INTERVIEWS

第68回 鈴木 仁士

株式会社Wondershake代表

プロフィール

鈴木 仁士(すずき さとし)
株式会社Wondershake CEO
幼少期は海外を海外で過ごし、ICU高校を経て2011年にICUを卒業。大学4年生の時に「驚きで人々の心を揺らす」という想いを込めた会社Wondershakeを設立。現在地の近くにいる人と共通の趣味や関心を通して出会うことができるサービス「Wondershake」をリリースし、注目を集める。現在は、2014年にリリースしたオトナ女子向けアプリ「LOCARI(ロカリ)」を中心に、様々な事業を展開している。
高校3年生の時に「金持ち父さん貧乏父さん」という本を読んで、それにインスピレーションを受けて金融の世界で働きたいと思うようになったんです。大学2年生の時に、ビジネスについて学ぶことを目的としたサークルを立ち上げました。
渡辺
今日はよろしくお願い致します。鈴木さんは学生時代に齋藤さんにインタビューしたことがあると伺ったのですが、どんなインタビューだったんでしょうか?

鈴木
大学2年の時にビジネスサークルのようなものを作っていて、色んな経営者や創業者の方にお話を伺いに行くというような活動をしていました。その時に齋藤さんのオフィスにも伺ってインタビューさせていただきました。

渡辺
サークルを立ち上げたっていうことですか?
鈴木
そうです。

渡辺
サークルに、会社に、鈴木さんは全部立ち上げていくんですね!そのDNAというのでしょうか、4月に大学に入学するとサークルに勧誘されて、どこにしようかな?と選ぶ方が多いと思うのですが、そこで「ないものをつくろう」という発想は、どこから生まれてくるのでしょうか?

鈴木
2、3個しか立ち上げてないですよ(笑)。僕の学年に先にサークルを立ち上げていた友達がいたんです。彼とはICU高校での寮生活も一緒で、彼が先にサークルを立ち上げたんですけど、その姿を見て、自分もやりたいことがあったので立ち上げようかなと思ってサークルをつくりました。

渡辺
やりたいこととは?そこにたどり着かれるまで、少しさかのぼって教えていただいてもよろしいですか?

鈴木
まず、生まれは栃木です。親が総合商社勤務で、2〜4歳はナイジェリア、そのあと小学4年生くらいまでは横浜、10歳くらいから5〜6年はロンドンにいました。なので日本の中学校には通わず、ずっとイギリスの現地校に通っていました。

渡辺
現地校だったんですね。当時、英語は喋れなかったですか?

鈴木
最初は結構大変で、聞いて、話して、読んで、ができるようになるまで3年くらいかかりました。イギリスはサッカー大国じゃないですか。幸いサッカーをやっていたので、そこでストレス発散するという感じでした。

渡辺
サッカーはもっと小さい頃からやってらしたんですね?

鈴木
はい、小学1年からやっていました。なのでサッカーでストレスを発散し、英語は1日中聞いていたので徐々に分かるようになっていって、3年くらいで普通に話せるようになりました。

渡辺
サッカーは、ご両親の影響ですか?確か、鈴木さんの世代くらいが分岐点かもしれないのですよね。それより前の私あたりの世代までは野球少年の方が多かったけれど、サッカー少年の数が野球少年の数を抜いたというタイミングがあって。もしかしたら、日本のサッカー少年が増えた時期に鈴木さんもプレイされていたから、イギリスに行っても現地の少年たちとサッカーという共通言語で交流することができたのかな、と。

鈴木
確かに!その観点はなかったです。イギリスの人は野球しませんもんね。サッカーは両親にやってみたら?と言われて始めました。その頃はJリーグも始まっていて、確かにサッカーは流行っていましたね。

渡辺
そういう意味では時代という環境には、意識しないまま影響を受けるものですよね。3年前と3年後だともしかしたら全く違ったかもしれない場合もあるわけで。ロンドンにはいつまでいらっしゃったんですか?

鈴木
ICU高校に入るぎりぎりまでロンドンにいました。

齋藤
高校は、なんでICU高校だったんですか?

鈴木
本当は慶應SFC(湘南藤沢キャンパス)に行きたくて結構勉強していたんですけど、落ちちゃって。それでICU高校に行きました。

渡辺
ICU高校はいかがでしたか?

鈴木
帰国子女が7,8割くらいなので、違和感もなく、帰国だからと言っていじめられもせず、いい環境で過ごしました。

齋藤
大学でビジネスサークルを立ち上げたということですが、どういう目的で、具体的にはどういう活動をされていたんでしょうか?

鈴木
ビジネスに興味のある学生が集まって、ビジネスについて学ぶことを目的としたサークルでした。その一環として経営者にインタビューをしていました。

齋藤
そもそも、どうしてビジネスに興味を持ったんですか?

鈴木
高校に話が遡るんですけど、高校では勉強とサッカーばかりしていたんです。高校3年生の時に「金持ち父さん貧乏父さん」という本を読んで、それにインスピレーションを受けて金融の世界で働きたいと思うようになったんです。その時はまだやりたいことが見つかってなかったので、金融とか投資銀行でお金を稼いでから40歳以降に好きなことに専念できると思ったのが惹かれたポイントですね。20~30代はゴールドマン・サックスとかそういうところに行って、ガツガツ働こうかなと思ったんです。

齋藤
高校3年生でゴールドマン・サックスという会社を知っていたのはすごいね!

渡辺
自分のアンテナって興味の向くところをパッと捉えたりするので、大きなきっかけは「金持ち父さん」の本だったのだと思うんです。でも、それ以前には、ご家族やそれまでの生活の中で何かビジネスにつながる伏線はなかったですか?

鈴木
親を見ていて「グローバルに何かしたい」とは思っていたのかもしれません。というか、色々な国に行っていたので、日本の外に出ることに抵抗感がなかったです。あとは、高校の時に株式投資をしている珍しい同級生が身近にいたこともあったかもしれません。その同級生はむちゃくちゃ勉強するし、お金稼ぎもするんです。

齋藤
ビジネスに興味があるというところから、なんでサークルをつくるというところにいったんでしょうか?

鈴木
当時の自分にとって、ビジネスに興味はあるけど、起業するということへのハードルが高かったのかもしれません。なので、サークルをつくった他には、ベンチャーでインターンをしていました。

齋藤
サークルを立ち上げた後は、仲間を募るじゃないですか?鈴木さん以外はどんな人たちで、その後どうなりましたか?

鈴木
先ほどお話しした友達のサークルのメンバーもいましたし、特にセクメというわけでもなく、話して気があった人たちを巻き込んでいきました。ビジネスに興味がある、いわゆる意識高い系の人たち(笑)が多かったですかね。7〜8人くらいいて、その中で、僕以外に1人は起業しています。

齋藤
やっぱりそんなに高い確率で起業したわけじゃなかったんですね。僕も自分で会社をつくりましたけど、別の会社で働いた後に自分で立ち上げるのと、企業に就職しないで最初から立ち上げるのは全然意味が違うと思うんですね。だから鈴木さんはなかなかすごいですよ。失敗するのは当然で、若いころに起業して続けていくのはものすごい低い確率です。なんでそれができたのか?しぶとく頑張れるのはどうしてなんでしょうか?

鈴木
自分の起業の原点は、シリコンバレーなんです。高校3年生の時に金融に行きたいと思ってから、大学では経営や金融の勉強を結構真面目にしていて、1年生の頃のGPAは3.9くらいでした。
渡辺・齋藤
GPA3.9!

渡辺
すごい!そのモチベーションは何だったんでしょう?

鈴木
誰よりも早く金融の世界で活躍したいと思ってました。ですが、リーマンショックがあって、そこでやりたいことが完全に崩壊しました。金融に行こうと思っていたのにバタバタと倒産して。ショックでした。就職したいと思っていた会社も倒産しましたし、調べていくと不正なことをしていたり、人のためになっていないことでお金を稼いでいたりしている会社もいっぱいある。大企業でも業績が悪化してつぶれたところもありました。その様子を見て、金融もだめだし大手だからって安泰じゃないなと気づき、そこから「自分でやらないといけないのんじゃないか」というベンチャー寄りのマインドになりました。

カンボジアでの体験から、人と人とのリアルな出会いとか、気付きとか、人、物、事との出会いみたいなのが、いかに日々生まれているかがハッピーでいるために大事なんじゃないかなと思いました。そういう驚きや、ワクワクを体験する機会をつくり出すことをやりたいという想いが、現在の社名であるWondershakeにもつながっています。

鈴木
でもまだやりたいことが決まっていなかったので、それからは本を読みまくって、バックパック旅行もしました。とにかくひたすらインプットをして、自分探しを半年くらい。その中で、知人が教えてくれた「リーダーシップの旅」という本を読んで、自分の認識がかなり変わりました。その本では、「社長になりたくてなる人はいるけど、リーダーはなろうと思ってなれるものではない」ということが書いてあって。リーダーは自分がやりたいことを追求してやることがステップ1で、ステップ2としてその人の背中をみて自然発生的に人が付いてくる、ステップ3として社会が動く。1) Lead yourself, 2) lead the people, 3) lead the societyと書いてありました。この本を読んで、まずは自分がやりたいことを見つけないといけないと思ったんです。なので、この本の著者である野田智義さんがやっているISL (Institute for strategic leadership)というNPOにインターンしに行きました。ここは、大企業の中間層のリーダーシップ教育などをやっているところなんです。

渡辺
すぐ行動されるんですね。どうやってアプライなさったんですか?

鈴木
メールを書いて、働かせてくださいって。そこで野田さんに影響を受け、インターンをしつつ、Room to ReadというNGOに寄付をする活動をしました。Room to Readというのは、マイクロソフトの幹部だったジョン・ウッドさんが2000年に設立したNGOで、彼が激務で疲れ果ててカンボジアに遊びに行ったときに現地に学校や図書館がないことに気づいて、マイクロソフトを辞めて立ち上げたそうです。実際に、スターバックスと同じくらい学校をつくっているそうで、Room to Readという本を読んで実際にカンボジアに行ってみました。

せっかく行ったので現地の人とも会話してみたんですけど、みんなやっぱり学校に行けていないんですね。若い女の子が働きながら兄弟の世話をしているとか。でも、途上国は結構そうなんですけど、みんなハッピーそうにされているんです。比較すると旅行客より貧しいのに、なんでそんな楽しそうなんだろうと思って色々質問してみたんですけど「カンボジアのこと好きですか?」という質問に対して、みんな「好き」と即答するんです。「自分の故郷だから好き」と。そこまで迷いなく即答できる人って日本人にはそんなにいないと思います。物質的には貧しいのに、みんな心に余裕を持っていて、精神的に満足していてハッピーであるというのを目の当たりにして、そもそも金融に進もうと考えていた自分からするとものすごく差がありました。

なんでだろうと考えた時に、人と人とのリアルな出会いとか、気付きとか、人、物、事との出会いみたいなのが、いかに日々生まれているかが大事なんじゃないかなと思いました。カンボジアみたいなところって村みたいな単位で暮らしているので、リアルな出会いや会話が毎日あるんですね。そういうものがなくなっていくと、人は寂しくなったりするのかな?ちょっと不幸になったりするのかな?というような仮説を自分の中で持ち始めたのがこの時です。

そして日本に帰る時には、そういう驚きや、ワクワクを体験する機会をつくり出すことを会社なりNPOでやりたい、という風に思っていたんです。その想いが、現在の社名であるWondershakeにもつながっています。

渡辺
そして、日本に帰ってきてから起業されたんですね?

鈴木
2009年に20歳で帰ってきましたが、すぐ会社を作ろうとはならず、まずはとても影響を受けたRoom to Readに寄付したいと思って300人くらい集めてクラブイベントをしました。「寄付イベント」にはしたくなくて、みんなが楽しんだ結果が寄付になっていました、という体験になるように、「行きたい!参加したい!」と思ってもらえるようなコンテンツを考えました。

渡辺
どうやって実現を?

鈴木
ICUに限らずアーティストを呼んだり、ブランドとコラボしたり、協賛してもらったり。完全に無償でご協力していただきました。

渡辺
賛同を得るのは大変でしたか?

鈴木
その時は誰に話しても共鳴してもらえる感じで、とてもやりやすかったです。今8年くらい会社をやってるんですけど、みんなが賛同してくれて「一緒にやろう!」って言ってくれることはそう簡単じゃないですよね。結果的に30万円くらい集まったので、そのお金で本を3,000冊くらい購入してカンボジアに送りました。その一ヶ月後に交換留学が決まっていて、カリフォルニアに行ったんです。
留学中は時間があったので、Twitterやブログを始めました。そこからどんどんネットワークが広がっていって、スタートアップに関心が出て、シリコンバレーに行ってみました。「ど真ん中のシリコンバレーで起業しなさい!絶対来な!」と強く言われて。「卒業したら行きます!」と。
渡辺
どうして、カリフォルニアだったんでしょう?

鈴木
これは不純な理由です。大学1年生の時にアメリカ生まれの子と付き合っていて、「カリフォルニア来てよ」と言われて、UCSD(University of California San Diego)に・・・(笑)

渡辺
なるほど、彼女の近くに!

鈴木
いえ、留学する時はもう別れてました(笑)。でもカリフォルニアに行けたことが起業につながっているので、感謝しています。日本で単位もかなり取り終わっていたので、留学中は暇で時間がありました。なので、やりたいことも色々思いついたんです。インターネットを触り始めたのもその頃で、それまではユーザーとしてFacebookを使っているくらいでした。

渡辺
意外です。 もっと小さい頃からインターネットに馴染んでらしたのかと思っていました。留学に行って時間ができた時は、どんなふうに過ごされましたか?

鈴木
TechCrunchなどテック系のメディアがたくさんあったのでそれを読んだり、Twitterを始めたり。ブログも書き始めました。考えたことや、中二病みたいな今見たら恥ずかしいような熱いことを書くブログを・・・(笑)。あとは忙しいビジネスマン向けに、面白いなと思ったテック系の英語の記事を勝手に(笑)日本語に訳して、1日2〜3記事くらいブログに載せてそのURLをツイートするとか。ツイッターで面白いビジネスマンがいたら「スカイプしませんか?」と声をかけて話す、というようなことも何十人とやっていました。フォロワーも増えるし、仕事の話もくるし、そこから講談社でライターもやっていました。

渡辺
講談社でライターさんを?どういう経緯だったんでしょう?

鈴木
Twitter経由です。講談社の編集長の方が「この学生面白い」って言ってくれて。ブロガーのイケダハヤトさんが僕のことをTwitterで見て、面白いから一緒に何かやろうと言ってくれて、講談社の現代ビジネスというオンラインサイトでコラムを設けて書いていました。こうやってTwitterを使って色々とつながっていったので、Twitterってすごいな、インターネットって可能性があるな、と思いました。Twitterについて調べてみると、当時8年前くらいから細々とやっている会社でした。昔からいきなり伸びていたわけではなくて、誰からも認められない期間もありながら、本人たちはどこかでスパイクするだろうと信じて諦めずにやっていた会社でした。しかもスタートは3人なんです。何億人が使っているサービスを、たった3人がつくりだしたことが衝撃でした。そこからスタートアップに関心が出ました。

調べていくと、面白いサービスをつくっているのがたった3人、なんていう会社はたくさんあるんです。物ありきの会社ではなく、自分の好きなサービスを0から1で生み出す。留学先はシリコンバレーが近かったので1回行ってみようかと思い、Twitterでシリコンバレー在住の日本人起業家にひたすらアポをとって行ってみました。このシリコンバレーが起業のきっかけになっています。

そこでみんなに「起業したいと思っている。ITで勝負したい」と伝えると、「鈴木君、英語できるよね?シリコンバレーには日本人の起業家がいなくて困ってるんだよ〜」というようなことを言われたんです。あと、「若いうちに起業したほうがいい」とも言われました。最終的に「ど真ん中のシリコンバレーで起業しなさい!絶対来な!」と強く言われて。それで行こうって思ったんです。それがどんどんエンフォースされてって「卒業したら行きます!」と。

シリコンバレーには、自分のアイディアで本気で世界を変えようとしている人たちがたくさんいました。自分もその人たちのようになりたいと思い、プロダクトのアイディアを練り始めました。大前提にあったのは、「いかに人と人との新しいつながりをつくれるか」、「日常に非日常を入れられるか」です。
渡辺
ものすごい勢いで起業を決心されたんですね。シリコンバレーと日本とでは、どんなところが違いましたか?

鈴木
シリコンバレーには、世界を変えようとしている方たちがたくさんいたんです。当時、日本には「稼ごう」ということが全面に出ているような、ギラギラしている社長が多くて、それには全然惹かれなかったんですね。でもシリコンバレーはそんなことはなく、自分のアイディアで、本気で世界を変えようとしている人たちがたくさんいました。ガンガン刺激を受けて、自分もシリコンバレーにいる人たちのようになりたいと思い、プロダクトのアイディアを練り始めました。大前提にあったのは、「いかに人と人との新しいつながりをつくれるか」、「日常に非日常を入れられるか」です。

渡辺
それは、カンボジアでの体験がベースにあるんですか?

鈴木
そうです。抽象的なんですけど、その想いが大前提にありました。人って大人になると、どんどん気づきの機会がなくなっていくじゃないですか。そういった機会を生むサービスをつくりたいなと。色んなアイディアを出していって、当時UCSDに留学をしていた他の日本人学生とタグを組んで一緒に壁打ちしながらWondershake(ワンダーシェイク)というサービスを思いつきました。このサービスは、「位置情報 ✕ SNS」。例えば、同じ大学に通って同じキャンパスに住んでる学生ってたくさんいますけど、会える人って少しですよね?Wondershakeは、同じ場所にいて、同じコンテキストを共有している人たちをつなげるきっかけをつくり出す、0から1の出会いを生むサービスです。Facebookは基本的には知っている人とつながりますけど、新しい人達同士がWondershakeを使うと、ぱっとつながれるんです。今思うと、当初の構想に一番近いものをつくっていたという意味で、めっちゃいいサービスだなと自分で思います(笑)。

サービス内容は決まりましたが、実は、僕はデザインもプログラミングもできないんです。留学中に時間があったのでプログラミングの勉強をしてみたんですけど、向いていませんでした。全然頭に入ってこないんです(笑)。IT経営者は自分でプログラムをかけるべきだとか、かかないで他に専門家を置いた方がいいとか色んな説があるんですけど、Appleを見て思ったのは、スティーブ・ジョブスは、プログラミングはできない。でもすごいエンジニアをひっぱってきて、ジョブズ自身はプロットを考えたり、人に伝えたり、マーケティングするスタイル。だから僕も分業制でいいんじゃないかと半ば諦めながら思い(笑)、留学から帰ってきたら仲間を見つけようと思いました。半年ぐらいかけてエンジニアとデザイナー探しをやりながら、プロダクトを徐々に形にしていきました。あとは、ベンチャー支援プログラムにもお世話になりました。ちょうどうちの会社の近くにデジタルガレージという会社があるのですが、そこがカカクコムとかと一緒に2010年からベンチャー支援のプログラムをやっていて、大学4年生の時にその2期生で入りました。200〜300万くらい資本金も出してくれて、それで3ヶ月で0から何かをつくって世に出すというのが趣旨です。最後に集まった投資家たちにイベントでプレゼンして投資してもらうのですが、そこで優勝したんです。

渡辺
優勝!?すごい!

鈴木
はい。他にもメディアがやっているピッチコンテストに出ては賞を総なめする、みたいな時期が22歳のときでした。その間に東日本大震災もあってどんよりしてたのですが、そのせいもあったのか、22歳の若いやつがアメリカでいきなり起業します、プロダクトもよく分からない突飛なアイディアです、創業メンバーでプログラムもつくれます、といった点で色々評価いただいて、賞金をもらったり、色んな記事に取り上げてもらったりしました。

2011年に卒業したと同時にアメリカで会社をつくり、その夏にサンフランシスコに5人みんなで渡りました。アメリカの就労ビザ審査は「書類審査に通ったら面接は100%通る」と言われていたのですが、いざ面接を受けに行ったら、まさか、落ちたんです(笑)。
鈴木
いよいよ起業しようとなって、2011年に卒業したと同時にアメリカで会社をつくり、その夏にサンフランシスコに5人みんなで渡りました。映画「ソーシャル・ネットワーク」みたいに、みんなで同じ部屋に住みながら、プログラムしたりデザインしたり。自分ともう一人のビジネスサイドの人は、スタンフォードに行ってアプリを布教するということもやりました。

齋藤
その5人はどういうメンバーだったんですか?

鈴木
創業メンバーの1人で現在うちの取締役は、大学の知人が紹介してくれた慶應出身の同じ年です。彼はすでに内定をもらっていたんですけど、誘ったら内定を蹴ってきてくれて、今も一緒にビジネスサイドでやってくれてます。エンジニア2人のうち1人はICUの学生から紹介してもらった人で、彼も内定をもらっていたんですが入ってきてくれました。もう1人はTwitter経由で会って口説いてジョインしてくれました。

渡辺
Twitterで出会った方は、何が決め手だったんですか?

鈴木
TwitterでWondershakeというキーワードでみんなのツイートを見てたら、「Wondershake面白い」と言っていたiPhoneアプリのエンジニアさんがいたんです。当時iPhoneが出始めた頃だったこともあって、そもそもiPhoneアプリをつくれるエンジニアの数はそんなにいなかったんですけど、うちにはiPhoneアプリエンジニアがいないという致命的な状況だったんです。でもTwitterを見て「うちのこと面白いって言ってくれるエンジニアいるじゃん!」となって、すぐにメッセージを送って翌々日くらいに会って入ってきてくれました。

渡辺
即決即断ですね!そして、華々しいスタートを切られたんですね?

鈴木
はい。でもその後、どん底が待っていました(笑)。

渡辺
そのきっかけは……?

鈴木
まず、4,000万くらい投資家さんから投資を受けてからアメリカに行ったんです。

齋藤
すごいですね。そのお金はどうやって集めたんですか?

鈴木
イベントに出て記事などに取り上げてもらっていたので、Wondershakeという社名や鈴木という勢いのある若い奴がいるということが当時情報としてまわっていて、「会いたい」と言ったらみんな会ってくれたんです。

齋藤
なるほど。それは普通の企業に行ったんですか?

鈴木
個人投資家の方たちが投資してくださいました。

渡辺
スムーズに進んだんですね?

鈴木
そうですね。良くも悪くも、自分のお金でスタートしてないんです。今振り返って考えても、意識レベルでプラスもマイナスもあったなと思います。

渡辺
どういうプラスとマイナスでしょう?

鈴木
普通、学生は4〜5,000万のお金は持っていないので、いきなりそれがある状態でスタートできたというのはプラスでした。ただ、自分で稼いだお金を投資しているわけではないので、ファイナンスをして事業を伸ばすというの思考パターンになっていて、その弊害というのが後から出てきました。自分で稼ぐことの尊さや、売上の意味とか、コスト使うことなど、ちょっとズレてくるようになって。

それで5,000万円集めて行きました。アメリカは就労ビザが必要なので、弁護士さんをつけて入念に調べて取得の準備したんです。書類審査の後に面接があるんですけど、弁護士さんに「書類審査に通ったら面接は100%通る」と言われていました。2〜3ヶ月待って無事書類審査に通って、いざ面接を受けに行ったら、まさか、落ちたんです(笑)

渡辺
どうして……?

鈴木
その場では理由は教えてくれなかったんですが、調べてみると資本金の額が少なかったのが原因かなと思います。就労ビザの種類が投資家ビザと呼ばれているもので、日本のお金をアメリカに持って行って、アメリカで雇用や消費を生み、アメリカの経済に貢献しているからビザをあげるよ、というものだったんです。おそらく4〜5,000万を1人で持って行ってたら通ったんですけど、5人くらいのビザの枠が必要で。仮に2〜3億持って行ったり、創業者に日本人以外のメンバーがいたりしたら通っていたかもしれません。

「絶対またチャンスがくるから、その時に会社がないとバッターボックスにさえ立てないし勝負もできないぞ」と言われ。メディアにも取り上げられないし、誇れる仕事はできないかもしれないけど、でも会社は絶対につぶさないという気持ちでやりました。
渡辺
まさに想定外ですよね。

鈴木
そうなんです・・・投資家にもびっくりされました。「お前らアメリカ行くって言ったじゃん」って。若干オオカミ少年みたいになってしまいました。

渡辺
そこから、どうなさったんですか?

鈴木
日本に帰ってきて数年やっていたのですが、キャッシュはどんどん出てお金はなくなっていく、サービスも伸びない、マネタイズできない。投資家もしびれを切らしてきまして。その中の一人が、「この会社つぶれるんだろうな」と感じ取って、すごくお忙しいにもかかわらず、毎週時間をとって相談にのって、メンタリングしてくれたんです。そこで「俺の投資した会社で潰れた会社はない」と言われたんです。要は「潰すな」と(笑)。あとは、先ほどの「なんで失敗してもしぶとく頑張れたのか?」の答えになるんですけど、市場の波は数年に一度大きいのがくるので、そこで生き残っているのが一番大事だと彼に言われたんです。絶対またチャンスがくるから、その時に会社がないとバッターボックスにさえ立てないし勝負もできない。だから、受託でも何でもして生き残れ、と。自分がやりたい意識の高いサービスは一旦置いといて、人様のアプリをつくってビジネスを勉強して生き残れということを言われました。「受託するために会社立ち上げたんじゃない」と、チーム内でもめて反発もありました。僕もそう思いましたが、でも一度潜ることに決めました。メディアにも取り上げられないし、誇れる仕事はできないかもしれないけど、でも会社は絶対につぶさないという気持ちでやりました。幸い知名度があったので、アプリの受託案件もどんどん入ってきました。受託チームと自社サービスチームの2つに分かれて、受託チームが手堅くお金を稼いで、自社サービスチームは2週間に1本サービスを出すことをやっていきました。数が大事なので、思いついたらすぐにヒアリングをして、いけると思ったらアプリを出す、ということを繰り返しました。受託でもアプリをつくるので、事例が見れて知見がたまっていき、少し余裕ができてきたのが、会社をつくって2,3年目です。

余裕はできたのですが、ちょうどそのくらいに同世代の経営者がどんどん成功しているのを横目に見ていました。Gunosy(グノシー)とかMERY(メリー)です。受託はもちろんやっていないですし、自社サービスで伸びていて、脚光も浴びている。純粋にジェラシーです。やっぱり同世代に負けているというのは悔しくて、うちらも何かやらないとまずいと感じ始めました。そこで、社運をかけたサービスをもう1回つくって、それがだめだったら解散しようと決めたんです。それで作ったのが、今やっているLOCARIなんです。

ラストチャンスだから、絶対に伸びるものを作ろうと思いました。自分たちがやりたいことは入れつつ、プロダクトアウトではなく、ユーザーが悩んでいるものや欲しいものをマーケットインで作ろうと。前回のWondershakeのように、ユーザーのニーズがない可能性はあるけど、理想をベースにつくっているサービスを市場にポンッと投げるのはヒット確率が低いですよね。最後のチャンスなので、1打席1安打でいきたかったんです。あとは自社の強みがいきるサービスをつくる。アプリをつくってきたので、他社よりアプリをうまくつくってマーケティングする自信はあったんです。

ユーザーのニーズを探していった時に、メディアとECの領域に目をつけました。スマホのアプリで何か読んだり、コンテンツを消費したり、商品を買ったりする、体験を予約する。この辺りは、ガラケーからスマホ化されていないって気づいたんです。それこそメルカリもまだなかった時で、スマホに特化したサービスに勝機があると思い、メディア✕EC✕スマホ✕アプリで何かをつくろうと思って。それでLOCARIをつくりだしました。当時はどちらかというとECアプリとして、「世界中の掘り出しものをLOCARIが見つけてあなたに日々届けます」というバリュープロポジションでつくっていました。1日2回プッシュ通知が届いて、開く度に商品が変わっている。Wondershakeの時と同じく「驚きを届ける」みたいな想いはこの時もありました。

渡辺
ターゲットは?

鈴木
20〜30代の女性です。忙しくてリアルな買い物の時間がなかなかとれない女性に、街中で買い物している体験を届けるというコンセプトです。LOCARIという名前は、イタリア語で「小さな街」を意味するLOCARIte(ロカリテ)からとりました。

スタートしたはいいものの、ECアプリってなかなか伸びないんです。いわゆる鶏と卵問題で、ユーザーがいないと出品者も集まらないし、商品がないとユーザーも集まらない。商品は売れても、規模が全然出なくて、やっぱりEC単体ではなく、メディアを活用したECに転向することにしました。まずはメディアで記事を読みに来てもらって、記事で紹介した商品がその場で買えるスタイルです。最近LOCARIはようやくその状況になってきていますが、最初の頃は大量に記事をつくってユーザーさんが毎日くる環境を育てて、それにEC決済機能をのせるという2段構えで行いました。

渡辺
そうするとライターさんが必要になると思うんですけど、どうやって集められたんでしょう?

鈴木
ライターさんは、ゼロからクラウドソーシングで集めました。子供のいるママさんとか、海外にいる駐在妻さんとか。ライターさんに記事を書いてもらって、その反応をみるということを最初はやっていました。

新規の投資家さん30社くらいに断られ、壊滅状態でした。もう集まらないかもしれないと思ったんですけど、最後の最後にお会いした投資家さんが僕たちのチームとサービスを評価してくれて、その場で1億投資すると言ってくれたんです!失敗したら責任もとるし、それでもいいからやろうって。
鈴木
ファイナンスの話に戻るんですけど、LOCARIをメディアとして伸ばそうと決めた時は、まだ受託もやっていたんです。受託でお金を稼ぎながら片手間で新規事業であるLOCARIをやっている状態で、LOCARIに専念するために受託をやめたかったんです。でもそうするとお金がなくなるので、もう一度投資家さんをまわって、まとまった金額をもってきてLOCARIに全投資しようと決めました。既存の投資家さんをまわるじゃないですか。9社くらいいたんですけど、みんな投資してくれないんですよ。みんな口に出しては言わないですけど「この会社に投資しても返ってこない」って損切りモードになっていて。

渡辺
その損切りモードになっている時の雰囲気は、どんな感じなのでしょう……?

鈴木
誰も手をあげないですよね。誰かあげたらそれに乗っかるんでしょうけど、数年前に投資してくれた時とは全く空気が変わっていて、正直悩みました。自信なくしますよね。それから新規の投資家さんをまわることにして、ベンチャーキャピタル事業会社、個人投資家、思い当たるところ全部まわりました。でも、みんな「他に投資する人が決まったら教えて」とか「君たちサービス当てたことないよね」とか散々言われて、30社くらいに断られ壊滅状態でした。もう集まらないかもしれないと思ったんですけど、最後の最後にお会いした投資家さんが僕たちを評価してくれたんです。2011年からご縁があったニッセイ・キャピタルの永井研行さんに久々に連絡をしたら、彼だけ反応がポジティブだったんです。まず「チームがいい」と褒めてくださって。3〜4年やっていて、空中分解するチームが多いんですけど、うちは創業メンバーがほとんど残っているんです。事業はどうなるか分からないけど、チームが一番大事だと彼は評価してくれたんです。それに加えて、やろうとしている事業コンセプトもおそらく伸びると。なんと、その場で1億投資すると言ってくれたんです。失敗したら責任もとるし、それでもいいからやろうって。1億集めるからサービスつくってきてって言われて、その方の存在が本当に一番大きいです。

渡辺
投資すると言ってくださった時、その言葉を聞いてどうでしたか?

鈴木
感動しました。

渡辺
絶対頑張る……って思いますよね。

鈴木
そうですね。恩を返そう!と思いましたね。リード投資家がやはり大事で、その場で1億の投資を決めてくれて、そしたら他も投資してくれるんですよね。1点1億くらい集めて、受託は全部やめて、自社事業をものによっては売ってキャッシュインして。こんな感じで始まったのですが、スマホが伸びていき、ユーザーの情報摂取量が多くなるタイミングに重なったこともあり、LOCARIは市場の伸びとともに伸びていきました。そこから引き続きいろんな困難はありますが今に至ります。

渡辺
気分的には、今どうでしょう?

鈴木
毎日大変です。理想とのギャップがありますね。社会人経験をしていない起業家の弊害は、会社がどういう風にまわっているか知らないということです。採用されたこともないし面接の仕方も分からない。人事制度も「それ必要なの?」って思ってました。モチベーションが湧く/湧かないという考えも当時はあまりありませんでした。小さい会社でも政治的な動きをする人がいますし・・・。2016年までは創業メンバーと中途採用のメンバー10人くらいに加えて、学生インターンたくさんでやっていてすごく自由で熱狂していたんです。みんな仕事が好きだし、成長したいし、会社が好きだし、誰も変なことを考えない。社員も紹介で入ってきているので、マッチ率が高かったんです。

渡辺
みんな同じ方向を向いていたんですね。

鈴木
そうなんです。会社も日々成長していったのですが、2016年くらいからは資本をもっている大手がうちみたいな会社を買収してこの業界に入ってきて、競合が増えました。うちもこのままじゃやっていけないから大量に人を採用しようと思い、10人から60人くらいまで増やしました。ただ、当時、人を見抜く採用の目もなかったので、完全に動物園みたいになっていました・・。しかも評価制度も全くなかった。例えば、創業メンバーはリモートワークOKという考えだったんです。自分を律すればルールは要らないと思っていたのですが、それを逆手にとって仕事をしっかりしていない人が出てきて維持が無理でした。1〜2年、本当にカオス状態になって、会社分裂の危機を迎えました。

渡辺
それは大変でしたね。どうやって解決の道を?

鈴木
一人一人と対話しながら一緒にやっていくと言ってくれたメンバーと、別の道を行くメンバーで分かれました。2-3年前がそういう意味では一番厳しかった時期ですね。ただそのおかげで、ベンチャーにとっては人が全てだということを痛感できました。

行動からスタートするのが一番大事かなと思います。あとはその行動している人の横に自分を置くことですね。そうすることによって、不思議と目指したい方向性とかが見えてくるんですよね。
渡辺
まさかの想定外から日々、着実に学びを積み重ねていらっしゃって、今後のビジョンとして目指すのは、どんなところなのでしょう?

鈴木
やっぱり昔考えてたグローバルはテーマです。今は国内の女性受けという限定されたフィールドでやっているので、日本だけに閉じないプロダクトで、人の生活を変えるものをつくりたいという気持ちはやっぱり強いです。LOCARIを活用して利益を大きく生み出す新規事業を作っていき、会社としてさらに攻められる土台が整ったら、また海外向けのビジネスも仕掛けたいですね。

渡辺
今ないもので、価値観や社会が変わるサービスのイメージというのは鈴木さんの中にありますか?

鈴木
個人にフォーカスをあてたサービスですかね。個人と個人をつなげるとか、まだ出会っていない才能を持っている人をつなげるとか、そこで新しいサービスが生まれるとか、そういう人と人とをつなげるプロダクトを指向性としては考えています。

渡辺
質問が重複してしまうかもしれないのですが、アメリカでの起業を目指されたけれど、ビザがおりないという最後の一段で実現できなかったわけですよね。シリコバレーでサービスをつくるのと、全く同じ優秀なメンバーで日本でなさるのとは、どんな違いがあるんでしょう?シリコンバレーのどこが特別なのでしょう?

鈴木
周りにいる人のものの考え方のレベルが全然違いますね。シリコンバレーの方が断然大きいし、人の環境が全然違うと思います。今は中国の方がホットだとは思いますが。

渡辺
でも、もうアメリカで起業はされないんですか?

鈴木
いずれ海外でやりたいなとは思いますが、アメリカなのかは分かりません。世界中な場所で一番ホットなところに行きたい。今は中国かもしれないし、もしかしたらインドかもしれないですね。

渡辺
今年と来年でも、その熱移動はあるかもしれないですものね。どこで何をなさるのか、これからが楽しみです。最後に、ICUの学生の皆さんや、これからICUを目指されるかもしれない若い世代にメッセージをお願いできますか。

鈴木
とにかく行動することですね。最近、若い人たちによく言うんですけど、頭で考えて堂々巡りして、結局前進しないみたいな人が多いんですけど、プランがなかったとしても、プランの輪郭をつかむためにまずは客先に行くとか、その領域の専門家に会いに行くのがいいと思います。行動することによって、不思議と目指したい方向性とかが見えてくるんですよね。自分が何が好きなのかに関しても一緒で、何が好きで、何が得意かもやってみないと分からないです。やっぱり行動からスタートするのが一番大事かなと思います。あとは圧倒的に行動している人の横に自分を置くことですね。


プロフィール

鈴木 仁士(すずき さとし)
株式会社Wondershake CEO

幼少期は海外を海外で過ごし、ICU高校を経て2011年にICUを卒業。大学4年生の時に「驚きで世界を揺らす」という想いを込めた会社Wondershakeを設立。現在地の近くにいる人と共通の趣味や関心を通して出会うことができるサービス「Wondershake」をリリースし、注目を集める。現在は、2014年にリリースしたオトナ女子向けアプリ「LOCARI(ロカリ)」を中心に、様々な事業を展開している。