INTERVIEWS

第75回 鹿田昌美

翻訳家・作家

プロフィール

鹿田昌美
大阪府出身。プール学院中学校・高等学校卒業。国際基督教大学在学中にカリフォルニア大学サンタバーバラ校へ1年間留学、女性学とメディア学を専攻。同大学卒業後映画ライター等を経て、フリーの翻訳家に。現在70冊以上の訳本がある。2021年には初めての自著『「自宅だけ」でここまでできる! 子ども英語 超自習法』を上梓し、作家としての活動の幅も広げている。
(Photo by Taro Yoshida)
初めて翻訳の面白さに気づいたのは中学生の時、ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』がきっかけでした。
齋藤
本日はお越しいただいてありがとうございます。

渡辺
鹿田さんと私はキャンパスで過ごした時期が重なっているんですね?

鹿田
そうなんです。憧れの先輩でして、いつも遠くから拝見していました。

渡辺
いやいや、いつも短パンにジャージで、大声だしてましたよね(笑)。

鹿田
真理さんはアメフト部のマネージャーで、私はサッカー部のマネージャーでした。同じフィールドに立たせていただいて、真理さんが選手を応援する声を聞いていました(笑)。サッカー部は本日同席していただいている1つ先輩の土屋真澄さんに誘っていただいたんです。

渡辺
お二人と同時期にあのフィールドに立っていたなんて、懐かしいです。その頃から鹿田さんは、翻訳に興味を持っていらしたのですか?

鹿田
そうですね、初めて翻訳の面白さに気づいたのは中学生の時でした。

渡辺
齋藤
はやい!

鹿田
ルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』の日本語の訳文を何度読んでもわからなくて。

渡辺
確かに。どうしてウサギは時間に追われてるんだろう?とか、どうして女王はこんなに意地悪なんだろう?とか、お話を筋立てて読むというよりオブジェを見てるというか、迷路にはまっちゃうみたいな気持ちになりますよね。

鹿田
『不思議の国のアリス』にハマっていろんな人の訳文を読んでみてもまだわからないんですよ。高校生になってアメリカに初めてホームステイに行った時に原書を見つけて。買って帰って家で見比べたりして悩んでいる時に、たくさん注釈がついた『不思議の国のアリス』(マーチン・ガードナー注、石川澄子訳)を手に入れたんです。解説を読んで「これはもう日本人にはわかりきらない」ということに気がつきました。

齋藤
なるほど。そういうことに気がつくのやね。すごいな。

鹿田
そこから「翻訳ってこういうことなんだな」と中高で意識するようになったんです。
中学校・高校時代は真面目な優等生で、言われたことしかやらないような子だったので、新しいことに挑戦したいと思いICUに入学しました。
齋藤
学校はプール学院とのことですけど、制服がすごく可愛らしいんですよね。ぼくも高校が大阪で、電車通学していたので気になっていたのです(笑)。ところで、そもそもなんでプール学院に入ったんですか?

鹿田
中学受験をしましたが、プール学院は第一志望ではなかったんです。第一志望が不合格で、気持ちの切り替えが大変だったんですけど、行ったらこれが楽しくって(笑)。

齋藤
第一志望というと、きっと教育大学付属ですね。お話を聞きながら、とても勉強熱心な人だとすぐ思ったね。普通の高校生は原文読むなんてしませんもん(笑)。少なくとも、自分の高校時代には考えられない。中高は勉強ばっかりやっていたんですか?

鹿田
そうですね・・・。私は真面目な優等生で、言われたことだけをきちんとこなすような子でした。中2の時に母が癌で亡くなりまして、とても辛い思いをしました。笑顔になれない時に、学校の図書室に通って本を読むようになったんです。亡くなった母との約束で、「成績落としちゃダメだよ」というのがあって。母は自分が末期癌だと知らずに亡くなったので、家に帰ってこれるつもりだったのでしょう。それでその約束を私に投げかけたんですけど、私にとっては大切な母との最後の約束になりました。真面目な性格だったので、「成績だけは落とさないのがお母さんとの約束だ」と決めて、中学も高校も総代で卒業しました(笑)。

齋藤
すごいですねぇ。

鹿田
高校からコーラス部に入っていて、聖歌隊としてクリスマス礼拝で歌っていました。大学時代のアメリカ留学中も、ゴスペルクワイヤーに参加したんです。今振り返ってみると、私は一人で目立つのが好きじゃなくて、みんなと一緒に声を合わせたりするのが好きなんですよね。翻訳も、言ってみれば原書に伴奏してもらいながら、支えてもらいながら、という感覚なので、そういう立ち位置がもともと好きなんだろうと思います。

渡辺
じゃあ、ICUに入られる前から将来は翻訳を仕事にしようと思っていらしたのですね?

鹿田
それは全く思っていませんでした。母が生きていたら、出身が大阪なので関西の大学に行っていたでしょう。自分の居場所を模索した時に、母が亡くなったこともあり、今までやってこなかったことをとにかくやってみようと思ってICUに来たんです。白いキャンバスのように、将来のこととかもまっさらな感じで新しいことをやってみようと。
ICUの寮生活では、文化や言語が違う上に主張の強い人たちが、お互いのことを翻訳しているような気がしました。
鹿田
ICUに入学して、女子寮に入って、価値観が違う人同士の共同生活で・・・。

渡辺
第何女子寮だったんですか?

鹿田
第2女子寮でした。文化や言語が違う上に個性が強い人たちとの生活で(笑)。3人部屋で、40人の共同生活でした。掲示板や寮会など、すべてが日英の2か国語というだけではなく、違ったバックグラウンドを持つ人同士が、お互いの主張を「翻訳」しながらやりとりしている気がして。コミュニケーションをとる際にみなさん工夫されているなと感じました。

寮生は夏休みと冬休みの間は寮を出ないといけないんです。それをチャンスととらえてたくさん旅に出かけ、学生のうちに20カ国以上行くことができました。

渡辺
20カ国も!

鹿田
2年生の夏休みは、寮で仲の良かった平田愛美さんという同級生と2人でヨーロッパを30日間、鉄道で旅しました。ユーレイルパスという鉄道乗り放題の周遊券を買い、バックパックひとつで、宿を決めずに9か国まわりました。前年にベルリンの壁が崩壊したのでそれを見に行ったり、ワールドカップがあったのでイタリアでサッカーの観戦をしたり、ニースの海岸でボーっとしたり・・・。列車の寝台で夜を明かして国境を越えながら日の出を見るというのは、あの頃だからできたと思うんですよね。


  

渡辺
素敵ですね!生涯の宝物ですね。

鹿田
授業でいうと、齋藤和明先生の英文学の授業が面白かったですね。詩や文章がたくさん載っている辞書のように分厚い教科書を使いました。それまでなんとなく読んでいた作品を、時系列で作家別にたくさん読めて、解釈を先生からもらえるのがすごく嬉しくて。私は言葉に対する「答え」が欲しい人だったので、毎回の授業が楽しみでした。ワーズワースの”Let nature be your teacher”という一節が印象的で。今でもアウトドアで自然に親しむのが好きで、自分の中に生きていると思います。

渡辺
齋藤先生の授業はそういう授業だとわかって取られたんですか?それとも受講してみたら、そういう内容だったんですか?

鹿田
語学科コミュニケーション専攻で英文学の授業が必須だったんです。

渡辺
授業との出会いも大切な縁ですよね。

齋藤
僕も語学科でコミュニケーション専攻でしたけどそんな出会いなかったな(笑)。勉強に熱心ではなかったからかもね。

渡辺
これまでこのインタビューに登場してくださった方の中で、授業にこんなふうに影響を受けたと話してくださったのは鹿田さんが初めてかもしれないです。

齋藤
そうですね。成績が良かったとか、先生の影響を受けた人はいたとは思うのですけど、授業の内容に影響をうけたというのは初めてかもね。
ハリウッドスターのインタビューを翻訳する時、どんな日本語にしたらその方の個性が読者に伝わるのか考えるのが楽しくて。それが翻訳の方に軸足を置くきっかけになりました。
渡辺
22年間で78冊訳されるというのは、ペースとしてもとても早いですよね?

鹿田
そうですね。文庫化を含めて78冊、実質は70冊です。1年4冊以上の時もありますし、子どもが生まれる前はそれに加えて映画ライターの仕事もしていたので、さらに倍くらいの仕事量を・・・。

齋藤
映画ライターっていうのは何ですか?

鹿田
『FLIX』という映画雑誌の専属ライターでした。翻訳を仕事にするきっかけが、この雑誌だったんです。編集者がアメリカ留学時代の友人で、ハリウッドスターのインタビューを日本語に訳す仕事をさせていただき、翻訳の楽しさに夢中になりました。そのうち翻訳だけではなく、「ライターもやってみないか」とお話をいただいて。2000年代は来日スターが多かったので取材に出向いて記事を書いたりもしました。

齋藤
なるほど。その時はどんな記事を書いたんですか?

鹿田
直接ハリウッドスターにインタビューできるときは3つか4つくらい質問したものを記事にまとめます。あとは合同記者会見の内容をまとめたり。それから、ハリウッドニュースを10年以上担当しまして、ドコモのiモードでの毎日配信と雑誌での毎月の連載をしていました。

齋藤
なるほど。おもしろそうやね。

渡辺
今、「翻訳の楽しさに夢中になって」とおっしゃったのですけれど、翻訳のどんなところに惹かれたんでしょうか?

鹿田
ハリウッドスターって若い方でも「自分」を持っているんです。インタビューの内容を文章に起こすうちに、性格とか何を目指してらっしゃるのかとかが見えてきます。その人の言葉を、どんな日本語にしたら読者の方々に伝わるのかを考えるのが楽しくて。それが翻訳の方に軸足を置くきっかけになりました。私は帰国子女でもないですけど、日本語に関してはこだわりがありますので、それを生かせるお仕事のように思いました。
翻訳が好きな理由は2つあって、1つ目は他人の生き方にすごく興味があるんです。2つ目は、英文を頭から理解して翻訳していく作業が好きなんです。
齋藤
翻訳には著者の個人的な生き方も反映されるだろうし、その時代の社会的影響を受けて文学的表現が変わってくることもあると思うんです。その両面が出てくるというのはとても難しいことだと思うのですが、なんでそこまでして翻訳家になろうと思ったのか、ぼくには不思議なんですね。

鹿田
今、齋藤さんは非常に大切なことをおっしゃっていて、そこがまさに翻訳の難しさであり面白さでもあるんです。私が翻訳をする理由は2つあると思っていまして、1つ目は他人の生き方にすごく興味があるんですよね。

齋藤
あ〜なるほど。それはわかります。

鹿田
私、わりとそれをまっさらに受け止めたいと思うんですよね。絵画とか現代美術とかも好きで、作者の背景やメッセージ性を考えるのが好きなんです。インタビューの翻訳が好きなのも、その人の生き様が見えるからです。インタビューには、人柄が凝縮されていて、それが受け答えの一つ一つに現れるんです。

もう一つは、こども英語の自著に「リスニングが9割」って書いたんですけど、聞こえてくる順番に英文を読んで解釈していくと誤訳がないんですよね。頭から順番に理解していくと、文章をどこで区切ればいいかわかる。さらに、著者の息遣いを日本語の翻訳に載せることができます。この呼吸がぴたっと合う瞬間が最高に嬉しい。それをコツコツ繰り返す、そういう作業が好きなんです。

齋藤
なるほど。いい翻訳家になろうと思うと、どういうことに気をつければいいんですか?

鹿田
私が大切にしているのは、他の仕事と同じで「約束を守る」ことです。約束を守ること、期日を守ること、誠実に原文と向き合うこと。そんな基本的なことを守り続けることができるのが、いい翻訳家さんなのかなって。クオリティの面でいうと、やはり経験を積むことだと思います。

齋藤
話を聞いてる限り、気配りとか細やかにいろんな事象について考えているところがすごく重要やね。

鹿田
翻訳において実践は大切ですね。それが活字になって人の目に触れるという意識があるのとないのでは、翻訳の仕上がりが変わってくると思います。だから、翻訳をやりたい方はなるべく早く自分の訳文を発表できる場を探すのがいいと思います。「本番の数」をこなすことが大事ですね。

齋藤
僕、今まで1つの原文に対して翻訳本って1冊しかないと思ってました。それが翻訳だと思っていたんやけど、違うんですね(笑)。

渡辺
そうですよね。翻訳というと外国語から日本語に変換するというイメージですけれど、日本語の古典を現代語に置き換える場合でも、例えば「源氏物語」の円地文子さん訳と田辺聖子さん訳と林真理子さん訳、大和和紀さんの漫画版とか、同じ原書でもまったく違いますものね。良い訳は、それぞれが趣き深いものですよね。

鹿田
人によって解釈が違ったり、「perception(感じ方)」が違ったりすることを楽しめる人が翻訳に向いていると思います。
翻訳の仕事でいうと、もともとフリーランスで22年やってますけど、仕事が途切れることがないんですよ。
渡辺
お話をうかがっていると、鹿田さんはとてもお友達を大事になさっていて、お友達からも大事にされてるということが伝わってきます。だって、私だったら友達と長く2人旅したら、どこかでぶつかったりケンカしちゃうかもしれないし(笑)。今日も、サッカー部のマネージャーの先輩でもある土屋さんとご一緒にこのインタビューにいらしていて、30年くらいのお付き合いになるわけですよね。そういうつながりを大切になさる魅力が、自然とお仕事の人間関係にも反映されているのだろうなあと感じます。

鹿田
これまでの人生、本当に友達には助けてもらっていて、感謝でいっぱいなんです。長くお付き合いさせてもらっている友達が多いですね。母がいないというのもあって、友達に相談したり甘えさせてもらったり。大切なことをたくさん学ばせてもらっています。翻訳の仕事でいうと、フリーランスで22年やってますけど、ありがたいことに仕事が途切れることがないんです。

渡辺
それは、素晴らしいことですね。

鹿田
ひとつの仕事が終わった頃に他の出版社さんから次がくる、という感じです。以前は仕事が「降ってくる」という表現を使っていた時もあったんですけど、今はそうじゃなくて「私を見てくれてる人がいるんだ」と心から感謝しています。

齋藤
それはすごいね。僕もよくわかります。うちの事務所も、営業らしい活動をやっていないんですよ。まあ、人数が少ないこともあり出来ないところもあるんですけどね。ときどき、あれっ、来月の仕事ってはいってないかも、まずいかもと思うことはあったんですけど、でも仕事は途切れない。やっぱり誰かが見てくれているのかな。

渡辺
きっと、いらっしゃるんですね、見ていてくださる方が。鹿田さんが真摯に丁寧に仕事に取り組まれるから結果として次の仕事を呼び込むクオリティに仕上がるのですよね、このひとつの仕事が。だから偶然に見えて必然というか、与えられた仕事としてこなすのじゃなく、ご自分の人生の一部として楽しんで手を抜かないから、発注側も受注側も幸せな関係を築いていけるのじゃないかと思います。

鹿田
不思議なことに、その時に悩んでいたことの答えのような内容の本が来ることがよくあります。それから、妊娠がわかった時に、すべての仕事をキャンセルせざるを得なくなったんです。いったん白紙になったので、出産後は育児の勉強をしてみたいと思い、それまでお付き合いのなかった出版社さんに相談してみたんです。そうしたら児童書や子育ての本のお仕事をいただけて。本を訳したり子育ての類書を読み込んだりしながら、自分が新しい色に染まっていくんです。そんな風に22年間本に伴奏・並走してもらいながら、翻訳する本に助けられて乗り越えてきたこともたくさんあって・・・。

渡辺
だから、こんなに忙しい一日のスケジュールでも続けられるんですね。いただいた記事にありますが、22時に寝て午前3時に起床!起きてから6時までの3時間と9時から午後4時までが基本的に仕事の時間なんですね?

鹿田
まだ子どもが小学生なので、帰ってきたら切り替えるようにしています。朝の3時から6時は家族が寝ている時間なので、貴重な1人の時間なんです。その3時間でどれだけ進めるかが1日の勝負のようなところがあります。


  

渡辺
すごい・・・。午前3時に起きるって普通に考えたら大変だけど、鹿田さんにとっては大事な時間なんですね。
社会に出る前の学生時代にたくさん人と出会って、たくさん本とも出会って欲しいです。20年後にもう一度その人と出会ったり、またその本と出会ったりすると、何倍も楽しくなると思います。
渡辺
翻訳って定年のないお仕事ですよね。

齋藤
そうですね。自分で仕事納めのタイミングを決めることができるのはいいですね。

渡辺
物語って読む時の年齢によって視座が変わるのも面白くて好きなのですけど、翻訳も歳を重ねてからまた同じ本を翻訳なさっても素敵なんじゃないかな、と。鹿田さんはこれからの仕事に関しては、どんなふうに思っていらっしゃるのでしょう?翻訳家はずっと続けたいですか?

鹿田
そうですね・・・、お仕事をいただけているうちは、人生の伴走者のような形で翻訳の本と向き合いたいです。最近初めて著書を出して、自分の言葉を発信する側になりました。それもとても面白いと思っています。翻訳で言葉の大切さを学びながら、発信したりもっと直接的に人の役に立ったりしていけたら嬉しいです。


  

渡辺
また新しい扉が開きかけているんですね。予想していなかった新しいフィールドに行けるのも楽しいことですよね。本が人生の伴走者とおっしゃるのが、とても素敵だと感じていて、多分きっと本を通じてお母さまも鹿田さんの人生をずっと見守っていらっしゃるのじゃないかな、とそんなふうにも感じます。

鹿田
母にも本にも、感謝しています。翻訳の仕事からは、受け身の姿勢でその時に出会ったことを楽しむ、という生き方も学びました。そういった自分の生き方をベースに、直接人と関わって役に立ちたいという風に考えています。

渡辺
最後にICUの在学生たちやこれからICUを目指す若い方にメッセージをお願いできますか?

鹿田
社会に出る前の学生時代にたくさん人と出会って、たくさんの本とも出会って欲しいです。20年後にもう一度その人と出会ったり、その本と再会したりすると、何倍も楽しくなると思います。ぜひ今のうちに「たくさんの人と本」に出会ってください。


プロフィール

鹿田昌美
大阪府出身。プール学院中学校・高等学校卒業。国際基督教大学在学中にカリフォルニア大学サンタバーバラ校へ1年間留学、女性学とメディア学を専攻。卒業後フリーの翻訳家として活動。

訳書は『ゴシップガール』(ヴィレッジブックス)、『世界を知る101の言葉』(飛鳥新社)、『今の科学に「絶対にいい!」と断言できる最高の子育てベスト 55』(ダイヤモンド社)、『フランスの子供は夜泣きをしない』(集英社)、『超速』(サンマーク出版)、『すごいぞ!進化 はじめて学ぶ生命の旅』(NHK出版)、『朝時間が自分に革命をおこす 人生を変えるモーニングメソッド』(大和書房)など70冊を超える。

2021年7月、初めての自著『「自宅だけ」でここまでできる「子ども英語」超自習法』(飛鳥新社)を上梓。作家としての活動の幅も広げている。