INTERVIEWS

第79回 林 理恵

NHK 専務理事・メディア総局長

プロフィール

東京都出身。1986年国際基督教大学教養学部卒業後、1986年NHK入局。仙台放送局や報道局政治部などで記者として従事した後、国際協力の仕事を担う。神戸放送局長や国際放送局長などを歴任。2020年からは理事として、人事制度改革やD&Iを推進した。2022年にメディア総局長に就任。NHKの報道、番組制作、デジタル発信、イベント等メディア全般を統括している。
英語が身近にあった環境だったので、自然と英語は好きになっていました。
渡辺
齋藤
本日はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いいたします。私でお役に立てることがあるならば、とても嬉しく思います。

齋藤
林さんはNHKで女性としては初めての専務理事・メディア総局長になられたということですね。おめでとうございます
ありがとうございます。そうですね。女性役員は過去に3人ほどいたのですが、専務理事・メディア総局長というのが初ということでした。

渡辺
それは、あらためておめでとうございます。

いえいえ、今は随分と女性も活躍できる社会になってきました。もっとこの先女性が活躍できる世の中になって欲しいですし、性別関係なく力のある人が役職につけると良いなと思います。

齋藤
東京ご出身でおられるんですね。東京はどちらですか?

実家は渋谷区にあります。

渡辺
渋谷に!今日のこのホテルも渋谷区ですけれど、お勤め先のNHKも同じ区ですね
渡辺
都立高校からICUに進学なさったのですね?

いえ、実はその間にアメリカが挟まっているんです。どうしても英語が勉強したくて高校の時にアメリカに留学しました。日本の高校には2年の途中まで籍はおいていたんですが…

齋藤
高校生でアメリカ留学ですか!親御さんは心配なさったでしょう。

それに関しては、親戚がアメリカにいたのでそこから高校に通うという形で落ち着きました。

渡辺
ご親戚はアメリカのどちらに、いらしたのでしょう?

オレゴン州のポートランドです。すごく良いところですよ。今は全米でも住みたい街トップクラスの場所になっているようですね。

渡辺
日本に戻ってこられたのは?

20歳の時ですね。アメリカの小さな大学に一度入学して通っていたのですが、「日本の大学を卒業してほしい」という両親の希望があり、ICUを受験して帰国しました。

齋藤
高校生の時、英語を勉強したいと強く思われたきっかけはなんだったのでしょうね?

英語を勉強したいという気持ちは小さい頃からありました。祖父が貿易関係の事業をしていた関係で、海外の方とのおつきあいが多かったんです。英語が身近にあった環境だったので、自然と語学が好きになっていました。
渡辺
大学で留学なさる方も多い中で、林さんが高校から留学されたのにはどんな理由があったのですか?
中学生の頃ロサンゼルスの知り合いのところに遊びに行った時、「日本人の英語は全然ダメ。大学から留学しても遅いよ」と言われまして。その言葉にかなり影響を受けました。

渡辺
なるほど。
それがきっかけで、高校生の時両親に留学させて欲しいと伝えました。入学手続きも引っ越しの手配も、全部自分で行った記憶がありますね。

齋藤
ご両親は子供の教育についてはどのように考えられていたのですか?

かなり自由だったと思います。「勉強しなさい」とか言われたことはほとんどないです。ただ数学があまり得意ではなくて、テストの点数で母を驚かせた事はあります(笑)。そこから自ずと自分の進むべき道は文系なんだと感じていましたね。
渡辺
ご興味が向いたことに進んでいらしたんですね。

齋藤
実はこの「今を輝く」のインタビューでよく成績の話が話題に上がるんですが、大体9割くらいの方が成績が悪いんです。だから、将来の活躍にはどうも学校での成績は関係ないんじゃないかと思っているんです。

そうだったんですね!確かに成績だけではない、大切なものってありますよね。そういった意味でICUってすごく好きだなと思います。

渡辺
束縛されることもなく、みんな自由に、でもけっこう真面目に学んでいますよね。

齋藤
アメリカでの高校時代にお話を戻させてもらうのですが、アメリカに行ったことでどういったことが学べましたか?

そうですね…。大きな目標があって留学したわけではないのです。言葉を使って何かしたい!という思いはずっと持っていましたが。
齋藤
高校生としての初めての海外での生活だったのですが、どんな生活でした?

言葉以前に生活や習慣が全く異なることに最初の1年は相当苦労して…。初めは文化を学ぶというところからスタートしました。

渡辺
英語を掴めたというご実感があったのは、どんな時でしたか?

3年半では完全に掴めるところまではなかなか難しかったです。よく「バイリンガル」とか「母国語並みに喋れる」等と簡単に表現されることがありますが、真に母国語レベルで言語を使いこなすということは相当な訓練が必要だと感じます。

渡辺
よく、その国の言葉で夢を見ることがあると聞くのですけれど、英語の夢をご覧になることは、ありましたか?

夢の話でいうと、英語ではないのですが、ひとつエピソードがあります。生後3カ月から4歳までフランスで生活していまして、フランス語しかできなかった私は、当時仲良くしていたシャンタルという友人とももちろんフランス語で話していましたが、帰国後ずいぶん経ってから見た夢では、シャンタルとの会話はいつの間にか日本語に置き換わっていました(笑)。やはり母国語は日本語ですね。

 

仕事の楽しみ方を自分で見つけつつ、その目標を達成するということを常に意識してきたからこそ仕事を続けられたと思います。

渡辺
NHKに就職なさったのは、どうしてだったのでしょう?

夏休みにマスコミ関連のセミナーに参加したことがきっかけですね。ただ、文章を書く自信がなく新聞社はあまりピンと来なかったので、テレビ局かなと。

齋藤
ICUでの学びがつながった部分はありましたか?

「犯罪報道の犯罪」という、当時共同通信社の記者だった浅野健一さんが書かれた本があります。ICUでレトリカルコミュニケーションの授業でスピーチをする際に、この本をずいぶん参考にさせていただいたのですが、その時に、ジャーナリズムやドキュメンタリーに漠然とした関心を抱いたように思います。

渡辺
NHKを選ばれたのは?

学生なのでマスコミに詳しかったわけではありませんが、NHKはコマーシャルがない分、報道を含む番組に自由度があるのではないかなと、そんな風に思ったからです。

齋藤
そうでしたか。報道にご関心があったということはジャーナリスト志望だったのですか?

いえ、記者として採用されましたが、受けた時には実はディレクター志望だったんですよ。海外のことをたくさん取り上げるドキュメンタリー番組を作りたいという思いがありまして。その他にも海外の舞台公演を衛星放送を通じてそのまま日本の人々に届けるような仕事がしたいと考えていました。
齋藤
NHKという組織の中で女性が役職を高めて行くことは非常に難しかったと思います。そういった点で何か苦労なさったことはありますか?

私はそういった面では「苦労した」という意識は全くないんですよ、実は。もちろん業務上の苦労はありますが、女性だからということではないというか。そもそも「自分は苦労している」と思いながらですと仕事も面白くなくなってしまうと思うんです。何かを得るにしても、楽しんでやらないと人生の時間がちょっともったいない気がします。
齋藤
そうですか。そのようなマインドがあったからこそ今の役職におられるということなんですね。

私が今この立場にいるのは、本当に周りの人や環境のおかげだと思っています。自分の仕事を楽しく一生懸命にやることが大切だと思います。

齋藤
そうおっしゃられると思っていました。やはり僕も同じことを感じますね。仕事を楽しみながら、自分のお客さんを喜ばせることを一生懸命にやっていたら、役職や地位は結果的についてくるものなんですよ。それがおそらく答えですね。

まさに齋藤さんのおっしゃるお客さんというのが、私の場合は「視聴者」で「視聴者の皆様にいかにいいものを届けられるか」というところがNHK全員共通して持っている「目指すべきゴール」になっています。

渡辺
共通の目標を持ちつつ、ご自身の仕事を楽しみながら、なのですね。

はい。仕事の楽しみ方を自分で見つけつつ、その目標を達成するということを常に意識してきたからこそ続けられたと思います。

齋藤
ディレクター志望から記者で入って、どうでしたか。

記者の仕事を通して学生までとは全く違う世界に出会いました。色々としたいこと、知りたいことが沢山ある年齢でしたし、そういった意味でもとてもやりがいがありました。

渡辺
最初に勤務されたのは仙台とうかがっています。仙台では、いかがでしたか?

とても楽しかったですね。東北地方は行くのも暮らすのも初めてでしたので。仕事も含めですが新しいこと、未知の世界を知るというのは、なんでも嬉しいですよね。

渡辺
当時の方々とは今でもお親しく?

そうですね。取材で出会った当時小さかった子が今では大人になって感慨深く思います。

渡辺
仙台のあとは、どのような異動を?

報道局の政治部で総理番をしました。総理番とは総理の動向を追う記者のことです。その後、総理大臣官邸の別の担当をしたり、政党を担当したり。

渡辺
それは、かなりご多忙だったのではないでしょうか?

そうですね。選挙制度を大きく変える政治改革が進んだ時代でした。本当に寝る時間もなかったですね。
齋藤
良い記者とはどのような記者だと思いますか?

自分の関心事にしても、世の中の事象にしても、アンテナをすごく高く持っておくことが重要だと思います。社会の動きをきちんとフォローしていないと伝えるべきことが伝えられません。あとは、自分で説明できるまで納得して取材することも大切です。

齋藤
ネットのない時代に、アンテナを高くもつということはつまり質問力が大切になるということですよね。

その通りです。さらに、聞いた内容を「自分の言葉」で説明できるようになると良いと思います。わからない部分を自分で認め、埋める作業ができる力が必要ですね。

渡辺
取材なさったことを言葉で伝える重要性、おっしゃる通りだと思います。林さんは、キャスターの道はお考えにならなかったのでしょうか?

全く考えなかったです。私が申し上げた「自分の言葉」というのは、話すという行為ではなくて、原稿の形などでまとめて表現する力そのもののことですね。あと、カメラの前で話すということに重きを置いていなかったということもあります。
 
渡辺
なるほど。言わずもがなですけれど、とてもお話になる言葉に説得力があるので視聴者としてはつい、キャスターとしての姿も拝見したかったな、と。

齋藤
表に出るお仕事はあまり向かないとご自分でお考えですか?

そうですね。メインの方がいる状態で、私は裏方で誰かを支えるお仕事が好きだなと感じます。

齋藤
支えるのがお仕事のやりがいということですね。

実は、記者の仕事はやりがいがあったのですが自分に向いている仕事か迷い始めたのが、記者としてスタートして13年経った頃です。

渡辺
そんな時期も。。。

そこで、自分が本当にしたいことは何だと一生懸命自分に問うた時に見つけたのが、海外の放送局との渉外窓口である国際協力でした。
  
渡辺
そういった経緯で、その業務に移られたのですね。

異動してからは、メディア関連の国際会議を通じてNHKのことをより深く知ってもらったり、海外の放送事業者と連携したりと、更に幅が広がりました。

齋藤
先程のお話とつなげると、NHKを支えているということでしょうか?

はい、表に出るのはNHKの経営トップや幹部ですので、それを支える裏方です。

渡辺
うかがっていて、NHKへの愛をとても感じます。

NHKへの愛というか、とても良いものを沢山作っているので、それを皆さんに知っていただきたいという気持ちがすごくあります。

 

今は、NHKのコンテンツをとにかくきちんと視聴者の皆さまにお届けするということに全精力を集中させています。
渡辺
林さんはご自分の強みをどのように感じてらっしゃいますか?

「コミュニケーション」を大切にするところだと思います。仕事においてはチームで動くことが大切なので、的確に伝わる表現を場面ごと考えることが必要です。

齋藤
チームでの上司の言葉は影響力がありますからね。

一言発した言葉が波紋のように広がってしまいますし、意識せずとも立場が上がれば上がるほど言葉の影響力が増します。普段使わない筋肉を使うようなイメージですね。

渡辺
これまで特に意識された場面があったら、教えていただけますか?

2017年に神戸放送局長になったのですが、その時に局長の発言の大きさを痛感しました。何気なく発する一言がとても重く受け止められてしまう。私が感じる職員・スタッフとの距離と、彼らが感じる私との距離が全く異なることも感じましたね。そこから自分の発言や振る舞いに特に気を配るようになりました。

齋藤
先ほど立場が上がるほど責任が伴う。とおっしゃっていましたが、メディア総局長になられてからはいかがですか。

もちろん強く感じます。視聴者の方にお届けするサービス全て、放送はもちろんネット、イベントなど触れられる全てがNHKの商品であり、私の担当。全ての責任は私にあるということになります。心配で眠れない日もあります。

渡辺
それに加えて専務理事として経営全般も。本当にハードな生活が想像されます。

そうですね。ですが今は、とにかくきちんとしたものを視聴者の皆さまにお届けすることに全神経を集中させています。

齋藤
5年後10年後ではなく今に集中というところが素晴らしいと思います。

渡辺
最後に、ICUの在校生たちやICUを目指している若い世代にむけてメッセージをお願いできますか?

好奇心を大切にしてください。知らないことを知りたいと思う、関心を持つ、探求する、世の中の状況や流行に敏感でいる。ご自身の活力源になります。また、学業以外の時間もみつけて有意義に過ごしてください。それらすべてが、自分の世界を広げ、自分自身の栄養となり、成長につながります。そのためには物理的にも気持ちの上でもゆとりを持つことが大事ですが、ICUはそれが叶う大学だと思います。一緒に素敵な人生にしていきましょう。



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