INTERVIEWS

第52回 岡野 まかみ

雑誌BAILA編集長 

プロフィール

岡野 まかみ(おかの まかみ)
埼玉県さいたま市出身。国際基督教大学在学時にマッキンゼー・スプリングリサーチとしてマッキンゼーアンドカンパニーにインターンとして勤務。大学卒業後、集英社に入社。各種雑誌の編集を務めたのちに、2015年よりBAILA編集長に就任。

[撮影/米田志津美]
編集長は、まず、雑誌のコンセプト、方向性を、しっかりもっていなくてはいけないんです。BAILAなら、大枠を申し上げると、働くアラウンド30歳の女性のためのファッション誌。ハッピー、シンプル、女らしい、という女性像を設定しています。
渡辺
このたびはBAILA編集長ご就任、おめでとうございます。就任のご挨拶などでまだまだお忙しい時かと思いながらも、お時間を割いていただいてありがとうございます。そもそも、斎藤さんと岡野さんはかなり前々からのお知り合いなんですよね?
齋藤
確かに長いね。
岡野
斎藤さんにはマッキンゼー・スプリングリサーチでお世話になりました。真理さんはかわいくてキャンパスで有名だったので昔から存じ上げています(笑)。共通の知り合いもいるんですよね。
渡辺
いえいえ!華やかな編集長から言っていただけるような存在では…。でも学年で言うと、岡野さんが一つ上でいらっしゃるんですよね。
齋藤
なんだかいつもよりも身内で落ち着く感じがするね(笑)。


[撮影/米田志津美]

渡辺
しかし、編集長って、齋藤さんはあまり女性雑誌はご覧になられないかもしれませんが、本当に華やかなんですよ。
私が学生の頃のICU生は大学生読者モデルで誌面に出るなんてことすらありませんでしたし、それ以前にジャージで校内を歩いてた私が言えることじゃないんですが(笑)今は学生の皆さんももっと綺麗になってきたのかな?そして、その頃よりファッションも雑誌自体も、より洗練されてきましたよね?
岡野
そうですね。そして、私たち、一番雑誌を読んでいた世代が、今、40、50代に。今は大人向けの華やかな雑誌も増えてますね。“紙の雑誌”との親和性が高い世代なんだと思います。
渡辺
編集長なわけですから、やっぱり映画の「プラダを着た悪魔」のような存在感あふれる実体と仕事ぶりでいらっしゃるかと…(笑)。
岡野
まああの方は、ファッションでは、世界一有名な編集長ですから全然また違いますけれどね(笑)。
渡辺
編集長としての一日や一週間の日程など、どんな日々を送られているのですか?
岡野
流れとしては、月に一回の編集会議で、だいたい3ヶ月くらい先の号の内容を、編集部全体で話し合い、編集長が、その号の詳細まで決めます。
そこからは、日々、スタッフとすべてのページの打合せをし、何段階にもわたってスタッフの作っているものをチェックする、それにともない、様々なことを決定する、という積み重ねで、雑誌を作っていくということが、基本的な仕事ですね。
そのためには、編集長は、まず、雑誌のコンセプト、方向性を、しっかりもっていなくてはいけないんです。BAILAなら、大枠で申し上げると、働くアラウンド30歳の女性のためのファッション誌。ハッピー、シンプル、女らしい、という女性像を設定しています。
また同時に、ファッションの新作展示会、美容の新製品発表会などのの取材に行って、新しい情報を掴むことも大事な仕事です。
渡辺
全部なさるんですね!
岡野
そうですね。でも実際ページを作ってくれているのはたくさんのスタッフなんです。編集者はもちろん、カメラマンさんもモデルさんもそうですし。そのスタッフも、テーマにあわせて、どういう人がいいかという検討もしますし、あとは原稿もチェックして、印刷したときの色の出方もチェックして、など細かい作業の積み重ねで、…「毎月、雑誌を出す」、ということが、まずしなくてはいけないことですよね。
渡辺
こうして見てみると400ページもあるんですね!
岡野
もちろん広告も含まれていますけれどね。ファッション誌の場合、広告をしっかりとっていくというのも、重要な仕事です。雑誌は、編集部だけで作って完結するものではなくて、広告部とも常に連携しています。クライアントさんとのおつきあいも大切。特に今は編集長なったばかりですので、「お食事しましょう」とお声がけいただくことも多いです。雑誌は、宣伝しないと売れませんから、宣伝部との連携。テレビコマーシャルはどうするか、SNSでの施策をどうするか。制作部と連携して、付録の作戦をたてたり、販売部と相談して、実際に書店やネット書店でどう売っていくか。資材部とどんな紙を使うかという相談もします。社内のいろいろな部署と連携して、雑誌を作り上げ、売っていく、黒字にする、ということが、もう一つの仕事ですね。
渡辺
アイデアとセンスだけでなく、その場その場での判断が求められるということですよね?
岡野
判断は常に求められます。新米編集長ですから、大部分は勘に頼ってます(笑)。
編集長って雑誌が売れるかどうかで、一喜一憂するものなんですよ。売れるとこんなにも嬉しいものか!と思うくらい(笑)
渡辺
ちなみに、編集長になる、というのはあらかじめ分かるものなんですか?編集長が変わるというのはかなり大きなシフトチェンジだと思うのですが。
岡野
正式に知らされることはないです。編集長が変わるということは、確かにシフトチェンジではあると思います。すごく変えることもあるし、そうじゃないこともありますが、編集長が変わるというのは何かしら変化となりますね。
先日ある上司が、「バーもママが変わると何もしなくても変わる、雑誌も編集長が変わるだけで変わる」と言っていたんです(笑)。作る人が変わると、それは確かに「何か」が変わるものなんですよね。
編集というのは、いろんな能力が必要なので、その人の引きだしに何が入っているかで違ってくるのだと思います。人によって得意な分野、不得意な分野も違う。雑誌というのはリフレッシュして変わっていった方が良いと思うので、編集長が変わるのはそういう意味もある、という風に考えています。
渡辺
じゃあ、ちょうど今はBAILAの変わり時なんでしょうか?
岡野
わたしが100%作っているのは、10月10日発売の号からなんです。


今出ているものは前の編集長がほとんど作っていってくれたものを仕上げている状態。10月には、もっと、どきどきしてると思いますね(笑)。編集長って雑誌が売れるかどうかで、一喜一憂するものなんですよ。
同期にも編集長をしてる者が何人かいますが、先日も「編集長って本当に副編集長のときと全然違うよね」と話していました。わたしの場合、前の編集長がほぼ作っていってくれたものでも、売れるとこんなにも嬉しいものか!と思うくらい(笑)。
渡辺
副編集長のときとはまた全然違いますか?
岡野
前も嬉しかったけど大きさが全然違いますね!毎回本気で嬉しくなるものです。
渡辺
今月号にはカバーの梨花さんが卒業と出ていますけれど、編集長が変わるからということなのでしょうか?
岡野
いえ、これは偶然、そういうタイミングが重なったんです。10月の発売号はヨンアさんが表紙なんですが、さらに、新しいカバーモデルも加わる予定です。
渡辺
誌面としてのリフレッシュはもとより、責任の重さはかなりずしっと…?
岡野
ずしっというよりも、目が回りそうな感じですね(笑)。まだ新米なので、ただただ必死ですが、きっとこれからですよね。自分が出したものの結果が出てくるのもこれからだし、自分がこういう風に変えていこうとやったことが、形になってくるのも時間がかかります。
それに対する読者やクライアントのリアクションはすぐではなくて、早くて半年先です。入り広告の反応はさらにもっと遅くなりますし。そうなってきたときにどれだけ自分がモチベーション高くやっていけるかということなんですが、ちょっと今はどうプレッシャー感じるかというのはわからない。今はとりあえず必死にやっている状態ですね。
齋藤
ちなみにこの雑誌はどれくらい売れているのですか?
岡野
春と秋は、約20万部の発行です。
齋藤
それはすごいね!そういえば集英社の情報をネットで見たときに、BAILAのスタッフの人が多いなと思ったんだけれど他の雑誌よりもBAILAの方が部数が出てるということなのかな?
岡野
多いと感じましたか(笑)。
齋藤
いや〜マネージメントがあるから、更に大変そうだなと思って。
岡野
マネージメントは、大変ではないんですよ! でも、これでも常に人手は足りなくて、BAILAはタイアップ記事が多いこともあり、ページ数も多い。それに見合った人数ということですね。あとは、編集者の年齢的にも出産する者が多く、今、産休の者は1人ですけれど、多い時は3人いたりもします。
BAILA読者は、仕事をしていて、ファッションは、媚びてないけど女らしい。実は、それはいい男に一番もてちゃうので、「媚びないモテが、バイラモテ」と言っています(笑)
渡辺
平易な質問で申し訳ないのですが、雑誌のアイデアってどういうふうに出して当てていくのですか?「こういうのだったら当たるかも!」という企画やページは、 どんなふうに実っていくのでしょうか。
岡野
毎月の会議が基本です。若手も含め、編集部のスタッフが出してくれた企画を大事にしています。そして、読者に会うということを、一番大切にしています。
昔は、メディアが情報を早く手に入れる特権があったわけですが、今は全くそんなことはない。読者のほうが早いこともよくある。以前は、パリコレに行って、それを上から「これがかっこいい!」と言えば、読者が付いてきてくれた。メディアや雑誌にたいして憧れや尊敬があったんですよ。だけど今はついてこない。構造が変わったんですね。
だからまず、読者層に会う。読者と一口にいっても、潜在的読者から、あれば立ち読みする、ときどき買う、という人もいれば、毎月絶対買ってくれるという人まで様々なんです。その広い範囲での読者層が、何を感じて生活してるのかということに、とにかくあらゆる機会、方法で、多角的に触れるようにしています。BAILAサポーターという人たちも10人以上いて、彼女たちは本当に熱心な読者で、毎月、読み込んで読みこんで、分厚い感想レポートを送ってくれます。読者モデルも40人ほどいて、取材したり撮影したりしながら彼女たちがキャッチしてるものをチェックしています。そして、毎号の読者アンケート、特集ごとのアンケートやヒアリング、ウェブサイト会員のデータも、もちろん活用しています。
その中でも、一番重要なのは、一見、効率は悪いようにみえるけれど、読者に会う、ということなんです。「こういう格好をしていて、こういうところで働いてこういうことを喋ってる人がこういうものを求めてる」ということを知るために、読者の方たちを毎月およびして、2時間ほど話を聞いています。それでも足りないくらいと思っていますが、それだけは絶対やるようにしています。
あとは社員編集者が30歳くらいだと周りから聞いてきた情報も大事ですね。彼女ら自身の実感から、案が出てくることもよくありますし。いろんな読者層に会うこともそうだし、あとはFacebookやInstagramで「今こうなってるんだ、今年はこうなんだ」ということを、感じることも多いです。特に今はインスタからトレンドが発信されていますね。そこから、読者層が、どういうおしゃれをし、どういう行動を取っているのかというのを知ることもできる。BAILA世代は、オフィスでは年上のおじさんや先輩、下の年代の後輩に挟まれていて(笑)、会社で、どういうことを言われるのかというのを、みんな感度高くキャッチしてるんです。それを、気にする人も気にしない人いますが、「どう感じているのか」を聞くのを大事にしています。「へー、そいういうこと、もやもやしてるんだ!」「そいうこと知りたがってるんだ!」ってことを聞く。彼女たちが、本当に求めていること、潜在的に求めていることと、雑誌でやっていく、これが企画の基本です。
渡辺
先取り以上に、マーケティングの徹底ですね?
岡野
一言でいうとマーケティングになるのでしょうが、私の感覚では、数字やデータで説明できる以上のこと、読者の気分みたいなものを知る、という感じです。それは、雑誌作りの基本ですが、その基本を大事にしていきたいと考えています。
齋藤
確かにマーケティングはやらなきゃいけないことだと思うけど、話を聞くというのは競争相手も同じことをやってるわけですよね。するとみんな似てたらどのように差別化するんやろうと思ったんだけど、それはセンスの違いに表れてくるのかな。それとも他の雑誌のお客さんは、BAILAのお客さんと全然違うんですかね。どういうことなんでしょうね?
岡野
実はお客さんが違うんです。わりと差別化できています。20代の雑誌数はかなり多いので難しいところもあるんですけれど、アラサーになると減ってくるので「もろかぶってる!」ということはないですね。
女性像の違いというか、BAILA読者は、「シンプルきれいめ」「おしゃれが好き」「知的な女性」だなと思っています。仕事をしていて、ファッションは、媚びてないけど女らしい。実は、それはいい男に一番もてちゃうので、「媚びないモテが、バイラモテ」と言っています(笑)。
一時期「彼氏に、BAILAみたいな女性がいい。BAILAみたいな格好をしてと言われて、読み始めました。」という女の子が増えてきたことがあって、すごく嬉しかったんです!(笑)。実際、男性の生の声を聞いてみると、媚びてないのに女らしいのが素敵な女性だよね、という方はすごく多いんですよね。
渡辺
(ページのファッションを指差して)例えばこれですよ!齋藤さん。
齋藤
「媚びてないのに女性らしい」、ええなあ!会ってみたい(笑)。
岡野
読者と話していて、初めて分かることはたくさんありますね。
渡辺
今月のBAILAの一番最初に登場している作家の三浦しをんさん(小説家、随筆家)、中高の同窓生でファンなんです。
岡野
三浦さん、素敵ですよね!
渡辺
ファッションもとても大事なんだけど、読み物としても充実してるというのは嬉しいですね。
岡野
もっと読み物も増やしていきたいんです。


[撮影/米田志津美]

物を作る人というのはなんらかのユニークさが、あった方がいいと思います。編集者って常に「おもしろいな」を探してるものなので、そういう人を評価します。それは面接の前日には作れないと思いますが、自分の個性という魅力は、アピールされた方がいいのではないかと、私は思います
齋藤
もともと集英社に入る前からファッションはやりたいと思ってたんですか?
岡野
ファッションをやりたい、というより、雑誌を作りたいと思っていました。
齋藤
じゃあなんで集英社を選んだのですか?
岡野
出版社を、いっぱい受けた中で拾ってもらいました(笑)。
齋藤
入社すると、働きたい分野とかは選べるんですか?
岡野
当時は、選べなかったです!でも若い女性はファッション誌にいくことが多いですね。マンガが好きな女性編集者もいっぱいいて、マンガ編集部に配属されることもありますが、ファッション誌って人手もいりますし。私の入社当時は、コスモポリタン日本版があって、やってみたいと思っていましたが、一番最初はnon-no(ノンノ)でした。そのあとmen’s non-no(メンズノンノ)編集部、それから、今のeclat(エクラ)とMarisol(マリソル)の母体となったメイプルという雑誌の編集部にいました。
齋藤
でも出版に就職したい人って本当に多いよね。
岡野
出版業界はチャレンジの時代ですから、以前よりは少ないでしょう。
渡辺
私の印象ですが、出版社を目指す方の意思はとても堅くて「マスコミなら…」という受け方ではなく、しかも数人しか受からない狭き門だという潜在倍率の高さはすごいです。
岡野
アナウンサーなんてまさにそうじゃないですか(笑)。
渡辺
いやぁ…わたしは例としては全くダメダメなので。試験の時もスーツがなくてICUの入学式に着たワンピースで行きましたし、まさかの内定をいただいた時も部長と「なんで入ったんだろうね…?」「なんでですかね…」って初めてのやり取りを交わしたのを覚えてますから(笑)。
これ、難しいかもしれないのですが…出版社を目指す際に何か対策はあるのでしょうか?
岡野
今はみなさんきちんと準備してるんですよね。世の中にちゃんとマニュアルもあるし、学生同士、必要な情報も共有してるし、きちんと対策たてていて立派だなーって思います。わたしの頃は、今に比べれば適当で(笑)。私も、言わなくていいこと言って落ちたなあって会社もいくつもあります。
弊社に限って申し上げれば、けっこう温かくて優しい会社で、全体的におっとりしてる雰囲気なんです。だから明るくてやる気のある子とか、あとは雑誌に愛情持ってることがまず大事かな。もう愛があれば楽しめる仕事なので 愛情があることがとても大事。やはり、会社員という組織の中の一員ですから、すごく変わってるとかは、わりと危惧されるかもしれないですね。運も大きいとも思いますけれど。
そして、物を作る人というのはなんらかのユニークさがあった方がいいと思います。編集者って常に「おもしろいな」を探してるものなので、そういう人を評価します。それは面接の前日には作れないと思いますが、自分の個性という魅力は、アピールされた方がいいのではないかと、私は思います。
なんだかスイッチが入ったんですよね。それが38歳のときのことです。そこから、常に120%目指す仕事の仕方に切り替えたんです。その後、41歳で出産もしたので、そこからは子育てもしながら仕事をするという意味で、常に140%くらいでがんばっているかもしれません
渡辺
あがってきた企画やアイデアを「これはおもしろい」、「これはひっかかる」と判断できるのは、岡野さんご自身のアンテナが非常に冴えているからだと思うのですが、そのアンテナはどんなふうで磨かれるのですか?
岡野
いや、私のアンテナはだいぶ錆びちゃって(笑)。
でも年下のスタッフの「どのアンテナがいいアンテナなのか」ということは良く考えてるかもしれないですね。
渡辺
それは、どうやって…?
岡野
基本的には「本当に読者層の求めていること」、「読者層の発言や行動がこうだから潜在的に求めてるのはこういうこと」、というのを理解したうえで、企画を出してきてるかどうかですね。そういうアンテナは信頼できるなと思います。
あとは、同じ内容でも見せ方や料理の仕方、つまり構成やタイトルのつけ方で印象が本当に変わるので、それが上手い人。それも、企画力のある人ですね。
齋藤
おもしろい。僕はマッキンゼーでインターンの採用もやってたけど、基本的にインタビューだったんですよ。それで岡野さんを採用したんだけど、そのときなんで採用したかと考えてみると、彼女の受け答えが普通じゃない(笑)んだよね。そういうところが今彼女が言ってることなんだと思います。面接をしていて「こういうことを言うんだったら、この子はきっとちゃんと自分の頭使ってるよね」と思ったのです。ところで、大学の頃の成績は?
岡野
成績すごい悪かったです(笑)。
齋藤
次の質問だけど、勉強をちゃんとやってなかったということは、他の時間は何してたの?
岡野
悩み多き青春を送ってましたね…。
渡辺
え、聞きたい!(笑)。
岡野
よく遊んでたし、わりと勉強もしてましたよ。だけどみんなには「卒業できるの?」って心配されてました(笑)。
大宮に住んでたので、朝早く起きられなくて、一限はあんまり出席できないんですよ。
だから、単位おとしまくってて、GPAがすごく悪いんです。一限は早すぎでした…。
渡辺
早すぎですよね。三鷹なのに…(笑)。
岡野
しかもフランス語とかとると、高校までインターナショナルスクールの子たちが、フランス語は、もう結構できるのに、フレンチの初級クラスとるから、ついていけないんですよ! フランス人の先生も、フランス語で説明して、みんなが、わからないって顔すると、英語で説明するし。もうやんなっちゃって授業に出たくなくなって(笑)、また単位落としたりして。
でもそこそこは…一般の大学生よりは勉強はしてたかな? 遊びもアルバイトもしてたけど、でも大したことはしてないなあ。
齋藤
遊びはどんな遊びをしてたんですか?
岡野
普段はよく飲みに行きましたし、六本木で遊んでみたり。そのころの遊び仲間は、今も付き合ってますが、当時からちょっとやんちゃで面白い子たち(笑)。他の大学のサークルにも入っていました。ヨーロッパの貧乏旅行で、バックパッカーなんかもしましたね。
齋藤
ICUでは?
岡野
実は初代チアリーダーメンバーだったんです。今ではあんなに有名になっちゃったけど私たちの頃は遊び気分でした(笑)。
渡辺
いやいや!すごく華やかでしたよ〜!
岡野
本当に遊びだったんですよ!だけど後の人がすごくて有名になっちゃいました(笑)。
渡辺
なんとなく、学年によってカラーってあるじゃないですか。岡野さんの学年はリーダーというか、生み出す力というか、「なんかおもしろいことしよう!」ってパワーがすごかったことをまざまざと思い出しました。
一つ下の学年の私は「人がいないから…」って友達に誘われてアメフのマネージャーになったのですけど、ひとつ上の学年が中心になってたチアリーダーの華やかさと勢いは、近くで見てて素晴らしかったんです。応援されるアメフがもっと頑張らないとカッコ悪いくらい、チアリーダーが全国大会で賞取ってましたから(笑)
岡野
私たちが投げ出したあとに成長したんですね…(笑)。
なんだか恥ずかしいです(笑).
齋藤
アルバイトは?
岡野
家庭教師もしましたし、バブルでしたから仕事はたくさんあって、…いろいろやってみましたよ(笑)。
齋藤
おそらく岡野さんの発想がおもしろいというのは、なにかに影響を受けていたから出てきたと思うんだよね。たとえばバックパッカーで世界を旅行した時に得られたものもあったんでしょう。他の大学のサークル入ってたりしてICU以外の人のことも知ったことも良かったのかも。高校生や今のICU生がこれを読んで「行動の選択肢を増やしたりいろんな人に会えるように、自分の時間つかえばいいんだ!」と何かを学んでほしいんだよね。
岡野
んー、実は、今、このインタビューの写真を撮ってくれている米田さん(カメラマン)、高校の同級生なんですよ!わたしが10代から、だらだらしてたの知ってるよね!(笑)。
米田
うん(笑)。
岡野
彼女とは、社会人になってから、より仲良くなったんですけれど、私が、高校、大学のときとか本当に大したことしてないの、よく知ってるし。ただの変わり者なんですよ(笑)。浦和第一女子高校という学校の同級なんですけど。
齋藤
女子校だ!!
米田
そうですね。だから男に媚びないというか、共学の子とはちょっと違いますよね(笑)。
渡辺
余談ですけれど、「男子校という選択」という本が出てとても売れて、その次に出た「女子校という選択」という本があるんです。もちろん共学の方が自然だという考え方はあるけれど、例を出すと海外ではヒラリー・クリントンとかレディ・ガガとか、10代を女の子だけで過ごした人の方が男の人の目を気にしないで好きな選択をして自由に生きていく例も多いとか。
岡野
女子が、リーダーシップもとるし別に男の人を立てることもないし、そういう部分はあると思いますが、私個人は、本当に特に何もやってなかったですけどね(笑)。
この仕事はがんばってるんですが、仕事はがんばって当たり前ですし、人生で本当に自分でもがんばってるなっていうのはここ10年。それは、もっと努力してる方はいくらでもいらっしゃるけれど、人と比較してではなくて、自分の絶対値として本当にがんばってきたなと思ってます。
渡辺
どうしてここ10年なんですか?
岡野
なんでかというと…心を入れ替えたのかな?(笑)。私は本来、真面目さとか全くなくて、スイッチが入らないとがんばんないわけですよ。仕事も抜けだらけだし、社会人としてもアンバランスなんです。この仕事は、好きだから一生懸命やってきたけど、仕事を一生懸命やるなんて、当たり前のことですよね。
私は、比較的、異動が多くて、最初はメンズファッションで、それから美容をやって、読み物もやって、編集者としてはオールラウンドプレイヤー。30代後半に、BAILA編集部に異動した時、ここは会社員編集者として分かれ目だなと感じたんです。
ここで、何やっても80点くらいはできるという便利屋になると、会社員と生きていくには、これから難しいかなと。ここで全部100点できるジェネラリストであり、さらに美容は120点とれるスペシャリストにもなろうと、決めたんです。それまで自分のために仕事してるところがあったんだけど、初めて会社員的発想になったんですね(笑)。会社も会社の都合で動いてるわけですし、会社にとってありがたがられる人にならないと、これから会社員として辛くなるだろうと思ったんです。なんだかスイッチが入ったんですよね。それが38歳のときのことです。わたしの人生はそこからかもしれないです。それまではどうしようもない、ふざけた人間だったので…(笑)。それまで、抜けだらけ、ミスだらけだったけれども、そういうムラもやめようと(笑)。そこから、常に120%目指す仕事の仕方に切り替えたんです。その後、41歳で出産もしたので、そこからは子育てもしながら仕事をするという意味で、常に140%くらいでがんばっているかもしれません。
齋藤
BAILAに異動したころ、ちょうど同窓会で広報担当をやってくれててね、すごくがんばってくれてたよ。
岡野
やはり、そういう時期だったんですね。齋藤さんがそのときに同窓会長で、広報担当副会長をやらせてもらっていました。
齋藤さんは、偉大な先輩で、私の生き方そのものに、本当にいい影響を与えてくださって。齋藤さんが、熱心に同窓会長を務められるのを見て、こうやって世の中に貢献することもすごく大事なんだなと感銘を受けたんです。それでわたしにできることはやろうと思って活動していました。
齋藤
いえいえ、いいかげんな同窓会長だったんで、いろいろ迷惑をかけたよね。そやけど、アラムナイニュースを作成するというのは、ほんまに大変でやる人もいなかったんだけどね、本当に大貢献してくれました。
岡野
私は、21歳の時から斎藤さんのことを存じ上げてますが、斎藤さんって、本当に常に一生懸命に努力されてますよね!どうやったらそんなふうに生きられるんですか!?(笑)。
渡辺
齋藤さんのバイタリティは本当に尊敬します!
岡野
私には真面目さというのは無いから本当に伺いたいです。私はちゃんとやんないで損するのはやだな、くらいの気持ちなので、人生、常に努力してる方って本当にすごいなと思います。
でも人生は結構長くて…私のようなダメな若者でも…、努力とまでいかなくても、前向きに模索を続けていると、とくに仕事をしていると、成長できるチャンスが何回かあると思う。時には、成長以上の、突然飛躍したり変身したりという、自分でも思っていなかったステージにいけることもあると思っています。
渡辺
仕事を持ちながら結婚して出産なさって、文字通り両立されているわけですが、旦那様は同じ業界ですか?それともICUの方でしょうか?
岡野
全く違う業界ですが、ICUには3ヶ月いたことあって、そのあと慶應に留学していたっていう、日本好きのアメリカ人です。
渡辺
差し支えなければ、めぐり合われたのは…?
岡野
年は一緒なんですがICU在学当時は知り合いではなくて、共通の知人がいたことがきっかけでした。
渡辺
岡野さんにとっての両立の秘訣って、ありますか?
岡野
弊社は子供がいる編集者もいっぱいいるんですよ。編集者は、仕事の量は多いですが、事実上フレックスに近く、自分で時間をきれることが多いのはいい点ですね。夫も含め、いろんな方の力を借りてなんとかやっています。
渡辺
そして、それよりも遡って学校としてICUを選ばれたのはどうしてだったのでしょうか?
岡野
浦和第一女子校だったんですが、ICU受けた人は少ないんですよ。
齋藤
じゃあ余計になんで?
岡野
ある日思いついちゃって。おもしろそうな大学だな、と。外語大を受けようと思っていたのですが、大学を見学にいったら私には堅すぎそうだし、英語科はとても無理そうだったし、じゃ志望のフランス語勉強してどうするんだろう、とか思い始めまして(笑)。ICUは、今やロイヤルファミリーも在籍されていますが、当時は東京でもそんなに有名じゃなくって、だけど「おもしろそう!」と思ったんです。
渡辺
「おもしろい」は一つのキーワードですね。
岡野
「おもしろそう」なことは、私にはとても価値が高い! というよりもおもしろいことしかできないんです。ICUは、テストも変わってるし、試しに受けてみようかな、と。結構、受験勉強期間の後半に思いつきましたね。
渡辺
いやぁ〜、もっとうかがいたいところなのですが…
いただいたお時間いっぱいになってきてしまったので、最後にICUの後輩たちや、これからICUを目指そうと思ってらっしゃる高校生の皆さんにメッセージをいただけますでしょうか。
岡野
私は、皆さんの先達となるような立派な生き方はしてきてないからなあ!でもその人の能力や持っているものに関わらず、若さゆえ自信がないっていう人たちも結構いると思うんですよね。そういう方たちに、メッセージを送りたいと思います。
先ほど、ICUに行った頃は、悩み多き青春だったと言いましたが…もちろん、20代の頃にしかない、キラキラした輝きにあふれた時代でもありましたけれど…とにかく、私は自分に自信が持てなかったし、ばかなこともいっぱいしたし…今思ってもダメな若者でした(笑)。
でも人生は結構長くて…私のようなダメな若者でも…努力、とまでいかなくても、前向きに模索を続けていると、とくに仕事をしていると、成長できるチャンスが何回かあると思います。時には、成長以上の、突然飛躍したり変身したりという、自分でも思っていなかったステージにいけることもあると思っています。私も38歳で変身したと思う。
今、人生で、これという何かが見つからなくても、自分なりの模索を続けて、進んでるうちに、何かを見つけてほしい、幸せな成長のチャンスに出会ってほしいなと思います。


[撮影/米田志津美]



プロフィール

岡野 まかみ(おかの まかみ)
埼玉県さいたま市出身。国際基督教大学在学時にマッキンゼー・スプリングリサーチとしてマッキンゼーアンドカンパニーでインターンとして勤務。大学卒業後、集英社に入社。各種雑誌の編集を務めたのちに、2015年よりBAILA編集長に就任。