INTERVIEWS

第68回 ボルケーノ太田

声優

プロフィール

ボルケーノ太田(ぼるけーのおおた)
おもちゃ会社㈱バンダイに約20年務めた後、44歳から声優を目指し退職。
その後、声優事務所㈱青二プロダクション所属となった異色の声優。
バンダイ時代は「デジタルモンスター」や「戦隊」シリーズなど特撮・アニメ作品等、主に男児向け玩具の企画開発に携わっていた。「デジタルモンスター」では、会社員時代から”ボルケーノ太田”の名前でデジモン名人として活動していた。
声優としては、「ドラゴンボール超」や、「ONE PIECE」、「ゲゲゲの鬼太郎(第六期)」等にも出演している。
昔から男の子向けのおもちゃとかアニメーションも含めてそういうものが大好きで、おもちゃを作りたかったんです。
齋藤
太田さん、えらい大きいですね。イメージと違うのでビックリしました。声優さんというので、もっと華奢な人を想像してました。

太田
身長は185cmあります。大学時代は体重も120kgあってもっとデカかったんですけど、社会人になってから更に太って140kgぐらいになっちゃいました。その後39歳の時にダイエットをして約60kg体重を落とし、今は80kg台です。

渡辺
太田さんって、もしかしてアメフトの…?

太田
!あれ…?まさか、気づかれてなかったんですか!?

渡辺
え?気づいてないです……私、太田さんの資料を結構調べてきたのですけど、それはボルケーノ太田さんになっていらしてからのものだから、全然気づいてなかった(笑)。

太田
選手時代はお世話になりました。4つ違いなので被ってはいないですが、卒業されてから試合を見にきてくださったりして。雨の日の試合中、腰を痛めて倒れている時に真理さんに傘をさしてもらったのを覚えています。

渡辺
あの、太田くん!すごくほっそりして印象が変わられたから……
アメフトの太田くんとリンクしていなかった。ごめんね、失礼しました!

太田
いえいえ!てっきり同じ部の後輩であるということを踏まえた上で呼んでいただいたのかなと思っていたのですが…(笑)

渡辺
あ、それは違います。異色の経歴で声優になられた卒業生がいらっしゃるということでお声がけしたので。そしたら、あの太田くんで……本当に驚きでした。

齋藤
これは驚きやね(笑)。太田さんは今、声優さんをされているということですが、声優業というのは何に登場するのでしょうか。やはり、アニメとかですか?

太田
もちろん、アニメーションに声を当てるのも声優の仕事ですし、海外映画の吹き替えもそうです。バラエティ番組のナレーションや、再現VTRなどで外国人の方が英語で話している上から日本語の音声をかぶせる、ボイスオーバーというお仕事もあります。他にもCM、ゲーム、イベントの司会など多岐に渡りますね。会社内のみで使用される映像に声を吹き込むと言うような、表に出ない仕事もあります。

齋藤
以前は何をされていたのでしたっけ?

太田
ICUを卒業した後、おもちゃ会社のバンダイに就職しました。昔から男の子向けのおもちゃとかアニメーションなどが大好きで、おもちゃを作りたかったんです。就職するならおもちゃ会社だなーと思っていて、バンダイに受かってから20年くらい、主に男の子向けのおもちゃの企画開発をしていました。

齋藤
20年もおられたのですか。企画開発をする上で色んなことを調べると思うのですが、どんなことを調べるのですか?やっぱりおもちゃについてですか?

太田
今、市場にどんなものがあるのかとか、過去にどんな漫画やアニメーションがあったのかとか、そういうものを調べるということはあったのですが、僕はもともとそういうものが好きで詳しかったので、すでにほとんど知っている状態でした。

僕ら企画開発側の人間の中には「今あるものを調べる」のではなく、「今無いものを自分で作り出せ」というものがありました。ある日、営業の方から「太田は、店頭でアンケートとか取って、もっと市場やユーザーのニーズを知った方がいいよ」と言われたことがあったんですが、企画開発の上司にそう言われたことを話したら「違うね。今のニーズやユーザーの意見を聞いたって素人が思いつくものしか出てこないんだから。俺たちは、ユーザーが『こんなもんなかった、こんなもの考えつかなかった』というものを考え出さなきゃいけない。だってプロなんだから」と言われ、なるほどと。

齋藤
それは面白いですね。

僕が子供の頃作っていたプラモデルの中には、いくつか「これは酷い!」って出来のものがあったんです。僕は「何でこんなに出来が悪いんだ?」と思っていて、バンダイには「僕がもっといいものを作ってやる!」という不遜な気持ちで入りました。
太田
僕はガンダムが好きでプラモデルを作っていたんですけど、正直言ってしまうと、僕が子供の頃作っていたプラモデルの中には、いくつか「これは酷い!」って出来のものがあったんです。今考えれば、コストの問題や、できるだけ早く発売しなければいけないなど納期の問題などから仕方のないこともあったんだと思うんですが、とにかく「ガッカリ」するものがいくつかありました。
僕は「なんでこんなに出来が悪いんだ?」と不満に思っていて、「こうなったら、僕がもっといいものを作ってやる!」という不遜な気持ちで入りました。もともと、プラモデルを改造することが趣味だったので、面接では「僕は500円のプラモデルに5000円かける男です」と言いました(笑)。

渡辺
プラモデルはいつ頃から始められたのですか?

太田
最初に作ったのは幼稚園の頃だったと思います。組み立てるのが好きでした。

齋藤
それはお父さんや兄弟の影響があったのですか?

太田
父も兄もプラモデルはやっていなかったと思います。自分は子供番組が好きだったので、テレビに出ているキャラクターを具現化されたものが欲しくて、それのファーストコンタクトがプラモデルだった、という感じです。

渡辺
男の子に比べて女子はプラモデルやフィギュアにあまり興味がないと一般的には言われますし、私自身その最たるタイプなのですけど、それでもアニメやCGに出てくるキャラクラーが実際に具現化されて目の前に現れると、想像を超えた感動ですよね!スター・ウォーズ展の等身大ダース・ベイダーと、写真撮りましたもの。太田さんが器用なのは、どなた譲りなのですか?

太田
決して器用ではないですけど、どちらかというと母かもしれません。でも母もクラフト的なことはやっていませんでしたね。だから僕は太田家の中でいうと突然変異種なのかもしれません(笑)。ここまで体格がいいのも僕だけですし。

「おもちゃ会社はいいぞ。仕事中に漫画を読んでいても、プラモデルを作っていても上司がニコニコしてる。なぜならそれが仕事だから」って書いてあって。「よし、就職するならおもちゃ会社にしよう!」と即決しました(笑)。
齋藤
バンダイでは20年ずっと企画だけをしていたのですか?

太田
他社に出向していた時期は宣伝を担当したこともありましたが、基本的には企画開発がメインでしたね。

齋藤
僕は、企業でずっと企画開発にい続けるというのは、なかなかないことだと思っているんです。企画開発って常に新しい発想とかアイデアを提供し続けることが大事なので、それを実現できることはかなり難しいことですよね。何かすごいものを開発したり、人の気付かないことを指摘したり、そういう何か斬新さがあると思うのだけど、太田さんはどういうところを買われていたと思われますか?

太田
ちょっと長くなるんですが、最初から説明させてください。かなりさかのぼるのですが、まずバンダイに入ろうと考えたのが高校生の時だったんです。高校生の時に、ある雑誌で「社会に出た先輩から後輩に向けたメッセージ」みたいな特集があって、そこにおもちゃ会社の社員の方からのメッセージがあって。「おもちゃ会社はいいぞ。仕事中に漫画を読んでいても、プラモデルを作っていても上司がニコニコしてる。なぜならそれが仕事だから」って書いてあって。「よし、就職するならおもちゃ会社にしよう」と即決しました(笑)。
当時、おもちゃ会社と言えばバンダイがナンバーワンと思っていたので、就職するならバンダイだな、と思っていました。その後、大学で周りが就職活動を始めた頃に高校時代にそう思っていたことを思い出して、バンダイに行こうと決めて、入りました。
でも、僕のようにプラモデルが好きな人間からすればバンダイは有名企業なのですが、当時の就職課に「バンダイ受けようと思います」と言ったら「バンダイ?何やってる会社?銀行とか保険会社じゃなくて、バンダイ?」みたいな反応をされるぐらいでした。「はい、僕はバンダイ一本でいきます」と答えたら「バンダイ一本は難しいよ」と言われて。周りの先輩からも銀行や保険会社のリクルートを受けるのですが、それも全部断って、僕はバンダイに行くので、と。

渡辺
すごい。初志貫徹ですね。

太田
入社後の研修当初はガンダムのプラモデルの企画開発をやりたかったので、プラモデルを作る部署を志望していたのですが、当時のバンダイ社内では男の子向けのおもちゃを開発している部署がメインストリーム、という雰囲気がありました。
ちなみに、一般的にはプラモデルもおもちゃも同じものに思えるかもしれませんが、実はそれぞれ流通、つまり営業先が異なるため、別の部署で企画開発を行っているんです。
で、その違いを知ったことや、おもちゃの開発にも興味があったこともあり、研修の最後には男の子向けのおもちゃの開発部門を第1志望にしました。「希望は通らないよ」と言われてはいたのですが、結果ラッキーなことにその部署に配属となりました。
その中でも、当時一番売上を上げていたのは「〇〇戦隊〇〇レンジャー」みたいな特撮番組のロボットとか変身アイテムなどのおもちゃだったんですが、それを担当されていた方の弟子になりました。
その当時は特撮番組のおもちゃは売れたのですが、アニメーションのおもちゃでヒットするものが全然ありませんでした。なぜかと言うと、幼稚園児など未就学児はおもちゃで満足してくれるんですが、小学校に上がったら子供たちが半ば自主的におもちゃから卒業してしまう傾向があるんです。そのため、主に幼稚園児ぐらいの子をターゲットに作られている特撮番組のおもちゃは売れて、主に小学生以上を対象に作られているアニメーションのおもちゃは売れない、という状況でした。小学生以上は、おもちゃではなくグッズなど違うものに流れていってしまうのです。
それもあって、その部署では一番売り上げを上げる特撮番組の担当者が、企画開発者のトップ、という雰囲気がありました。

渡辺
子どもたちがおもちゃを卒業していく様子、まさに「トイ・ストーリー」の世界ですよね。私も子供の頃、カルピス子ども劇場が大好きで「ハイジ」の中のキャラクターのぬいぐるみを大事にしていました。ぬいぐるみはまた流通が別なのでしょうか?

太田
プラモデルもおもちゃもぬいぐるみも結果的に同じおもちゃ売り場には並ぶのですが、ぬいぐるみは「ぬいぐるみ流通」という別の流通です。
ちなみに、僕は小学生をおもちゃから卒業させたのは「機動戦士ガンダム」だと思っています。それまでのロボットアニメは、「宇宙からの侵略者など、完全に”悪”と呼べる敵が出てきました、その敵を人類がカッコよく倒しました、よかったねー」という勧善懲悪のものが多かったんですが、ガンダムってそれまでの作品とは一線を画していて、敵側も主人公側もどちらも同じ人類で、イデオロギーや立場の違いからの戦いが描かれているんです。

渡辺
なるほど。

太田
その世界観を具現化して楽しむには、低年齢向けの商材であるおもちゃよりも高い年齢層向けの商材であるプラモデルだよな、ということになり、そこから小学生がおもちゃから離れていく傾向ができたのではないか…と思っています。
まぁ、それがその通りかはともかく、とにかく当時アニメのおもちゃは売れなかったんです。
そんな中、特撮番組で売り上げを上げている師匠から、「そろそろ一本立ちしろや」と言われまして、「おぉ!後続の特撮番組担当者になるのか!」と思ったら、アニメ番組の担当を振られて少し動揺しました(笑)

師匠の下についた時、師匠に「お前俺の下についてかわいそうだな」って言われたんです。「何でですか?」と聞いたら、「俺は新人を潰すって評判なんだよ」と。「じゃあその評判を覆します」と返しました。
渡辺
太田さんは弟子という言葉を使われていましたが、やっぱり職人さんの世界なのでしょうか?

太田
はい、そういう側面はありますね。

渡辺
会社でありながら、知識や世界観を伝授されるという色合いが濃いのですね。

太田
そうですね、ただ、伝授はしてくれないので盗むしかないんです(笑)。師匠の下についた時、師匠に「お前俺の下についてかわいそうだな」って言われだんです。「何でですか?」と聞いたら、「俺は新人を潰すって評判なんだよ」と。「じゃあその評判を覆します」と返しました。その方は、さっき話した「アンケートを取るよりも~」的な話をしてくださった方なんですが、正にトップオブザトップの天才でした。

渡辺
どういうところを天才と感じられたのですか?

太田
知識や発想、更にデザインなど、とにかくできることが超人的だったんです。誰もが認めるレベルで。
配属されてしばらく経った後の飲み会で、他の上司に「どうだ、〇〇(師匠の名前)は?」と言われて「はい、色々教えて頂いています」と言ったら爆笑されました。何がおかしいんですか?と聞いたら「お前みたいなやつは初めてだよ。あいつ何にも教えないのに、あいつから“教えてもらってる”なんて言うやつは珍しいぞ」と言われるようなこともありました(笑)。
それで、その師匠から卒業して、しばらくアニメ担当をしていたのですが、その中で「デジタルモンスター」という商品を担当をすることになりました。
「デジタルモンスター」は、もともと僕ではない方が企画開発を担当されていて、それを引き継ぐ形で担当になったんですが、その商品がすごく売れたんです。
それまで売れなかったアニメ番組のおもちゃを売った、というのが実績になったんだと思います。それで企画のすごいやつだと思ってもらえて、その後継続できることにつながったのかなと。すごく長くなってしまったのですけど、どういうところを買われていたかという質問の答えにやっとたどり着きました(笑)。

齋藤
せやけど、ほんまに「好きこそ物の上手なれ」をそのままやった人ですね(笑)。

太田
そう言われるとそうかもしれませんね(笑)。

普段言えないセリフ、地球を救うための命を懸けるセリフみたいなかっこいいセリフを「声優になったら言えるんだよなー」と思いまして(笑)。それで高校生の時に今は影も形もないような声優事務所のオーディションを受けて、その事務所に入りました。
齋藤
やっぱりここから聞きたいのは、なんでおもちゃの企画屋さんから声優になりたいと思ったんやねん、ということやね。

太田
また遠回りになってしまうかもしれないのですけど、子供の頃ってなりたいものがたくさんあるじゃないですか。「太陽にほえろ!」を見ていたら刑事になりたいなとか。プロレスを見ていたらプロレスラーになりたいなとか。それが抜けず、僕は中高生時代には刑事、プロレスラー、漫画家、プラモデルの企画開発者、映画監督、アニメのデザイナー、声優など、とにかくやりたいこと、なりたいものが多かったんです。
その中でも、当時の年齢や立場的にも一番実現するのに距離が近い、と感じたのが声優でした。

渡辺
やっぱりアニメの影響ですか?

太田
そうですね。普段言えないセリフ、地球を救うための命を懸ける、みたいなかっこいいセリフを「声優になったら言えるんだよなー」と思いまして(笑)。それで高校生の時に、今は影も形もないような声優事務所のオーディションを受けて、その事務所に入りました。

齋藤
高校生の時にですか、それはすごい。

太田
初めはレッスンが土日だったので通えたんですが、ステップアップしていくと平日に移ってしまい、学校があるので通えなくなってしまって、足が遠のきました。その後もずっとやりたいなという気持ちはあったんですが、高校から大学へと進んでいく中でその気持ちが日常に埋没していき、その後就職活動をする際、また別のやりたいこととしてあった「おもちゃを作りたい」という気持ちからバンダイに就職した…という感じですね。

齋藤
結局、漫画とかアニメが大好きだったもんだから、それを作るか!今度はその中の登場人物になってやるか!というように、繋がっているんやね。

夢見ていた世界だったんですが、中に入ってみたら別世界で、やっぱりプロの仕事なんですよ。高校生の頃に少しかじった程度では全く通用せず、「これを仕事としてやっていくことは自分には無理だ!」と思いました。
渡辺
バンダイでずっと企画を担当できること自体、稀有なことだと思うので、それを手放してまで声優を目指されるには何か背景やわけがあるのでは?

太田
また少し話が遠回りになってしまうのですが、アニメの関連のお仕事をしている中で、東映アニメーションというアニメ制作会社の方と仲良くさせていただき、先方にとても可愛がっていただいていました。その中の一つで、「ゲゲゲの鬼太郎(第四期)」のおもちゃの担当をしていただいていたんですが、そのプロデューサーの方がとてもユニークな方で、「太田くん、君面白いからうちのアニメに出なよ」って言われたんです。それで、バンダイ社員なのに、「ゲゲゲの鬼太郎」の劇場版に妖怪役として出させていただきました(笑)。

渡辺
すごい!それは夢のような体験だったのでは!?

太田
夢見ていた世界だったんですが、中に入ってみたら別世界で、やっぱりプロの仕事なんですよ。高校生の頃に少しかじった程度では全く通用せず、「これを仕事としてやっていくことは自分には無理だ!」と思いました。台本があり、映像があり、どうタイミングをとればいいのか、どちらを見ればいいのかということや、声量や発声も含めてどうしたらいいかが分からず、これは超人でないとできないなと、かいたことのない汗をかきました。

渡辺
わかります!と軽々には言えないですが、ナレーションなども担当する身としては、声優さんの凄さは身に沁みてわかります。一度、録音ブースに入ると、台本を見つつ、モニターを見つつ、ラップタイムを見つつ、リップシンク(映像の口の動きと同じタイミングになること)を見つつ。つまり、同時に全てを視野に入れて把握して実行しないといけない作業ですものね。まさにプロの技ですよね。

太田
はい、そう思います。なので当時、担当番組を通して友人になった声優に、「君は凄いな」って言ったら、「私だっておもちゃの開発はできないんだから、お互い様でしょ」って返されました(笑)

僕がトイレに行っている間に「太田のイメージは”山”だよな」「”山”だけよりも、”火山”の方がカッコ良くないか?」「火山は英語で…ボルケーノだな」と話が進み、僕がトイレから戻ってきたら「お前、ボルケーノ太田な」と肩を叩かれて決まりました(笑)。
渡辺
ところで、どうしてボルケーノ太田という名前なんですか?

太田
ボルケーノという名前の由来はですね…僕が担当した「デジタルモンスター」というのは男の子向けの「たまごっち」だったんです。たまごっちは育ててお世話するのが目的ですが、「男の子はそこに更に結果を求めるだろう」と、「男が求める結果と言えば”勝敗”だろう!」ということで通信対戦ができるおもちゃになりました。その後しばらくして、「せっかく通信対戦ができるんだから、その販売促進のために店頭などでバトル大会をやろう!」ということになり、その大会の司会は「商品の内容も魅力も一番理解している担当者がやるべし!」ということで、僕が務めることになりました。

渡辺
商品を熟知していて、魅力を存分に伝えられる方が司会をなさるのは、お客さまにとっても嬉しいし、素晴らしいことですよね。

太田
その大会をどう盛り上げるかということをみんなで考えていく中で、僕がトイレに行ってる間に、仕切っていた同期の営業が「スタッフが普通の名前で大会をやるのはつまらないな、みんなにカッコいい名前をつけよう」と言ってみんなに名前をつけ始めたんです。何となく、「風の名前がカッコいいんじゃないか」ということになったらしく、みんな「トルネード〇〇」「サイクロン△△」みたいな感じでつけていったのですが、最後に「太田のイメージはは風じゃないよな」「太田のイメージは”山”だよな」「”山”だけよりも、”火山”の方がカッコ良くないか?」「火山は英語で…ボルケーノだな」と話が進み、僕がトイレから戻ってきたら「お前、ボルケーノ太田な」と肩を叩かれて決まりました(笑)。

渡辺
なるほど〜!それで、ボルケーノ(笑)。

太田
その後、雑誌などでも「ボルケーノ太田が新製品を紹介するぜ!」みたいな感じで登場するようになりました。そこから、デジモンの中にも、僕をモチーフにしたボルケーモンというキャラクターが登場したんですが(笑)、アニメをやる時にボルケーモンなんだから声優は太田だろ、と言った感じで「ゲゲゲの鬼太郎」以外でも何度かバンダイ社員でありながらアフレコに参加したこともありました。

このままだと定年退職する時に「お疲れ様、でもお前結局チャレンジしなかったよね」と自分で自分自身に言うよなと思いました。それで「ダメかもしれないけれどチャレンジしてみよう!」と、会社を辞めることにしました。
齋藤
で、そこからどういうきっかけで声優になろうと?

太田
一般の会社でもそうだと思うのでご存知だとは思いますが、バンダイに長くいると、「お前そろそろ現場じゃないだろ、管理職になれよ」という声が出てくるようになるんですね。でも、企画開発をずっとやってきた人間からすると管理職って手応えがなくて。

齋藤
それはそうやね。

太田
それで、最後の部署では会社を休んだり、鬱っぽくなってしまったんですよ。そんな中、「バンダイで自分のやりたいことができなくなってきた…と言うことは、バンダイでやりたいこと、できることは全部やってしまったのだな」、ということに思い至りました。実際、バンダイナムコグループにいようと思えば、部署、会社問わず定年までいられるかもしれないけれど、このままだと定年退職する時に「お疲れ様、でもお前結局チャレンジしなかったよね」と自分で自分自身に言うよなと思いました。「それは絶対イヤだ」と思い、それで「ダメかもしれないけれどチャレンジしてみよう!」と、会社を辞めることにしました。

齋藤
なかなかええやん。

渡辺
やらないで後悔するより、やって後悔する方がいいですものね。

太田
はい。それで「辞めます!」と。

声優という仕事ができていること全てが楽しいです。現場に入ってみなさんとコミュニケーションをとり、本番に入って自分が喋るべきタイミングでマイクの前に立って声を出し、しゃべり終わって椅子に座った時に「あ、俺、今声優やってる!」と改めて感動することも(笑)。
齋藤
声優さんをやっていて、「こんなところがええなあ」というような魅力なんかはあるのですか?

太田
いっぱいありすぎて絞れないぐらいなのですが(笑)、声優という仕事ができていること全てが楽しいです。現場に入ってみなさんに挨拶をして、コミュニケーションをとり、まずテストに入り、その後修正点などのディレクションをいただき、本番に入って自分が喋るべきタイミングでマイクの前に立って声を出し、しゃべり終わって椅子に座った時に「あ、俺、今声優やってる!」と改めて感動することも(笑)。それらを含めて総合的に楽しいのもありますし、やっぱり「犯罪者のセリフ」から「地球を救うために命を懸ける人のセリフ」など、太田健介ではない人物のセリフに、どうアプローチするのか考え、実際にそのセリフを言えるのは面白いです。

渡辺
好きなキャラクターをなさる時は嬉しいですか?

太田
どんなお役をいただいても全部嬉しいですね。ちなみに、僕はまだ48歳なんですが、傾向としては実年齢よりも老けたお役のお仕事をいただくことが多いです。これは僕の声質が”老け”に向いているという点もあると思うんですが、一方で、限られた予算の中で番組を制作しなければいけない中、新人レベルの報酬で仕事を依頼できる”老け声”が出せるという、48歳の新人ならではのアドバンテージによるものな気がします(笑)。また、向いてなかったとは言え一応管理職の経験もありますので、ある程度立場の高い人のお役をいただくことも多いです。そういった”自分が経験してきたこと”に近しい立場のお役は、役作りがしやすい側面はありますね。と言いつつ、もちろん自分からかけ離れたお役も、楽しくお仕事させていただいてます。
「老人で、小児性愛者で、ゲイ」みたいな実際の自分とは全く違った役をやることもあったりするんですよ。

齋藤
ええ。それはどんな声すんのやろ(笑)。

太田
やっぱりそれはその人の“人格”がどんなものか、ということを基本に考えつつ、骨格や雰囲気、物腰などによって変わってくるんですが、不思議なもので、視覚情報から入った時に、「この人の声はこういう声だ」っていうのがある程度決まるんですよね。だから、すごく痩せた人のビジュアルを見た時に「俺はこうでさあ!(野太い声)」みたいな声は出せなくなるのです。逆にすごく太った人のビジュアルを見ると、弱々しい声は自然と出せなくなります。
まぁ、ディレクターから要求があればどんな声でも何とか応えるようにはしますが(笑)。

齋藤
面白いなあ。

本気でやりたいんだったら、会社を辞めるくらいの覚悟がないとできないな、という思いを持ちました。なので、辞める時はスパッと辞めました。
齋藤
声優の道に進もうと思ったら、最初はどういうところから始まるのですか?やはり、学校に行くのですか?

太田
はい、学校は行きました。バンダイを辞めた後に、その年齢からでもできる声優学校を見つけて入りました。僕が子供の頃から見ていたアニメとかにも出ていらっしゃる声優さんが教えてくださるということもあって、そこに1年半くらい通いました。根本的なスキルとしての発声をはじめ、腹式呼吸や、その次のステップとして表現を学びました。

渡辺
ということは、辞める時にどこかあてがあったわけではなくて、辞めてからのチャレンジだったということですか?

太田
状況的にはそうでした。「やりたいならまず辞めなきゃ」というのがひとつポイントとして僕の中にあったんです。先ほどお話しした「ゲゲゲの鬼太郎」に関わった時に、ある女性の声優さんと知り合いまして、その声優さんが、実はバンダイがよく制作を依頼するCM会社の元社員だったんです。
で、その声優さんとお会いした事を、そのCM会社の方にお話したら、そのCM会社の方が「あの子は会社にいた時から”声優になりたいんです”って言ってたんだけど、僕は彼女に、”本気でなりたいなら今すぐ会社辞めな、それくらいじゃないとできないよ”、と言ったんだよ。そしたら彼女はすぐに会社を辞めて、その後見事に声優になったんだ」とおっしゃられていて、その話に感銘を受けました。それを聞いて以来、本気でやりたいんだったら、会社を辞めるくらいの覚悟がないとできない、という思いを持ちました。なので、辞める時はスパッと辞めました。

ある事務所から「うち預かっていいですよ」と合格をいただけました。そこで今の事務所に電話して「オーディションの結果、某事務所からOK頂いたので、もし御社がダメだったらそっちに行こうと思うんですが…いかがでしょうか?」って聞いちゃいました(笑)。
渡辺
そして、超名門の青二プロダクションに入れるのもすごいことです。

太田
いや、超名門…ですね、確かに。その際には、バンダイ時代に築いたコネクションを最大限活用しました。バンダイを辞めて声優を目指すということを、個人的に仲の良いアニメ制作会社の、ほぼ同期と言える年代のプロデューサーに話したら、「絶対無理。あんなの変態じゃないとできない」と言われたり(笑)、その方の上司からも「それは無理だから止めな。辞めるぐらいならうちにおいでよ」とやはり同じように言われました。でも、その後バンダイを辞めて勉強をしていた頃、急にその上司の方から「太田くん、バンダイ辞めたって本当!?」とお電話をいただきまして。「はい、本当です。今、学校に通って勉強しているところです。」と言ったら「そうか、本気だったんだね…、なるほど、分かった、じゃあこれから僕は全力で君のことを応援するよ!」と言ってくださって。

渡辺
本気度が伝わったんですね。素敵な方に囲まれていらっしゃいますね。

太田
本当にありがたい限りです。それで「太田くん、やるからにはトップの所に行かなきゃ」と言われ、青二プロダクションの方とお会いする機会を作っていただきました。まずはそのアニメ制作会社の方が「この人に相談するのが一番効果的だろう」と思われる方からご紹介いただいたんですが、とは言え何もない中唐突に「こいつを預かってください」とお願いする訳にもいかないので、まずは「この歳でこの経歴で声優になりたいっていう奴がいるんですが、どうしたらいいと思います?」という相談から始める感じで…。その後段階を踏んでより現場に近い責任者の方――実はその方もバンダイ時代から存じ上げていた方なんですが――とお食事をした際、僕の方から「はっきり言います、青二プロダクションに入れていただきたいです」と言ったら、その方も「僕も、太田さんが声優になりたいならそれが一番いい道だと思う。あとは、太田さんがうちに来るべき人材かどうかだ」と言ってくださって、「然るべき人材になるよう勉強します!」と。
その後、ボイスサンプルを作成して検討していただく形になりました。
一方で、僕が通っていた学校には、卒業のタイミングで5社ぐらいの声優事務所のオーディションが受けられるというシステムがありました。青二プロダクションの方で検討してもらっている最中に、そのオーディションが実施され、結果ありがたいことに、ある事務所から「うちが預かっていいですよ」と合格をいただけました。そこで今の事務所に電話して「オーディションの結果某事務所からOK頂いたので、もし御社がダメだったらそっちに行こうと思うんですが…いかがでしょうか?」って聞いちゃいました(笑)
それから少し検討していただいた後、ありがたいことに「うちで預かりましょう!」と言っていただけ、今の事務所に所属することになりました。こうやってお話しすると、ホント改めてバンダイ時代のコネクションを最大限活用してなりふり構わず声優業界に入れていただいたみたいな感じですね(笑)

齋藤
でも、人と単に知り合うというだけではコネにはならないよね。人柄を認めてもらうことで、はじめて会ったことが生きてくる。若い学生さん達なんかで、僕の集まりに来て「いいネットワークに入れて頂いてありがとうございます」と言われることもあるんやけど、学生は学生なりに他の人にどういう貢献ができるかと考えなければネットワークもクソもないぞ、と(笑)。

「これから収録だ、頑張ってくるよ」と言ったら「頑張らなくていい。楽しんで」って言われて。それで、ああそうだよな、楽しむのが一番だよな、と思いました。やっぱり何事も全力でやり尽くさないと楽しめないですしね。
渡辺
少し話が戻りますけれど、太田さんは、そもそも何でICUだったのでしょう?

太田
もともとキリスト教系の高校に通っていたのですが、その高校から推薦入試を受けられる大学がいくつかあり、その中でICUの試験が一番ラクそうに見えたのが最大の理由です(笑)。あとは、「ICUを受けようと思う」と先生に話した際、その先生から「ここ10年くらい誰も合格してないよ」と言われ、若干挑戦心がうずき、「じゃあ10年に一人の男になります!」と言って受けたら受かったと言う(笑)。

齋藤
なるほどね。

渡辺
まだまだ太田さんのユニークでオリジナルな挑戦は続くと思いますので、またいつか冒険談の続きを聞かせてください。最後に、ICUの在学生や、ICUを目指していらっしゃる若い世代に向けてメッセージをお願いできますか。

太田
メッセージと言っていいか分からないのですが、昔、「ロボコップ」っていう作品が結構好きで見ていたのですけど。

渡辺
ありました!覚えています。

太田
「ロボコップ」は、犯罪者に惨殺された警官が欠損部分を機械化されて復活し、”ロボット警官”として活躍する作品なんですが、復活した直後は半ば人格を失っている状態なんですね。そんなロボコップが法に忠実、且つ冷徹に事件をどんどん解決していくということで人気になるんですよ。そんな中インタビュアーがロボコップに「子供達にひとこと!」と聞くんですが、そこでロボコップが愛想もなく言い放つセリフが「Stay out of trouble.」なんです。「トラブルの外にいなさい」。まさにその通りだなと思って。

齋藤
なるほど、トラブルになりそうなことには、関わらないことだね。

太田
すみません、ここまでの話とあまりにも関わりないですね(笑)。もう少し考えます…、そうだ!「楽しんでね」ということも言いたいです。これは、同い年だけれど僕よりも20年間長く声優をやっている友達に言われたんですけど、僕が緊張しながら「これから収録だ、頑張ってくるよ」と言ったら「頑張らなくていい。楽しんで」って言われて。それで、ああそうだよな、楽しむのが一番だよな。と思いました。やっぱり何事も全力でやり尽くさないと楽しめないですしね。だから、「Stay out of trouble.」と「楽しんで」の二つを伝えたい、ということで(笑)。

渡辺
ありがとうございました。


プロフィール

ボルケーノ太田(ぼるけーのおおた)
本名:太田健介
1971年1月2日、東京都生まれ。
1994年国際基督教大学教養学部社会科学科卒、在学中はアメリカンフットボール部所属。
国際基督教大学卒業後、1994年に㈱バンダイに入社。「デジタルモンスター」シリーズの企画開発者であり、デジモン名人として「週刊少年ジャンプ」、「月刊Vジャンプ」などのメディアに登場し活動していた。「たまごっち」や「デジタルモンスター」の企画会社㈱ウィズや、「機動戦士ガンダム」などのアニメーション制作会社㈱サンライズに出向していた経験もある。
2015年、44歳にて声優を目指すためバンダイを退職。2016年、「動物戦隊 ジュウオウジャー」で独立後初の声優デビューを果たす。2017年1月1日、声優事務所の㈱青二プロダクションに所属。

<主な出演作>
アニメ―ション
「ドラゴンボール超」
「ONE PIECE」
「ゲゲゲの鬼太郎(第六期)」
「アンゴルモア元寇合戦記」
「COP CRAFT」

洋画
「アントマン&ワスプ」
「グリーンブック」
「ジョーカー」
「バンブルビー」
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」