強しておいた方が将来的に役に立つと思って。
- 渡辺
- 忙しい大学生活でしたね。
- 西本
- そうですね。
大学1年の時は最初のジャズの師匠についていたんですけど、2年生からもう一人別の師匠についたんです。一人目の師匠は新しいジャズを演奏される方で、バークリー音楽大学に行かれていて、少し進んだ難しい理論とかを学ばせてもらいました。さらにジャズの“土台”みたいなのが欲しくて、もっとベーシックな、1950年代前後のビバップをメインにされてる先生のところへも行きました。2人同時に習いつつ、後で習った先生のほうはジャズスクールだったんですよ。桜上水にあって。そこでアンサンブルのコースにも通って、いろんな楽器の仲間と出会うんですね。それでまた新しくジャズのバンドを組んで演奏したり、当時はまだ路上演奏が緩かったので、しょっちゅう、もう毎晩のようにいろんなメンバーと銀座マリオン前とかで演奏してました。だから学校の勉強は…ほとんどしてなかった感じかもしれないですね。
- 渡辺
- ICUの近くにお住まいでしたか?
- 西本
- そうです。
- 渡辺
- そうすると銀座って、ICU生からしたらかなり都会じゃないですか(笑)。でも通っていらしたんですね。
- 西本
- バイクで行ってましたね。
- 渡辺
- 路上演奏の手応えって、やっぱり足を止めてくれるかというところからですか?
- 西本
- そうですね。人の足を止めるための技術はすごい磨きましたね。
- 渡辺
- 止めるための技術って、どういう?
- 西本
- すごい速く吹いてみたりとか、大きい音出してみたりとか。

- 渡辺
- テクニックにパッと振り向くわけですね。
- 齋藤
- 当時、お金が入ってくるのってそんなに簡単ではなさそうだから、いつも大変だったんじゃないのですかね。
- 西本
- すごい貧乏でしたね。仕送りしてもらいながら、あとは路上で稼いだお金とかでレッスン代を出したりとか。3年生の5月に「吉祥寺ジャズコンテスト」というのが当時あって、出場しました。バンド自体は2位で、僕はベストプレーヤー賞をもらって。これで、「なんとかやっていけそうやな」って思いました。
- 齋藤
- それはすごいですね。
- 西本
- 賞金は家賃とかに使ってました(笑)。
- 渡辺
- ICUご卒業後は?
- 西本
- もう最初はアルバイトしながら音楽活動をやっていくしかないと考えていました。ずっとアンダーグラウンドで地道にやっていくしかない世界なんで、今でもそうですけど、地道な活動ですね。今はレッスンもたくさんやっています。
- 齋藤
- 今おっしゃった通り、音楽で身を立てるって大変だと思うんですよ。でも逆に、「得られるもの」はどういうものなんですか?
- 西本
- 仕事にもよるんですけど…やっぱり、自分の好きなことを好きなように人に聞いてもらえてアピールできるところ。「こういうことが僕はやりたい」っていう自分の哲学と音楽に対する思い入れを持っていけるところ。「人と違うやり方」をしていても怒られないところですかね。
- 齋藤
- それは確かに、普通の企業人にはなかなかできないですよね。
- 渡辺
- 制約の中で生きていくかどうかの選択ですもんね。
- 齋藤
- 我慢しながらね。
- 西本
- こればっかりやってきちゃった、というのもあるかもしれないですけど、まだ「やりきってない」と感じていることもあるんです。
- 渡辺
- もっと「こんな音出したい」とか、「こう吹きたい」とか?
- 西本
- ありますね。
普段立って歩くときに「サックスを吹くとき、どうやったら一番良い姿勢になるか」を日々考えて、歩く姿勢を変えてみたりとか。常に考えてます。楽器って、特に姿勢がどうなってるかで決まるので。
- 渡辺
- 姿勢って、どのくらい息を吹き出せるか、吸い込めるかですか?
- 西本
- いや、吹き出さないんですよ。
- 渡辺
- え?吹き出さないんですか?
- 西本
- 吹き出そうとすると“肺活量勝負”みたいになって、秒で終わるじゃないですか。それだと楽器は吹けないので、息をキープしないといけないんです。実は、できるだけ息を出さないようにしてるんですよ。
- 渡辺
- それはもう、体全部が楽器になるってこと、ですよね?
- 西本
- その状態をキープするには下半身も実は大事だったりするんです。指を動かすためには指の力が抜けてないとダメなので、こうすると力が入っちゃうから脇をできるだけ締める、とか、いろいろあるんです。
- 齋藤
- ICUにいたことで、今のサックスを吹くということに活かせたものってなにかあるのでしょうか?ICUの環境、仲間との出会いが、今の仕事のためになったり、逆にためにならなかったこととか、ありますか。
- 西本
- リベラルアーツはすごく役に立っていて、今でも僕の土台になっています。
いろんなことを見たり、聞いたりして吸収するのが今でも好きで、特に理系のことはよく見てるんですけど、それだけじゃなくて、広く、しかもそのまま受け取らずにクリティカルシンキングしながら、いろんな情報を受けて「じゃあ自分はどうするのか」を考えていく。それが、ICUから得たものなのかなと思います。
- 齋藤
- それすごく重要なことでね。リベラルアーツは、日本ではすごく限られてるんですよ。それでいて本当は、大事な基礎になるものだからね。にもかかわらず、あまりその方向に皆が行こうとしないのは不思議で仕方ないんですよ。だから今の西本さんのお話は、ICUにとってもすごくいいお話だと思いますね。
- 渡辺
- 楽器と生きていくって、もう一生涯をかけてなのでしょうね。
- 西本
- 「道」みたいな感じですね。武道とか茶道とか、華道とかと同じイメージです。僕にとっては…音楽道、ずっと追求し続けていくものです。
- 渡辺
- すごい出会いをなさったんですね。
- 西本
- なんか、偶然ばっかりなんですけどね。
- 齋藤
- まあ偶然なんだけど、やっぱりうまく計られてたもんね(笑)!
- 西本
- (笑)!
- 渡辺
- お互い引き付け合っちゃったんでしょうね。人と楽器なんだけど、人と人もその中で、引き付け合う必然だったんでしょうね。
- 齋藤
- 一つのことに夢中になる人とか、人を大事にする人って、やっぱり人から大事にされるんですよ。だから良い出会いがあるというのは、決して偶然じゃなくて、必然的なところがあるんだな、と。そう思いながらお話を聞いてました。
- 渡辺
- これからの西本さんの道に期待しつつ、ICU生やこれからICUを目指そうとしてくださる若い世代にもミュージシャンに憧れたり、志望する方がいらっしゃると思います。最後にメッセージをいただけますか。
- 西本
- 結局、ミュージシャンとしての技術とかをICUで直接磨くことはできないですけど、いろんなものをいろんな方向から吸収して、自分のものにすることができる時間が得られると思います。
何にも縛られずに、いろんなことを勉強できるっていうのは、なかなかない、すごく良い環境だと思います。
そういう意味で、自分の精神的なものの視野を広くして、自分に肥料を与えるというか…そういう方向でICUを見てもらえれば、すごくいい大学生活になるんじゃないかなと思いますね。

プロフィール
吉祥寺ジャズコンテスト・ベストプレーヤー賞、浅草ジャズコンテスト金賞、横濱ジャズプロムナード・グランプリほか多数の受賞歴をもつ。受賞記念アルバム “The Commencement” を発表し、Jazztronik のメンバーとして m-flo “orbit-3 remix” などのレコーディングにも参加した。
クラシックの分野でも第13回JILA音楽コンクール第一位を受賞し、カザルスホールでのリサイタルではカプースチンの《サクソフォン協奏曲》日本初演を行う。クラシックのアンサンブル手法とジャズの即興性を重ね合わせる「Chamber Jazz」を提唱し、楽団 DiviNissimo を結成。同時に、Jazz Funk プロジェクト、Transphazz もスタートさせ、まさにノンジャンルの活動を開始。
2013年7月、ソロアルバム "Prelude"をリリース。
2018年6月、DiviNissimoとしてアルバム、"Nocturne"をリリース。
2018年9月、DiviNissimoのライブを収録したDVD、"Live Lab. DiviNissimo" をリリース。
2019年4月、Transphazzの音源をストリーミング配信開始。
2021年8月、Yasuo Nishimoto Quartetのアルバム、"Internal Disclosure" をリリース。Amazon J-Jazzランキング3位を記録。
2022年3月、Transphazz待望の1stアルバム、"Beyond The Compass"をリリース。
ポピュラーやラテンの分野でも、多様な音楽文化を横断しながら活動を続けている。
https://yasuo-nishimoto.amebaownd.com/
【ライブ情報】
2026.2.22(日) 赤坂 Tonalite
https://www.akasakatonalite.com/
19:00~
Insts Super Session
2026.2.27(金) 青山 ピアノサロンメロディー
https://melody-omotesando.amebaownd.com/
19:30~
ジャズデュオ
2026.3.27(金) 渋谷 Club Rosso
https://clubrosso.com/
19:30~
Transphazz
詳細は各ホームページ等でご確認ください。
参考文献(FYI)
https://www.t-tocrecords.net/cn27/nishimotoyasuo.html
http://www.keimp.co.jp/teacher/y_nishimoto.html
