INTERVIEWS

第70回 神内 一郎

株式会社LIVE BOARD 代表取締役社長

プロフィール

神内一郎(じんない いちろう)
香川県高松市出身。旅館を営む家に生まれ、幼少期は香川県で過ごす。国際基督教大学を卒業後、同大学の大学院に入学するが、博士前期課程(修士)を終了後に電通に就職。現在はドコモと電通の合弁会社である株式会社LIVE BOARDの代表取締役社長として活躍中。
同窓会組織部に面白いおじさんがいるから、組織部に入ろうかなと思って
渡辺
齋藤さんと神内さん、とても長いお付き合いなのですよね?
齋藤
そうなんです。同窓会の理事会で会うようになったのです。そこから、結構、一緒に同窓会活動を行ったし、よく飲み会にも行ったので知り合うようになったのです。それで、僕が同窓会長をしていたこともあり、後任の同窓会長にと、2006年でしたか、神内さんを指名させてもらったのです。
渡辺
それは、お断りになりにくいシチュエーションですね(笑)。
神内
僕自身が同窓会の理事をやっていたのです。それで当時、齋藤さんが組織部副会長をされていて、組織部に面白いおじさんがいるからそこに入ろうかなと思って。それが2000年ぐらいのことです。
渡辺
と言うことは、20年来のお付き合いですか。
齋藤
そうです。ぼくが同窓会長を辞めてからも、ぼくが主宰している春巻クラブという成長志向する人たちの集まりの幹事になってもらったりもしているので、良い仲間だと思っているのです
渡辺
最初に齋藤さんに会われたときの、神内さんのお仕事は?
神内
電通で、ちょうどモバイルの子会社に出向することになった頃ですね。今はドコモとの子会社にいるのですが、2001年に電通とジェイフォン、今のソフトバンクの子会社ができて。そこでモバイル広告の事業を担当することになりました。
齋藤
彼のように、電通の中で合弁会社の社長を任されるということは、よっぽど人格があってビジネスのことを知ってないとまず指名されないはずなのです。だから実力は十分。お酒飲ませても、騒がないし(笑)。
僕らはオンライン広告と同じ技術基盤を持って、看板広告を変えていくのです
渡辺
そして、現在は4つ目の合弁会社社長を勤めていらっしゃるのですね?どんな業務内容なのでしょう?
神内
今はドコモと電通が出資をした会社にいます。
業務内容としては看板屋です。デジタルサイネージと言われていますけど、看板ですね。渋谷のスクランブル交差点とか歩いていると、大きな看板がたくさんありますけど、看板はテレビみたいに視聴率が分かるわけではないし、オンラインの広告のようにクリックされた数が分かるわけじゃないですよね。それをドコモのデータを使うことで、何人の人が見たのかをわかるようにしたのです。
渡辺
どうやって看板を見たのがわかるのですか!?うかがってもよければですけれど(笑)。
神内
はい。これが我々の肝なのです。まずは会社の説明からしますね。(資料を見ながら)下にOOHとありますが、OOHというのはOut Of Homeの略で、家から一歩外に出た時に触れるメディアのことです。たとえば看板や鉄道広告、ショッピングモールの中で見る広告みたいなのがOOHです。
アドネットワークと言われているモノなのですが、メディアって例えばTBSならTBS、テレ朝、と単体で存在しているじゃないですか。でも、スポット1という方法でテレビ広告を買う時は各局で1000GPR2でまとめて買いたいですって買い方をすることができるんです。あれが今までOOHはできなかったのです。例えば渋谷の交差点にあるこの看板を買いたいです、1週間単位でしか売っていません、とか、新宿の駅前にあるこのサイネージを買いたいです、1ヶ月単位でしか売っていません、というように、今までは「自由な期間設定で複数の看板をまとめて買う」ということができなかったのですが、それをやっていくのです。僕らはオンライン広告と同じ技術基盤を持って、看板広告を変えていくのです。あとOOHで一つの問題としてあるのが、メジャメントがないことです。
渡辺
メジャメントというのは…?
神内
テレビで言えば視聴率、オンラインだとインプレッションみたいなものですね。そういう基準がないのです。今、広告主は、自分のターゲットに最も効率的にメッセージを届けるにはどういうメディアの分配をすればいいのかということを先に考えるようになっていて、テレビに広告を出したいとか、オンラインに出したいんだ、というふうにメディアから発想することはなくなってきています。
渡辺
アプローチはお任せしますけど、効率的なのがいいんです、ということですね?
神内
はい。メディアファーストではなく、オーディエンスファーストになっているのです。そうするとメディアを比較しないといけなくなるのですが、看板って今まではメジャメントがなかったので、他のメディアと比較ができなかったのです。それがまず一番大きい課題です。

1スポット広告とは、広告主が個別の番組を提供し、その番組に含まれるCM枠内で放送する「タイム広告」と異なり、番組に関係なくテレビ局が定める時間に挿入されるCMのことで、発注したいGRP(=延べ視聴率)に応じて自由な期間設定やテレビ局ごとの予算配分が可能になるテレビ広告の買い方を指します。
  
GRPとはGross Rating Pointの略で「延べ視聴率」を意味しています。例えば、視聴率が10%のA局の番組と視聴率が20%のB局の番組でそれぞれ1回ずつ広告が配信されたとすると、GRP(延べ視聴率)は10+20=30となります。

OOHというのはビジネスモデルが4万年前の壁画の時代から変わっていません。確かに表現手法は、絵を描いたり字を彫っていた時代から、印刷、ネオン、そしてデジタルと技術革新を遂げてきましたが、朝から晩まで同じものがずっと流れ続けているというビジネスモデルは今まで変化してこなかったのです。
神内
それともう一つの課題なのですが、海外って例えばイギリスだと、看板屋って上位3社でマーケットの87%を占めるぐらい大きなシェアを持っているのです。でも、日本は一番大きいところでも10%ぐらいです。この違いは、海外の場合、場所を持っている会社と看板を運営している会社が異なっていることから生まれます。海外では鉄道会社とか空港とかの場所を持っている会社と、看板を売る会社が分離しているのです。鉄道会社が、ある期間のOOH広告を売る権利を売りますから買いませんか、と言って、看板を売る媒体者がそれに応札してきて、10年いくらで買います、というシステム。どんどん寡占が進むのです。でも日本は場所を持っている人と広告を運用している人がほとんど同じなのです。例えばJR東日本ならJR東日本企画、東京メトロならメトロアドという具合にね。
渡辺
小規模なビルでも、そのビルの管理者が看板を売ってらっしゃるのですね?
神内
そうなのです。極端に言えばビルの数だけ媒体がある。そうすると何が困るかというと、買う方は「枠が空いているのか」というのを調べるだけでも大変になるのです。どのくらい大変かというと、これはある交通媒体を担当している広告会社の新人の話なのですが、その交通媒体一社だけでも月に最大1,942回もただひたすら空き枠を確認する必要があるんです。しかも確認した空き枠情報を広告会社のシステムに登録しているんです。しかし、広告会社のシステムに入れたものとメディアが持っているデータベースはシステム連携されているわけではないために、これが更なる悲劇を生みます。広告主から「枠空いてますか」と聞かれるじゃないですか。そうすると、再びメディアに本当に空いているかどうかをもう一度聞くことになるのです。そのたびにまた作業が増えてしまって、すごく煩雑になるのです。これはもう、悲劇というよりコメディです。
OOHというのはビジネスモデルが4万年前の壁画の時代から変わっていないのです。確かに表現手法は、絵を描いたり字を彫っていた時代から、印刷、ネオン、そしてデジタルと技術革新を遂げてきましたが、朝から晩まで同じものがずっと流れ続けているというビジネスモデルは今まで変化してこなかったのです。だからオーディエンスファーストじゃないのです。
渡辺
なるほど。
神内
で、我々はそれを解決するために生まれてきましたということで、3つのコンセプトが、Data-Driven、Automated、AdNetworkです。どういうことかというと、まず日本で初めてちゃんと広告効果がわかる看板屋さんになります、ということがひとつ。また、さっきのように人間がひたすら空いているかを問い合わせる必要はなく、完全に自動でできます、ということ。あとは様々な場所にあるネットワークを繋ぐことです。様々な広告の空き枠などのデータを、すべて我々のネットワークにつないでいくのです。
人って止まっていないですよね。歩いている人もいれば車の人も自転車の人もいる。それぞれのモデルを作っていて、広告15秒が流れるうちにそこに出る人と入る人の数をわかるようにしているのです。

神内
OOHは日本ではまだまだですが、グローバルでは成長しています。なぜかというと海外は視聴率がすでにあるのです。
渡辺
海外の看板は、どんなふうに視聴率を出せるんですか?
神内
はい。イギリスやアメリカ、オーストラリアなどのOOH先進国では看板を見ている人の視聴率を推計する標準モデルが確立しています。実は日本を除く世界各国のOOH業界団体が2009年にこうやって視聴率を作りましょうというガイドラインを定めていて、僕は単純にそのガイドラインに沿って計測しています。
渡辺
どういうルールなんでしょう?
神内
まず、看板一つ一つについて「視認エリア」を定義します。設置された看板ごとに実際に広告を見ることができるエリアを個別に定義するのです。画面の大きさを元に最大視認距離を算出。理論的な視認エリアをまず定義します。しかし、理論上の視認エリアの中には建物や街路樹などの障害物で画面が視認できないエリアが存在します。理論上の視認エリアから画面を視認できないエリアを除外し、実際に視認可能なエリアだけを「視認エリア」として定義するのです。
次に視認エリア内の「広告接触可能人数」を数えます。そして、OOH広告を実際に見ている人(=「視認者数」)を算出するための「視認率モデル」を策定して、広告接触可能者数に視認率を掛け合わせることで、実際に看板を見ているであろう人の人数を計算するのです。
渡辺
誰が数えるのですか?
神内
ドコモのデータで数えられるのです。携帯を持っている人は基地局とつながっているんです。基地局の間って結構離れているので、125メートルぐらいのメッシュなのですが、それをさらにGPSで数メートル以内のメッシュに落とし込むのです。それでそこに何人いるのかというのを推計します。あとは外にある広告なのに地下にいる人をカウントしていたらダメなので、地下にいる人のカウントを削ります。さらに、人って止まっていないですよね。歩いている人もいれば車の人も自転車の人もいる。それぞれのモデルを作っていて、広告15秒が流れるうちにそこに出る人と入る人の数をわかるようにしているのです。
渡辺
すごい…それは一瞬でコンピュータが出すのですか?
神内
はい、そうです。統計モデルを作って拡大推計しています。

神内
視聴率を作って、OOHを何人が見ているかで売る、というのが日本で初めてだということです。それまでは経験と勘と真心で売っていたのです(笑)。表参道だったらファッションだよね、とか渋谷なら若者だよね、とか。でも実際には渋谷でも朝や夜はビジネスマンがいますし、表参道にだっておばあちゃんはいますよね。
渡辺
社長として、手応えはいかがですか?思った以上ですか?
神内
暗闇の中で手探りで山に登っているという感じです(笑)。クライアントさんからの反応はいいのですが、広告の価値を証明するためのツールがまだ揃っていないので、今そこを頑張って作っているところです。
もともと数学が面白いなと思っていたのですが、なんでこんな物を作ったんだろう、どんな人なんだろう、という方が面白くなってきたのです。
渡辺
神内さん、もしかして大学の成績はオールAだったりしました?
神内
いや、結構単位落としたりしていました(笑)。1, 2年生の時はローグレでした。3,4年生は良かったですが。
渡辺
ご専攻は?
神内
NSの数学です。大学院もICUに進んだのですが、そちらでは比較文化に進みました。
渡辺
数学から比較文化に進まれたのは、どうしてだったのでしょう?
神内
もともと数学が面白いなと思っていたのですが、なんでこんな理論を作ったんだろう、どんな人なんだろう、という方が面白くなってきたのです。数学の歴史ですね。
齋藤
せやけど、そもそも高松出身なんやね。四国の田舎からICUに来るか!?みたいな(笑)。どうしてICUを受けようと思ったのですか。
神内
高校生の時から数学が好きだったのです。そのとき読んでいた本が野崎昭弘先生という先生の本なのですが、ずっと「山梨大学教授」と書いてあったのです。でもあるとき最新刊を読んだら「国際基督教大学教授」になっていて、受けた方がいいかなと(笑)。あとは、それまで田舎で暮らしていたので、受験の前にICUのキャンパスを見に行った時に「なんて素晴らしいところなんだ。ここに行きたいな」となりました(笑)。
渡辺
わかります、その感覚!野崎先生の本のどんなところに惹かれたのでしょう?
神内
野崎先生の本は、数学の解説書というよりは、数学の種明かしのようなことをしてくれるのです。数学は二つの派があって、数学は自然を表す言語であるという派と、数学は論理そのものであるという派があるのです。数学そのものだけだと理解できないことを、野崎先生の本はわかりやすい言葉やトリックの種明かしで説明してくれていたのです。確率論とか面白いですよね、囚人のジレンマとか。そういうものを本にしてくれていたのです。
渡辺
素敵なご本ですね。数学がお好きだったのは、神内さんのお父様やお母様の影響もあったのでしょうか?
神内
いえ、うちは高松で旅館をやっていたのです。母が女将で、父が板前。
渡辺
旅館で育たれたのですね?だとすると、旅館を継ぐというお考えは?
神内
全く一度たりともなかったですね(笑)。
結婚はタイミングですね。ピピっときたのです。初めて彼女に出会った時もピピっときて「この人は僕のお嫁さんになるんだ」と思いました。
齋藤
電通に行ったのはどうしてだったんですか。
神内
話せば長くなるかもしれないんですけど、結婚させてもらうためだったんです。
渡辺
ご結婚が先に!
神内
はい。僕の妻は小中高の同級生なのですけど、彼女は大学卒業後に就職したのです。それで僕が大学院1年生の頃に、結婚したいと思ったのです。ちょっと考えれば当たり前だと思うんですが、つまり生活力もない学生の分際で結婚だなんてね。でも、当時の僕は彼女の親に結婚を反対されたことがものすごいショックでした。
渡辺
神内さんは大学院生で、のちの奥さまは就職なさっていて、そのタイミングで結婚したいと思われたのは、どうして?
神内
結婚はタイミングですね。ピピっときたのです。初めて彼女に出会った時もピピっときて「この人は僕のお嫁さんになるんだ」と思いました。
渡辺
それは神内少年がいくつの時ですか…?
神内
13の夏の日です(笑)。結婚するというのも、大学院1年生のときに急に思い立って両親に話しに行ったのです。彼女のお父さんは本当は反対したかったのかもしれませんが、昨日今日の仲じゃなし。と、とりなしてくれたんですが、お母さんには「何を考えているの。就職してもいないのにどうして結婚できるの?」と反対されて、「あ、就職したら結婚できるんだ」と思い(笑)。そこから就職活動を始めました。当時はまだ就職活動といったらハガキを出すスタイルだったのですが、手当たり次第200社以上には出しました。
齋藤
へえ。それはまた、すごいなあ。
渡辺
でも、なんで電通だったんですか?
神内
正直、就職できればどこでもよかったんです。金融、製造、商社、広告会社、放送局、出版社など、会ってくれるところはすべて出かけていきました。そんな中、一番最初に内定を出してくれたのが電通だったんです。
銀行からは年齢制限があると言われ、あるメーカーからは大学院卒は研究室単位でしか採用を行っていないし、理系に限ると。あ、世間から見るとぼくは比較文化研究科という文系なんだ。と知りました。でも、電通の面接官の話はどういうわけだか毎回楽しく、ユニークな人が多いなという印象でした。人事責任者との面接試験で、僕は1年浪人して、大学も1年休学。しかも大学院卒だから、普通の人に比べて4年ダブっているんですが、それでもいいんですか?と質問したところ、オレも4年ダブってる。しかも学部で…と。それでなんだか電通という会社が気になり始めたところだったので、内定をもらったときには、これで結婚できる!と喜び勇んで彼女の両親のところに行きました。
渡辺
で、すんなり結婚を許してくれたんですか?
神内
いえ、まったく。彼女のお母さんからは、あなたは言っていることとやっていることが全然違う。だってあなたは研究者になりたかったんでしょ!!と。言われる始末でした。ま、でも、なんだかんだ言って、就職して2年目に結婚することができました。
渡辺
そこまで結婚への情熱が。ご結婚から、今何年目ですか?
神内
93年なので27年目くらいですね。
渡辺
あと3年で30周年!早めですけれど、おめでとうございます。

よくクライアントさんに言われていたのが「君はうちの社員よりもうちの会社のことを考えてくれる」でした。それが一番の褒め言葉だと思います。
齋藤
僕が、興味があってよく聞くことなんやけど、なんで自分が社長に選ばれたと思う?はじめにジェイフォンとの合弁会社を任されたとき。
神内
多分、僕はそのプロジェクトそのものを推進していたので、エネルギーのかけ方が段違いに高かったからですかね。
齋藤
それが、いくつの時でしたっけ。
神内
2001年とかなので、35、6歳ですね。
渡辺
お若いうちに任されたのですね。
齋藤
日本の大企業で、たとえば販売子会社をたくさん作るとなったときに、社長候補になるのはそのくらいの年齢の、優秀な人に任せることが多いですね。その後も合弁会社を任されたということは、最初に成功して結果を出したのだろうね。合弁会社というのは文化の違うところと一緒にやることになるから、「俺が俺が」と出ていくタイプの人には基本的に難しいですよ。でも彼は性格的に人のことを大事にするので、その辺が安心できるし、評価されたんやろうね。
神内
よくクライアントさんに言われていたのが「君はうちの社員よりもうちの会社のことを考えてくれる」でした。それが一番の褒め言葉だと思います。
齋藤
そうやねんな。彼が同窓会の理事をやっているのはずっと見てきたのだけど、僕の後任者に選ぶとしたら彼以外に考えられへんな、と思っていました。あといつも僕らで笑い話になるのが、みんなで食事に行った時、彼は食事の前にお祈りするのですよ。僕なんて牧師の息子やのに、そんなことやったことあれへんのです(笑)。
自分の方を向いて欲しいと相手に求め続けていたら、お互い幸せにはならないのです。別れるかどうかはわからないけど、好きだったら愛し続ければいいのだとなったのです(笑)
渡辺
神内さんはクリスチャンでいらっしゃるのですね?
神内
はい、ICUに入ってからです。
渡辺
いつ、洗礼を?
神内
3年生の頃ですね。もともと西洋の文化を学ぶためにはキリスト教を学ばないと、とは思っていたのです。でも授業で話を聞けば聞くほど「ここはおかしいんじゃないか」とかいうところが出てきて、ずっと議論しているうちに、なんか洗礼を受けていたという感じで(笑)。
渡辺
授業で「おかしい」と思われたのはどういうところだったのですか?
神内
一番おかしいのは、死んだ人が復活したのを信じているところですよね(笑)。いわゆる超越というものを信じるところが宗教にはあって。聞けば聞くほど数学的論理性に欠けている、とはじめは反発していたのです。でも、話を聞いていくと超越はあるかも、と腑に落ちるようになってきたのがひとつありますね。あとは、僕自身が恋愛にすごく悩んでいた時期だったのもあります。
渡辺
恋愛に?さっきのお話だと、すごくうまくいってらしたイメージが。
神内
嫉妬があったのです。全然会ってくれないとか。
齋藤
えっ、そうなんや。これはおもしろい。
神内
20歳の誕生日のときに2人で湯豆腐を食べにいったのです。そしたら「私、付き合っているの貴方だけじゃないの」とか言われて(笑)。すごくショックを受けて、悩みました。そこでキリスト教と繋がるのですけど、愛とは「与える愛」なんだ、と(笑)。嫉妬するのは、love youと言っておきながらlove meなのだと。自分の方を向いて欲しいと相手に求め続けていたら、お互い幸せにはならないのです。別れるかどうかはわからないけど、好きだったら愛し続ければいいのだとなったのです(笑)。
渡辺
すごい…。それで3年生のときにICUで洗礼を受けられたんですか。
神内
はい。
形象に出ているところを見ておかしかったら、その下にはもっとおかしいことがあるはずなのです。構造で考えた方がいい、という発想はずっと持っていました。
齋藤
電通という大きな組織で、神内さんはうまいこと成功してきていると思うのやけど、それはどうしてだと思います?
神内
やっぱり「自分が好きでたまたま」というのがとても重要な気がします。僕はオンラインの広告をずっとやってきたので、日本の看板は効果もわからないし、すごく非効率的でやるべきことだらけにしか見えなかったのです。でも、効果がわからなかったり、非効率的だったりというところは、やろうと思えば手をつけようと思えばできるのに、誰もやろうとしなかったのですよね。根幹を変えられるということはとても面白いです。
齋藤
でも、普通はそういう風には考えないもんやけどね。「これは非効率だ、なんでこんなことが起こるんだろう」ということを考えるようになったのは、やっぱり数学を学んでいたというのが大きいのかな。
神内
モデルを作るっていうのが数学の一つの方法だとすると、何か積み上げたときに歪だったら「歪だな」というのがわかるのはありますね。形象に出ているところを見ておかしかったら、その下にはもっとおかしいことがあるはずなのです。構造で考えた方がいい、という発想はずっと持っていました。根本に、神様が作ったこの世はシンプルにできているはずで、こんな歪な形になるわけがないというのがありますね。
齋藤
「考えない人」というのは今の世の中に沢山いるのですよね。神内さんのように「これはどういうことなんだろう」をじっくり考えられるというのはすごく大事なことやね。
渡辺
神内さんが野崎先生の本を面白いと思われたり、キリスト教の授業を「おかしくないか?」と思われたり、直感的なご結婚もそうかもしれないのですけれど、ご自分の感じたことにとても素直に反応して行動なさっていますよね。
授業がこんなに面白いと思ったことは、ICUに入るまでなかったですね。
渡辺
ICUで過ごした月日は、神内さんにとってどんな時間だったんでしょう?
神内
授業がこんなに面白いと思ったことは、ICUに入るまでなかったですね。数学科でしたけど、美術史の授業とか経営の授業とか、面白そうな授業をとっていました。
渡辺
授業の取り方も神内さんらしいですね。「面白いな」と思う講義を受講なさったんですね。
神内
学校の中で、それまでは「人間の祖先はサルでした」と言われて「サルだったんだ」と思うような勉強しかしてこなかったのが、ICUに入ってはじめて勉強した気にはなりましたね。
渡辺
それは「考える」ことを学んだという意味でしょうか?
神内
そうですね。考えることがいちばん重要なのだ、と気づいたのは大学に入ってからかなあ。最初はローグレでしたけど(笑)。
渡辺
最後にICUの在校生やICUを目指そうと考えている若い世代の方に、メッセージをお願いできますか。
神内
愛は惜しみなく与えるもの(笑)。
齋藤
それは大事なことやね(笑)。


プロフィール

神内一郎(じんない いちろう)
香川県高松市出身。旅館を営む家に生まれ、高校卒業までを香川県で過ごす。国際基督教大学理学科数学専攻。学部を卒業後、同大学の比較文化研究科にて数学史、科学史専攻。博士前期課程(修士)を終了し、1992年4月電通に入社。デジタル領域を中心に新規事業・新規サービスの立ち上げに従事。ジェイフォンとの合弁によるモバイル広告会社の立ち上げや中国でのインターネット広告会社の立ち上げ、東南アジアでのアド・エクスチェンジ事業の立ち上げなどを担当。現在はドコモと電通の合弁会社である株式会社LIVE BOARDの代表取締役社長として活躍中。ちなみに、電通での最初の配属先はクリエイティブ局。コピーライターだったという一面も。